義賊事件(1)
「陛下! アルフレッド陛下!」
コルトシュタイン自衛軍を率いる老騎士、ウォルト=ケネス男爵に王が叩き起こされたのは、即位して二年目の春半ば、温暖な夜の事であった。
「ケネス翁……どうした、この夜更けに」
息せき切って私室に駆け込んだケネス翁は、「こちらをご覧ください!」と言って水晶の鏡を手渡してきた。
魔力を通して遠方の様子を間近に見る事が出来る魔導具である。
魔法に疎い翁にしては珍しい物を持って来たものだ、と思いつつ、王は水晶鏡に規定量の魔力を込める。
コルトシュタイン領の北東部には、金鉱山に関わる採掘師や彫金・金工職人の住む職人街がある。
王城より北側はお世辞にも治安が良いとは言えない地域だ。
特に、アルフレッドの祖父の時代から職人街の奥に存在するスラム街へ続く扉は、普段は締め切られたままだ。
水晶の鏡に今、映し出されているのは、そのスラム街へ続く扉の周辺の光景だ。
「……何が始まるんだ?」
「ご報告が遅れましたこと、お許しください。集会を行う旨の届が提出されぬままに、スラム地区に人が集まっているとの通報を受けました。急ぎ人員を向かわせましたが、時すでに遅く……」
スラム街に住む人々が、病身をおして次々と門の周りに集まっている。
地区の人口のほとんどが集まるまでに、そう時間はかからなかった。
やがて、高く大きい門の上に、蒼い人影が出現した。
小柄でやせ形の人影が、高く腕を上げた。
背中に背負っているのは……大きな袋だろうか。
『さあ、皆!』
魔法で声を変えている。大きく反響しているのも魔法の効力だ。
騒乱の煽動車は様々な魔法を軽々と使いこなしている。
『一時しのぎにしかならないけれど、まずは僕らからのせめてもの気持ちだ! 受け取ってくれ!!』
人影は高く飛翔し袋の中の金貨を地上へとばら撒き始めた。
春の夜空に花火のように散乱する金貨にも魔法がかけられているものか、撒く時の勢いに比べて、落ちてゆく速度は非常にゆったりとしていた。
ふわふわと舞い散る雪にも、輝く黄金の蝶のようにも見える。
王は憤るケネス翁の肩に手を置きながらも、映像を食い入るように見つめる。
袋に詰まっていた一万ゴルト金貨を撒き終えた人影が、再び門の上に着地して、言葉を発する。
一人に五枚ほどが行きわたるよう計算して投げていたようだ。
金貨を掴んだ人々は再び集まり、静まり返って盗賊の言葉を聞いている。
『皆は、僕らのマネをしちゃあいけないよ。ここは良い街さ──僕らは僕らなりに、皆を助けられたらいいと思っているだけだ。辛いことは多いけれど、どうか絶望しないで欲しい。救いも助けも必ずある! すべての人の前に……幸いのあらんことをっ!』
息を吞んでいた人々に、ざわめきが起き始める。それは波となり、瞬く間に怒涛と化した。
うぉぉ……! と叫びをあげる者、感極まって涙を流す者、へなへなとその場に崩れ落ちる麻薬中毒者──次々と視点が切り替わってゆく。
伝令官が素早く動き回り、人々の様子をつぶさに王に伝えようとしている。
いきなり、王の見つめる画面が激しく動転した。
跳躍したのだ。
屋根の上に降り立った彼女を見つけると、蒼い影は「ちょうどいいや」と呟いた。
「皆! ……そして、この光景を正義の眼でご覧になっている国王陛下! 僕らは、悪を為して私腹を肥やす者から奪う!」
盗賊が言葉を切り、後ろを取ったまま動かない伝令官を振り返った。
「僕らのしていることは誰が見ても“悪”だ」
蒼い影となって姿を隠した彼は今や、アルフィミィの耳を、目を通して、黄金要塞の王に話しかけている。
彼の意志を敏く見通した伝令官は、あえて動こうとしなかった。
「だが……僕らには、僕らの信じる大義がある。僕らが動くことで、この愛すべき街に巣食う害虫共に、黄金王の正義の剣が及ぶことを願ってやまない」
王が唇を噛む。
返答を待つかのように佇む盗賊に、伝えねばならぬ。
アルフィミィが小さく頷いた。
アルフレッドはベッドサイドの抽斗から取り出した魔導具に魔力を通し、伝令官に魔法の伝言を送る。
「黄金王よりの問いを伝えましょう、蒼き影よ。諸君が諸君の信ずる大義に従って盗みを行い、そしてこの場にあるとの先刻の言に、嘘偽りは欠片もないか?」
2021/2/5更新。