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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
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探偵

 公園でそれなりの時間を費やしたつもりだったが、夕飯にはまだ早かった。傘を持ったまま、商店街のほうへ足を運ぶ。目的は通りの中ほどの古風なカフェ、ではなくその向かいのビル、二階の事務所。

 「こちらにどのような要件ですか」

 背後から話しかけられた。波風だった。高校の制服ではなかったが、セーラー服のようなワンピースを身にまとっていた。見た目に反して暖かいのだろうか。

 「驚かしてすみません。偶然お見かけしまして、気になったのでつい後を付けてきました」

 「あ、そう。波風さんも中に入るか?」

 「お邪魔になりませんか」

 「それはわからないな」


 そこは知り合いの元刑事が営業する探偵事務所であり、俺の「ある目的」のために無償で使わせてもらっている。

 「合鍵まで持っているんですね」

 「岬探偵は事務所を空けることも多いからな。いつでも来ていいからもっとけ、と。適当に座っていてくれ。暖房が欲しかったら遠慮なく言っておくれ。洗面台はそのカーテンの奥左手、右手はお手洗いだ」

 四月だというのに今年も寒い。カナはソファに荷物を置き、洗面台へと向かう。

 「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

カナは紅茶を選んだ。先にデスクトップPCを起動しカナに続く。応接間に戻るとカナはソファに腰は掛けずにドア前に立ったままだった。

 「座っててくれ」 

 カナはようやくソファに座した。


 キッチンへ行き、蛇口をひねる。水を少し流してから電気ケトルにカップ一杯分汲み、スイッチを入れる。

 「あの、ひとつ聞いてもいいですか。その、探偵さんと深海さんは一体どのようなご関係なのですか?」

 「一年前の春休みに、訳あって世話になった人だ」

 「一体何をしていたのですか」

 「端的に言え事故にあって死にかけていた」

 食器棚からティーカップとソーサーを取り出し、カップに白湯を注ぎ温める。再度蛇口から水を汲んでもう一度沸騰させる。

 「情けない話だが、普通にトラックに轢かれた。全治三週間。退院は一週間でできたが、 堪えたのか回復が遅れて完治に一カ月かかった」

 「今はもう何ともないんですか」

 「そりゃあもう。さすがに一年経っているからな」

 しばしの沈黙ののち、二度目の湯が沸きあがり、カップを温めていた湯を捨てる。カップに新たに湯を注ぎ、カナにティーパックと白湯入りカップを出す。

 「こんな形で申し訳ない」


 俺は余った白湯を事務所に置いている専用のマグカップに注ぐ。湯気はもうそこまで立っていない。PCとにらめっこを始めるためには俺にも温かい飲み物があったほうがいいような気がしていた。本来の持ち主は、頭脳労働が苦手なために碌に使われていなかったPCだ。こいつを俺が使い始めたのは、PCの購入から半年が経ってからだった。使用者が変わっても本来の性能が発揮されているわけではないが、全く使われないよりはマシだと納得してもらうしかない。

 「猫探しですか」

 「ああ、一年前に一度保護した猫をな」

 普段ここのデスクトップPCで、天乃市とその周辺の里親募集情報、猫の保護情報などをネットで調べている。そういう類の掲示板なんかも閲覧している。有力な情報が出たことなど一度もないが。

 彼女と向き合う。

 「それ以外にも野良猫がよく集まる場所を探す、っていう方法も半年前までは取っていた。半年経ってさすがにもう保護されたあとだろうと、思い始めたのもそのころだった」

 「それからの現地調査と、それまでのネットの情報は調べたんですか」

 「現地調査はやめた。ネットの情報は遡って調べたが情報はなかった」

 「深海さんって、本物の探偵みたいですね」

 ティーカップを手に取りながらカナが言った。両手で包んだまま動かさない。先ほどからこれを繰り返している。PCデスクから立ち上がり、キッチンに置かれていた電気ストーブをカナの近くまで運び電源をつける。

 「ありがとうございます」

 「写真などは残っていないんですか」

 「ないな」

 「私も何か思い出せれば力になれそうなんですけど」

 「――何を?」

 「昔の記憶です」


 彼女は入念に冷ましてから口にカップを運んで紅茶を口に流す。吹きかける息も、それを受ける紅茶も音をひとつも立てていなかった。

 彼女はにこやかに微笑む。

 「さっき言っていた思い出せば力になれそう、っていうのはなにか思い当たることでもあるのか?」

 「確証はないんです。ただ、何かが引っかかっていて」

 カップをソーサーに戻して彼女は再び微笑む。困惑の表情だった。

 「その戻らない記憶を手掛かりにすることはできないな」

 沈黙が訪れる。事実ではあるが無神経なことを言ってしまったか。

 「波風さんの方はなにか覚えていたりしないのか? 猫に関係ないことで」

 彼女がソファから立ち上がる。

 「わ、私のことはいいですから――」

 「わかったわかった。それはまた今度考えよう。今日はもうお開きだ」

 時刻は六時半を回っていた。ブラインドからは斜陽が差し込む。マグカップとティーカップを流しで洗い、PCをシャットダウンして戸締りの確認を済ませ退出する。

 「紅茶、ごちそうさまでした。では、また明日」


  頭上には星々が瞬いていた。「期待の新星」、かつてそのように呼ばれていた男のことを思い出す。主演舞台の上演までは、一度も呼ばれたことはないその名前。なぜそう呼ばれるようになったのかは知らなかった。

 道中の空地に人の気配を感じて様子を伺う。子どもが一人で球投げをしていた。フォームは無駄がなく洗練されていた。球種はストレートのみだったが、コントロールは抜群に上手い。10球全てが同じポイントに吸い込まれていく。ポールに投げているのにもかかわらず、まっすぐに投手の元へ戻ってくる。そして球は速い。そしてそれに見合うだけの遠距離から投げられていた。あれだけの球が投げられるのであれば、学校や少年野球のチームでは英雄なのだろう。あの子のような人物が「期待の新星」と呼ばれるにふさわしい。

  口から出る息は夜の闇に消える。「期待の新星」が風邪をひかぬことを祈りながら家へ急いだ。


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