DEA スラム街
夜は冷えるため、アグネスにマントを羽織らせる。
姫としての格好をしているわけだが、マントを羽織ることで誤魔化せた。
ディートハルトはアグネスの手を取り、馬を使わず徒歩で向かう。
アグネスは、普段 治安がよく最も綺麗な街並みしか闊歩したことがない。
スラム街は虚ろな目をしたホームレスがたむろしており、汚い街並みは外国のように思えた。
「王都にこんな場所があったとはのう……」
アグネスのディートハルトの腕を掴む握力が自然と強くなる。
「引き返しますか?」
ディートハルトはアグネスが恐怖を感じ取っている事に気づき、改めその意志を確認する。
「何を言うておる。進むに決まっておろう!」
内心の怖さを誤魔化すように強い口調で答えた。
「わかりました」
裏通りを巡回していると、アグネスの目に不可解な動きをする中年男性が止まった。
その男は、目から涙を流し、鼻水が垂れている。
そして、壁に自身の頭を何度も打ち付けていた。
「な…なんじゃアレは……」
アグネスは男の理解できない行動に脅えた。
「あれが、麻薬中毒者というヤツです」
「麻薬中毒者?」
「そう、麻薬はあのように人を駄目にします」
「よくわからんが、まやくというのをやるとあーなるのじゃな?」
「はい……麻薬が出回れば出回るほど、ああいう者は増えていき、それはやがて国に深刻な被害をもたらします」
「ぬうぅ……許せんのじゃ……」
アグネスは怒りを噛みしめるように呟いた。
「……」
その時、ディートハルトは殺気に近い鋭い視線を感じた。
何者かが見ている、それも複数。
スラム街は治安が悪いので、強盗など珍しくもないが、ただのゴロツキではないだろう。
(視線は全部で5つ感じる……)
落ち着いて気配を探っていく――
(前方に二つ、後方に二つ……
もう一つは――)
ヒュンっと風を切る音が鳴った。
ディートハルトは体を瞬時に翻し、自身に向かって放たれた矢を掴む。
5人目は建物の屋根に潜んでおり、矢を射ったのだ。
(問答無用で矢か……
腕からしても、ただのゴロツキのする事じゃない、追っている麻薬組織かどうかはわからんが
何かしらの闇組織だろう)
前方と後方からきた視線はもう感じない、矢を掴んで見せた事で相手は勝てないと判断し、その場を離れたようである。
「びっくりしたのじゃ~」
突然の挙動に驚くアグネスであったが、事態は全く呑み込めていなかった。
「追いますよ!」
ディートハルトはアグネスを左脇に抱える。
「お…お主! 一体何をするつもりじゃ~!」
ディートハルトは抱えた状態で大きく跳び、屋根の上に乗った。
アグネスを連れていくのは危険な行為だが、アグネスを置いて自分だけで追うのはもっと危険といえた。
そして、犯罪組織と関わりのありそうな者をこのまま見過ごすのもありえなかった。
「速いな……」
矢を放った輩は、既に逃走しており、屋根から屋根へ飛び移っている。
「だが……」
しかし、逃がすつもりはない、必ず捕えて尋問する。
そう、心に決めたディートハルトはアグネスを脇に抱えたまま追撃を開始する。
相手は身が軽いのか、かなり跳躍力を持っていて足も速かった。
だが、鍛えられたディートハルトの脚力は、徐々に距離を詰めていく。
相手は突如振り向き、再び矢を放つがディートハルトは剣を抜きそれを切り払った。
「!」
相手に動揺が走る。
ディートハルトはさらに間合いを詰め、斬ろうとしたとき相手は手をかざした。
(魔法か?)
