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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
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擬態

 試合の翌日、いつものバッティングセンターに行くとトモユの姿があった。これ自体は珍しいことではない。二年前の付き合っていた当時に彼女をここに連れて来てから、彼女は暇があればこのバッティングセンターに姿を現す。俺はトモユと別れた後から、足が遠くなっていた。

 今日はここに来る予定は元々なかった。当然、彼女にも伝えていない。その手段は初めから存在しないので悩む必要はどこにもない。しかし、今の俺には「気」が必要だった。

 彼女は変わらずに一番奥のボックスでバットを握っていた。

「トモユ、お疲れ様」

 彼女は嫌な顔を見せる。ここに来ている以上野球嫌いになってはいないと感じるが、俺のことはもっと嫌いになったのであろう。「将来は会社を継がなくちゃいけないだろうから、今のうちにたくさん遊ぶことに決めた」と言っていた、いつかのトモユを思い出す。

「どの面下げてるの」

「お前、リットルズのピッチャーの球コピーしただろ」

 試合を見ていた人間ならば、なんとなくでも、誰もが気づいただろう。俺が今トモユにするべき話でないことは理解していたが、指摘せずにはいられなかった。

「通りがかった公園で、彼のあの球をみてね。まさかお相手だったとは思わなかったけど。でも彼がいなかったら、私は試合に出られなかったし。私に言わせれば、あんな速い球を完璧にホームランにできちゃう、先輩の方が化け物じみてるよ」

「前にも言ったが、球の軌道と速度変化をおおよそでも読めれば、打てちまうんだよ。あれはストレートだから、余計に」

「全然ここに来なかったのは、バッティングを私にコピーされたくなかったから?」

「それもそうだが、一年間来ていなかったから、習慣が抜けたのもある」

 苦しい言い訳であった。

「野球、嫌いになった?」

 意外な質問が飛んできた。

「昔からよくわからない。野球以外もそうだ。自分の好みは昔からよくわからない」

 トモユは打ち出された球を的確に打ち返す。この打者がいたというのに、負けてしまったケルビンズが今になって不憫に思えてきた。

「先輩って意外とそういうところあるよね」

 トモユがバッターボックスから出てきてベンチに腰かける。二人分の空間を開けて俺も座る。

「私は好きじゃないな、先輩のそういうところ」

「善処します」

「ホントにする気あるのか疑問だね」

「先輩がリットルズの助っ人の練習に付き合ってたんだよね? 代理戦争のつもり?」

「そんな狙いはない。一度誘われて、試合は辞退したが、練習だけでも協力したい、そう思った」

「他人と関わろうとしてるんだね。昔の先輩じゃ想像もつかない」

「今のは聞かなかったことにしておく」

「あの波風カナってこのこと、どう思ってるの?」

 話を聞かなかったことにしても、発生した問題は何も解決しない。なぜなら、問題がそもそも発生していなければ、話をする必要がないからである。

「なんとも。最近思ったんだが、俺はどうやら人間よりも猫の方が好きみたいでな」

 哲学者は猫が好きなのだ。

「一年で人ってここまで変わるものなんだね。私知らなかったな」

「時間は残酷なものだよ。人間はそう簡単に変化するものではない。それを変化させてしまうのだから」

「哲学者でも始めるの?」

「どちらかというと詩人では」

 職業はなんだっていいのだ。長い暇を消化できるのであれば、なんだって。

「ねえ、本当に針ヶ木に戻ってくる気はないの? あの頃の奴らは、もうひとりもいないよ。誰も先輩の邪魔なんか」

「誰がいてもいなくても、あの世界はもう俺のいる世界じゃないさ。俺にとっての邪魔が問題じゃないんだよ。俺が邪魔になるのが嫌なんだよ」

「針ヶ木で後ろ指を刺されて、中学で白い目で見られて。もうその大半はいないんでしょ? だったらもう気にしなくてもいいんじゃないの? 誰が先輩を邪魔だって言ったの?」

 ふと受付をみると昨日の写真が既に飾られている。バッティングセンターのオヤジさんは昨日の試合にリットルズで出場していた。写真の中のジュンと塩浦、そして波風はいい笑顔をしていた。

