迷いと采配
リチャードとの話し合いを終えた王は、顔を洗って来ようと思い立って私室を出た。
身体の強くないアルフレッドがいつでもきれいな水を飲めるようにと、父が手配してくれたので、城のすべてに上水道が通っている。
私室を出てすぐの所に設けた洗面台に立って、水道の蛇口をひねる。
上下水道が完備された黄金要塞では、スラム街を含めてどこでも質の良い水を使うごとができる。
グラスに水を受けて一杯を呷った。
アルフレッドはじっくりと考えながら仕事をするのが好きだ。
だが、今度はそうも行かない。
自分が悩んだり迷ったりしている間にも、腕利きの義賊団は告発の手を緩めはしない。
己の愛する国に悪がはびこっていたと、どうして思いたいだろう。
不安や憤りや、諦めや願望──様々な感情が胸に去来して、若き王を苛立たせた。
リチャードの前では冷静でいられたが、一人になるともう駄目だった。
「ええい、くそっ……調べ事の一つもままならんとはな!」
粛々と執務をこなすしかないのも、感情を抑えて警察機構を指揮しなければならないのも分かっている。
わかっていても、どうしても感情を抑える事が出来ない。
父が、祖父が、建国王が苦悩して築き上げた黄金要塞の太平を、自分の代でこうも早くゆるがせてしまうなど。
──国を預かる者は、常に冷静でなければならない。
父の教えを思い出した若き王は執務室へ入り、街の狩人たちの間で静かに流行っている口笛を吹いた。
知り合いの猟兵部隊から人を呼ぶときの合図だが、今回は誰が来てくれるだろうか。
アルフレッドは歓喜した。
転移して現れたのは懇意にしている猟兵部隊の隊長、ロザリンデ=ブルームだ。
幼い頃からの遊び友達のような人物である。
「呼んだ? アルフレッド」
「ああ。誰かと話したくなってな」
「ふーん。まぁいいわさ、今日は何の相談?」
「義賊団を追っかけるのに宮廷魔導師団の力を借りたいんだが……シュミット卿に話を持って行く前に、頭の中を整理しておきたいんだ」
「つまり、あたしをツッコミ役にしようってことだわね」
「駄目か」
「まだ正式な部下じゃないけど、あたしがアルの頼み却下したことあったっけか?」
「ない」
「よろしい──じゃあまず、急に宮廷魔導師団を現場に引っ張り出そうとしてるのは、どーしてさ?」
「魔法にかけてはコルトシュタインでも指折りの組織だから」
義賊団は魔法に長けた者達だという確信を、アルフレッドは“義賊宣言”の夜から持ち続けている。
アルフィミィを通じて、義賊団のうちの一人を見たに過ぎないが──義賊団の全員が、あの人物と同じように高いレベルで魔法を使いこなせるとすれば厄介だ。
三つの魔法を並行して発動するだけでも並みの腕前では出来ないことだ。
中でも蒼い影となって姿を隠す魔法は、古代語魔法を学ばなければ身に付けられない、高等な魔法である。
窃盗を行うときや逃走を図るときに高レベルな魔法を使われてしまったら、今の自衛軍では彼らを追跡することが困難になってしまうだろう。
──そんな内心の危惧を、アルフレッドは遠慮なく話した。
「なるほど。納得できなくはないわさ……んじゃ次、魔導師団にどんなことをして欲しいのさ? あのハゲ爺のことだから、きっと追及して来るわさ」
隠居する直前まで現場で宮廷魔導師団を率いていたドナーグ=シュミットは、国一番の頑固者と呼ばれて有名である。
「まず、義賊団が使っている偽装の打破。次に、魔導師にしかわからない証拠品や手掛かりを探し出すこと。首尾よく義賊団を追い詰めた場合、魔法を用いた戦闘になると考えられるから、その備えとして戦力に加わってもらいたい」
「……んー、十分だわね。よく整理してると思うわさ」
ロザリンデが青い瞳を細めて笑む。黒エルフの血のためか、とても魅力的な微笑みである。
「ああ。助かったよ」
「礼には及ばんわさ。……アル、一個だけ訊いていい?」
「どうぞ」
「何を狙ってるの? 自衛軍と魔導師団に同じ仕事をさせるなんて初めてでしょ」
「ケネス翁とシュミット卿の仲直り──とまでは行かなくても、もう少しだけ協調できるようになれば、とな」
王にも詳しくは分かっていないが、ウォルト=ケネスと前魔導師団長ドナーグ=シュミットの対立ぶりは、役所勤めの人間なら知らない者がいないほどだ。
「強かなんだか気弱なんだかわからん……やっぱり面白いわさ、アルは」
「まあね。俺の部下になってくれりゃ、もっと面白くなると思うけど?」
「ふふーん。あたしには、あたしの陛下との約束があるからねぇ。まだ、そういう訳にも行かんわさ──そんじゃまぁ有意義な話し合いをね」
明るく言い置いて、前王の近衛騎士は姿を消した。
2021/2/5更新。