死闘遊戯 ニ
「ここですね、『①』場所は……」
アグネスが案内されたのは上級使用人の部屋の一つであった。
「む~、この部屋に一体何があるのかのう」
アブネスは身分の差なのかノックもせずに扉を開ける。
「む?」
部屋の中央にはアグネスの侍女ユリアーネが黒いマントを羽織って仁王立ちしていた。
「ふっふっふ……お待ちしておりました。ここで姫様を止めるのが私の役目」
ポーズこそ決まっているものの、台詞は完全に棒読みである。
しばしの間、常軌を逸した侍女の行動にあっけにとられたアグネスであったが、すぐに気を取り直して反撃に転じる。
「どういうことじゃユリアーネ! さては余の事を裏切りおったな?」
「左様……今日の私はディートハルト様の忠実なる僕……」
「なんじゃと? おのれディートハルト~余の侍女に手を出すとは~!」
(一体なんなんだこの流れ……
まあ、リーダーが根回ししているんだろうけど……
それにしても姫様はノリノリだな)
「では、第一問!」
ユリアーネがびしっと人差し指を立てる。
「むむっ?」
「この数独をといてください」
ユリアーネは何やら数字の書かれた紙を広げる。
「なんじゃこれは!」
「え~っと、ではルールを言いますね。
これは空白に数字を入れていく問題ですが。
ひとつマスに1~9のうち、ひとつの数字を入れます。
縦の列に同じ数字があってはいけません。
横の列に同じ数字があってはいけません。
3×3のひとつのボックス内に、同じ数字があってはいけません。
ルールは以上となっております。
さあ、姫様! このわたくしの挑戦を受けてくださいますか?」
「望むところじゃ~!」
アグネスは威勢よく紙をひったくるようにして奪い、数独と睨めっこを始める。
「む~?」
闘志に漲った目は、一瞬にして死んだ魚の目に変わり、5分が経過した。
「むずかしい!!」
アグネスが問題に対して青筋を立てて怒りを露にする。
「はい? え? あ…そ…そうですか?」
(ど…どうしよう……)
ユリアーネは顔面蒼白になる、絶対権力者の孫の怒りに触れたかもしれないからだ。
「イザークさん! フォローしてあげてください。
このままじゃ、ユリアーネさんがかわいそうです」
見かねたカミルが、未だあっけにとられているイザークに助け舟を出すように促す。
「あ、う…うん。
姫様、おそらく、ここには『9』が入るかと……」
「む? どういう事じゃ?」
「つまりですね、この列に、『5』と『3』と『7』があり、こっちの列には~」
イザークはアグネスには説明しながら、数独を解いていった。
「ほほ~! イザークはさすがじゃの~」
「大した事では……」
「これでどうじゃ~!!」
アグネスは得意げに、数字の埋まった紙をユリアーネの顔に突きつけるようにしてみせる。
「ぐわ~! やられた~~!」
ユリアーネは胸を押さえながら苦しみ始め、地面に倒れてしまう。
あからさまな演技であるが、アグネスは特に気にすることなく、ユリアーネに駆け寄った。
「ひ…姫様。私はもうダメです。その前にこれを」
「正気を取り戻したのかユリアーネ」
ユリアーネは紙切れをアグネスの手に渡す、紙切れにはアルファベットが一文字だけ書かれていた。
「むむ?」
「なるほど、そういうワケですか……」
カミルが渋い顔で、そのアルファベットを見て悟ったような事をつぶやく。
「どういう事じゃ?」
「姫様……おそらく他の数字の書いてあった場所に、それぞれの刺客がいて同じようなアルファベットの書かれた紙を持っているのでしょう」
「なんと……」
「そして、その紙のアルファベットの文字が我々の捜し求める『答え』かと」
「なんじゃと~! ディートハルトめ、手の込んだ真似を!」
(ホント手が込んでますよね……)
熱く燃えるアグネスとは対照的にイザークは冷めていた。
「姫様、『②』へ行きましょう」
カミルは熱く燃えるアグネスをすかさずネクストステージへ向かうよう誘導する。
「うむっ! 案内致せ!」
「はっ!」
……――……――……――……――……――……――……
闘技場に悲鳴や歓声があがる。
攻撃をかわし続けていたディートハルトが遂に手痛い一撃を受けたからだ。
相手の振るうツヴァイハンダーをかわし胴を薙ごうと相手の懐へ飛び込んだその時、予期していなかった返し技を受けた。
それは貫手や角手のような指を突き刺す技であり、リザードマンの尖った爪は鎧を貫通したのである。
「ぐっ……」
呻き声をもらし、大きく後ろへ飛び退く。
相手の再生が追いつかないように懐に飛び込み、大ダメージを与えるつもりであったが、人間では考えられない反撃を受けてしまう事で戦法の変更を余儀なくされる。
鎧の上からの攻撃であったため、傷は浅く戦況が大きく傾くような致命傷を受けたわけではなかったが、精神的にこたえる一撃であった。
(くそっ、まさか爪を刺してくるとは……迂闊だった)
ディートハルトは下がりながらも相手に斬りつけ、傷を負わせるが、リザードマンは血を流しながらも怯むことなく追撃する。