「この世界は、本来俺たちがいていい世界じゃない。わかるだろ? お遊びで止めておくべきだよ。俺達は邪魔にしかならない」

 トモユは少しだけ頷く。

「俺、実はトモユが休業してるんじゃないかって、前からなんとなく気づいていたんだ」

「どうして、気づいたの?」

「針ヶ木劇団のホームページを、頻繁に確認していた。スタッフブログなんかを。あの日を境にお前は、写真に写らなくなった。何かあったと」

「それだけじゃ、根拠としては弱いんじゃない」

「ここのオヤジさんから聞いたよ。毎日のように来てるって。針ヶ木やってたら、そんなことはできない」

 トモユから逃げるな。自分自身に言い聞かせる。

「だから今日俺もここに来た。ここにいるとわかっていたから」

「先輩と最初にここに来たときのこと、今でもよく覚えてるよ。ここに来てなかったら、私、とっくにダメになってたと思う」

「野球、好きか?」

「好きなのは好きなんだけどね。笑っちゃうでしょ、自分がコピーした球、昨日全然打てなかったんだよ。ここに通い詰めてるのに。私に野球の才能はなかったみたい。悲しいなあ」

「諦める必要はないだろ。それに、その答えを聞いて俺は安心したよ」

「彼のことはもう考えないようにしてるんだ。私に力があったって、あれはどうしようもなかったよ。野球に罪はないし」

「トモユのいう通りかもな」

「私たちに罪があるかどうかも、私にはわからないな」

 無知とは彼女にとっては救済である。俺はそう思っている。

「先輩が思ってるような優等生ちゃんじゃないよ、私」

「十分優等生だろ。プリズマの能力を悪用していない時点で」


「楽しくないじゃん、そんなの。私は人間でいたい」

「もしも、お前をプリズマにした張本人を殴れるとしたら、トモユはどうする?」

「どうもしないよ。それで私の体がただの人間に戻るわけじゃないんだし」

「戻れるもんなら、戻りたいよな」

「もし、もしも普通の人間に戻れたら、もう一度、私と付き合ってくれる?」

「同じことの繰り返しになるだけだよ。恋人に擬態するだけだ。君に心があっても、俺になかったら同じことだよ」

 彼女は知らない。一口にプリズマといっても種類が存在する。藤井さんことP1の初期タイプ、P2とP3までが該当する中期タイプ、そして俺の最終タイプである。初期と中期は生きた人間に調整を行うことで完成する。しかし最終タイプはそうではない。そしてトモユは今でもどのタイプに該当するのか判明していない。俺が五番目であることは上灘マイが言っていただけであり、物理的な証拠は何もない。須澄トモユが四番目であることは、彼女の奇妙な体験と、藤井さんの証言によって仮説が立てられ、その他様々な証拠で確定した事項である。具体的には彼女の母親とトモユの血液型の不一致もその一つである。母親の件はトモユの知るところだが、タイプの話はいまだにしていない。むしろこれこそが彼女にとっての光明となると、俺は考えている。


「調整」は一種のドーピングに近いものであり、ホモサピエンスの枠を飛び越えない。P5は事情が異なる。これもトモユは知らない。

「トモユ、トモユにはプリズマのこと、どこまで話してあったかな」

「元々はビフレスト機関で研究されていた改造人間の技術と、上灘夫妻の『光り人』の人工再現研究と融合させて生み出された技術、生きた人間に『調整』を施すことで誕生、私たちの他に三人存在、その三人は超能力に覚醒していて、P2又はP3が思考を読み取れる。ってくらいかな」

「それらに加えて、裏切り者がいるということも伝えたはずだぞ」

「そうだったね。その裏切り者と上灘夫妻の娘のマイさんを藤井さんは探しているんだよね」

「ああ」

「前にも言ったが、プリズマになるための『調整』を受けた時点で子を望める体じゃなくなる」

「そんなのどうでもいいて言ったよね?」

「お前こそ、いつか子供欲しいって言ってたじゃないか。忘れたのか?」

「そ、そうだっけ」

「加えて、当時も今も誰かを好きになる感覚がよくわからない」

「義務感で彼とやり合ってたっていうの?」


 二年前の今頃、中学で久しぶりに再会した俺とトモユは学校で会えば軽く話をする程度の関係に落ち着いていた。お互いに針ヶ木劇団の話をすることもなく、どちらかといえばその話題を避けるようにして過ごしていた。時間が経つにつれて顔を合わせる機会が増えると、向こうから積極的に接触を図ってきた。下駄箱に手紙、机の中に手紙。人に気づかれずにそれらを忍ばせる事に関しては天才級かもしれない。

 半年がたつ頃には初めて告白された。そういうつもりは一切なかったので断った。しかしトモユのアタックは長く続いた。さらに半年続いた結果、四月に俺はトモユにOKを出した。そして当然のようにそれを快く思わない人間がいた。当時の中学野球部の部長がその一人であった。彼本人は最終的に俺に一球勝負を仕掛けてきた。彼の素性については噂とトモユ本人の証言、加えて俺に対する慇懃無礼な態度を考慮し、遠慮は無用と結論付けた上でプリズマの能力をフルに活用し一日でプロ以上の野球技能を俺の体に習得させて臨んだ。結果は言うまでもなく彼は己のプライドを破壊された。

