ハジメテノ
「はぁ......はぁ......」
一面が灰色に染まった人気の無い住宅街、その一角にある空き地。
所々に抉られた地面や焼け焦げた様な跡のある空き地の中央で、胸や背中の開いたコスプレ感の強い衣装に身を包んだ銀髪の少女、白崎隼太は白い肌に玉のような汗を流しながら全身に疲労を感じていた。
「自然現象の発動や身体強化に関しては大分身についたようだな」
そんな疲労困憊の隼太を余所に、真っ白な子猫――シラホシは鈴の音の様な美しい声で語る。
シラホシの神技――ムーバによって軸の違う世界にやってきた隼太は、かれこれ40時間――元々は10時間と言う話だった筈なのだが――シラホシからのスパルタ魔法少女訓練に身を晒されていた。
「しかし、魔法少女たる者空を飛ぶ位は出来て欲しいんだが......何故出来ない?」
「無茶言わないでくれ......」
確かに、シラホシから授けられた力の自由度の高さを考えれば本来空を飛ぶ事など造作もない事なのかもしれない。
頭に思い浮かべた事象を現実にすると言う力があって何故空を飛ぶ事が出来ないのか、理解できないというのがシラホシの見解らしい。
それはひとえに隼太の力不足、ないしは想像力の欠如が問題ではあると思うのだが、しかし少しは反論もさせて欲しい。
「身体強化は力が湧いてくるイメージ、その他のモノはまぁ記憶を頼りにすればイメージもしやすい。だけど空を飛ぶってのはな......」
そう、現在隼太が力の行使に伴い用いているのは、自身の経験や記憶。
前世では本当に色々な事件に巻き込まれたから、生きた年数の割には人生経験豊富だとは思うのが流石に空を自由に飛び回った様な記憶は持ち合わせていないのだ。
「うーむ......まぁ今すぐ飛べるようにならなければならない理由もないから問題無いと言えば無いんだが......」
そこまで言って歯切れを悪くするシラホシ。
「私の思い描く魔法少女像的には飛んで欲しいというか、浪漫と言うかな?」
「浪漫て」
「やはり可憐な衣装に身を包んだ魔法少女が空を縦横無尽に駆け回って戦う姿というのは一つの理想だとは思わんか!?」
少々興奮気味に浪漫を語る魔法少女好きな神様
浪漫は結構な事ではあるのだが、スパルタ訓練に晒される身としてはたまったものではなかった。
なにせ力の勝手を掴み切れているわけではないのでイマイチ加減が利かないのだ
無理をすれば何とか浮くことは出来たが、言われるがままにいざ移動しようとした結果は......惨憺たるものだった。
推進力への意識が上手くいかず、ブレーキをかける事ができなかった隼太は、物凄い速度で空中を暴れ回り、意識が半ば飛ぶ様な思いをした挙句に高度30m程の高さから地面に激突した。
なぜ死んでいないのかが不思議でならないのだが、シラホシ曰く身体能力の向上は意識しなければできないが、身体強度に関しては万が一の事故もあるため予め強化されているとの事であった。
最も、流石に無傷とはいかなかったのでシラホシから授けられた力――便宜上『魔法』と言うか――で身体を回復させたのだが。
ちなみに回復魔法は思った以上に簡単だった。単に変身したての傷一つ無い身体を思い浮かべるだけでよかったからである。
内臓や神経については造詣が深いわけでも無かったのだが、折れた右腕も問題なく動くし気にしないことにした。
そこまで考えたところで、隼太はシラホシの発言に気になる部分がある事に思い至る。
「あれ?今戦うとか聞こえた気がしたんだけど、そもそもこの力って普通の人にバレてもいい類のモノなのか?」
シラホシ程魔法少女に対して理解が深い訳ではないので断言できる訳でもないのだが、隼太が思い描く魔法少女と言うのは多くの場合一般人に正体がバレないよう、力を隠しているものではないだろうか。
ここまで魔法少女に対して拘りのありそうなシラホシにしては妙な気がする。
「お前の言う通り、確かに人間相手なら精々身体強化止まりにするべきであろうな」
「だよな......って人間相手?おいおい、その言い方だとまるで人間以外のモノとも戦うみたいじゃないか」
ハハハッと乾いた笑いが隼太の口から洩れる。
うん
いや、なんていうか、聞くまでもなく薄々察し始めてはいたのだ。
だって少し前から化け物の遠吠えみたいなのが聞こえてくるし。
何の遠吠えなんだろうね......
