父の遺した『機関人形』
十九世紀――ロンドン。
街の中心部には、一つの『塔』が存在している。空気の抜けるような音。金属の擦れるような音。溢れ出る『蒸気』が白い靄を作り出し、中心に近づけば近づくほど、霧に覆われているようになる。
さらに、中心部に近づくほど、人気も少なくなっていく。
代わりに増えるのは、重低音の足音を響かせる『機関人形』達。
彼らは――自律的に行動をし、塔の内部と外殻部のメンテナンスを行っている。
『塔』は、街のシンボルであり、そして『心臓』でもある。
そこから送り出されるエネルギーが、街全体に鋼鉄で構築されるケーブルを伝う。
それが当たり前の情景であり、そんな場所で当たり前のように生きる少女――アイラ・コリンズは、小さな研究室で目を覚ました。
「んん……?」
カラン、と鉄製器具が床に転がり、まだ眠い目をこすりながらアイラは身体を起こす。机の上に並べられたのは、『機関人形』を構成する設計図。一枚につき、身体の部品の細かなところまで――詳細に記載されている。
「……もう朝、か」
ポツリと、呟くようにアイラは言った。
最近、時間の経過があまりに早く感じられるのだ。『機関人形』について研究を始めてから……もう何年経過しただろう。
まだ八歳だったアイラを残して、父が亡くなった頃からだろうか。
早くから母を病気で亡くしたアイラにとって、唯一の家族であった父も――『事故』により失ってしまう。
今のアイラに残されたのは、父が遺した『設計図』と、作りかけの『機関人形』だけだ。
いくつものチューブに繋がれ、鋼鉄で作られた『炉』の中心部に、眠るように目を瞑る『少女』が一人。
金色の長い髪。透き通るような白い肌。けれど、胸部や腹部は開かれ、手足の一部も外側の機関と繋がっている。
そこから、『彼女』を動かすためのエネルギーを送り続けているのだ。
だが、アイラは未だに少女を動かすことができない。
父が作り出そうとしたのは……当時のアイラより少し年齢が上くらいの、少女の姿をした『機関人形』。どうしてそんなものを父が作ろうとしたのかは、分からない。
けれど、完成させれば――父が何をしたかったのか、分かるような気がした。
「でも、どうして動かないんだろう……」
アイラも、独学で『機関人形』について学んできた。
導線を繋ぎ合わせ、『心臓部』となる『小型蒸気機関』が、どうしても動かないのだ。
それは――通常の物に比べるとあまりに小さい。本来であれば、人型の内部に収まるような代物ではないのだ。
『機関人形』は『蒸気機関』によって駆動するが、平均的なサイズで言えば『三メートル』はある。
すなわち、アイラの目の前で眠る『機関人形』が動くとは……アイラ自身も考えが及ばない。
動くはずなのだが――動かない。それはすなわち、核となる部分が小さすぎるから。
動いたところで、それが通常の『機関人形』を動かすレベルのエネルギーを産み出すとは思えない。
生産性という意味では、小型であればあるほど、力は小さくなるというのが通常だ。
どのみち動いたところで――歩いたりできるかどうかも分からない。
「『記憶領域』には色々と、書き込まれているみたいなんだけど……そっちは専門外だしなぁ」
頭部に存在する『記憶領域』。そこはあまりに繊細で、アイラにとってはブラックボックスであった。触れれば本当に動かせなくなってしまうような気がして、どうにも触ることができない。
けれど、残された設計図を見る限りでは、『記憶領域』には色々な情報が書き込まれているはずである。それが、どれほどの量になるのかは、アイラには分からないが。
「……お腹、空いたな」
少し考えたところで、アイラはようやくその事実に気付く。油断すれば、二日三日は食事を抜くこともザラであった。
ただでさえ華奢な身体であるアイラが、食事を抜けばエネルギーはさらに足りなくなってくる。『機関人形』を動かすエネルギーのことばかり考えて、自分のことはほとんど考えていない。
自分の身体には合わない黒地のコートを羽織る。そして、アイラは外へと繰り出した。
ギギギ、と鉄のすり減る音が周囲に響き、ちらりと道を行き交う人々の視線が向く。
だが、すぐに視線を逸らして皆、各々の目的地を目指して歩き出す。
