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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
10/73

不良

 俺は大きな屋敷にいた。須澄家の屋敷ではない、つまりは、俺が前に住んでいた家。桜瀬家だ。いったいいつの間に、ここへ戻ってきていたのだろうか。使用人の姿も確認できる。自分がどこへ行けばいいのかも思い出せなかった。しばらく立ち尽くしていた。自分の家のはずなのに異様な孤独を感じていた。

 「どうかしたのか、ユウ」

後から声をかけられた。それはとても懐かしくて、優しい声だった。

 「父さん......。母さんは今どこに?」

 「恵は先にダイニングルームで用意をしているよ。私たちも向かおう」

 今日はなにかの食事会の日だったのだろうか。全く思い出せない。

 「父さん、今日ってなにか特別な日だった? 母さんが料理するのは決まってそういう日だけれど」

 「本当はなにもない日だが、そういう日を祝ってもバチは当たらないと思ったんだがな。おかしいかな」

 春の陽の光のようにはにかんでいた。父さんはこういうところがある。特撮ドラマ「超越電神ドリルゼノン」を深く愛しており、正直なところ家族バカなレベルで家族大好きなところがあるなど、自らの好意を隠したりなどしない。子供ながらに感じることが多かった。それらと同様に、自らの生まれ育った街、天乃市を愛していた人であった。


 首都消滅の影響は、首都に河川を挟んで隣接する天乃市にも少なからず暗い影を落としていた。首都に炸裂した新型爆弾はこの町を大きく変えてしまった。そこで父は率先して町の復興に力を注いでいた。その縁で母と出会い、家庭を持った。

 父の背中を追う形でダイニングルームに入る。今日もその料理の香りがしていた。

 「肉じゃが......」

 「ユウちゃん大好きだからね。私が作る肉じゃが。今回も作らせていただきましたよ」

 俺は母さんが特別な日に作る肉じゃがは、いつしか俺の好物になっていた。普段、料理をしない母は、その日になると必ず肉じゃがを作ってくれる。べたな好みで子供っぽいかもしれないが、俺は胸を張って母の作る肉じゃがが大好物だと主張したい。

 「はい、これ。もういい時期だと思うから、渡しておくね」

 母が紙束を渡してくる。記されていたのは手書きでまとめられた肉じゃがのレシピだった。

 「そろそろ秘伝のレシピ、ユウちゃんに教えてもいいころだと思ってね。学校でも料理するんでしょう?」

 「確かに家庭科の授業は今年から始まったけれど、どうしたの急に」

 状況は呑み込めなかった。これはいったいいつのことなのだ。自分の口で言っておきながら、今が何年の何月何日なのか、わからなかった。

 「まあなんとなくというか。いいじゃない」

 

 「今日の肉じゃがは主演舞台を祝ってのことだ。本当におめでとう」

 「ユウ、おめでとう」

 主演舞台、つまりは──。

 「父さん、母さん。お祝いしてくれることは嬉しいよ。ありがとう。でも、もう劇団はや辞めたいんです」


 気が付くとアパートのベッドの上に転がっていた。閉ざされたカーテン。部屋を埋める残骸。被せられた布の下からこちらを強くにらみつけてくる、「それ」から目をそらす。生活の跡のないこの部屋には寝ること以外の意味がなかった。寝るためだけにこの部屋にいるのでは、深海の家にいても安曇さんのアパートに部屋を借りていても違いが見当たらない。

 空は薄明色だった。今の時間では安曇さんも起きてはいないだろう。今から学校に行ってもいいのだが、おそらくまだ開いていない。それに優等生を演出する意義もない。

 このアパートは安曇さんが大家だが元々は父さんの所有である。その父さんは既にいないので、いろいろあった後に俺が住むことになった。俺が今現在籍を置いているのは深海家だが、あんな家の人間だと思われることは不本意だ。そんな俺に、このアパートへの移住を進めてくれたのは安曇さんだった。両親が亡くなってすぐに深海家に引き取られ、空気のような扱いを受けていたことに加え、両親の死を受けて俺は酷く荒んでいた。その後の安曇さんの献身的な助けあって、俺は持ち直すことができた。