そもそもこの灰色の世界って俺とシラホシ以外に誰もいないんじゃなかったっけ?
誰かのペットも紛れ混んできちゃったのかなぁ、なんて現実逃避をしていたのだが、今まさにシラホシから聞かされた言葉によって現実逃避と言う自己防衛は見事に打ち砕かれた訳である。
「お前も薄々気付いていそうだが、残念ながら人間だけが相手ではない」
いっそ無情なまでの神の言葉。
先ほどまでは遠吠えだけだったものが、遂には地響きまで聞こえる程近づいてきた事によって、否応なく覚悟を決めざる負えなくなくなる。
「幸い、今回すり抜けて来たモノはそこまで力はなさそうだ。訓練の成果を試すにはある意味打ってつけと言えるかもしれない」
すり抜ける、と言う単語が何を示すのかはわからない。
だが、隼太にとっては未知の相手との闘いが間近であることは理解できた。
「行くが良い、白崎隼太――いや、魔法少女ハヤタ★マジカよ」
何とも力の抜ける呼び方ではあるが――不本意ながら魔法少女ハヤタ★マジカの初陣が、今まさに始まろうとしていた。
† † † † † † † †
「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
神によって力を授けられた魔法少女ハヤタ★マジカ――白崎隼太は、初陣の初っ端から美しい顔に涙を浮かべ、あらん限りの声で叫びながら全速力で走っていた。
「なんだあれなんだあれなんだあれ!?」
しかしそれも無理からぬ事ではないだろうか。
「「「グルルルルルルオオオオォォォォォォ!!」」」
人の本能を刺激するような、悍ましい唸り声を上げながら隼太を追いかけるのは、果たして1匹の犬であった。
真っ黒な体毛に鋭い牙、切り裂かれたら無事では済まない事が一目でわかる鋭利な爪を備えたその犬は、何と全長5m以上、極めつけに鋭い牙を携えた顔は3つである。
どこからどう見てもケルベロスとか言う化け物だった。
〇リー・〇ッターで見た事のある化け物である。
ハ〇ー・ポ〇タ―ではどうやって撃退したんだっただろうか?
なんか笛を吹いて眠らせた様なあいまいな記憶があるが、後ろで唸り声を上げながら追いかけてくる化け物相手に足を止めて試す気には到底なれなかった。
「あんなもんどうすりゃいいんだよ!?――っうおおお!」
混乱の極みとなり、現実逃避の様な思考まで湧きながら取り乱す隼太の頭上を、遂にケルベロスの前足が掠める。
美しい銀髪が数本宙を舞う中、あの前足――鋭利な爪が直撃する様を想像し、背筋に冷たいものが流れる。
シラホシは身体強度は意識せずとも上がっていると言っていたが、今振るわれた一撃が直撃すればそんなものお構いなしに隼太の細首を吹っ飛ばすだろうという確信すらあった。
しかも状況は更に悪くなっていく一方だ。
「や、やばい......」
やむを得ない事ではあるのだろうが、冷静さを失い、逃げる事に注力してなりふり構わず走り続けた弊害だろうか。
前世と合わせれば20年間住み慣れた筈の町でありながら、逃げた隼太が最後に辿り着いたのは袋小路の行き止まりであった。
「「「グルルルルルオオオオォォォ」」」
袋小路に行き当たり、顔面を蒼白にして立ち尽くす隼太が恐る恐る後ろを振り向けば、そこには3つの頭全てで舌なめずりをするケルベルスの姿が。
最早逃げ道はない。
自分の得た魔法が、この化け物に通用する補償などどこにもない。
だがしかし、正に袋のネズミと呼ぶに相応しい状況に追い込まれた隼太にとって、最後の希望――活路となるのは、シラホシから授けられた魔法だけである。
「ハアッ!」
短い裂帛の気合と共に、先ほど会得した身体強化の魔法を自身に重ね掛けした隼太は、遂に眼前のケルベロスに向かって突貫を行う。
「「「グル、グルルルルオオオオォォォォ!!!」」」
邂逅して以降、ただ逃げ惑うだけだった獲物が一転して突撃してきたことに対して一瞬戸惑ったように動きの止まったケルベロスであったが、そこは流石狩る側の本能というものだろうか。
数歩駆け出した所で、ケルベロスの鋭利な爪を湛えた凶悪な前足が恐るべき速度で隼太に向かって的確に振るわれる。
「くそっ!!」