 俺は大いに周囲から厳重注意を受けた。主に藤井さんから。藤井さんはプリズマの能力の行使に酷く否定的である。この件は俺自身が未熟だったと今では思う。また、藤井さん以外では、中学の同級生からの冷ややかな視線が一番辛かった。周囲からの孤立は高校生になり、顔見知りが大きく数を減らした今でも変わらない。主犯が今でもいるのだから当然ではある。

「トモユは、彼を人間として信頼できる? 俺はしたくないね。トモユの傍にうろつかせたくもない。自分の行いが過激だと思い返すことはあっても、彼のその後を憂う気持ちは微塵もない」

「先輩なりに私を心配してくれてたんでしょ? それくらい私にだってわかるよ。先輩はあのとき確かに、私を好きだったよ。でも、その結果として先輩が孤立するのは悲しいよ」

「器用な生き方を知らないからな」

「もっと肩の力を抜いたらいいんじゃない?」

「トモユの生き方が羨ましい」とは言えなかった。

「もし、普通の人間だったら、なにがしてみたい?」

「そうだな、今までやってこなかったことをやってみたい。舞台、野球以外で」

「具体的に何かある?」

 何も答えられない。何かを始めるには短すぎる暇であった。

「自分のやりたいことがない。なにかをする気になれない」

「??」

「俺は、バッティングのように”最適解”の存在するものは得意かもしれないが、それどころか”解”の存在しないものはできる気がしない。実際、色々と失敗もしている」

「人間関係とか苦手そうだよね。でもその割に人助けはすると」

「頼られたから、手伝うだけだ。それに、自分の能力を人のために使えたら素敵なことだと思うから。父さんも俺と同じ立場なら、きっとそうする」

「そっか。でも、猫探しは、自主的なものだったんじゃないの?」

「どちらかというと使命感でやったことだ。見て見ぬふりはできなかったし」

「自分のことはいつも後回しなんだ」

「そうか?」

 ベンチから立ち上がり窓から差し込む光を背に彼女が言う。

「心から自分がやらなきゃって、思うことに出会えるといいね。先輩が『楽しそうだから、やりたいと思えること』に」

「楽しくて、やりたいこと……」

「夢ってやつだよ」

「くさいことを言う」

「私の性には合わないんだけどな」

 唐突にトモユは小銭入れを差し出してくる。

「やっぱ疲れちゃった。しばらく立てそうにないや」

 改まって彼女は続ける。

「こ、この前と同じスポドリ、買ってきてくれる?」

「庶民派」

「先輩だって同じでしょ。いいから買ってきて」

 自販機は建物の外にある。トモユの座っているベンチからは見えない。

「俺が奢るからいい」

 500mLのこの前と同じものを買ってトモユの元に戻る。

「庶民派じゃん。別に奢りじゃなくてもいいのに。別れてからの方が普通の彼氏っぽいんじゃない?」

 ようやく本題に入るタイミングが来た。

「なあ、今日一日付き合ってくれないか」

「へ?」

 まだ開けられていなかったペットボトルは手から滑り落ちた。転がってきたそれを拾い上げる。トモユは固まっていた。


 日曜日のソレイユはあまり人がいない。というより通常の日に客が入っているのをあまり見ない。賑わうのは決まってあかねえの勤務日で、数量限定のスイーツが提供される日である。

「トモユはあんまり来ないんだったな」

「あんまりね。コーヒー飲めないし。私とお茶しようってつもり?」

「お、来たねユウ。昨日は大変だったね。そちらのお嬢さんも、ゆっくりしていってね~」

 出迎えてくれたのは勿論あかねえ。本人たっての希望でもあるのだが、どこか気の抜ける呼び名はもう慣れてしまった。彼女を狙う男性客は多いと聞く。男性客諸君は是非とも彼女のいない日にコーヒーの一杯でも飲み来てもらいたいものである。

「初めまして、茜屋紫温です。あかねえって呼んでね。よろしく」

「須澄トモユです。こちらこそよろしくお願いします」

 二人とも初対面だったとは。

「あかねえ、例のヤツお願いできる?」

「任せろ~」

「トモユ、取り敢えず席に座ってくれ」

 やがて、トモユのもとにはあかねえのお手製スイーツが運ばれてくる。トモユはいとも簡単に平らげる。こういうとき、トモユは止まらない。このトモユは昔から甘味が好きだ。


 フルーツパフェの半分が消えていた。誘っておきながら彼女の復帰が遠のきそうな気もしたが、気にしないことにした。

「それで、私を上機嫌にしてどうするつもりなの?」

「もうこの際だから、謝っておくべきだと思った」

「続けて?」

「針ヶ木劇団のことを」


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