相手の放つ魔法を警戒し、一端、距離を保つ。
一瞬、ハッタリで手をかざしただけかもしれないと思ったし、例え魔法を放ってもそれを避けて相手を斬れる自信もあった。
しかし、脇にアグネスを抱えている状態で深追いは危険と判断した。
「ウインド!」
相手が放ったのは風術だった。
強風が巻き起こり、ディートハルトの動きを封じる。
「ちっ……」
火炎弾のような飛び道具を想像していたため、対応が遅れた。
風に動きを封じられての状態で相手は再び矢を放つ。
ディートハルトは放たれた矢を見動きがままならない状態では切り払うのは無理と見て、アグネスを一端置き左手を差し出した。
矢はディートハルトの左手を貫通するがアグネスには届かない。
「ファイア!」
風が収まると同時に、脇にいたアグネスが魔法を唱えた。
ディートハルトが相手を追撃し始めた時、いつでも唱えられるように詠唱を済ませていたのである。
放たれた炎の矢が相手に向かって突き進む。
子供による魔法攻撃を予期していなかった相手はその炎を何とかかわすが、それに生じた隙を見逃すディートハルトではなかった。
剣を鞘に入れた状態で強打し相手を失神させる。
「ふうっ……」
「……終わったのか?」
「ええ……一先ずはこの者を連れて帰りましょう」
倒れている輩を顎で差しながら答える。
「連れて帰るのか?」
敵を連れて帰ろうとする事に疑問を感じるアグネス。
「ええ、色々と聞きたい事がありますので……」
「おおっ! それはじじょーちょうしゅと言う奴じゃな?」
「そうです、事情聴取です」
「楽しみじゃ! 余が直々に情報をげろさせてくれよう」
「何を言ってるんですか、尋問なんて姫のする事じゃないですよ。
それにげろって……」
ディートハルトは、アグネスの使った汚い言葉を聞いて、推理小説などを読ませた事を少し後悔した。
「では、とりあえず、そいつを縛りますか」
倒れている輩を起こして改めて顔を見る。
男ではあるが、中性的で整った顔立ちをしていた。
「……まさか」
「どうしたのじゃ?」
ディートハルトは男の髪を?き分け耳を確認する。
人間ではありえない尖った耳をしていた。
「こいつ、エルフです」
「なんじゃと?」
(どおりで風術や弓を使うわけだ。
背後にアルフヘイムの影あり? いやそれはないか……)
ディートハルトは男を抱えて本部に戻った。
……――……――……――……――……――……――……
「リーダー! 何処に行ってたんですかっ!」
本部に戻るや否や、カミルを筆頭にプリンセスガードや侍女達が駆け寄ってくる。
夜中にアグネスと二人で街に消えた事に怒っているようだ。
「すまん、姫とスラムに行っていた」
「スラム! 何でそんな危険なところに二人だけで行くんですかっ!」
カミルが青筋たてて食ってかかる。
今回の独断が許せないようだ。
「複数で行くと、目立ちすぎるだろ」
「ならリーダー一人だけで行くべきですよっ!」
「カミル何をそんなに怒っておる。余はご覧の通り無事じゃ。
お主の心配する気持ちは受け取っておこう!」
「ですが……」
アグネスに諭され、納得はいかないものの何も言えなくなるカミル。
「それよりも皆の者! 心して聞くのじゃ!
余ははんざいそしきの一員を見事捕えての~っ!
これで捜査も大躍進じゃ~っ!」
「なんと! それは誠にございますか!」
地道な捜査を余儀なくされると踏んでいたローラントは驚きを隠せなかった。
プリンセスガードと侍女達がざわめく。
「ふっふっふっ……皆、驚きが隠せないようじゃのう」
「姫! 嘘はいけませんぞ。
賊を捕らえたのは私ですよね?」
上機嫌になるアグネスに釘を刺すディートハルト。
「何を言うかっ!
お主が捕らえそこなったのを余のファイアで見事形勢逆転したからではないかーっ!」
「いやいや、あのファイアがなくとも私は賊を捕えました」
「口では何とでも言えるからのー」
「口では――」
「リーダー! 話を進めてもらってもいいですか?」
なお、ディートハルトが喰い下がろうとした時、カミルが口を挟んだ。
「う…うむ。まあ、かいつまんでいうとスラムを探索中、犯罪組織の構成員っぽい男に襲われて
それを捕えたというだけでな、今日は遅いから尋問は明日行う。
組織が口封じをしたり、自殺を図るかもしれないから、二人で見張るっておくように――」
「夜通し見張りって誰が?」
プリンセスガードが不安そうに質問する。
誰も貧乏くじを引きたくはない。
「カミル、イザーク任せた!」
「はい」
「……仰せのままに」
カミルの声は僅かではあったが怒気を孕んでいた。
……――……――……――……――……――……――……
カミルとイザークは未だ気絶している男の縄を解くと、椅子に縛り直した。
手を背もたれの後ろに縛るだけでなく、椅子の足と男の足も縛り、目隠しと耳栓、猿轡をかまし舌を噛み切れないようにしておく。
「エルフの犯罪者か……」
カミルとイザークはエルフを見るのは初めてである。
格好こそ、帝国民の一般的な格好だが、金髪で色白の肌、長い耳をしており、人間とは明らかに違って見えた。
「随分と機嫌が悪いね……」
険しい表情しているカミルを心配し、イザークが話しかけた。
「イザークさん、俺は別に怒ってなんか――」
「そうは見えないけどね……別に無理に問いただす気はないけど。
らしくないよ?」
「だって! 姫様をスラムに一人で連れてったんですよ?
