三者授業 舞台裏
「はぁ~~」
珍しくアグネスは深いため息をついていた。
イザークとルッツが、警護を担当する時間帯、いつもならアグネスは行きたい場所を言ったり、何かしらの要求をするのだが、本日は珍しく自室の椅子に座って窓を眺めており、その場から動こうとしない。
「元気ないですね姫様。何かあったのですか?」
『必要以上に元気』が、アグネスのスタンダードであるため、暗い顔をしてため息をつく姿はかなりの異常事態といえる。
「ん~? 実はのう、明日の学習時間は『戦争』の科目なのじゃが……
この授業が憂鬱での……」
「確かその授業は、リーダー同伴の授業でしたよね?
始まった頃はあんなに喜んでいたではないですか」
イザークはアグネスがはしゃぎまわってた頃を思い出す。
今はその見る影もない。
「……ディートハルトの奴が、爺上に口答えばかりするのじゃ」
この件に関してはディートハルトからチラっと事情は聞いている。
まだ、11歳の女の子に『戦争』を史実としてではなく、いかに戦うか? いかに殺すか? を教えるなどありえない。
それがディートハルトの見解だった。
「なるほど……」
「爺上が寛大だからよいものの、何故あ~までして反発するのかがわからんのじゃ。
もはや、庇いきれんのでのう」
(陛下が寛大? 陛下の性格を考えれば、無礼な態度をとれば即なにかしらの罰を与えそうなものだが……)
イザークはライナルトらしからぬ行動に違和感を覚えた。
「あんなに臆病で情けない奴とは思っておらんかったわ」
アグネスはディートハルトの愚痴をこぼし始めた。
(しかし、リーダー。
気持ちはわかりますが、いくらなんでもマズすぎますよ)
イザークはディートハルトの命知らずな行動に歯軋りする。
ディートハルトからしてみれば、憤慨モノの授業なのだろうが、相手は最高権力者である。
楯突いて得をする事など一切ない、自分の立場を弱くするだけであり、ディートハルトの立場が弱くなるという事は自分達の立場も危うくなるといえた。
(陛下の狙いは一体何処にあるのか……)
イザークはこの件は単純な話じゃないと直感し、まずは、アグネスに愚痴を聞きつつ、授業の詳細を聞きだすことにした。
……――……――……――……――……――……――……
皇帝の居室。
「その後、どうですか?」
「順調にアグネスは、奴に対して幻滅しているようだ」
「それはよかった」
ライナルトの主治医的存在であるゲレオン。
彼は、皇帝から相談を受け、ある献策をしていた。
「しかし、こんなに上手くいくとは思っておらんかったぞ」
「私を誰だと思っているのですか?」
カルト教団の教祖でもあるゲレオン、簡単に言ってしまえば、彼は人の心を弄ぶ事に長けていた。
いかにして、他人を自分の信者にして利用するか?
仲の良い二人をいかにして、仲違いさせるか?
といった。気持ちや心境を変えさせてしまう事を得意分野としていた。
ライナルトはその力を見込んで助言を仰いだのだ。
死闘のあった翌日。
アグネスは学習時間が終わると、ライナルトに対し、嬉しそうに『鍵探し』について語りだした。
あの死闘は、野球観戦に自身を呼ばなかった事、アグネスのチームをあっさり負けさせてしまった事、この事が面白くなく、言ってしまえば腹いせ、嫌がらせの類いであり、ディートハルトにお灸を据える意味合いもあった。
それが、死闘は死闘で果たしながらも、今まで以上に孫と戯れてたのである。
さらにいえば、『鍵探し』は、もはや自分の政敵といって良い皇太子を巻き込んでのお遊びであった。
今までは、孫が気に入っているという理由でかなり大目に見てきたつもりだったが、今度の事で我慢の限界に達したといっていい。
要するにライナルトはディートハルトを自身の政敵とみなしたのである。
『ゲレオンよ。
ディートハルトをアグネスから引き剥がしたいのだが何か良い手はないか?』
『誰に気兼ねする必要がありましょう?