アイラの住む自宅は地下も含めると鉄製だが、『住宅区域』と呼ばれる場所の多くはレンガによって作られる家も見られる。
丁度、『機械』と『自然』が入り組んだような街並みであった。
「……パンでいっか」
アイラはいつもの通り、行きつけのパン屋へと向かう。
大通りから少し外れたところにある、小さなパン屋。
そこにも、中心部の『塔』から送り出されるエネルギーによって、パン屋が焼かれている。
これほど離れた場所にもエネルギーを送り出すことができるのは、それだけ『塔』が巨大なエネルギーを産み出し続けているからだろう。
アイラには想像もできないほどの、だ。だが、アイラには一つ考えがある。
――そのエネルギーをアイラの家で眠る『機関人形』に大きく叩き込むことができれば、あるいは動き出すのではないか、と。
だが、そんな勇気はアイラにはない。
そもそも、莫大なエネルギーを奪うのは『犯罪行為』に該当する。
それに、失敗すれば完全に壊れてしまうかもしれない――そう思うと、アイラは行動することができなかった。
(でも、なぁ……)
何も、変わらぬ日々が続いていた。今日もパンを食べて、実らぬ研究を続けることになる。繰り返し、繰り返し――失敗を続けては、日銭を稼ぐために仕事を受ける。
まだ十五歳という年齢のアイラにとって、その日々は当たり前となりつつあるが――いつまでも続けられるものではないと、心の片隅では理解しているのだ。
それでも、今日は今日とて変わらぬ日々を送る――仕方のないことだ。
「――ん?」
けれど、その日は少し違った。
パン屋に向かう途中、子供達が路地裏へと向かうのが見えた。
いつも見る光景ではあるが、その先にある物に、アイラは目を見開く。
「機関、人形……?」
黒鉄の人型。ゆうに五メートルはあろうかというサイズ。
赤黒く光る『目』に、関節部の隙間から蒸気を吐き出し、周辺を白く染め上げる。
子供達は、そんな物珍しい来客の周囲に集まって遊んでいるようだった。
否、『機関人形』自体はそこまで珍しいものではない。
中心部にいけば、自律行動する『機関人形』がいくつも見られるのだから。
だが、こんな街の中で、しかも単独行動をしているモノは異常であった。
――それこそ、アイラにとって忌々しい事件を思い出させるほどに。
「……うっ」
思わず、吐き気を催す。
『機関人形』の暴走――滅多なことでは起こらないが、『記憶領域』に何らかの不具合が発生した『機関人形』が、異常行動を起こす例はいくつか存在している。
その中で最も悲惨な事件であったのが、アイラの父が巻き込まれた事件であった。
――街中を走る列車を暴走させ、さらに車両一つ一つを潰して回るという、大きな事件。
戻ってきた父の身体は、人の『形』をしていなかった。
故にアイラは、『機関人形』らしいものについては嫌悪感を持つことがある。
それこそ、シンプルかつ巨大なものであるほど……アイラにとっては嫌な思い出をフラッシュバックさせるものだ。
唯一、父の遺した『機関人形』だけが、アイラにとっては嫌悪感を持たせない。
「お腹空いてたけど……帰ろう」
ポツリと呟いて、アイラは踵を返す。食欲もどこかへと消え失せたと思い込み、家に戻って研究の続きをする――そう思いながら、アイラは視界の端に再び『機関人形』を捉えた。
「……?」
わずかな違和感に、アイラは足を止める。
どうして――先ほどから『機関人形』はあそこで動きを止めているのか。
蒸気を産み出しているにも拘わらず、赤黒い目を光らせたまま、その場から一切行動しない。
彼らは――何かしらの役割を担っているはずだ。
休憩を必要とすることはなく、街中で動くのであれば、ケーブルの整備くらいは行っていてもおかしくはない。
「こいつさっきから全然動かないぞー」
「つまんないの」
「おい、動けって!」
ゴンッと、近場にいた男の子が『機関人形』を蹴り上げる。
低音が響き渡り――プシュゥと首筋付近から、『機関人形』が大きく蒸気を発生させた。
そして、赤黒い目は――シンプルな『赤色』へと変化する。
「――」
ドクンッと、心臓が跳ねた。
父の遺した血濡れの文章に、記載があった。暴走した『彼ら』は――『綺麗な赤色の目』をしていた、と。
