偽装食物の計 後編
アグネスは部屋の前までくるとまずはノックをする。
「どちら様?」
扉は開かず奥の方からディートハルトの声だけが聞こえてきた。
明らかに来訪者を警戒している。
「アグネスじゃ!」
「ZZZ」
「居留守を使うでないわ~! 開けんかバカモノ~」
アグネスは部屋の扉を強くノックする。
「姫! 申し訳ございませんが。
このディートハルト、激務ゆえ大変疲れておりまして……
中に招き入れたいのはやまやまなのですが、ゴホッ…ゴホッ……
このとおり体調も崩しており……」
ディートハルトのあからさまな仮病の前に、アグネスは唸り声を上げる。
どうしたものかと思っていると、カミルがアグネスの肩をつついた。
そして、ディートハルトに聞こえないよう耳打ちする。
「そうか……
残念じゃのう、その激務ゆえに、差し入れを持ってきたというのに……
これは、皆で食べるとするかの」
「さ…差し入れでございますか?」
扉の奥のディートハルトの声は明らかに動揺している。
差し入れに興味があるのだろう。
(かかった!
リーダー貴方は釣り糸にかかった魚も同然!)
カミルは手に汗を握った。
「そうじゃ、疲れている時は甘いものが良いと聞いて菓子パンを用意したのじゃ」
「そういう事でしたか……」
扉が開き、ディートハルトが顔を出す。
顔色は至って普通であり、体調が悪そうには決して見えない。
明らかに先ほどの口上は嘘っぱちであった。
「む?」
ディートハルトの手には食べかけのおむすびが握られていた。
おそらく夜食として食べていたのだろう。
(やはり……カミルの言った通りであったか。
じゃが、そんなのお見通しじゃ!)
「ささっ! どうぞ中へ」
(しかし、姫が俺に差し入れをするとは……
日頃の行いがよかったせいかな)
中にはいると、テーブルには小皿が置いてあり、その上にはおむすびが二つ乗っている。
「おおっ! これは美味しそうな菓子パンでございますね」
ディートハルトは食べかけのおむすびを口に放り込み処理すると、菓子パンに手を伸ばした。
アグネスはワサビクリームのパンを手に取るとディートハルトへ渡す。
「では遠慮なく!」
ディートハルトは特に警戒することなく、ワサビクリームのパンにがっつき……そして盛大にむせた。
「ぶはっ!」
反射で口に入れたパンごとクリームを吐き出す。
目の前にアグネスがいるので、全力を振り絞って顔を横に向けるが、この行動が気管に唾液を入れる結果となってしまい、派手に咳き込んだ。
あまりの悶え苦しみぶりに、アグネスも罪悪感にかられる。
「ゲホッ! ゲホッ! はーっ……はーっ……」
ディートハルトはしばらく蹲った後、呼吸を整えて立ち上がった。
「一体何の真似ですかっ!」
涙ぐんだ目で、怒りを訴える。
「む!? 余はお主にやられる前に反撃しただけじゃ!
お主は、梅干入りのおむすびを余に食わそうとしたではないか!
爺上が言っておったわ! 戦は先手必勝、やられる前にやれと!」
狼狽えながらも気丈に説明するアグネス。
「はあ?」
ディートハルトはアグネスのめちゃくちゃな言い分に首を傾げるほかない。
「梅干を食べさせる? 何を言っているんですか?」
「しらばっくれるでないわー!
現に、そこにおむすびがあるではないか。
そのおむすびを余の前で美味しそうに食べ、梅干入りのおむすびを余に渡そうという魂胆なのであろう?」
ディートハルトはため息をついた後、おむすびを一つ手に取ると、アグネスの前に突き出した。
「食べてみてください!」
「む? い…いや……しかし……」
アグネスは強く言われ、途端に弱気になってしまう。
「いいから! 食べてみれば、私の身の潔白が証明されます。
具材を警戒しているのであれば、半分に割って中身を確かめてから食べればよいでしょう」
渋々、おむすびを二つに割ってみる。中にある具材は梅干ではなかった。
警戒しつつも口に運ぶ。
「これは……『サーモン』か?」
(う…旨いのじゃ……こんなサーモンは初めてじゃ)
ディートハルトはアグネスの言葉を聞いてニヤっと笑うとドヤ顔で答えた。
「いえ、『鮭』にございます」
「鮭?」
「姫様、鮭とサーモンは同じ魚ではございますが、チュレニー海で獲れるものを『サーモン』、アキダリア海で獲れるものを『鮭』と呼びます。
これは、ハルトヴィヒ様がアキダリア海産のモノの方が美味しいので、名称を使い分ける事でブランド化を計ったというのが通説です」
イザークがここぞとばかりに解説を入れる。
「さらにこれはその鮭の中でも特に旨いとされる『鮭児』にございます」
ディートハルトは幻の鮭とも呼ばれる鮭児をどうしても食べたくなり、クリセにいるエンケルス騎士団に頼んで取り寄せてもらったのである。
米はともかく魚となると、人件費の高い氷術師を同伴させた冷凍馬車を使う必要があり、かなりの費用はかかっていたが。
「全く、誰の入れ知恵か知りませんが。姫に梅干を食べさせようなんて思ってもいませんよ」
ディートハルトは、お前らの入れ知恵だろ? と言わんばかりにカミルとイザークの方を見る。
