朝風春華という少女
突然ではあるが、ここで白崎隼太にとって文字通り命にも代えがたい少女の話を、少しだけしておきたいと思う。
朝風春華。
隼太にとは小学校入学から今に至るまで、常に同じクラスで家も隣。大物政治家の父親と元モデルで美魔女なんて雑誌に書かれてしまう様な母親を持ち、1年間の殆どを家の外で過ごす隼太の両親も、時折気まぐれに帰ってきた際には二人に必ず会うような関係性ーー所謂家族ぐるみの付き合いまである。
ある意味で絵に描いたような幼馴染もとい腐れ縁。
生まれながらの明るい茶髪は出会った時から常にショートカット。丸いアーモンド形をした茶色の瞳を持つこの少女は、幼馴染贔屓を抜きにしても大変な美少女の癖に自身の事を「ボク」なんて言うものだから、出会って暫くの間は本当に男の子だと思っていたものだ。もっとも、高校生になって随分と女性的な身体つきになった今では絶対にない話ではあるのだが。
活発な性格を表すように動きやすく露出の多い服装を好み、春先であってもその美しい肢体やお臍を大胆に晒す姿には幼馴染という意識しかなかった時も頻繁にドギマギさせられたものである。
そんな少女が、隼太にとって何者にも代え難い大切な存在となるのはある意味当然だったのかもしれない。
お互いの気持ちが通じ合う以前から、時には喧嘩をしたりもあったけれど、それでも常に隣にいてくれた春華の笑顔は、文字通り隼太の事を支えてくれた。
高校以降は、数々の事件や事故に巻き込まれて、疲れ切って家に帰る事も多かったが、そんな時に春華か
言われる「おかえり」なんて言う何気ない一言とハニカム笑顔だけで疲れが吹き飛んだ。
だからこそ
そんな彼女だからこそ、隼太は誰よりも幸せになって欲しいと、そんな風に思うのだ――
† † † † † † † †
「もう無理」
所々キワドイ露出をしたコスプレの様な衣装に身を包んだ銀髪の麗しい美少女――白崎隼太は、疲労の色を隠しきれない声を漏らしながら自室のベットに顔面から倒れ込んだ。
白色の子猫――シラホシ曰く、軸の違う世界だと言う灰色の世界での出来事。
40時間にも及ぶ魔法の訓練、その後の悪魔の眷属だと言うケルベロスとの脚色無しの死闘。
その後、疲労から数時間の眠りに落ちた隼太が目を覚ました後に晒されたのは、シラホシによるスパルタ魔法少女訓練part2であった。
血反吐を吐くような訓練の甲斐あってか、相変わらず空は飛べないものの、ケルベロス戦における最大の懸念事項であったマナを込めた魔法については、どうにか実戦でも使用可能なレベルまで使いこなせるようになったと思う。
勿論、その訓練は今後の隼太にとって間違いなく必要なものではあるし、訓練をせずに困るのは隼太自身な訳だから誰を恨める訳でもない。
とは言え、疲れたものは疲れたのだ。
幾ら変身中は飲食の必要が無いとはいえ、それでもそういった通常はある筈の休息もなく続けた訓練は肉体的なモノよりも精神的な疲労を貯めるには充分なモノであった。
「まぁ、疲労の蓄積は理解できる。しかし良いのか?」
隼太の銀髪の少し上、つまりは枕元に鎮座したシラホシが鈴の音の様な美しい声音で語り掛けてくる。
「良いのかって?」
話すのも少々億劫ながら、どうにかと言った様子でベットに顔をうずめながらくぐもった声で返事をする隼太。
「いや、もう変身を解いても良いんだがな。その身体が気に入ったと言うならわからない話でもないんだが」
「あぁ......そっか、もういいのか。随分長い時間ぶっ通しでこの身体で居たからもう慣れちゃったよね」
最初はあんなに慌てふためいたというのにおかしな話である。
或いはこれこそが人の持つ本来の力、適応といものなのだろうか。
「でもまぁ戻り方はそういえば聞いてなかったよな。どうすればいいんだ?」
「あぁ、それは簡単だ。右手を胸に当てながら変身時と同じ様に『マジカル♡ミラクル♡メタモル♡ポン』と言うだけで――」
「おっはよー!隼太!外見てー!ぶっちゃけもうこんにちわ!って時間だよー!お昼前なのにまだね、て、る、の......?」
隼太とシラホシの会話に対して、割り込むようなタイミングでノックもせず部屋に飛び込んできた明るい声の主は、隼太にとって腐れ縁とも呼ぶべき幼馴染――前世では不本意ながら7股の相手としてしまった明るい茶髪に丸いアーモンド形の瞳を持った美少女――朝風春華だった。
