捕獲
鍵の部屋は保留にできたとしても、問題はまだ残っていた。そしてそれは高校での孤立を加速させていた。俺は溝沼ソウスケ時代からアドリブに弱かった。嘘をつけないというわけではない。計画性のある嘘ならば何人も欺きとおせる自信がある。嘘だろうと演技だろうと、即興性が求められる行為全般が苦手だった。そして対極に須澄トモユ、当時の南トモユはアドリブ技術が頭一つ飛びぬけて秀でていた。
俺はどういうわけか、塩浦に連れられ、とある場所に来ていた。時間帯は平日の放課後。調べものが思うように進まず見切りをつけて下校しているはずだった。本来ならば。
「みんな、紹介するね。こちらのお兄さんはクラスメイトの深海ユウ。みんな仲良くしてね」
眼前には小学校低学年ほどの児童が集まっていた。ここは塩浦エリの母、塩浦レミが生前支援をしていた孤児院であった。
「無理言ってごめんね。優秀なコーチがいるって言ったら、みんな会ってみたいって聞かなくて」
「エリちゃん、放課後に深海さんが捕まえられなくて、困ってたんですよね」
それは俺のせいなのだろうか。波風の言葉の棘は、抜けそうにない。圧倒的なアウェイは慣れていたはずだが、得体の知れない重さがここにはあった。
「話を盛るな。俺は練習のメニューに口を出した程度だ。MVPはちゃんと投げ切ったジュンと、助っ人集めをしていた波風さんだ」
「まあそうは言わずに。僕は二人に特別なことは、何もしてあげてないんだから。練習をしっかり見ていたのは間違ってないんだから」
ジュンがフォローに入った。少々不服そうな目で塩浦が俺を睨みつけてきた。心配せずとも貴方から、ジュンを取り上げようとはしませんとも。ええ、しませんとも。
「さっきから気になっていたんだが、何故お二人は既に私服なんです?」
数十分前のこと。校門を過ぎた瞬間に塩浦家の車に拉致されていた。車内には制服の波風と私服に着替えていた塩浦とジュンがいた。どうやら波風は既に何度か孤児院へ顔を出していたらしく、遊び相手程度ではあるがエリのお手伝いをしているのだとか。そして此度、俺も招待されることになっていた。俺の知らないところで。ここ最近は昼休み、放課後共に教室から早急に退散していたので、校門前で待ち伏せていた彼女らに遭遇していなかったわけらしい。遅くまで残っていたわけではないので、ニアミスの連続だったのだろうか。
「会ってほしい人たちがいるから、何も言わずに来てほしいの。とりあえず、顔を見せるだけでも」
二人が私服である意味はなんとなくだが想像がついていた。いや、私服というより、塩浦のほうが「キメ」ていた。流行から外れた帽子が目を引く。確かマリンハットと呼称されるものだったか。それに合わせておとなしめに纏められたコーデは非常に似合っていた。制服姿の塩浦のイメージからは少し離れて、ボーイッシュに見える。彼のほうは非常にラフだった。男子中学生にしてはおしゃれにみえた。これでは元々中性的な顔立ちのジュンの方が彼女に見えたかもしれなかった。そんな素敵なアベックは、俺と波風が子ども達と外に出るタイミングで二人は孤児院を後にした。結局俺は氷鬼を一時間ほど遊び通した。帰りは徒歩で、商店街を避け住宅街を行く。孤児院から徒歩での帰宅は、波風には少々酷に思えた。
「お二人の久し振りのデートらしいですよ」
「場所は?」
「北へ」
「扇和の方か」
「偵察に行くんですか?」
「逆だよ、邪魔しちゃいかんだろう」
「二人は本当に幸せそうにみえます。冗談でも邪魔なんてできませんからね」
「ああ。本当に幸せそうにみえる」
二人に光り人が関わることがなかったら、もうとっくにたどり着いていた景色なのだろう。
「最近はエリちゃんから相談事ばかり聞かされています。ジュンちゃんのことなんですから、深海さんにこそ聞いてほしいと思うんですけどね」
「俺はそういうことがまるでわからない。参考にはならない」
「なるほど」
波風はたまにこうして毒を吐き出す。あまりにも自然に出てくるので、聴覚障害を疑ったほどだった。後から、それは彼女の弱点だと知った。
「それより、君は俺に聞きたいことがったんじゃないのか」
「あ、わかりますか」
不意に歩みを止めた波風につられて立ち止まり彼女を振り返る。
「七月七日、空けておいてくれませんか?」
「そんな先のことはわからない。空けておけばいいのか」
「はい。約束ですよ」
「約束はできない。ただ、できるだけ空けるように努めておく」
「ありがとうございます」
今日一番の笑顔を見た気がした。
「なんだか申し訳ない。野球のときも、こちらの都合を優先させてしまった」
「あれは元々私が深海さんを誘ったのが始まりなんですから、非は私にありますよ」
何故だか酷く申し訳ない気分だった。彼女には常に何かの理由で頭を下げているような気がしていた。
「それに」
「ん?」
「自由行動の方が、深海さんっぽさあると思います」
「誉め言葉として受け取っておくよ?」
「誉めていますよ。そのままで、そのままで大丈夫です。何かあったら、ちゃんと言いますよ」
「助かる」
「では早速いいですか」
早かった。そんなキャラではないのに、派手に転びそうだった。
「な、なんだ」
「ここ最近は、どちらかというとエリちゃんを避けていますよね。何かあったんですか?」
「塩浦のお母さんのことで、万奈美さんに確かめたいことがある。だがそれを聞いていいものか悩んでいる」
嘘は言っていない。話題は逸らしたが。