それがどんなに危険な事か……」
「リーダーは強いからね、犯罪組織に後れを取るなんてないだろうし、守りきれる自信はあったと思うよ」
「それは自信じゃなくて慢心ですよっ!」
「リーダーにも何かしらの意図はあったと思うけど……」
イザークは確信こそないものの、ディートハルトが王都の暗い部分をアグネスに見せたいのだと思った。
(……姫? まさか俺に魔法を放った少女がアグネスだったとは)
縛られたエルフの男は既に意識を取り戻していた。
エルフの聴覚は、人間よりも遥かに優れており、耳栓をしていても会話を聞くことができたのである。
(よくわからんが、国が組織を駆逐するために動き、それを後継ぎである姫にやらせたいと言う事か?
……だが、これは好機だ。アグネスの人質となれば流石に国は大金を払うだろう)
(両手は後ろに組まされた状態で縛り、両足を椅子の足と縛っているな。
この程度なら、風術でどうにかできる)
この男は長寿種族のエルフでであり、それこそ建国以前から、麻薬による犯罪に手を染めていた。
しのぎを削るライバル組織に捕えられた事もなんどもあり、縄抜けなどの技能も持っている。
(問題は猿轡だな……これをどうにかしないと術を唱えられん……)
いずれ尋問するだろうから、その時、猿轡を外すだろう。
しかし、それでは相手は万全の体制を整えている、その時点での脱走は難しいと見るべきだ。
なら、深夜であり、見張りが二人しかいない今の状況での脱走の方が成功率は高い。
(イチかバチか……)
男は唐突に咳き込んでいるような動きをしてみせ、呼吸困難に陥っているように見せた。
「おいどうした?」
カミルが思わず話しかけるが、猿轡をされている状態では答えようもない。
外して良いものかと思案する間を与える前に、痙攣しているように見せかける。
早く何かしらの手をうたないとやばい、せっかく捕えた容疑者が死ぬ、そう思わせるための演技――
「リーダーを呼んでくる。カミルは介抱しといて」
イザークは唐突に訪れた事態に困惑しながらも、カミルを残し、ディートハルトの寝ている廊下に向かった。
「くそっ! こんな時に……」
カミルは症状がどういったものかを確かめる為に猿轡を外した。
男は大きく咳き込んだ後、呼吸が安定する。
(何かを喉に詰まらせただけか? 全く、人騒がせな……)
男の容体が落ち着き安堵の息を吐くと同時に男が口を開いた。
「ウインドカッター!!」
創り出された風の刃は、手の縄と足の縄、目隠しを斬り裂いた。
「なっ!?」
カミルが事態を把握するよりも速く、起き上がり男の放った蹴りはカミルの脇腹を捉える。
「うぐっ!」
不意を突かれた上に、急所である肝臓を強打され思わず倒れそうになるが、後退しながらも何とか踏みとどまった。
「ウインド」
男は手をかざして、強風を放ち、風圧でカミルを部屋の隅に追いやる。
強風の最中、何としてでもくらいつこうと一歩前に踏み出そうとした時、風は止みカミルはバランスを崩した。
男は追い風に乗るかのように距離を詰めて、カミルの顔面を前体重をかけるようにして殴った。
カミルは意識を飛ばされその場に崩れ落ち、男は窓ガラスを割って、部屋の外に出ていく。
「今の音は!?」
ディートハルトを連れたイザークが部屋の扉を開けた。
既に男の姿は無い。
「イザーク! 全員起こしてアイツを追え!」
「はい、わかりました」
イザークは駆け足でその場を離れ、他の面々の元へ向かった。
「……カミル!」
ディートハルトは倒れているカミルに駆け寄った。
鼻が折られ出血し、顔に大きな痣を作っているが命に別状はなさそうである。
「悪いが、介抱は後だ」
ディートハルトは、気を失っているカミルにそういうと部屋を出ていった。
一方、エルフの男は、屋根の死角に身を隠していた。