美しい容貌にはまるで似合わない悪態をつきながら、隼太は外聞を気にせず転がる様にして死の前兆たる前足を回避する。
幸いにも隼太の使った身体強化魔法は正常に発動しており、更には動体視力も上昇していたのだろう、ケルベロスの一撃を無事に回避する事に成功する。
しかし、転がる様にして回避したの悪手であった。一撃を回避したその後、起き上がるまでに僅かなタイムラグが発生してしまったのだ。
隼太の眼前でギラギラと6つの瞳を輝かせる、獲物を狩る側――ケルベロスは、憐れな獲物が見せた僅かな隙を見逃すほど迂闊ではなかった。直前に振るわれたモノとは逆の前足による一薙ぎが、悪手を打ち致命的な隙を見せてしまった隼太の身体を強烈に打ち据えられる。
「――かはッ」
どうにか右腕での防御は間に合ったものの、3倍以上の身長差、想像もつかない程の体重差を誇るケルベロスからの一撃は、変身し華奢な少女となった隼太の身体を軽々と吹き飛ばし、更には振るわれた前足の速度に負けず劣らずの速度でもって隼太の身体を壁に叩きつける。
受け身もとれず背中から壁に叩きつけられることになった隼太の肺から、直前まで取り込まれていた空気が余すことなく吐き出される。
壁に叩きつけられた隼太は、ズルズルと床に身体を落とす。
幸いにも意識はあるものの、防御に使用した右腕からは前世でも数回しか体験した事の無いような激しい痛みが伝えられてくる。
一瞬の暗転。時間にして数秒ではあったものの意識が飛んだ隼太は、しかし痛みにより意識を繋ぎ止めることに成功する。
酸素不足で喘ぐ脳に少しでも酸素を送り届ける為、激しく荒い呼吸となった隼太は、次に尋常ではない痛みを発する元凶を確認するも――横目に確認した自身の身体の一部は、正に惨状と呼ぶに相応しい有様だった。
ケルベロスの凶手から隼太の命を繋ぐために犠牲になった右腕は、幸い切断にまでは至らなかったものの、夥しい出血に彩られ、あらぬ方向に向いた五指や柔肌を突き破り骨が飛び出るなど見るも無残な姿となり果てていた。
「「「グルオォッ!!」」」
「回っ復っ!!」
凄惨な傷を負った現状を正しく認識した隼太が次に起こした行動は、死に体となった獲物に止めを刺さんと振るわれたケルベロスの前足をなんとか避けながら、身体強化と同様に先ほど会得した回復魔法――隼太のそれは、正しくは自己復元魔法と呼ぶべきものではあるのだが――を使用することだった。
出血による行動の阻害、先ほどの次の行動へのタイムラグを発生させる誤った選択がもたらした結果を踏まえ、何よりも回復を優先したのだった。
回復魔法の効果は絶大でだった。常人であれば目を背けたくなる様な見るも無惨な姿になっていた隼太の右腕は、一瞬の発光を経て、時を待たずに元の姿を取り戻す。
しかし、生死に関わりかねない重傷を直ちに回復出来ることが証明されただけでは、この状況が好転したとは言い難い。
当初の予定ではケルベロスの攻撃を掻い潜り懐まで潜り込んだ所で、身体強化魔法により強化された拳を胴体に力の限り、直接叩き込むという脳筋極まり無いプランを想定していたのだ。
だが、ケルベロスの攻撃速度は隼太の想定を軽々と上回る速度だった。
彼我の速度差、ケルベロスの攻撃速度と反応速度を見誤っていた隼太が払った代償は、回復可能とは言え一歩間違えれば即死していてもおかしくない痛打を喰らった事だった。
回復魔法を持ち、更に前世の記憶から武術の心得と身体操作の技量には自信のあった隼太ではあったが、一つ選択を誤ればケルベロスの一撃は隼太に届くのだ。当たり所によっては即死していてもなんらおかしくはないこの状況では接近戦を挑むべきではない。
そこまで考えたところで、隼太の思考は次のプランにシフトしていく。
自信のあった接近戦がダメなら――今度は魔法少女らしく戦おうではないか。
「炎よ!」
右腕を前に突き出しながら、照準をケルベロスに合わせ声を上げる隼太。
本来であれば――シラホシから授かったこの力にとっては必要の無いものであったが、あえて短い単語を起動のトリガーとする事によって、隼太の魔法は速やかに猛る炎を顕現させる。