「それは避けることと、どんな関係があるんですか?」
手強さを感じていた。それは初めてであった時からだ。俺は塩浦やジュン、波風にも多くの隠し事をしている。それはプリズマに関わること、光り人に関わることなど、多岐にわたる。そしてそれらは、迂闊に話せない事情が存在するが故の秘密主義である。塩浦を避ける理由は一つ。レミさんと万奈美さんが、ミユキ死亡事故の目撃者その人であるからにほかない。当時のことを一番知っている人間は万奈美さんしかいない。今更それを聞きだしたところで、いいことは何一つとしてない。あるのは自己満足でしかない。
「あまりいい話ではないからだ。人が死んだ話だからな」
天乃市において、死亡事故自体は珍しいことではない。それは全国どこだろうと変わらないことではあるが。天乃に至っては数年前から交通事故で亡くなる人が突出している。主に人対車である。一説ではこれが物流企業の撤退を招き、天乃の衰退に繋がっているのだとか。
「人は誰だって死ぬ。それに塩浦やレミさんが手をかけたわけじゃない。あれは事故だ
。過ぎたことだ、なるようにしかならない」
「............」
「それでも、なるようにしかならないとしても、最後まで、醜くとも足搔くことを止めたくない。最近はそう思えるようになってきた。だから、君の記憶を探し出すことに躊躇はしない。自分の過去とも逃げずに向き合うつもりだ。たとえどれだけ時間がかかったとしても。君が明かされる事実を知りたいと思うか、受け入れるかどうかは、そのあとで考えればいい」
「一人は嫌なので、深海さんも道連れにしますね」
口元が緩み、二度寝した春の風が俺と彼女の狭間を走り抜けていく。
「そいつは、生憎だな」
彼女に聞こえぬような小さな、小さな声量で呟く。
「そいつは、生憎だな」
「逃がしませんよ?」
「説得力に欠けるな。昼休みに俺を探し回っていることは知っているぞ」
「ちゃんと見つけてから物を言えと? それよりも、いつもどこで何をしているんですか?」
「当ててみればいい」
波風が言い当てることはなかった。いいや、俺の口から言わせたいだけなのだ。
「これがレミちゃんを避ける理由と、どう繋がるんですか?」
「出発点はそこだったな。さっき話した、人の亡くなった事故とも関係する話だ」
「ごめんなさい、全然見えてこないんですけど」
「本当は伏せておくつもりだったが、気が変わった。やはり君には知っておいてほしい」
「私に......?」
意味もなく、アパートを通り過ぎ、波風を家まで送っていたわけではない。全てはこの場所へ導くためであった。
「ここは、俺が昔住んでいた家だ。深海の姓になる前のことになる」
「ここって......」
「桜瀬邸。桜瀬栄一とその妻の桜瀬恵の家だ。そして五年前の六月まで俺がお世話になっていた家でもある」
塩浦邸や須澄邸には大きく劣るが、それでもなかなかの規模の屋敷である。定期的に手入れをしてはいるが、一人では不可能である。深海姓になってから藤井さん抜きでここに来るのは初めてだった。門を開いて正面玄関を開錠して見せる。最後に掃除をしてから三ヶ月は経過していたので、玄関の時点で埃っぽかった。
「桜瀬、栄一という方が、深海さんの本当のお父さんだったんですね」
「それも正確には違う。父さんは俺を養子に迎えただけだ。遺伝子学上の父親は他にいる。父親という存在は、父さんしかいないよ」
「栄一さんの名前を聞いたあの日から、私も自分で調べてみましたが、私がなぜ反応したのかはわかりませんでした。あれはいったい何だったのでしょうか」
これの詳細は俺にもわからない。
「以前父さんの名前に反応していたから悩んだが、君の過去としてではなく俺の過去として、君に教えたかった。とりあえず、これで証明にはなっただろう」
「深海さん......。つまり、深海ユウの前は、桜瀬ユウだったってことですか?」
気になるのはそこなのか。父さんの名前に特に反応は見られない。ではあれは一体――。
「桜瀬ユウ、だったよ」
懐かしさを覚えるその名前を俺は二度と名乗ることができないが。精一杯の笑顔を波風に返す。不細工な笑顔だということは鏡を見なくてもわかるものだった。
「あの事故というのは、桜瀬夫妻の実の娘である桜瀬ミユキが、矢米川で流された事故のことだ」
「お姉さんが......」
「俺は誰も責めたくない。ただ、姉の面影を、探したいだけなのかもしれない。今まで知らなった分を取り戻すようなことだが」
「探せますよ、深海さんなら。きっと。探し出せます」
波風は根拠のないはずの言葉に、それを宿らせる力でもあるのだろうか。その一言だけでそう思えるのだから不思議なものだ。
「そのためには、俺は桜瀬という家族と、真正面から向き合わなければならない。俺はそれも怖い。これを乗り越えるためには、きっとまだまだ時間がかかるだろう」
「自分の知らない過去と向き合うことは、私も怖いです。私達って意外と似た者同士なのかもしれませんね」
「君でも、怖いか」
「ええ、今の私からは想像もつかないような性格だったりしたら大変ですもんね。不良生徒だったらどうしましょうか」
「特攻服でも用意しないとだな」
「それって私と張り合おうとしてます? 深海さんは名前負けしてますね」
俺は気に入っていたのだが。
「わ、私は名前負けしててもかっこいいと思いますよ。ほら、ギャップというか」
励ましは上手でもフォローはいまいちだった。