論功行賞
ライナルトが皇帝に即位して真っ先に取り掛かった政策の一つに、教育機関の設立と義務教育制度の制定がある。
基本的に内治は騎士団長の裁量に任せているところも大きいが、この政策に関しては国家全体で取り組ませていた。
各地に大小いくつもの教育施設を作らせ、国民を教育するのである。
これの本当の目的は、教育というよりも、思想教育と国民の選別であった。
他州を侵略し支配しているため、国家に恨みを持つ国民は多いし、今後も多くなるだろう。
それを長い目で減らしていき、自分を崇拝するように仕向けるのが目的である。
また、無能と有能を仕分けるため、教育機関に定期的に試験を行わせて、成績の低い者の身分を下げ、成績の良い者の身分を上げるようにもした。
元からいた貴族などは、その権力を認めても、その子供らに権力を引き継がせる事を禁じている。
皆平等に試験を受けさせ、無能を排除しようとしたのだ。
しかし、自分の一族である皇族の権力だけは絶対視していた。
これは、有能だが、自分に恨みを持つ者達が政治の中核に入ってこれないようにするためである。
皇室と呼ばれる、皇族だけで更正された統治機構が、国家全体の核となる政治・政策を行う。
皇族が認め特権を与えた者は、皇室に迎え入れて、政治を手伝わせる事もあるが、あくまでその特権を与えた皇族の補佐に止まらせた。
ちなみに、皇族ではなくても、アーネット家、エンケルス家、クーニッツ家には特権を与え、地方を支配する統治機構としての「騎士団」を名乗る事を許している。
ライナルトは皇族であっても無能は皇室から排除する方針であり、無能な皇族に関しては、第一皇子のヴェルナーが騎士団長を勤めるフォルスター騎士団に送っていた。
フォルスター騎士団は要するに皇室の二軍扱いである。
なお、ヴェルナーの弟である、ヘルフリートとオスヴィンは皇室に招かれ、ヘルフリートに至ってはライナルトの補佐を担っている。
……――……――……――……――……――……――……
建国してから二年後。
皇帝は、州の支配者である騎士団長や重臣達を宮殿に呼び集め、懇談会と論功行賞を行った。
建国後はまだ一度も大規模な遠征をおこなっていないため、家臣の評価は国力を何処まで上昇させたかが問われる。
つまり、どれだけ本国に税金を納めたかが評価の対象になるわけだが、土地の豊かさの問題があるため、単純に税額が評価に繋がるわけではない。
ノルマを定め、去年の納税額との対比、つまり昨対を考慮して評価を行っていた。
ここで、ノルマを見事達成し、郡を抜いて国力を上昇させたのはクリセ州を治めるハルトヴィヒであった。
一方、バルティア州を治めるルードルフは、ノルマどころか、昨対を下回ってしまう。
メソガエア州を治めるヴィクトリアは、昨対を上回り、上昇させたものの、定めるノルマは達成できなかった。
オルテュギア州は皇帝の直轄領であるが、ヴェルナー率いるフォルスター騎士団にはオルテュギア西部の州境に面する僅かな領地が、対リビュア州の備えとして与えられていた。
西部は、リビュア州とのいざこざで戦場となる事が多く、オルテュギア州では、もっとも荒廃している土地である
当然、ヴェルナーにもノルマが課せられていたが、ヴェルナーはノルマを達成できなかった。
4人の騎士団長は皇帝の前に膝をつき、言葉を頂戴する。
「ハルトヴィヒよ。
長い戦で荒廃しきったクリセをまさかここまで復興、発展させるとは思いもよらなかった。
そなたの父上もきっと誇りに思う事であろう。
真に見事である。褒賞としてこれを受け取るが良い。」
「ありがたき幸せ。」
(ルードルフよ! これが私の実力よ!)