隼太の記憶にある春華の記憶に違わず、最初は元気の良かった春華のセリフは、果して後半は途切れ途切れな何とも歯切れの悪いものとなっていた。
やばい
無音が五月蠅いと感じるような、痛いほどの静寂に包まれた室内。
突然の事態に完全にフリーズした3人(一人は子猫姿ではあるが)の中で、真っ先に再起動を果たし動きだしたのは、果たして前世で潜った圧倒的な修羅場の多さを誇る隼太であった。
「マジカル♡ミラクル♡メタモル♡ポン」
状況の認識及び打開策をいち早く導き出した隼太は、先ほどシラホシから聞いた忌まわしい呪文を必死に心を込めながら呟く。
「お、おはようー!春華!もう昼だったかー!全然気づかなかったよー!」
祈りが届いたのか、親しみ慣れた男の姿に戻った隼太はベットから飛び起き、棒読みながら春華と挨拶を交わす。
「え、え、え、ちょっと待って。あれ?変な格好した女の子は?」
「ははは。何を言ってるのかさっぱりわからないぜ。女の子?もう昼前だってのにさては寝ぼけてるのか?」
「いや、寝てたのは隼太の方じゃ......?でもベットに横になってたのは女の子で?ダメ、頭がこんがらがってきた......」
頭がショートした様に目をぐるぐるさせながら状態異常:混乱を喰らった春華は頭を抱える。
「見間違えたんじゃないのか?春の陽気はなんか見せるって言うし」
何と見間違えたのか意味不明だし、そもそもそんな風に言われるのかも知らない隼太だったがノリと勢いで畳み掛けるように言葉を重ねる。
長年の付き合いから、案外押しに弱い事も織り込み済みの戦略だった。
「そ、そうなのかな?そうなのかも。そうだよね!まさか隼太の部屋にボクとかなでちゃん以外の女の子がいる訳ないし?!ちょっとどうかしてたかも!」
随分な言い草ではあったが、ここはあえてのスルーである。
正直致命的な姿を見られた筈なのだが、それでも割と簡単に押し切られて自分の見たものにすら疑問を覚えて誤魔化されてしまう春華に対して、ホッとすると同時に少々ではない不安を覚える。
将来変な男に騙されないか不安で仕方ない。
「そんなことより今日はどうしたんだ?読モのバイトは?」
「あー今日はバイト休みなんだよね。だから暇してそうな隼太の相手してあげよっかなーって」
押しに弱すぎる少女の心配をしている隼太に対して、そんな事を知る由も無い春華はあっけらかんと答える。
「相手してくれるって言ってもなぁ。ウ○イレはもう飽きたし、残りの選択肢って桃○くらいしかないけど良いのか?折角の土曜に一日中2人で耐久○鉄ってすげぇゴミみたいな過ごし方だと思うが」
「まず、部屋で1日中過ごす前提なのは目を瞑るとしてもなんで出てくる選択肢がウイ○レか桃○なの?!幾らなんも無い部屋って言ってももっと他に何かしらあるでしょ!」
正直とても疲れていた隼太は、あえてゴミみたいな選択肢を提示する事で御帰宅頂く高度な戦術を披露したものの......どうやら効果は薄かったらしい。勢いの良いツッコミを入れつつも、春華は家に帰る素ぶりを一向に見せず、果ては隼太のベットに勢いよく座る始末である。
「それにしてもこの部屋本当にあんまり物がないよねー。枕元だって時計くらいしか......」
人のベットに勝手に座ったかと思えば、仕舞いには横になって枕元の時計を弄ろうとしていた春華の言葉が、俄かに止まる。
あれ、春華の目に止まる様なモノ置いてたかな?と自問自答する隼太。
そんな隼太の疑問を他所に、ワナワナと震える彼女の視線の先にあったモノは果たして
「か、可愛い〜!何この子!めっちゃ可愛いー!え、なんでこんな所にこんな可愛い子が居るの?!」
突然の春華の来襲により完全に機能停止に陥っていた、白い子猫姿のシラホシだった。
しまった、自分の事を誤魔化す為に必死になるあまりシラホシの存在を完全に忘れていた。
「あー、そのなんだ。その子猫は昨日学校帰りに拾ってだな。実を言うと今日昼まで寝てたのは子猫の相手で疲れてたからなんだ」
嘘は言ってない。
拾ってきた云々の下りは抜きにしても、実際のところ隼太がこの時間にベットで横になっていた理由はシラホシにある訳なので実に誠実な回答をしたと言えるだろう。
