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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
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遺産

 大抵の場合、悪事というものは堂々と行われ、監視者の目の前でのみ息をひそめるものである。

 昼休みの終わり、教室に戻ってきた俺の目に飛び込んできたのは、自分の席には昼間に平らげられたパンや菓子のゴミが山のように積み上げられていた。他のクラスメイトはそれがさも当たり前であるかのように振舞っている。

 「どうしたの? 入らないの? 用がないなら入れてくれる?」

 教室後方の入り口で、時間にして一秒も停止していなかった俺の背中を軽く叩きながら塩浦が声をかけてくる。彼女は確か音楽選択だったか。

 「今日は波風のところに?」

 「うん。そのほうが安心だし。あの机──」

 「お前は何も言うな。一人で処理する」

 「わ、わかった」

 積み上げられたそれらは両の手には溢れるほどであり、ゴミ箱とを数回往復しなければならなかった。そうこうしているうちに五限の授業の時間になってしまった。教室に福山先生が入ってくる。

 この時間は選択授業で、今この教室にいるのは全員美術選択者である。いつの間にか隣のクラスの波風も教室に入ってきていた。本来であれば美術室で行われる授業だが、今日は諸事情で俺のクラスで行うことになっていた。

 不法投棄の主犯の目星は初めからついている。「ハゲネズミ」である。彼は書道選択であるので教室変更の件を知らなかったのかもしれない。本日は六限まである日であり、そこが彼の狙いかもしれない。──、こんな推測など意味がないことは初めからわかりきっていた。人は時に無駄なことをする。ならば、これは模倣である。実に滑稽なことだ。

 「深海、どうした、そのゴミは」

 「すみません、これで最後です」

 「昼休みのうちに片づけて置けよ」

 

 放課後。既に理由は無くなったはずなのに、顔馴染みになった二人が集まっていた。少年は不在だった。

 「ねえ、さっきのあれ、なんなの?」

 「あれって?」

 「あのゴミの山よ。今日は教室にいなかったけど、いつもはあんなことされてなかったじゃん」

 「あいつらなりにお前に気を使っているんじゃないのか? お嬢様に」

 「私そんなに胡坐かいてないよ?」

 「逆だよ、あいつらがお前にいい顔したいんだよ。損ではないからな」

 「他人を貶めるのが?」

 「お前が思っている以上に、人間は醜いものでもあるさ」

 「確かに、内部の人ってなんかこう、苦手だけど。ていうか話逸らさないでよ」

 俺は、それと同等に美しいということを、君たちから学んだ。

 「とにかく、君は気にしない方がいい。俺だって奴らのことは気にしていない。君が気にする必要はない」

 「カナちゃんに深入りしてるのにそれを言う?」

 「あいつにも頼まれたからやってるんだ、自分の興味だけでは行動しない」

 できない、の間違いだが。


  「はい、この話は一旦終わりにして、本題に入ろう」

 「本題?」

 「ユウが針ヶ木劇団にいたって本当なの?」

 塩浦の望みは波風と同様に針ヶ木劇団の見学であった。今の針ヶ木に外部の人間を引き付けるようなものなど存在しないはずだが、何故彼らが興味をそそられるのだろうか。

 「それでさ、私も──」

 塩浦の言葉を遮るように教室のドアが開いた。

 「ちょうどいい、三人ともちょっと手伝ってくれ」

 福山先生に連れられてやってきたのは、学校の敷地の僻地も僻地に立てられた保管倉庫だった。藤井さんから聞いたことがある。絵の保管において、紫外線や温度、湿度に気を付ける必要があるらしい。しかし高校の美術部で、専用の保管庫を用意するだろうか。

 「これを美術室まで運んでほしいんだ。終わったら、向こうに用意してあるお菓子食べていいよ」

 「先生、これって美術部で必要なやつですか?」

 「ああ。みんなの先輩の作品だぞ。それがどうかしたか?」

 「その、美術部の人は」

 「一人しかいないし、彼女はまだ部室に来ていなくてな」

 ならば、尚更男子が一人だけというのが不自然だが、福山先生は気づいているのだろうか?