「ちょっと! そこのあなた達!」
アイラが声を張り上げる。
周囲を歩く人々がアイラの方をちらりと見て、『機関人形』の近くにいた子供達も声に気付いた。
「なんだよー、俺達になんか用か?」
「用か、じゃない! その『機関人形』から――」
離れなさい、そうアイラが告げようとした瞬間だった。
『Oooooooooo!』
まるで怒りを表現するかのように、重低音な『声』が響き渡り――『機関人形』が両手を振るいあげる。
あまりに突然のことで、その場にいた誰も反応できなかった。
周囲のレンガでできた壁を砕き、『機関人形』が鋼鉄をすり減らすような音を鳴らす。
ギギギ、ギギギ――不規則な動きは、明らかに『異常』であった。
「ひっ……うわあああっ!」
『機関人形』の周囲にいた子供達が、慌てたように逃げ出す。
周囲にいた大人達も、すぐに異変に気付いた。
「な、なんだ……!?」
路地裏から這い出てきた巨大な『機関人形』に圧倒され、帽子を被った男が見上げるように確認する。
プシュ、プシュと蒸気をまき散らしながら――『機関人形』は迷わずその鋼鉄の拳を振り下ろした。
水気のある音が周囲に響き渡り、次に上がったのは人々の悲鳴。『機関人形』による殺戮が、始まろうとしていた。
「あ、あああ……」
突然のことで、アイラはその場にへたり込む。いつもと変わらない日だったずなのに――日常は突然として崩壊する。
すぐに、アイラはその場から逃げ出そうとした。家の方角ではない――可能な限り、ここから遠くの場所へと、だ。
だが、アイラはまたしても……視界に捉えてしまった。
『機関人形』のすぐ近くに、逃げ遅れた女の子がいることに。
「うっ、うぅ……」
今にも泣きだしそうな声を漏らし、少女はただ蹲っている。
気付かぬままに『機関人形』が動き出せば、それは不幸中の幸いということになるのかもしれない。だが、無情にも――『機関人形』は少女の存在に気が付いた。
『――k\s』
言葉とも取れぬ『声』を漏らしながら、『機関人形』は少女の方を振り向く。
これは、少女にとっては『不幸』であり、周囲の人々にとっては『幸い』となる。一瞬でも、少女に気を取られてくれるのならば――逃げることができる可能性があるからだ。
悲鳴と怒号の中、アイラはひどく冷静に考えを巡らせた。
(いや、何を考えているんだろう、私は。逃げる以外の選択肢なんて、ないんだよ)
それが至極、当然の人間の考え。ここで、それ以外の選択肢を取るのは――生粋の馬鹿でしかないと、アイラは結論付ける。
そうして結論付けたところで、アイラは自らを奮い立たせ、立ち上がる。
向かったのは、『機関人形』の方角。
ポケットに入れた工具を取り出すと、渾身の力を込めて『機関人形』へと投げつける。
くるくると工具は高速で回転し――『機関人形』の頭部へと直撃した。
「あ、当たった……」
当てにいったにも拘わらず、アイラは間抜けな声を漏らす。
同時に……『機関人形』がアイラの方にくるりと視線を向け、
『ojet?』
そう、小さな『声』を鳴らす。
「ひっ……」
アイラは全身の毛が逆立つような感覚と共に、反射的に駆け出していた。逃げる方向なんて考えていない。
ただ、闇雲に『機関人形』から距離を取ろうとする。
走り始めてすぐに、アイラは『機関人形』の方を確認するように見た。
次の瞬間――こちら目掛けて『跳ぶ』、その姿が視界に映る。
「な、にそれ……!?」
アイラは咄嗟に滑るようにしながら身をかがめる。頭の天辺をかすめるような感覚と共に、黒い影が通り抜けていく。
勢いよく、『機関人形』がアイラの上を通り抜けていき、そして建物へと突っ込んでいった。
ケーブルを切断し、勢いよく蒸気が噴き出す。高い熱量は、一気に周囲の気温を上昇させた。
霞む視界の中でも、アイラはすぐに理解する。
「い、家まで突っ込んでいった……」
アイラの自宅まで――『機関人形』は勢いよく建物を破壊して動いていく。
どれだけの力があの存在にあるか……それだけでも理解できる。できてしまう。
先ほどもアイラは目の前で見た――人が、軽々と殺される瞬間を。
あの『機関人形』はアイラを狙っている。
パラパラと砕けた家屋の破片の音が耳に届き、赤く光る目が――蒸気の中でも朧気に見える。