「遂に攻撃を受けましたね……とはいえ。
鎧の上からでは然したるダメージは与えられていないでしょう」
ゲレオンは、観客の悲鳴や歓声とは対照的に冷めていた。
所詮は他人事だからである。
「だが、今のでメンタルはかなり追い込まれたぞ。
予備知識がない状態で、人間ではできない動きをされては予期しようがない」
皇帝は、攻めあぐねていたディートハルトが、防戦一方に移行しつつあるのを、自分の分析が証明されたといわんばかりに嬉しそうに眺める。
「陛下の読みどおりというわけですかな。
しかし、何故、こうなると?」
ホラーツは闘技にはあまり興味がなく、何故技術で勝るディートハルトがこうも押されるのかを理解できかなかった。
「リザードマンは勘が鋭い」
「といいますと?」
「リザードマンは知能こそ人より劣るものの脳自体はとても発達している」
「R領域という奴ですか?」
「流石、ゲレオン。
生存本能をつかさどるというR領域だが、戦闘において、発達した彼らの直感は正解を導きやすい」
「……といいますと?」
ホラーツには皇帝の言わんとしている事がわからない。
「わかりやすく言えば、4択の問題があるとする。
100%勘に頼った時の正解率は?」
「25%ですかな」
「そう。
だがそれは人間の場合。
大雑把に言えば、リザードマンの場合はこれが25%を超えるといった感じだ」
「にわかには信じがたい話ですな……」
戦闘や血なまぐさい戦いにそこまで興味を持てないホラーツには理解できなかった。
稀に『勝負師の勘』という言葉を聞くが、数学に基づき設計されたギャンブルにおいて、客が100%運で勝負している場合。
必ず店が勝つ様にできている。勘だけで勝てる人間などいるわけがない。
「具体的な例でいえば、戦いにおいて、相手の剣をかわすとしよう。
右に避ける、左に避ける、後ろに飛び退く、受けるのを覚悟で前に突っ込む。
複数の選択肢が存在する。
熟練の剣士であれば、自分の持ち技、相手の利き腕、流儀、型、癖を見極め、最適解をはじき出すだろう。
しかし、リザードマンの場合は、発達した生存本能だけで最適解をはじき出すのだ」
「R領域は爬虫類脳とも呼ばれます。
まさにリザードマンといったところですね」
「ディートハルトには、今あのリザードマンが戦いの天才に見えている筈じゃ。
致命傷を的確に避け、思いもよらぬ反撃を行ってくる。
こうなってしまえば、戦いの勘というものを思考が邪魔してくる。
『相手はこっちの動きを読んでいる?』『最初からこれを狙っていた?』など、心に疑心暗鬼が生まれ、いわゆる迷いが生じてしまうのじゃ。
種を明かせば、相手は思考ではなく生存本能に従った結果にすぎんのにのう。
こうなってしまえば、人間の方がいくら知能が高かろうと遥かに分が悪い」
「しかし、よく研究されていますな。
帝国がそこまでリザードマンを研究していたとは意外でした」
リザードマンの生態を詳しく解説をする皇帝に感嘆の声をあげるホラーツ。
「フッ……帝国にとって、リザードマンはいずれ戦う相手。
研究しておくのが吉というものだ」
「という事は、捕らえた個体は……というよりもあの個体は……」
「そうだ、研究のため捕獲した一匹に過ぎん」
皇帝がニタッと笑った。
今ここで戦っている間にも帝国ではリザードマンの研究が行われている。
解剖、非人道的な実験は勿論、皇帝のやつあたりまがいの処刑も行っていた。
「しかし、遠く離れた湿原まで行って捕獲するのは、手間とコストがかかるのでは?」
「もののついでた」
ゲレオンは皇帝に視線を向け、皇帝がうなづく。
「ホラーツ……
実は、今、スカンデイアに入植を行っておりまして」
スカンデイアとは亜人圏にある大きな島で、獣人族が支配する領域であり、リザードマンの生息する湿原の南西に位置している。
ゲレオンは皇帝の命により、極秘でこの島に入植を試みるよう任務を受けていた。
船をわざと座礁させ、致し方ない状況つくり、人を一時的に住まわせる。
今のところ、獣人族は快く思っていないものの、争いを避け、追い出すような真似はしていない。
軒を貸して母屋を取られるという言葉があるが、まさに軒を借り、母屋を奪おうというわけである。
「なんと!」
「表向きは、スカンデイア島に船が座礁して、救助がくるまでの間、一時的に土地を借りているという事になっております故。
お人好しの皇太子様が知れば、獣人側に情報を漏らすかもしれませんし。なのでこの事は伏せておりました」
「なるほど、スカンデイアに物資を送るついでに、リザードマンを捕獲しているというわけですな」
それに、スカンデイアを抑えれば、湿原攻略は容易になりますね」
「そういうことよ。
余はアグネスの覇道のため、影ながら支えておるのじゃ」
側近二人には、孫の覇道を支えるというよりも、孫に自身の復讐を遂げさせるという行為にしか見えなかったが、そんな事は些細な違いに過ぎなかった。0