二人は慌てて目を逸らした。
「む、そうであったか……」
アグネスは落胆し、がっくりと肩を落とした。
「それにですね。
梅干にしろ鮭にしろ、私が自分の金で買った食べ物を分け与えるわけないじゃないですか。
普通に勿体無いですよ。ハハハ!」
「貴様、独り占めするつもりであったか~!」
「それで姫」
「む?」
「謝罪は?」
ディートハルトは部下にそそのかされたとはいえ、ワサビ入りのパンを冤罪で食わせたんだから謝罪くらい当然と思っていた。
「じ…爺上が言っておったのじゃ! 謝ったら負けと!」
アグネスは悪い事をしたとは思っているが、謝るわけにはいかないと思っており、ディートハルトも無理やり謝罪させても意味が無いとも思った。
(全くあのじじーは……
しかし、よく思いつくな)
ディートハルトはメロンクリームのパンを食べながら感心する。
(食べ物を使った計略か……
ふむっ……そういえば、クリセには『餅』という子供が好きな食べ物があったな……
今度、姫に献上してライナルトさんと仲良く食べるように進言してみるか)
(リーダーが何か悪い笑顔している)
イザークはディートハルトの黒い笑顔を見逃さなかった。
(む~、余の早とちりじゃったか……
しかし旨かったのう、もう一つ食べたいのじゃ……)
アグネスは残っている最後のおむすびを見た。
考え込んだ末、欲には勝てず手を伸ばすが、ディートハルトにその手を掴まれる。
「姫、その手で何をされるおつもりですか?」
「決まっておろう! そのおむすびを食すのじゃ!」
「このおむすびは私のものにございます」
「余はそのおむすびを欲しておる。
それにプリンセスガードのものは余のものじゃ!
わかったであろう? 余によこすのじゃ!」
「ハハハッ、最後の一つですからダメに決まっているではないですか。
私のものは私のものにございます」
「む~! 余は食べたいのじゃ!」
「そのお気持ちよくわかります。
何といってもこれは最高級の『鮭児』にございますからな~。
では、そのお気持ちだけ受け取っておきましょう」
「では、こうしてはどうじゃ?
米の部分はお主が食べ、具材の部分を余が食べる。
これで問題解決じゃ!」
(ふざけているのかこの姫は!)
「何をお勘違いされているのですか?
このおむすびの所有権は100%私にあります。
米一粒であろうと姫に渡す部分は一切ございません」
「いいから、それを余によこさんか!」
アグネスは泣きが入ったように服を引っ張るがディートハルトは頑としてそれを拒む。
「いいですか姫!
貴方様は私に、ワサビ入りのクリームパンを騙して食べさせ、私を苦しめた上に謝罪もせず。
私の最後のおむすびをよこせとそう仰るのですか?」
「うむ、その通りじゃ!」
「このおむすびはですね。
私が、クリセにいるエンケルス騎士団に『鮭児』が市場に並んだら購入し送ってくれとお願いの書状を書き、魚の様な生ものは腐るので氷術師が凍らせて輸送する、高額の冷凍馬車を使い。
そして、米は私が炊き、私が握り、私が作ったのです。
勿論、かかる費用は、身を粉にして働いた私の給料から出しました。
どこぞの貴族達と違って、国の経費で落とす様な真似は一切しておりません。
いわば、このおむすびは血と汗と涙の結晶! 自分へのご褒美!
断じて渡せません」
「余に献上せんか~!」
アグネスはディートハルトの服を引っ張りながら絶叫する。
その姿はお菓子を買ってもらえなくて泣く子供のようであった。
「ダメなもんはダメです!」
(謝罪しない限り、絶対に渡さん)
「え~、平行線のようですね」
沈黙していたカミルが唐突に口を開く、不意の発言だったため、二人は問答をやめてカミルを見た。
「では、間をとって、そのおむすびは私がいただくといういう事で……」
そういって、おむすびに手を伸ばしたが、その手が届く前に、ディートハルトの拳が右の頬を、アグネスの拳が左の頬を殴った。
二人に殴られたカミルはそのまま壁まで飛んでいき、失神KOとなる。
「む? 腕を挙げよったなディートハルト。
見事な右ストレートじゃった」
「姫こそ!」
ディートハルトはカミルを殴った事でクールダウンすると、おむすびを半分に割ってアグネスに渡した。
「む? い…いいのか?」
「半分だけですよ?」
「わ…わかったのじゃ」
アグネスは罪悪感を感じているのか少し戸惑いながら半分のおむすびを受け取った。
「ディートハルト……」
「はい?」
「余…余が悪かったのじゃ……
それと、このおむすびは美味であり、真に大義である」
アグネスは恥ずかしそうに謝罪とお礼を言った。
「いえいえ、お褒めに預かり恐悦至極にございます」
カミルは起き上がると、イザークと一緒に扉の方まで歩いていく。
「それでは、二人の邪魔をしては悪いので私達はこれで失礼しますね」
まるでアグネスの気持ちを考えたかのような発言であったが、ディートハルトはその真意を見抜いていた。
「おいお前ら! 逃げられると思っているのか?」
ディートハルトは指の関節を鳴らしながら笑顔で二人を見据えていた。