頭に思い浮かべた事象を現実に変える力――隼太の授かった魔法は、イメージと言う過程を必要とする。どんな状況でも速やかなイメージと魔法の起動を可能にするため、隼太は魔法に慣れるまでの間、発動させる魔法に対応した短い単語をトリガーとして使用しているのだ。
「「「グガアアアアァァァ!!!!」」」
ケルベロスの強大な武器の一つであった、鋭利な爪を湛えた凶悪な前足を突如として出現した業火によって襲われた事で、初めてケルベロスの悍ましい3つの顔からから、痛苦を表すかのような叫び声があがる。
「よし!」
自身の魔法の効果を実感した隼太は、喜色の漏れた声をあげる。
しかし――
「「「グルルルルオオオオォォォォ!!!!」」」
喜びも束の間、ケルベロスは怒りを込めたような身がすくみそうになる様な吠え声を上げながら、業火で焙られた筈の前足を隼太に向かって振るう。
「嘘だろ!?」
寸での所でケルベロスの前足を回避する隼太。
回避した隼太の目に飛び込んできたのは、果たして業火に晒され無力化したと思い込んでいたケルベロスの凶悪な前足の健在な姿であった。
体表にはやや焦げた様な跡があるものの、備える恐怖の本質たる鋭利な爪には僅かな欠けもなく、更には今まさに自身に向けて振るわれた前足による攻撃の速度が、隼太の炎を受けてもなお、その稼働に影響がない事を悠然と物語っていた。
ある意味では最後の頼みの綱ですらあった魔法による攻撃が、全くの意味をなさないという目を覆いたくなる様な現実。
「ふざっけんなぁぁぁぁ!!!」
麗しい美貌をゆがませ、容姿には到底似合わない叫び声を上げながら、右腕を前に突き出した隼太はケルベロスの全身に向けて的を絞らず、ありったけの力を込めて魔法によって顕現させた炎を乱舞させる。
火炎放射の様だった先ほどとは違い、突き出した右腕の先から放出された十数発の火の玉はケルベロスの全身に過たず殺到――無数の火の粉を上げながら直撃する。
だが、一発残らず直撃したはずの火の玉は先ほどの魔法と同様にケルベロスの体表を焦がすに留まり、決してケルベロスに対して致命の効果を及ぼすことは無かった。
炎との相性が問題なのだろうか。
通常の生き物であったなら、間違いなく消し炭になる様な攻撃を受けてもなお、その効果が望むほど見られない存在。完全に未知の相手であるケルベロスに対して、有効打となるモノを模索する隼太。
「炎がダメなら、雷よ!氷よ!!風よ!!!」
半ばヤケクソ気味に、隼太は両腕を突き出して放てる限りの、様々な自然現象を魔法によって起動していく。
しかし、そのどれもがケルベロスにとっての致命にはなりえなかった。
雷は、その体表を撫ぜる様にして駆け抜け
氷は、一瞬その動きを阻害するにとどまり
風は、ケルベロスの巨体を僅かに後退させる程度。
「そんな......」
出来る限りの攻撃を撃ち尽くし、それでも目に見える程の影響を感じさせないケルベロスの威容を前にして、恐怖を感じ蒼白になった美貌の口から、無力感を滲ませた声が零れる。
己の切れる手札を切りつくしてなお、揺らぐことの無い眼前の敵に対して隼太の心が折れかけているのは明らかだった。
だが、それでも心が最後の一線を越え、折れ果てる事はなかった。
最早打つ手など見当たらない、常人であればとうの昔に絶望し、全てを投げ出してしまうであろう目を覆いたくなる様な厳しい現実。
そんな状況を前にしてもなお、隼太の心を支えるモノが2つあった。
1つ目は、少女達を救う為に足掻き続けた前世の記憶。
多くの苦難を経験して、絶望する様な状況に幾度と無く追い込まれてもなお、窮地を脱し、誰もが諦めた苦難を乗り越えさせてくれたのは、諦めない心だと理解していたから。
そして2つ目は、真っ白な世界で行われたシラホシとの問答。
隼太の心の奥底には、シラホシとの問答が固く刻まれているのだ。
今はこんな姿になっているとはいえ、男として啖呵を切ったのだ。
この命ある限り、諦める事など到底できはしない。
(白崎隼太!随分と手こずっているようだから心配になって念話を飛ばしてみれば......これは、どうにも様子がおかしいな)
(シラホシ!?)
