日向
鈴懸高校の部活動は自由参加である。それは中等部でも同じことである。中等部時代、俺は帰宅部だった。新しく何かを始める気にはなれなかった。
「どうせ入るなら、私物化したい」
「なんて邪悪な」
「私物化してしまうと、文化祭が大変になりませんか?」
「活動報告しないとだもんね。ていいうか部員一人じゃ部活として認められないんじゃ」
「何人からだっけ?」
「さあ、生徒手帳にでも書いてあるんじゃない? エリちゃんは?」
「私、ホームメイキング部に入ろうかなって。まだ入部はしてないけどね」
「ホームメイキング部ということは、やっぱり”あれ”ですか?」
「ストップ!!」
「わかっていますよ」
話が見えてこない彼と目を合わせる。お互いの頭上に疑問符が浮かんでいた。
「おっすー。探偵見習い君お疲れー」
店の奥から話しかけてきたのは、この喫茶店のお抱え菓子職人。
「あかねえ」
茜屋紫温、喫茶ソレイユの看板娘でもある。
「他のみんなは初めましてだよね。あかねえって呼んでね」
「菓子職人......。パティシエ!?」
塩浦が立ち上がりカウンター目掛けて回れ右ののち、あかねえに迫る。
「どうした塩浦」
「カナちゃん、お願い」
「ラジャ」
次の瞬間席を立った波風は、ジュンの目と耳を正確に塞いだ。困惑に包まれるジュン。
「な、なに?」
「ごめんね。少しの間だから」
「大人しくなるの早いな」
「深海さんは騒がないでください。お願いですから」
「あかねえさん、折り入って頼み事があるんですけど」
「大体話はわかるよ。さっきの、少し聞こえてたから。”伝説のレシピ”の件でしょ?」
激しく首を上下に振り同意する塩浦。これまでとは本気度が違っていた。
「私も鈴懸のOGだし、なによりその”レシピ”、私が書いたものだから」
塩浦の驚愕の声が響く。ジュンの耳栓が別の意味を持った。
「そ、そんなに驚くかな。あのレシピだったら、今からでも教えるよ?」
「すみません。動揺してしまって。レシピは、一旦保留にさせてください」
「じゃあ、彼を楽にしてあげて?」
「さっきの、なんの話だったの?」
ジュンに尋ねられる。女性陣三人に穏やかに睨まれる。彼の顔はこちらに向いており、彼女らの顔は見えていない。
「さあ? 俺にもなにがなんだか」
「お兄さんがわからないんなら、僕が聞いても無駄だね」
「今のはちょっと傷つくぞ」
「お姉さんが鈴懸のOGだってことは、伝えておくね」
「ちなみに、何期生かって、言えますか?」
「おぼえてないけど、たしか十五年位前に高一だったはず。その時に書いたのが”あれ”だからね」
「もうその話今度にしません?」
お互いの連絡先を交換した先輩と後輩はようやく離れた。ジュンはここぞとばかりにコーヒーをお代わりした。お気に召したようでなによりだ。そして席に戻り思い出したかのように塩浦が話題を振る。
「そういえば、探偵見習い君ってどういう経緯? 初めて聞いたよそんな呼び名」
「ああ、それは」
「向かいのあの探偵事務所に頻繁に出入りしたから。私が勝手にそう呼んでたの」
あかねえは窓の外の岬探偵事務所を指差す。
「岬さんが探偵なの?」
「ああ。あんまり会ったことないけどな」
「私も会ったことないや」
「足で稼ぐタイプだからね。そして俺はあの事務所で猫の保護情報を調べていた。それもようやくひと段落だ。そして、それを知ってるあかねえは俺を探偵見習いと呼ぶ、それだけのことさ」
これで事務所に通うことも無くなるのだろうか。サクラの行方が判明した以上、自分の時間を使う目的は存在しないことになる。藤井さんは高校を卒業するまでは俺達と同じ事はさせない、と言っていたのでプリズマとしてするべきことも特にない。そもそも光り人が滅多に確認できるものでもないので、プリズマとしてするべきことは、未だに行方不明である”上灘マイとその他二名のプリズマの捜索”になる。
「せっかく猫探しがひと段落したんなら、それこそ部活を真面目に考えてもいいんじゃないの?」
