前進
ソレイユにつくと既にジュンとエリがいた。マスターに自転車を返却し、打ち上げの準備をしつつ、チームメンバーの到着を待っていたジュンを店の外に呼び出す。
「ジュン、ちょっといいか。ジュン借りるぞ」
今朝のマスターとジュンのお父さん用の椅子がそのまま残されていたので、ありがたく使わせていただく。
「優勝おめでとう。全然力になれなくてすまなかった」
「終わったことだからもういいよ。肩治してくれたし」
「肩は問題ないか」
「好調そのものだよ。治った後は今までで一番いい球を投げられたし。ありがとう」
「それならよかった。試合の後、ジュンのお母さんには会ったか?」
「会ったよ。それがどうかしたの」
「実は今日俺が会っていた人は、君のお母さんだ。確証はなかったが、そうなんじゃないかと思っていた」
「それって、猫探しの件だよね? 母さんが猫を?」
「ああ。君のお父さんは猫嫌いだそうだね」
「うん。小さいころにいろいろあったみたいで」
「やはりそれじゃあ言い出しにくいか」
空を見上げてサクラに想いを馳せる。君がしっかり愛のある人に見送られたのならば、これ以上俺が憂うことは何もないのだ。
「問題の猫を、俺はサクラと名付けていた。サクラは元々は野良猫だった。その野良猫たちに避妊手術を受けさせたり、面倒をみていた人がいたんだ。それが塩浦のお母さん、塩浦レミさんだった」
「そんなことを、レミさんが」
「塩浦のお父さんは猫アレルギーだというじゃないか」
「まさか、レミさんはお母さんには話をしていた、っていうの」
「そう話してくれたよ。”約束”だった、ともね」
「”約束”ね……」
「それが呪いになってしまったんだ。彼女から託された猫のうちの一匹が、目の前で亡くなってしまったから」
「それは、現実を歪め過ぎているよ。そんなの、結局は自分で抱え込んで、自縄自縛じゃないか。それで僕たちに迷惑かけて」
「そうかもしれないな。本当のところは、俺達にはわからないよ。一生ね。でも、万奈美さんは、今日それを俺に話してくれた。本人なりに前に進む決心をしたんだ。俺はそれを素晴らしいことだと思う」
「僕は納得いかないよ」
「それも仕方ない。俺は万奈美さんが、サクラを助けてくれたこと、忘れない。俺も、救われた気がする」
「悪く思わないでほしいって言いたいならそう言えばいいのに」
「すまない。それで万奈美さんの全てが許されるとは思わない。だが、確実に万奈美さんの行動の結果、救われた想いがあることを、君には憶えていてほしい」
「わかった。誰かを思う気持ちは僕にもあるからね」
万奈美さんはこれから償いを始めるのだ。他人に許してもらうためのものではなく、自分を許せるようになるための償いを。レミさんと同じように。
「カナ姉さんから聞いたんだけど、お兄さんは、カナ姉さんの記憶を奪ったお仲間さんを許せるの?」
波風にはあの公園で夜に出会ったときに話していた。プリズマのこと、光り人のこと、俺の見立てのこと。不用意に他人に話すべきでないと自らに言い聞かせてきていた。P1である藤井さんは根拠こそ明かさないものの、P2とP3は信頼できる、と言っていた。どこかでそれを信じてみてもいいと思えるようになったということだろうか。あの日は波風に話しておきたかった
「どうかな。彼女が許したら、俺も従うしかないかもな」
「言ってたよ。『忘れることもできるからこそ、人間は生きていける。憶えるだけでは前には進めない』って。僕はそれがお兄さんを憂いて出た言葉だと思うんだ。自分の過去は知りたいけれど、それでお兄さんが他の人を、それも数少ない仲間を恨むことになるなら、ってね」
彼女がそんなことをとは、知る由もなかった。
「俺はきっと許せないだろうな。それでも、彼女が許すと言ったら、許してしまうかもしれない」
「それ、カナ姉さんに話したら?」
「聞いていますよ」
波風がいつの間にか店外に出ていた。聞かれていた。
入れ替わるようにジュンは店内に入っていく。長い間、それを待っていたかのような塩浦が目に入る。
光り人の力を、誰であろうと現実に干渉し、「改編」を行うことに俺は否定的である。それでも今回、俺が彼女の優勝と、彼の回復を願い、光り人の力を使い、現実のものとなったことは紛れもない事実であり、「改編」行為である。P5ではなく、深海ユウという個の存在として、彼らのためにこの力を使うことができたことを、今だけでも誇らしく思いたかった。
「他のプリズマの人を恨まなくて位はいけないほどに、深海さんが思い詰めているのならば、私は過去の記憶は取り戻せなくても構いません」
「いつ、いつ俺がそんなことを」
「深海さんを見ていたら、そんな予感がしました。猫探しが終わった後、深海さんは間違いなく私の過去を探すことにエネルギーを割きます。その先に待つのが憎悪ならば、私からは手を引いてもらうつもりでした」
「今朝までは俺はそう思っていたかもしれない。でも、今日初めて光り人の力を使って、あの二人の笑顔を守れた。そうしたらなんとなく、こういうのも悪くないかなって思えた」