絶望的な状況で、なおも活路を見出そうとする隼太の脳内に、今では心の支えの一つとなっていたシラホシの声が響いた。
眼前のケルベロスに慎重に注意を払いながらも、隼太は脳内に語り掛けるシラホシへと意識を割く。
(なにがなんだかわからないが、魔法が何一つ通用しないんだ。この化け物は一体全体どうなってるんだ)
(俄かには信じ難い事だが、此奴は想像以上に高位の悪魔なのかもしれん......)
(悪魔......?このケルベロスは悪魔なのか?――っ!)
シラホシとの念話の最中ではあるが、此方のそんな事情はケルベロスには全く関係のない話であった。一時止まっていたケルベロスの攻撃が俄かに再開され、隼太は回避行動を余儀なくされる。
(そうだ。正確には眷属といったところだろうがな......眷属と言えど、高位のモノとなれば充分にマナを込めた攻撃でなければ効果は殆ど無いだろう)
(マナ......いまいち理解が及んでいないんだが、俺が今使っていた魔法にはマナは込められていないのか?確か、魔法はマナを消費して行使するんだよな)
引き続きケルベロスからの攻撃を回避しながら、訓練で学んだ内容の復習の様にシラホシに対して確認を行う。
(うむ。お前の認識に誤りはない。今問題となっているのは、つまりはお前が行使する魔法は未だ、自然現象の延長線上であって魔力が籠っていないという点だ)
(自然現象......要するに、イメージしたものをそのまま現実に顕現させているだけじゃ、それは本物の火や氷でしかない......だから通用してないってことなのか)
(その通りだ、白崎隼太。正直な所を言えば私自身も、まさかこれほど早く高位の眷属と相まみえるとは思っていなかった......これは言い訳のしようもない私の落ち度だろう。すまない)
シラホシの謝罪が、ケルベロスの鋭利な爪を湛えた前足を寸での所で――前髪をパラパラと舞わせる程の至近距離でもって、回避した隼太の脳内に響く。
神を名乗る少女による、忸怩たる思いを滲ませた謝罪の言葉。
或いはそれはとてつもなく重いモノなのかもしれない。
だが、今の隼太にとってそれは重要ではなかった。
今隼太がシラホシに求めているものは--欲しいものは、決して謝罪の言葉などではないのだから。
(シラホシ、謝罪はいい。聞きたいのはどうやったらこの化け物に勝てるのか、その方法だ。俺はどうすればいい)
(白崎隼太、お前......)
僅かに驚いた様な様子が、念話越しでも伝わってきた。
もしや、俺が此処で折れてしまうとでも思われたのだろうか
それは心外だと、隼太は強く思う。
(いや、そうだな。お前はそういう人間なのだったな。そうでなければ困るというものだ)
調子を取り戻した様な、シラホシの声。
(であれば今のお前に出来る方法を伝える――接近戦だ。魔法にマナを込める術を知らないお前に出来る唯一無二の方法は、それしかない)
(無茶言わないでくれ......って言いたいところだけど、空を飛べなんて言われるよりも単純で遥かにやりやすそうだ)
こんな絶望的な状況で、見ようによっては無理難題を言われたと憤っても仕方のない状況で、それでもなお隼太は、少しおどける様にして言ってみせた。
それは自身の至らなさに心を痛めるシラホシに、少しでも救いとなって欲しいが為の、そんな心から出たものだった。
(フフッ)
(......なんだよ)
(いや、なに、少しだけ、お前を好きになった少女達の気持ちがわかったような気がしてな)
(はははっ、惚れんなよ?)
