二つの気付き
「えーと......食器、キャットフード、ベッド、爪とぎ、移動用のケージ、トイレ、砂も紙のやつ買ったし後何か必要なものあったかなー」
「結構色々買い揃えたし、残りは足りないってわかったら買うから大丈夫だと思うぞ」
真剣な眼差しでスマートフォンを見つめながら、猫の飼育に必要なモノの再確認する春華と、それを向かいから眺める隼太。
時刻は15時過ぎ。
時計台前に集合した隼太と春華は、無料の往復バスに揺られながら近隣では最も大きなショッピングモールまで向かい、一通り必要そうな物を買い揃えてモール内の喫茶店で一息ついているところだった。
ちなみに、購入した荷物は100円ロッカーに預けて二人とも身軽になっている。
「うーん、そうは言ってもこうして調べてみるとあれもこれも買っておいたほうがいいなーって気もするし......でも本当に良かったの?結局お金は全部隼太が払っちゃったけど......」
罰の悪い表情をしながら、手に持ったスマートフォンで顔を半ばまで隠した春華が尋ねてくる。
「気にするなよ。どうせ毎月食費じゃ全然使いきれない額貰ってるしな」
そんな春華に対して、隼太はアイスコーヒーを飲みながら返事をする。
そもそもの話、子猫――神を名乗るシラホシと言う少女に、通常の猫の飼育に必要なモノが一体どれだけ意味があるのか甚だ疑問なのだ。
最悪、買った物が全て無駄に終わる可能性も全然ありえる。
無駄になってしまうかもしれないとわかっている以上、幾らバイトをしているとは言え、厚意で購入を申し出た春華にお金を使わせる事が出来る程、隼太は心無い人物ではないつもりだった。
それに、幸いと言うべきか隼太の懐は同年代の子供に比べれば非常に潤っているのでこの程度の出費は物の数ではないのだ。
隼太の両親は共に考古学者として、主にフィールドワークに重きを置き、尚且つ割と節操なく世界中を飛び回っている為、一年間の内の殆どの期間家に居ない。
流石に隼太と1つ年下の妹・かなでが小さい頃は母さんが家に居たのだが、隼太が中学2年生、かなでが中高一貫の全寮制女子校に入学したのを契機に、再び世界中を飛び回る生活に戻った。
結果として、現在白崎家には隼太しか住んでいないも同然の状況となっており......両親からは生活費として、毎月10万程度隼太の口座に振り込まれているのだった。
幾ら育ちざかり、食べ盛りの男子中学ないしは高校生とは言え、一人分の自炊で割高になりがちな事情を考慮しても流石に額が多すぎるのだ。更には水道光熱費などは当然の如く両親の口座から引き落としとなっている為その他に掛かるお金は精々生活用品程度。
もちろん多すぎて困る事もないので減らしてくれ等と頼むことはまずもってないのだが、それでも毎月使い切れずに溜まっていく生活費はこの2年間で結構な額になっている。
むしろこの程度の出費で文句を言っていたら罰が当たるというものである。
「そっかーまぁ隼太がそう言うなら今回は納得しておこうかな......それよりも、ずっと聞きたいことがあったんだけど」
「聞きたいこと?」
聞きたいこと。なんだろうか。
シラホシの件は先ほど申し開きを済ませたばかりだし、その他の事で春華に聞かれる事などなにかあっただろうか。イマイチ思い当たらない隼太が呑気に聞き返すと、
「なんていうか、色々と慣れてない!?」
「は?」
言われてなお意味を理解できない隼太。
そんな隼太に、少し頬を染めた春華が言葉を続ける。
「だ、だって、時計台前で集合した時は顔色も変えずにボクのこと可愛いって褒めるし、バスの中では一つしか空いて無い席譲ってくれるし、モールについてからもさり気なく荷物全部持ってくれたり、あとあと!ここの伝票も気づいたら隼太持って行っちゃうし!」
「いやいや、別にそんな大層な話じゃないだろ」
「いーやおかしい!て言うか怪しい!ボクの知ってる腐れ縁で幼馴染の隼太はそこまで気が使える男の子じゃなかった!......も、もしかして高校入ったばっかりなのに、ボクに何の相談もなく、か、彼女とかできたの......?」
最初は頬を僅かに染めながら、勢いよく話していた春華だったが次第に語気が弱くなりしまいには少し涙目になりながら隼太に問いかけてきた。
え、何この可愛い生き物
不安な感情を隠しきれずに問いかけてくる春華の姿を見た隼太は、不覚にも可愛いなどと思ってしまう。
普段元気な姿を見慣れている分、春華の時折見せるこう言った女の子を感じさせる表情や仕草は反則級の可愛さなのである。
ただ、今回は本人は至って真面目だし、きっと心を痛めているのだろう事が見て取れてしまったため、どうにか春華の可愛さにやられた脳を正気に戻す。
「よく考えてくれ春華。高校入学してまだ2週間だけど俺と春華は殆ど一緒に登下校してたし、クラスも同じなんだから俺に彼女なんて出来てたらすぐわかる筈だろ?......それに、今は彼女とか考えられないしな」
「で、でもでも、彼女が出来てないにしても突然こんなに気が使える様になるなんてやっぱりおかしくない......?」
「お前のその失礼な認識は後で話合わなきゃいけない案件な気がするんだが、それは置いておいて考えすぎだって。それにもし彼女なんて出来たとしたら、春華にいの一番に報告するよ。腐れ縁の幼馴染ってのはそういうモンだろ」
「腐れ縁の、幼馴染......うん、そうだよ、ね」
ドンっ!と言うテーブルを叩く音が、春華の斜め後ろのテーブル席から聞こえてくる。
それなりに大きな音だったのだが、春華はそれを気にしたそぶりもなく、先ほど自分自身も使った表現を口にし、一応は納得した様に、俯きながら言葉を切る。
ごめんな......