さりげなく昼まで寝ていた怠惰な男という印象への言い訳もしつつ、子猫――シラホシの存在を適当にでっち上げる。
「そうだったんだ~いいなー可愛いなー。ボクの家はもう豆助が居るから猫は飼えないし羨ましいよ~。チッチッチ~怖くないよ~」
言いながら、ベットに座りなおした春華はシラホシの気を引こうと必死であり、隼太の誠実な言い訳部分はどうやら耳に届いてない様子だ。
ちなみに豆助と言うのは朝風家で3年前から飼われている柴犬の名前である。
ところで、春華からの熱烈な好き好きアピールを一心に受けるシラホシはと言えば
「にゃーん」
とても短い、そして何というか、ある意味可愛いと言えば可愛いのだが、はっきり言って滅茶苦茶下手な猫の鳴き真似をしながらプルプルと震えるばかりであった。
なんというか、未だにこの現状に対応しきれていない様子である。
それにしてもシラホシさん......なんでそんなに真似が下手なのに猫の姿などになってしまったのか。
神さまであればもう少し他の選択肢もあったのではないかと、そんな風に思う隼太であった。
だが、この現状を放置するのも悪いかなと言う思いもあったので
「その子、結構人慣れしてるから抱き上げたりしても大丈夫だぞ」
「にゃ!?」
「マジで!?――ホントだー!て言うかホントに可愛いよ~毛並みも凄く良い~」
驚きの声を上げる子猫と、隼太の言葉を受け速攻でシラホシを抱き上げ頬刷りする春華。
正に猫可愛がりという様子でとても微笑ましい光景であった。
決して
決して数十時間に及ぶ厳しい特訓への憂さ晴らしとか、春華の視線を釘付けにする子猫への意趣返しでこんなことを言ったわけでは無い。
明らかに子猫と触れ合いたい様子だった春華の欲求を速やかに解消させてやり、シラホシから注意を引き離す為のやむを得ない発言である。
決して嫉妬したわけでは無い。決して。
自分に言い訳をしながら、愛する少女と可愛らしい子猫の触れ合う姿を眺め心を穏やかにしていく隼太。
これがアロマセラピーってやつなのかなぁ。凄く癒される光景だし心にも良いし多分イオンとか出てそうな気がする。
心癒さる隼太と子猫と触れ合えて喜び満点という様子の春華に対して、一方で自身の意思とは全く無関係に可愛がられるシラホシはと言えば、最早状況を受け入れることにしたのか無言で成されるがままであった。
時よ、早く過ぎろ――そんな声すら聞こえてきそうなオーラが滲んでいたシラホシだったのだが、
「痛っ!」
「にゃあぁ!!」
頬刷り中はなされるがまま、天井のシミを数える境地に達していた様にすら見えたシラホシは、抱き着きへとシフトした瞬間――正確には、推定Ⅾカップを誇るスタイル抜群の春華の胸に押し付けられるや否や、自身の武器たる爪でもって春華への反逆を行う。
理由はよくわからいが、と言うか触れてはいけない部分な気がするので考えない事にするが、兎にも角にも反逆の意思を示し拘束から逃れたシラホシは、ベットの下と言う安全地帯に素早く逃げ込む。
「構いすぎちゃったかな~ごめんね~!」
ベットの下に逃げ込んだシラホシを除きながら、謝罪の言葉を述べる春華。
「シャーっ!!」
しかし、謝罪を受けたシラホシは相変わらずの臨戦態勢。
かくして、シラホシと春華によるスキンシップタイムはあえなく終了と言う運びとなった。
「うーん嫌われちゃったのかなぁ」
「いやぁ、まぁあんまりしつこくしなけりゃ大丈夫だと思うぞ」
少し泣きそうな声になりながら、自身の行いを反省する春華に対して、隼太は一応のフォローをしておく。
僅かながら隼太にも原因はある話なので、後ほどシラホシにも謝罪しておこう......そんな風に隼太が考えていると、
「いや、今のはボクが悪い!お詫びに猫ちゃんの生活に必要なモノ買うよ!」
律儀な事に、謝罪の品を献上すると宣言する春華。
確かに(シラホシが必要とするかは置いておいて)猫用品が全くと言って無い我が家にとっては春華の申し出は望むところである。
お言葉に甘えよう、そう思い返事の言葉を口にしようとした隼太のセリフに被せる様にして春華の言葉が続いた。
「わる――「それじゃ、13時に時計台前に集合ね!遅刻厳禁だよー!」
言うや否や、春華は訪れた時と同様に勢いよく部屋を出ていった。
「あー、うん」
自業自得かなぁ、なんて思いながら隼太は疲れた身体でダラダラと外出の準備を進めるのだった。