二人だけの世界でしか、お互いに見せ合わないであろう表情をしている店内の二人は、きっと、レミさんが一番守りたかった世界なのだろう。彼女の願いを現実のものにするために、俺の存在は無くてはならなかったのだろう。全てはなるべくして、なのだ。
「君の記憶を、消さなければならなかったかどうかは、わからない。今日、初めて”光り人の力”に触れた。とても、あたたかいものだった。無責任な考えだけど、これに触れたら、悪意で他人の記憶を消そうという考えには至らないと思う」
「だいぶお人好しな考えですね。深海さんのそういうところ、私は好きですよ」
「そんなに俺はお人好しに見えるか?」
「ええ。とっても」
「それは波風さんも同じでしょう」
「ダメ、ですか?」
「ダメだ、といったら冷血にでもなるのか? 俺も好きだよ、波風さんのそういうところ」
「誉め言葉として、受け取っておきますね」
「ご自由に」
「二人とも、話は終わった?」
今度は塩浦が外に出てきていた。
「ジュンちゃんが話があるって」
ジュンまで出てきた。改めて見ると、二人の身長差は愛おしい。
「三人に聞きたいんだけど、五月の連休って、予定あいてる?」
彼女の狙いは最初からこれにあったのだと、瞬時に理解できた。試合の優勝に拘ったこと。俺も薄々感じていた、ジュンの力で優勝することの必要性。万奈美さんの狙いは「今日」ではなくその先にあるものだった。
「連休の間に開催される旅行ツアーが、今日の試合の景品だったんだけど、知らなかったんだ?」
「俺はそもそも参加していないから関係ないしな」
「ユウ兄さんも参加できるよ? チームのみんなの分を合わせても空きがあるってマスターも言ってたし」
「ここのマスターもチームメイトなんだよね? 今日は何でいなかったの?」
そのマスターが入れてくれた三人分のコーヒーを受け取り各々に渡す。本人は店の奥に消えていった。他のチームメンバーが集まるまでは他にすることも特になかった。この四人で集まって話をすることも久しぶりのような気がした。
「俺の一件に付き合ってくれていたんだ。元々数合わせで参加していたから、渡りに船だとか」
「そうだったんだ」
「それ、本当なんですか」
「本当はよく知らない」
「適当言わないでよ」
テーブルに備え付けの角砂糖を三個入れている塩浦のお叱りを受ける。彼女が一番おいしそうにコーヒーを飲み耽っている。彼女の真正面に座るべきは俺ではなくジュンだったのではないかと思わせるものだった。なぜ塩浦の隣に座ったのだ、ジュンよ。
「元々のメンバー込みでも、空きがあるのか?」
「あるって言ってたよ。二人は行ける?」
塩浦から角砂糖入り瓶を受け取り五個投入するジュン。
「私は大丈夫ですよ」
最後に受け取った波風はそのまま定位置に瓶を戻す。俺の奢りのコーヒーに舌鼓を打つ塩浦とジュン。波風は甘味好きの印象を持っていたが、違ったのだろうか。
「ジュン、なにか資料はないのか?」あるよ、といい彼は手提げ袋を探り、取り出したチラシに目を通す。記載によれば主催は須澄グループ、主管は須澄グループ傘下企業で、後渋崎客船株式会社。これも国内有数の企業として有名である。
「私にも見せて」
塩浦に渡す。
「なんだ、撤回するのか?」
「しないよ。でもちょっと気になってね」
「どうかしたのか」
「この船がね」
「なるほどな。ジュン、悪いが俺はこの話降りる。三人がチームのみんなと勝ち取った旅行だからな」
「無理には引き止めないよ。行きたくなったら早めに言ってね」
二息でコーヒーを飲み終えたジュンが応える。
「向こうに迷惑だから、そこまでしなくていいよ。旅行が苦手なだけさ」
「修学旅行きついんじゃないの、それ」
「中学も小学校も行ってない」
「「「え?」」」
初めてハモった。というかハモリを聞いたのすら久しぶりだった。最後はいつだったか。
「ご病気だったんですか?」
「もしかて生粋のお一人様?」
適当言うなと思いつつ、丁寧に訂正する。
「中学は修学旅行よりも、猫探しがしたかったから。小学校はまだ両親の件をまだ処理できていなかった。ご理解いただけたか」
「小学校のときのはわかるよ。私も似たような経験あるし。でもちょっと待って、猫を探すためだけに修学旅行を蹴るって、クラスのみんなに何も言われなかったの?」
塩浦はたまに、他人に酷く興味がない一面を見せる。それは意図したものではないのだろうが、稀に棘となり、現れる。
「まあ事実として、誰にも止められなかったな。事故の影響も考慮しておきたかったし」
「そっか、結構な大事故だったんだっけ」
「今日通ってきたあの辺りであったんですよね」
ジュンの次に飲み終えた波風が話題を拾う。別に拾わなくていい。
「あの辺りって?」
「矢米川沿いだよ」
「あの通り? もしかしてドライバーが亡くなってた去年の三月の?」
「ああ。生きているのが奇跡だ。と医者によく言われたよ」
「あれって結構飛ばされたって聞いたけど」
「もういいだろ、この話。もっと生産的な会話をしないか?」
最後に飲み終えた塩浦が口を開く。
「二人は部活って決めた?」
「「……」」
二人分の沈黙だけが流れた。