そんな春華の様子を向かいから受け止める事になった隼太は、心の中で謝罪の言葉を口にする。
シラホシから聞かされた、未来の話。
隼太自身も目の当たりにした、あの絶望的なまでの袋小路の世界。
それを避ける為には、隼太は春華と――いや、春華以外の6人とも、結ばれる訳にはいかないのだ。
春華が隼太の口から聞きたい言葉。
それがどんな言葉なのか、そしてこんな風に俯く春華の気持ちが一体どんなモノなのか、それがわからない程、前世を経ている隼太は鈍感でも、察しが悪い訳でもなかった。
本当は、隼太だって気持ちを伝えたい。好きだと言いたい。いつも傍にいてくれてありがとうと言葉にしたい。そして何よりも、自己満足以外のなにものでも無いと十分に承知の上で、前世の最期を心の底から謝罪したい。
だが、それは絶対に出来ない話なのだ。
春華たちを危険から助けた上で、世界も救って見せると誓ったのだから。
静かに気持ちの整理を行った隼太は、そこで幾つかの気づきを得る。
まずは春華の気持ち。前世においては、今の段階でまだお互いに意識し合っていたと言う認識は無かったのだが、こうして2度目(正確には3度目なのだが)の人生を改めて経験してみると、春華からの気持ちがこの時から自分に向いていたのだと気づかされた。
それはとても光栄で、一方で鈍感だった前世の自分への自戒の気持ちも湧いてくるのだが、今の隼太にとって最も重要なモノはもう一つの気づきだった。
二つ目の気づき、それは――これから4日後に春華の身に降りかかる、忘れようもない、あの忌まわしい事件に関する気づきだった。
「......」
何事かを考えているのか、俯いたままの春華を余所に、隼太は先ほどテーブルを叩いた3人組が座るテーブル席を無言で睨みつける。
「おい、見てるぞ」
「い、行こうぜ」
テーブル席に座っていた男3人組は、睨みつける隼太の視線に気が付いたのか、何事か言葉を交わすと気まずそうな顔をして退店していった。
今出て行った3人組は、今の段階では面識が無かったものの、前世の記憶を持つ今の隼太は別であった。
忘れたくても忘れられない、3人組。
前世において春華の身に降りかかった事件の犯人であるこの3人組の顔を、隼太が忘れられる筈がないのは当然の話ではあった。
今から4日後の、学校からの帰宅途中。
何の変哲もない1日の終わりであった筈のその日。
隼太の愛した少女の一人である、朝風春華はあの3人組に拉致されたのだ。
元々校内では知らない人間は居ない、正に学校一の美少女だった春華は、中学2年の冬に母親の影響もあってか度々読者モデルのバイトをするようになった。
勿論、それ自体は決して悪い事ではない。
だが、このアルバイトによって春華の存在は学校一の美少女、と言う立ち位置から少しばかり変動した。
読者モデルの中でも、やはりずば抜けた容姿だった春華は、一躍市内でも有名となり――同年代の、特に異性から注目を浴びる存在となった。
そんな春華が、運の悪い事に邪まで自制の効かない卑劣な男たちのターゲットになってしまった事は、或いは仕方のない事だったのだろうか。
重ねて言うが、春華が読者モデルのバイトを始めた事は決して悪い事ではなく、また、当然の事ながら春華自身にも何の落ち度もない。
だが、そうであっても事実として事は起きてしまった。
学校帰りに卑劣な悪漢達に拉致され、心と身体に一生残る傷が刻み込まれる寸前だった春華を、隼太が無事に助ける事が出来たのは、偏に偶然と幸運の産物でしかなった。
拉致された先を偶然見つける事が出来たのも、ボロボロでズタボロになりながらもどうにか警察が到着するまでの間春華を守る事が出来たのも、幸運でしかなかった。
その後、3人組がどうなったのかを隼太は知る由なかったが、直接的に身体を傷付けられずとも心に思い傷を負った春華は、暫くの間一人で外出する事が出来ず、また明るい人柄を取り戻すのにも2年と言う月日が必要となり――生涯で1度しかない、3年間の高校生活を不本意なモノとして終える事となった。
そんな事は決して許される事ではない。
2度とあってはならないことなのだ。
隼太の心に、一つの決意が生まれる。――春華の為にやるべきことが、決まったのだ。
「春華」
未だ俯いたままの春華に対して、隼太は優しく名前を呼んで呼びかける。
「あ......ご、ごめんね隼太。どうしたの?」
少女には何の落ち度も、謝るべき理由も何一つ無いにも関わらず、少しだけ無理をしたような笑顔を作って隼太に向ける。
再び、胸が痛む。
胸の痛みは耐え難いモノだったが、しかし隼太は、これが自分の選んだ道だと、無理矢理に自分を納得させる。
またしても隼太は、春華の望む言葉を掛ける事ができない。その事を心の中で謝罪しながら、
「悪い、ちょっと用事を思い出してさ。先に帰っててくれ」
「え......いや、用事だったら付き合うし、それか全然待つよ」
「本当にすまん!一人で済ませなきゃいけない用事だから、それにどれくらい時間が掛かるかもわからないから今日のところは此処で解散にさせてくれ」
頭を下げ、両手を正面で合わせながら一息に言い切った隼太は、春華の返事を待たずに喫茶店の清算を済ませて店から飛び出す。
目指すは数分前に喫茶店から出て行った――3人組だ。