 「でも、なんでわざわざ、こんなところから絵を引っ張り出すの?」

 福山先生は絵の作者がここのOBであること、現行の部員に見せるつもりだったこと、そして本人が先に要望したと、答えた。

 「ところで、波風はどこに行った?」

 「先に美術室で受け入れの準備するって。ていうか今気づいたの?」

 「と、とにかくさっさと運んじまおうぜ」

 「よろしくたむよ」

 

 絵は十枚ほどがそれぞれおそらくは自作であろう額縁に収められており、なかなかの重量だった。なおのこと波風の不在は損失に感じられた。

 「重くないか」

 「これくらいは平気。そっちは七枚じゃん。気を使ってくれるのは嬉しいけど、やせ我慢はよくないよ」

 「そっくりそのまま返すぜ」

 「すみません、お待たせしました」

 波風と昇降口で合流する。塩浦の手元から二枚を受け取る。俺からは受け取らなかった。美術室は一般教室棟五階の角に位置する。屋上を除いた最上階までの階段を上らなくてはならない。

 「今更だけど、辛くない?」

 「これくらいなら問題ないが、視界が十分に確保できていないから先導は頼む」

 「一人でそんなに持って平気?」

 「これでも一応男なんだから、信用してほしいんだがな」

 「わかったよ、任せるね」

 「二人とも、喧嘩はダメですよ」

 「別に喧嘩はしていないだろ」

 

 目的地の美術室は建物の端に存在する都合上、入り口までの廊下に作品の展示スペースが存在する。何かが掛けられていた痕跡だけが残るこの区画にこれから飾られる彼らを部室に届ける。鍵は開けられており指定されていた教卓に絵を置いて美術室を見回す。カーテンは閉められ、換気扇の音が静かに響いていた。鼻に残る絵の具の匂い。学校の中で特異な匂いを残す教室というものはここか、調理室程度なのだろう。

 「え、誰?」

 入口の方から声が聞こえて振り返れば女子生徒が一人、佇んでいた。

 「確か、同じクラスのサリちゃんだよね。私達、福山先生にそれを運んでくれって頼まれたんだけど」

 渡辺サリヱ、それが彼女の名前だった。塩浦は教卓のそれを指して答える。

 「まさか、これが」

 「この絵のこと、知ってるの?」

 サリヱは一枚ずつ絵を凝視していた。最後の一枚を見たときに彼女が口を開いた。

 「これは私の昔話なんだけど」

 彼女の語るところによれば、彼女の母親は高校生の時に美術であり、コンクールでの入賞も何度かあったという。コンクールの展覧会が開催された時のパンフレットを偶然目にした時に、心を奪われた絵が一枚存在した。その主は、この鈴懸高校美術部のOBであった。その人の痕跡を追いかけてここまで来たのだという。

 「サリちゃんって、中等部からいたよね?」

 「中高一貫とはいえ、ほとんどの部活動は別れているだろ」

 「いや、そうじゃなくて。後から入ることだってできるのに中学から入ろうだなんて、私には難しいから。すごいなって」

 「人って好きなことなら意外と頑張れるよ?」

 「私もそう思います」

 右に同じだ。

 「この絵を描いた人の名前は?」

 「作者? 名前は」

 サリヱの反応した絵に目を落とす。

 「俺、この絵知ってる──」

 「あ、あなたも知ってるクチ!?」

 「ああ、以前どこかでこの絵を見たことがある。それがどこか思い出せない」

 「なんだ渡辺も来てたのか」

 今度は福山先生が入ってきた。

 「お客様がお探しだぞ。教室に戻ってやってくれないか?」

 「お客様?」

 「いや、ジュンしかいないだろ」

 「戻りましょうか」

 福山先生からお駄賃替わりのお菓子を頂戴して教室に戻る。やはりお客様はジュンだった。俺の分のお駄賃はジュンにさりげなく渡した。ジュンと塩浦はそのまま下校したので、俺と波風も解散の運びとなった。