逃げたように見せかけ、プリンセスガードが出払うのを待ち、アグネスを誘拐するためである。
男は聞き耳を立てながら抜き足で屋根を移動する。
(見つけた、少女の寝息……)
屋根に耳を当て、その下からかすかだが、少女の寝息を聞きとった。
(侍女か? 成人女性の寝息も聞こえるな……)
男は周到に気配を探っていく。
部屋から聞こえてくる寝息は全部8つ。
長方形の部屋にベッドが二列に並べられているようで、廊下側に4つ、窓側に4つ。
(ん? 成人男性の呼吸も聞こえる……
この男は起きているな、寝息じゃない……
ちっ……常に警護しているのか)
呼吸音が聞こえるのは部屋の外の廊下であり、真ん中から聞こえてくるところからすると扉の前で門番のように立っているようだ。
少女の寝息は、廊下側の中央にあり、扉から近い最も近いところである
廊下 ●
――――-――――
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――-―-―-――
外
エルフの男に迷いが生まれる。
捕えられた恨みを晴らすべく、アグネスを誘拐したいところだが、警護している男の強さがわからない。
自分を捕えた者の可能性もある。
再び捕えられるのは避けたいところ。
(強行するか、それとも退くか……)
男は強行を選んだ、醜態をさらしたまま引き下がるということはできなかった、というわけではない。
一度でも国家に捕えられたという事実は、組織に戻れば粛清の対象にもなりかねない、情報を漏らしたと疑われるからだ。
何の収穫もなしに戻るわけにもいかないのである。
窓ガラスを破って、アグネスの部屋に入ると同時に強風の魔法を放った!
部屋の中で強風が巻き起こる。
この風圧では例え侍女達が起きても、寝起きであり応戦はできないだろう。
また、護衛の男は風圧によって簡単には扉を開けられない、護衛の男が部屋に入るよりも速く、アグネスを捕えて脱出するつもりであった。
「な…なんじゃっ!?」
アグネスが突然のガラスの破砕音に飛び起きる。
男は有無を言わせず掴みかかろうとした時、部屋の扉が枠ごと自身に迫ってきた。
男は何が起きたのか理解する事もできず、重量のある扉に衝突し壁まで押し戻され挟まれた。
「姫! ご無事ですか?」
「う…うむ……それよりお主一体何をやったのじゃ?」
アグネスは一瞬の出来事で何が起きたのかわからない。
「大したことは……
扉を開けていては手遅れになると思いましたので、扉を相手にぶつけました」
「そ…そうか……」
相手は最短ルートを取るため、部屋の中央の窓を破って入った。
それが仇となったのである。
ディートハルトはガラスの割れた音から中央の窓を破ったと判断し、裏拳を扉に見舞ったというわけである。
「ん?」
飛ばされた扉の方に目をやると、壁に大きな穴があいている。
男は窓のある壁と扉でサンドイッチにされたが、それでも扉の勢いを止める事ができず。扉は壁を貫通し、そのまま2階から落ちていった。
勿論、即死である。
「コレットさん! すみませんが、姫を別の部屋に連れていってください」
「は…はい」
侍女達を別室に移すと、ディートハルトは扉の落ちた中庭に降りたつ。
「ちっ……」
助からないことは想像ついていたが、改めその死を確認し、勢い余った事を少し後悔する。
(振り出しに戻ったな……)
「リーダー……」
気絶していたカミルが目を覚まし、音を聞きその場に駆けつけた。
「気づいたかカミル」
「その男……」
「もう、終わった。
姫を狙ったんで、勢い余って殺してしまったがな」
「申し訳ございません」
カミルは膝をついて、頭を下げる。
「……ひとまず、医者に鼻を見て貰え」
「はい……」
(場所を変えないと不味いな……)
ディートハルトは寝泊まりに使う場所帰ることにした。