あかねえが話の軌道修正をする。先ほどからのナイスアシストは、ありがたい限りだ。カウンターの向こうで小さくサムズアップをするあかねえが見える。目線で返した。
「私物化とはいかないけど、美術部は部員一人しかいないって聞いたね」
塩浦が口を開く。
「私、写真部も一人だって聞きました」
「誰から聞いたんだ、それ」
「私らのクラスの担任、美術部の顧問だよ? もう少し他人に興味持ったら?」
「福山先生か」
「福山先生、ってあの?」
カウンターの向こう側から、あかねえが反応する。
「あかねえ知ってるの?」
「福山っちって、結婚してる?」
「いや、まだ独身だと思う。指輪はしていなかったよ」
「まだっていうか、結婚に興味あるとは思えないけどね」
それは本人の前で絶対に言うなよと、塩浦に釘をさす。
「それに、あんたのとこの顧問、福山先生に気があると思うぞ」
「顧問たくさんいるけど誰のこと?」
「みっちゃんって呼ばれてた、あの先生」
「美千子先生が? だいぶ歳離れてない?」
「いやいや、愛に年齢は関係ないよ、エリちゃん」
「僕もそう思う」
「ジュンちゃんがそういうなら」
コーヒーに意識を持っていかれていたジュンの横槍に塩浦は怯んでいた。
「というかなんで美千子先生のこと、なんでそう思うのよ。なんというか、気味が悪い」
「どういう意味だよ」
「他人に興味なさそうだなーって思ってたから」
ジュンも横で首を振っている。喫茶店で喧嘩を売るな。
「年上の方がタイプなんですか?」
波風が抱き合わせ販売をしてくる。
「そうなの!?」
「声がでかい。もっと静かにしてくれ。ジュンがむせているぞ」
コーヒーをむせた販売員は塩浦に介抱されていた。
「今日のお相手のチームに一人、若い人がいましたよね。彼女が深海さんの元カノだそうで。そうですよね?」
冷ややかなものを感じた。
「否定はしない」
「彼女は鈴懸の二年生だそうで」
「なるほどねぇ、やけに年上の顔見知りの女性が多いと」
「たまたまだろ。普通に男性もいるわ」
「その二年の先輩、なんて名前なの?」
「須澄トモユ、と教えてくれました。本人が」
「なんでカナ姉さんが答えるの?」
「須澄トモユって、あの須澄グループの!?」
「塩浦、隣」
再びむせるジュン。彼は今日一日持つのだろうか?
「ジュンちゃんごめん」
「この旅行ツアーの主催企業ですよね。そんなところの令嬢さんと付き合っていたなんて」
「針ヶ木で一緒だったと説明しなかったか」
「されましたよ」
「それにだ、あと二カ月で別れて二年になる。俺にその気はないんだから、あまり掘り返さないでくれ。流石に不愉快だぞ」
「踏ん切りがついてるなら私はなにも言うことはないけど、人を好きになることを恥じる必要はないよ。とても素敵なことだと思う」
「別に恋愛感情があったわけじゃないんだけどな。告白は向こうからだったし」
「ちなみに別れを切り出したのは?」
「俺から」
もうすでにこの場を早く離れたかった。塩浦は俺が、ジュンとの関係をそれとなく把握しているとわかっているからこそ、自分たちが話の標的にされないことを理解したうえで、俺の話を深堀しようとしているのだ。波風はデリケートな話題なので同じく標的にされないと理解している。要はこの場にいることはイコールで俺の負け戦を意味する。一方的になぶられるだけだ。
店内の壁掛け時計をそれとなく確認し、立ち上がり椅子をしまう。あかねえに声をかけるついでに、三人にも退店の旨を申告する。
特に引き止められることもなく店を出ることができた。初めから彼らの狙いはこれだったのではないかと勘ぐりたくなるところを抑え、アパートへの帰路につく。別に彼らとの談笑が嫌いなわけではない。人嫌いというわけでもない。教室の中に親しい人間はいなくとも、人と言葉を交わさない日はほとんどない。サクラ探しをしていたときであっても、野良猫の世話をする有志の人とは話をすることが多くあったのだ。これ以上奴らについて考えたところで状況は何も変わりはしないのだ。
本日の天乃市は快晴である。これまでの冬の忘れ物は無くなり、ようやく春を迎えたのだ。いまはこの新たな季節を歓迎するだけである。