 またとある日の放課後、塩浦とジュンは不在だったが、波風が残ってくれというので一人で1-Bの教室に残っていた。やがてやってきた波風は一人の男子生徒を連れていた。

 「紹介しますね。彼は私と同じクラスの」

 「篠田リュウジ。今日は聞きたいことがあって」

 「深海ユウ。聞きたいことって言うのは?」

 「上天乃商店街の篠田写真館ってわかるかな。あのお店って俺のじいちゃんの店なんだけど」

 「存在は認識しているよ」

 「じいちゃん、これまでの人生のなかで”敗北した一枚”があるんだ。まずはこれを見てほしい」

 そういいながら彼が取り出したのはこの先、目にすることがないだろうと思っていたものであった。

 「針ヶ木劇団十作目の演劇、『ヒカリビト』の写真集だ」

 針ヶ木劇団の公演ごとに製作される、公演の台詞とステージの写真をまとめたものである。表紙は当然のように南トモユこと須澄トモユである。

 「やはり存在していたのか……」

 「先日、波風さんから君が当時の針ヶ木劇団に所属していたと聞いたから、君から話が聞きたかった」

 「一応、何が知りたいのか、もっと詳細に教えてくれないか?」

 「この、表紙を撮った人のことが知りたい」

 リュウジは改めてまじまじと表紙のトモユを見つめている。時間にして約五年前のトモユは今と変わらず整った顔をしていた。恐らくこのトモユを見た誰もが彼女を美人だと口をそろえて言うだろう。俺もそういうだろう。だが彼女がこの顔のおかげで多くの苦労を背負っていることも、また事実であった。より多くの時間を積み重ねたうえで初めてその魅力を最大に発揮する顔であった。まだ小学六年生のかつての彼女には、微かに不釣り合いであっただろう。

 「失礼」

 写真集を初めて手に取る。表紙のトモユに無意識に想いを馳せてしまった。

 「どうしたんですか、深海さん?」

 「な、なんでもない」

 裏表紙には針ヶ木劇団のロゴが入れられていた。溝沼ソウスケこと深海ユウの姿はなかった。中の頁にいることは当たり前だろう。問題はそこではない。トモユ本来の配役は主演だったが役の台詞を失念してしまったがために俺と配役を交代していた。「ヒカリビト」を最後に舞台から離れていることもあるが、思うものがあった。

 「是非、中も見てくれないか?」

 リュウジは閲覧を進める。

 「その前に、君はこの写真集のカメラマンを務めた、今高美波という人物について調べたのか?」

 「情報が全く出てこないんだ。だから当時の針ヶ木劇団にいたという君から少しでも話が聞ければと」

 「悪いが当時のことは。ところで、波風さん?」

 「はい、なんでしょうか?」

 「何故トモユではなく俺を紹介した?」

 「なんとなく、ですかね」

 「どういうことだ?」

 「トモユの連絡先、彼女は持っているぞ」

 「深海さんなら、先程のカメラマンの方を見つけられると思いまして」

 「あれは猫探しだ。人探しはしたことないぞ」

 「これからするのでは?」

 「とにかく、針ヶ木に聞けばすぐにでも」

 「回答は返ってこなかったよ」

 公式ブログの更新もいつからか不定期になっていた。かつての栄光も見る影は無いに等しかった。

 「なるほどな。それなら一度トモユに会ってみたらどうだ。あいつは俺より長く劇団にいるから、少しは話が聞けるかもな」

 波風に後のことを丸投げすることにし、俺は謎のカメラマン、今高美波の捜索を引き受けることになった。


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