陛下の権限で、ディートハルトを解任すればよいではないですか』
『わしが強権を発動して解任すれば、アグネスに嫌われてしまう。
面倒な事にアグネスは奴を気に入ってしまったのでな』
『なるほど……
要するに、姫様と仲違いさせたいワケですね?』
『まあ、そういう事だ』
『そうですね……
では、姫様の学習時間にディートハルトも同伴させればよいでしょう』
『ん? というと?』
『学習内容は、政治や軍事に関する国家に大きく関わるものが良いでしょう。
適当に、授業をしながら問答し、奴に恥をかかせるのです。
奴が答えたくない、答えられない問いをとにかく投げかけてください』
『なるほど、アグネスに幻滅させるのか』
『左様……
注意点をあげると、奴がどんなに噛み付いてきても、無礼な発言をしても、決して感情的になってはなりません。
陛下はディートハルト、姫様の両者に対し、優しく接しながら、奴をいかに感情的にさせるかが問われます』
『感情的か……
このところ歳をとったせいが、さらに気が短くなってのう。
元々、短気な方ではあるし……
だが、孫のためじゃ、努力せねばなるまい』
『奴が、陛下に噛み付けば噛み付くほど、姫様は奴に落胆します』
『試しにやってみるか……』
この三者授業は功を奏し、アグネスはディートハルトに幻滅していった。
「しかし、問答をしてわかったが、あそこまでヴェルナー思想に染まっているとはな……」
「平和主義という奴ですか……
いやはや、皇太子様は頭の中がお花畑すぎる」
「まあ、アグネスが奴を一言でもはっきり『嫌い』と言えば即解任する」
「解任? 随分と優しいですな……」
「流石に、ハルトヴィヒの息子をこれだけの理由で処刑するわけにもいかんだろう?
エンケルス騎士団を今敵に回すのは愚策というものだ」
皇帝としては、特に問題が起こらなければ消す事に躊躇いはない。
今日まで、数え切れないほどの人間を排除してきた。
エンケルス騎士団うんぬんは建前である。
ただ現状、殺してしまうとやはりアグネスに嫌われるのでは? という不安がある。
既に、自分が死んだ時、泣いてくれる人間はもはやアグネスしかいないのでは? とすら思っていた。
「しかし……
よく考えてください陛下。
もし、このまま奴と姫様が親密になっていれば。
将来、奴はきっと、姫様の覇業に水を差しますぞ」
皇帝が死に、アグネスが皇帝に即位して大陸統一を目指しても、傍らにいれば、余計な事を進言するのは目に見えている。
「それは確かにそうだが……」
今まで、アグネスを可愛がる人間、敬う人間はいても、同レベルに自分を落とし込んで一緒に遊ぶ人間はいなかった。
『お前は小学生か!』と怒鳴りたくなるようなことを平気で行う護衛。
それは同世代の友達がいない一人の少女の心を満たす行為だったかもしれないが、皇帝に同格の者など不要。
アグネスは生まれついての皇帝なのだ。
現皇帝は、ディートハルトが単純に気に入らなかった。
「護衛はその護衛対象と顔を合わせる時間が必然的に多くなりますからな……
専属護衛をつけるならむしろ女性の方がよいのでは?」
「女性か……」
ゲレオンとしては、アグネスに悪い虫がつく事はさけたい。
ライナルトは老い先短く、皇太子は何処かで排除するとなれば、アグネスは晴れて皇帝となる。
その皇帝の婿となるのは自分でありたい、アグネスのお気に入りの護衛は事前に排除しておきたかった。
「しかし、わしの独断で解任したいところではあるが、やはり皇室の評議によって決めようかと思う」
「評議? 消極的すぎませんか?
過半数が続投を認めたら、やりずらくなりますぞ?」
「だが、強引にやればヴェルナーやハルトヴィヒが黙ってはいまい……」
「……まあ。陛下がお決めになる事ですので、これ以上は申しませんが」
皇帝の一存で解任したという事実をアグネスが知ったら嫌われる恐れがある。
あくまで評議によって公平に決めたという事実がほしかった。
……――……――……――……――……――……――……
「リーダー話があります」
ディートハルトが非番の日、イザークは仕事が終わるとディートハルトの居室を訪ねていた。