(阿呆め、自惚れるなよ)
神たる少女に心を見透かされ、気の利かない冗談を返す位しか出来ない隼太。
シラホシとの念話によって、自身の活路と心の余裕を見出した隼太は、遂にシラホシとの念話から意識を放す
全ての集中力を、眼前のうち滅ぼすべき敵に向ける為に。
「ハアッ!!」
最初と同じく、裂帛の掛け声と共に身体強化の魔法を自身に掛けなおす。
そして次の瞬間――隼太は自身の全力でもって、正面にそびえ立つケルベロスに向かって、あたかも銀色の、一条の流星の如き速度でもって駆け出していく。
「「「グルルルルオオオオォォォォ!!!!」」」
ただ逃げている時よりも、向かい合って最初に向かって行った時よりも、遥かに速く、疾い隼太の疾走をもってしても――それでもなお、ケルベロスはその速度に対応して、確実な死の予兆たる鋭利な爪を湛えた前足を獲物に向かって振り払う。
しかし、その前足は虚空を掴むだけである。
幾度となく振るわれたケルベロスの攻撃を時には喰らい、時には避けつづけた隼太は、既にケルベロスの攻撃を見切る事ができるようになっていた。
そして二度の振り払いを掻い潜り、ケルベロスの懐に潜り込むことに成功した隼人は、
「あああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
これまでのお返しだとばかりの怒涛の勢いでもって、ケルベロスの腹部に全力の拳を、蹴りを、身体強化の魔法で強化した全てを使い果たすと言わんばかりの攻撃を叩き込む。
「「「グ、ガ」」」
苦悶の鳴き声を漏らす、凶悪な牙を光らせる3つの顔。
それでも、白崎隼太は止まらない。
「ああああああああああ!!!!!!――これで、終わりだぁぁぁ!!!」
人体の限界を超越するかのような、拳蹴の乱舞の果て
怒涛の連撃によって浮き上がったケルベロスの腹部に向けて、身体強化の魔法を拳にのみ再び使用し――叩き込む
「「「――」」」
最後の一撃が叩き込まれた、その結果
ケルベロスは、断末魔の悲鳴すら上げる事無く真っ黒な灰となって完全な消滅を迎えたのだった。
「や、やったのか」
肩で息をしながら、隼太の口から声が零れる。
「うむ。見事だったな。魔法少女と呼ぶにはいささか暴力的にすぎたが......そんなことは些末な事だろう」
拳を下ろし、後ろを振り返るとそこには白い子猫の姿をした神――シラホシが現れていた。
「こういうのも、悪くないだろ。拳系魔法少女ってやつだよ」
安堵と疲労、二つの思いをないまぜにした笑顔で、隼太はシラホシに語り掛ける。
「私の趣味ではなかったんだが......確かに、悪くないな」
語り掛けられたシラホシも満更ではない様な、そんな色を滲ませた声音だった。
「だが、これで満足しているようでは......おや」
自身の魔法少女像を存分に語ろうとしていたシラホシが、そこである事に気付く。
見つめる白い子猫の眼差しの先には、地面である事も憚らずに、またスカート姿である事も憚らずに、大の字になって寝息を立てる銀髪の少女の姿。
「フフフッ――今はよいだろう、おやすみ隼太」
そんな隼太に対して、シラホシは出会ってから初めて隼太の下の名前だけを呼び労う。
こうして
魔法少女ハヤタ★マジカの初陣は、静かに幕を下ろすのだった。
† † † † † † † †
「ふむ......逃げたペットを追いかけてみれば」
大の字になって眠る隼太とそれを見つめるシラホシ。
両者に――神であるシラホシにすら、その存在を気取らせず、隼太達の居る道を挟むビル、その1棟の屋上に立っていたのは、病的なまでに白い顔をした黒髪をオールバックにした神経質そうな男だった。
年の頃は20代後半程度の容貌ながら、一見して高級だとわかる豪奢な黒衣に身を包んだ男の姿は、まるで王侯貴族の様ですらあった。
「ワールド・リセットの影響で緩んだ結界をペットが抜けた時はどうしたものかと頭を悩ませたものだが......なるほど、なかなかに興味をそそられるではないか」
男は、暗く濁った瞳を隼太とシラホシ――正確には、大の字になる隼太に注ぎながら呟く。
「今すぐにでも試食したいところではあるが......此方側に来るのは実に数百年ぶりか。少し物見遊山を楽しんだからでも遅くはあるまい」
言うや、男の姿がビルの屋上から消える。
男が姿を消したビルの屋上には、まるで、初めから誰も居なかったかの様な、不気味なまでの静寂が取り残されるだけとなった。