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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
19/73

確信

 帰宅前に美術室の例の作品が気になり、再び赴いていた。自分ではどうすることもできない靄をどうにかしたくて、他のことで気を紛らわせようとしていたのかもしれない。絵画の楽しみ方など知らない。それでもあの絵たちには何か感じるものがあった。

 問題の、一番気になっていた絵は既に廊下に飾られていた。原色は少なく色の僅かな移り行きを用いて描かれたそれは、潮騒のような、または空模様のようなものだった。

 「君も、その絵がお好み?」

 サリヱだった。部室から出てきた彼女は見るからに帰宅途中のそれだった。

 「部活は終わりか」

 「うん。ユウは?」

 「帰宅部だ」

 「この時間まで何してたの?」

 「ちょっとあってな。せっかくだからサリヱに聞きたいんだけど、この絵を描いた人って――」

 「舟次郎。上灘舟次郎だよ」

 「上灘、舟次郎......」

 絵の右下に入れられたサインは「S・K」。崩された筆記のサインは確かにそれだった。

 「やっぱり知ってるの? この人のこと」

 そんなはずはない。上灘の姓を持つ人間が──。

 「別の上灘さんなら知っている。この舟次郎という人は、聞いたことがない」

 「その別の上灘さんっていうのは?」

 「俺が行方を追っている人だ」

 「そのマイさんとユウはどういう関係なの?」

 「少なくとも、会った記憶はない。俺とは別の人がマイさんを探していて、それに深くかかわっている、といったところかな」

 「その人にとって大切な人なんだね」

 どうなんだろうか。そういう方面に理解があるとは思えないが。

 「見ず知らずの人を探すなんて、大変だね」

 人探しというものは本来大変な作業なのだ。そして大抵の場合それは見ず知らずの人なのだから。

 「そうだよな、本当は大変なことだよな」

 「ん?」


 まだ何も知らないサリヱに先ほどの出来事を説明する。

 「人探しのお願いを引き受けたんだ。本当に探偵みたいだね」

 「俺は猫探しの自己満足でやっていただけだった。なんでそれに一年もかけたやつを、頼ろうとしたのか」

 「それだけ信頼に足りうると判断したんじゃないの?」

 「そもそも、俺も俺だ。波風の頼み事は、なぜか断る気になれない。きっと波風もそれを解っているような気がする」

 「二人はまだ出会ってから一ヶ月も経ってないんだよね? すごいな、ほんとに」

 「悪い、話してばかりで」

 「いいよ、ユウの話もっと聞きたいから」

 「君とちゃんと話したこと、今まで全然なかったはずなのに、そんな気が全然しない」

 記憶が正しければ彼女はよく本を読んでいた。紙のブックカバーを付けた本を。教室の隅で一人で世界に浸っていた。義務や使命ではなく、己の欲望に忠実にみえた。

 「そう? ならよかった。中学の時もずっと同じクラスだったけどね」

 「なんというか、ちょっと近寄り難い雰囲気があったから」

 「それはユウも同じじゃない? 変な噂も立ってたし」

 「まあ、それは色々とね」

 「なんだっていいけどね。舟次郎さんの絵が好きなら、そんなこと絶対にないから」

 「だといいがな」

 「それに、私たちって意外と似たもの同士なんだと思う。ユウにはなんか感じるものがあるんだよね」

 「なにを?」

 「共感ってやつ」


 人影の少なくなった放課後の校舎をサリヱと二人で下っていく。人は少ないが金はあると噂される鈴懸は、少し会話が途切れるだけで静寂に襲われる。それは中学でも同じことである。寧ろ中学よりも人の減る高校ではそれがより顕著である。中学からの内部進学は一クラスと数名のみであり、残りはすべて外部である。

 「共感といえば、サリヱも、この絵が一番好きなのか」

 「一番初めに観た舟次郎さんの作品だもの」

 「君は、サリヱは舟次郎さんに会ってみたいのか?」

 「んー、わかんない。そういう答えは出さないことにしてるんだ。私は、昔からあの人のことを考えてるけど、不思議とそうは思わないんだよね。でもそれって、まるで自分に情熱がないように思えてきちゃうんだ。そうなっちゃうと、後はもうどん詰まりじゃん?」

 好きだからこそ暈す、ということだろうか。

 「ユウは、そういう経験ある?」

 俺にとっての須澄トモユが、渡辺サリヱにとっての「舟次郎さん」なのだ。

 「昔は劇団にいて、演じることが好きだったかもしれない。でも今はよくわからない」

 「覚えてるってことは、演劇が好きだったんじゃない?」

 演じることは好きだった、はずだ。劇団に入る程だからな。だが、トモユが来た時にはもう既に好きではなかったとでもいうのか......?

 「ねぇ、ユウ。汗が酷いよ?」

 異様な気持ち悪さに襲われていた。この気持ち悪さはとても久しぶりだった。できることならば二度と出会いたくないものだった。桜瀬夫妻の最後の瞬間、俺を襲ったものと同じだった。その異様さを流石に隠せずサリヱが俺の顔を覗き込んでいた。

 「ちょっと吐き気がしただけだ。問題ない」

 「よくなるの?」

 「どうということはない。一時的なものだ」

 鈍く重い感覚が頭を埋めていく。そしてこの痛みは、確実に真実へと向かっていることの証明であると、疑う余地がなかった。この身体が今更痛みを感じる必要など、本来はどこにもないのだから。

 「保健室とかいかなくて平気?」

 「ああ、平気だ。サリヱ、頼むから、このことは誰にも言わないでくれるか?」

 「わ、わかったけど、本当に気分が悪いなら、無理せずに保健室行きなよ? 私ひとりじゃユウは担げないよ」

 「ああ、それより少し一人にしてくれるか。この絵、やっぱり何か引っかかる」

 サリヱを一人で帰らせて、階段を上り一人で例の絵の前で佇む。何かがある。そう確信していた。この先にあるものがとても重大な意味を持つということを、すぐに理解していた。

 「そうだよな、確信があるなら、確かめたいよな」

 いつの日か、波風に釘を刺していた。あのとき、桜瀬栄一に反応を示していた彼女を止めたのは何故だっただろうか。


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