誘導
昼休み、俺はいつものように屋上に持ち出した椅子たちを並べ、その上で寝転がっていた。そしていつかのように想定されていない来客を迎えてしまった。
「なにか用か」
「あ、いえ。特に何もないんですが」
俺はいつの間にか波風カナが苦手になっていた。本人にその気や悪意があるというわけではない。単に俺が人付き合いが上手くないことと、彼女の言動に居心地の悪さを勝手に感じてしまっているからだ。そこに悪人は存在しない。全てがうまくかみ合っていないだけだ。
「いつもは塩浦と一緒なんじゃないのか」
「深海さんも一緒にどうですか、お昼」
「悪いが、他をあたってくれ」
「深海さんの教室ではなくて、私の教室で、なんですけれど」
「場所の問題じゃない」
これ以上の問答では勝ち目はない。そもそも打ち負かそうなどとは考えていない。
「行くところがあるから、俺はこれで失礼するよ」
「あっ......。ん?」
「その椅子がどうかしたのか?」
先程まで俺が頭を乗せていた椅子に手を置いたまま波風は硬直していた。
「しまうから、手を離してくれるか」
「ごめんなさい」
「君も早く撤収しなければ誰かに見つかるぞ。それだけは勘弁願いたいのだが」
「はいっ、入ります」
椅子を片付けて衝立の内側に入る。ここからは安全圏である。
「悪いことは言わないから、屋上に来るのはもう止めろ。最悪退学になるぞ」
「深海さんは嘘は上手でも、脅しは下手ですよね」
脅しは手加減しているだけだ。
「ならほっといてくれ。忠告はしたぞ」
波風とほぼ強引に別れてまだ時間のある昼休みの過ごし方について思慮を巡らせる。誰かと競うのでもない、一人で完全に完結した、暇つぶしの趣味を探したほうがいいのかもしれない。
鈴懸高校の図書室は、中等部のものとは流石に程度が違っていた。ここに来るのは入学当初のオリエンテーション以来だったろうか。図書室の使い方や案内などを新入生に説明するアレである。
「ユウがここに来るなんて、明日は雪でも降るんじゃないの?」
「サリヱ……」
彼女は図書委員だった。そういえば先週の委員会決めで立候補していた。
「今日が当番なのか」
「うん。なにか本を探しに来たの?」
「いや、そういうわけではなく。昼休みの過ごし方について、難儀していて、なんとなくで、ここに」
「それはきっと、本の方から君を呼び寄せたんじゃないかな」
「本が?」
「そういう、理屈で説明できないことって、あると思うよ」
光り人の力。彼女は知らないのだろう。そういう人知を超えた存在とその「力」を。そしてそれがどれだけ幸福であるかも。
「普段やこれまでは、どんな本を読んできたの?」
「えっと、医療系や野球の練習法、発声や演技練習系、が主だな。あとは推理小説を少々」
「なら、これとかいいんじゃない?」
彼女が案内した先は学校史や天乃市の歴史が纏められた本棚だった。
「君は読んだことあるのか」
「いや、ないよ」
「ないものを人に勧めるな」
「でも読んだことないでしょ」
「確かにそうだが」
「君の本来の目的の、暇つぶしには最適だと思うよ? それに」
「それに?」
「少しはこの街のこと、わかるんじゃない?」
言っている意味はわからなかったが、他に人がいないとはいえ図書室で会話をこれ以上続けるのも忍びないので、おとなしく市史についての勉強を始めた。サリヱもごく自然な動きで向かいの席に座った。意に介さず俺は本を開いた。
天乃市の「天乃」とは、「天乃光」を指す。これは「光り人」のことだとする説も存在する。実際に演目「ヒカリビト」と、それのオリジナルにあたる言い伝えでは、光り人は天から降ってきている。舞台では照明の演出により役者を宙に吊るすことなく再現していた。
針ヶ木劇団にて、「ヒカリビト」を演じるにあたり当時教えられた事柄との矛盾はない。桜瀬夫妻や劇団のお世話係の斎藤さんから様々なことを聞いていた。S県の南部に位置し、古くから都心との人と物の流れのある街。それが天乃市の特徴のひとつだった。それも首都消滅と、物流企業が多く撤退していった関係で今では見る影もない。ベッドタウンとしての価値を失った天乃市は、物流業界に今更頭を下げることもできなかった。一時期針ヶ木劇団の盛り上がりにより、復活の兆しが見えたこともあった。しかしそれも一過性のものであり、移住してきた金持ち達の見栄のためだけに存在するものとなっていた。俺にはそれが耐え難いことだった。
「サリヱ、君はこの街の出身だよな?」
「そうだよ。一応中学から一緒じゃん」
それは覚えていた。確か中学の時に一度だけ会話をしていた。
「一年のプールの授業のときだったか、あれは」
「そうだよ。私泳ぐの苦手だからプールほんとに嫌なんだよね」
この国では小中学校において水泳の授業は必修になっている。加えて天乃では輪をかけて力を入れていた。
「お母さんのときは、そこまでじゃなかったらしいんだけどね。なんでも子どもが溺れた事故がきっかけだとか」
「それ何年前だ?」
年表の頁を開いてサリヱに見せる。
「確か、これだよ」
彼女が示した箇所は約十六年前の水難事故の記述だった。当時九歳の女児が矢米川から流され、首都湾を超えたC県の浜に打ち上げられているのが発見されたものだった。
「こんなことが」
「結構な大騒ぎになってたって」
その見開きの中には約三十年前の首都消滅の記述もあった。流石に個人を称賛する記述は控えているのか、桜瀬栄一の名前はなかった。
「そういえば、この水難事故は目撃者でもいたのか? 女児の行方不明なら、発見前から水難事 故だと断定していたのは不自然だ」
「目撃者、二人いたらしいよ。流されるその瞬間を見ていたんだとか。確か、妊婦さんもいたたってお母さん言ってたよ」
事故発覚から女児の発見までは数週間の時間差があった。
水難事故の不可解な記述も気になるところだが、予鈴に引き戻された。
「教室に戻ろ?」
「ああ」
本を元の位置に戻していつの間にか戻っていた司書さんに会釈をして図書室を後にする。
「これからあの事故について調べるつもり?」
「できるなら」
「気になるんなら、しっかり調べた方がいいよ」
「そのつもりだ」
「それならよかった」
彼女の言葉の意味はわからなかった。