 俺が安曇さんと呼ぶアパートの大家さんの「安曇さん」。本名は安曇杏矢野。訳アリの事情らしいという話はそれとなく聞かされている。どうやら両親と縁があったらしく、その伝手故の大家ということらしい。安曇さんは俺に世話を焼きたがるが、厚意をあまり受け取らないようにしている。他の人間に対しても干渉されたくない想いが強いようだ。その俺が昨夜の奇行に一番驚いていた。確認したいことを聞き出し、その場で回れ右でよかったはずだというのに。

 アパートを出て高校へ向かう。昇降口が開いていなかった場合は職員用出入り口から入れば問題ないだろうと考えていた。アパートの階段を降りると安曇さんに呼び止められた。既に起床していた安曇さんはアパートの庭の掃除をしていたようだ。

 「おはよう。今日は早いんだね。気をつけていってらっしゃい」

 「いってきます。──そうだ、今度あの肉じゃがの作り方、教えてよ。食べてもらいたい人がいるんだ」

 「いいよ」

 ありがとう、と声に出すことが妙に恥ずかしかった。

 「ありがとう。それじゃあ、いってきます」


 昼時の天乃市。雲は穏やかに流れ、ようやく暖かさを取り戻した風を、ひとり肌で感じていた。昼休みの時間には屋上に上がることにしていた。当然の権利のように封鎖されている屋上だが、衝立のバリケードを超えてしまえばあとは朝飯前だ。鍵は簡単に開錠できた。四桁のナンバーを一致させるタイプならば、時間さえあれば俺でなくとも必ず突破できる。四月から今日まで誰とも屋上で遭遇していないので、優等生ばかりの鈴懸高校に感謝しなければならない。

 屋上の床は汚い。雨風にさらされているうえに、砂が一番厄介だ。なので、使ってくれと言わんばかりに階段の終わりに置かれていた5個の椅子を、毎回持ち出してそのうえで寝転がっている。あったこともない不良生徒かもしれない先輩に感謝しつつありがたく使わせてもらう。


 「こんなところでなにをしているんですか、深海さん」

 不良女子高生がいた。五連椅子に仰向けで寝転がる俺の顔を覗き込んでいた波風の顔は疑問符だらけだった。今の俺はきっと間抜けな顔をしているのだろう。

 「どうしてここに。バリケードがあっただろう」

 「実は毎日昼休みに深海さんを探していたんです。教室にはいらっしゃらないし、食堂にも姿がなかったので。他にも様々な場所を探していました。最後に探しに来た場所がここでした。お昼は毎日ここで?」

 「ああ、まあな」

 早く昼休み終了のチャイムが鳴ってほしかった。ただただ気まずい。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。下手な嘘はつくものではない。迂闊な発言を悔いていた。

 「昨夜のことはあまり気に留めないでください。深海さんは悪くありませんから。悪いのは私です」

 彼女は策士だと思った。触れたくない話題にわざと自分から突っ込む。そして自らを真っ先に卑下する。相手に負い目があるのでほぼ確実に謝罪の言葉を引き出せる。

 「体調は問題ないのか。俺はそれが気がかりだったんだが」

 褒められた行いではないが話題をそらして様子を伺う。

 「特に問題ありませんよ。気に病んだりしないでください。私はいたって健康です」

 健康ならば結構。大いに結構。健康であるに越したことはない。毎日俺を探していたらしいが、昼はちゃんと食べているのだろうか。そもそも放課後に何度か会っていたのになぜ今までそのことを黙っていたのだろうか。

 「そうかもしれないが、今週末は例の試合だろう。ただでさえ一人足りないというのに、波風さんが欠場となったら、問題だろう。俺も参加できないことが確定したんだから」

 問いただしたい衝動を抑えて話題逸らしを続行する。

 「なにか進展があったんですね」

 さすが波風だ。勘がやはり鋭い。

 「猫探しの件でな。人と会うことになった。向こうの都合に合わせて、今週の土曜になった。向こうの要望で事務所ではなく、向かいの喫茶店でだがな」

 「あの限定ケーキで有名な──」

 「こっちはじきに、決着がつくと思う。だから波風さんには試合に集中してほしい。とりあえず無理はするなよ」

 そのときようやくチャイムが鳴った。椅子をまとめてしまい込む。

 「ここのドア、施錠頼むな。下のバリケードも元の位置に戻してくれよ」

 俺は心底不親切な奴だ。


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