……ああ、これから死ぬのかな。
そんなことを、アイラは考えた。
父も、こんな気持ちだったのだろうか。人生の転機とは、いつ訪れるのか分からない。
アイラはいつものように家で父を待って、そして帰らぬ人となった父を迎えた。
そんな父と同じように――『機関人形』の暴走によって殺される。
「それも、ありなのかな……」
アイラは呟いて、
「――そんなわけ、ないでしょ」
否定した。
そんな理不尽があってたまるか。
アイラにはまだ……やるべきことが残っている。
父の遺した『機関人形』を動かすということ。それは、アイラが人生をかけてやる目標であった。それなのに、あの『機関人形』は家にまで入り込み、地下の研究室まで壊そうとしている。
「ふざけるな……どうして私ばっかり……!」
怒りの感情を露わにして、アイラは口を開く。
どうせ死ぬのなら。どうせ勝てないのなら――それでも、一瞬でも長く生きてやる。
いや、絶対に生き残ってやる――そう決意して、アイラはその場から走り出そうとする。
刹那、『機関人形』は再びアイラの下へと跳んできた。
(かわせ……)
――ない。頭では分かっていても、その動きについていくことができない。
死の瞬間。まるで時が止まったように見えた。
跳躍して近づく『機関人形』がひどくゆっくりに見えて、アイラは呼吸が止まる。
必死に呼吸をしようとしても、できない。
(やっぱり……ダメ、かな。ああ、どうして、本当に――)
私ばかり、そう考える間もなく、アイラの身体は圧し潰された。
「……?」
そうなるはずだった。何故なら、アイラは『機関人形』の動きについていけなかったのだから。五メートルという巨躯から繰り出される圧倒的な速度に、アイラはなす術などなかったのだから。死ぬ間際に目を瞑り――やってくるはずの痛みに耐えるつもりであった。
痛みすら存在せずに、アイラはこの世を去ったのかと錯覚した。
だが、『現実』は違う。
「『記憶領域読込……個体、『妹』を確認しました。並びに、『妹』に対する、『敵対勢力』を認識。行動を阻害しました」
「……へ?」
機械的な声が耳に届き、アイラは間の抜けた声を漏らす。
視線の先に立っていたのは――一人の少女。アイラはよく、その少女のことを知っている。
家の研究所で長年動かなかった『眠り姫』――彼女が、アイラの前に立っているのだ。
そして、片腕で跳躍してきた『機関人形』を受け止めている。
ミシリッと音を立てながら、両足を地面にめり込ませ――それでもアイラに決してその巨躯がたどり着かぬよう、動きを完全に停止させている。
「nayda,kixmaf」
「『敵対勢力』分析――個体は『機関人形』、『601』型と認識しました。打撃による強制排除を実施します」
「な、ちょっと――」
アイラが止める間もなく、少女が動き出す。
わずかに『機関人形』を宙に浮かせると、思い切り空へと蹴り上げた。
メキリッという音が響き渡り、巨体が宙を舞う。
あまりの光景に、アイラは目を見開いて驚くことしかできなかった。
「『記憶領域読込……『姉』――さてさて、可愛いアイラに手を出す輩は……私がぶち壊しますからねっ」
機械音声から、人の声へ。少女はアイラの名を口にして――繰り出したのは目にも止まらぬ速さの拳の連打。空中にて、なお身体が浮かび上がるような勢い。
次々と黒鉄の部品が飛び散り、砕け――やがて赤い光を宿した目が空を舞い……光を失う。
文字通り、『機関人形』は空中で砕け散った。
あっけにとられるアイラの下に、少女が降り立つ。
「あ、え……あなた……どうし――」
混乱するアイラに対し、くるりと反転した少女は満面の笑みを浮かべて、
「怪我はない!? 私の可愛い『妹』……アイラ!」
「か、可愛い妹って……ええええ!?」
訳も分からぬままに――アイラは少女によって抱きしめられる。
一瞬背骨でも折られるのかと思ったが、勢いの割には優しく……そして、彼女が『機関人形』であることを理解させる冷たさがあった。
この日、アイラにとっていつもの日常は崩壊し――新たな日常が、幕を開けることになった。
頑張って書きたい物を書いてみました。
ファンタジーでもいいかな?って感じだったんですけど……こういうお話が一度やりたかったんです。