ハルトヴィヒは涼しい顔で皇帝から、多大な恩賞を受け取った。
「ヴィクトリアよ。
ノルマは達成できなかったが、女性統治を嫌う民が多い中、よくぞ国力を上昇させた。
今後も、街の発展に励むが良い。」
「次こそは、必ずや定められた目標を達成して見せます。」
「ルードルフよ。
今回は少し残念な結果であったな、反省し、次に活かすが良い。
昨対を下回ったからといって、罰を与えるつもりはない。」
「はっ! 申し訳ございません。
陛下の期待に応えられるよう精進いたします。」
「良いか? お前の武勇は誰よりも信頼している。
まあ、いましばらく辛抱だ。まずは地盤を固めねばならぬ。」
「必ずや、陛下に勝利を献上します。
ヘスペリア州など、一年で平らげて見せましょうぞ。」
「うむっ! 期待しておるぞ!」
各騎士団長に結果を問わず労いの言葉をかけた皇帝であったが、ヴェルナーには激励も叱責もせず、何も言葉をかけずに空気として扱った。
論功行賞が終わり、引き続き懇談会が行われる。
宮殿の大広間を会場として使い、大規模な立食会がおこなれ、卓上には豪華絢爛な料理が並ぶ。
「ふっふっふっ。女は強い者に惹かれるか……
強さを誇示する機会がなくては、致し方ないなルードルフよ。」
「…………。
ふん、遠征が行われるまでの間、せいぜい吠えているがいいわ。」
立食形式の懇談会では、早速、一位をとったハルトヴィヒが最下位のルードルフに対し嫌味を飛ばし始めた。
「負け犬の負け惜しみを聞いても致し方ないのだが……
ん?」
「あれは?」
二人の視線の先には、ヴィクトリアがドレスを着て歩いていた。
誰かを探しているようである。
論功行賞では、軍服を着ていた筈だが、いつ間にか着替えて戻ってきていたのだ。
いつも、こういう場であっても軍服を着ているので、二人にはそれがとても新鮮に思えた。
「さて……敗者に鞭を打つのはここまでにしておこうか。
ルードルフよ見ておけ、今回一位を取った男の実力を見せてくれるわ!
強さとは、何も武力だけではないという事をな!
昨対すら下回った貴様はすっこんでいろっ!」
「……おのれ!」
この時のルードルフの顔は正に無念の表情であった。
悔しいが、ここまで差をつけられている以上、ハルトヴィヒの言うとおり、何を言っても負け惜しみにしかならないだろう。
歯軋りをしながら、ヴィクトリアの方へ向かうハルトヴィヒの背中を見つめていた。
「ヴィクトリア殿!
相変わらずお美しい。」
ハルトヴィヒは笑顔を作りきさくに話しかける。
「これはハルトヴィヒ殿、この度はおめでとうございます。」
「いやいや、運が味方しただけだ。
元々、騎士団連合はクリセを治めていたわけだからな。
他州を唐突に治めようとしてもうまくいかないのは当然の事。
エンケルスにメソガエア州を与えられていたら結果はどうなっていたかわからない。」
(まあ、どこぞのバカ騎士団長は、クリセ州を与えられていても国力を低下させていただろうがな。)
「ご謙遜を、ハルトヴィヒ殿の力ですよ。」
「ハハッ! そういって貰えるとありがたい。
それより、この後……」
「あ!
それではまだ、挨拶しなくてはならない方がおりますので
これで失礼しますね。」
ヴィクトリアはお辞儀をして早足で去っていった。
「くっ! まだチャンスはある。」
「ふはははは!」
ハルトヴィヒの背後から、笑い声が聞こえてきた。
「全く相手にされておらんではないか!
所詮、貴様はガリ勉メガネに過ぎぬということだ!」
「私はガリ勉なんかじゃない!」
「ではガリ勉を取ってメガネと呼ぼう! 今度は私のターンだ!
メガネはすっこんでろっ!」
「……ぐぬっ!」
ルードルフがヴィクトリアの後を追うため、ヴィクトリアを探すと、ヴィクトリアはヴェルナーの元へと向かっていた。
「ヴェルナー様!」
「おおっ! これはヴィクトリア殿。」
「何をじろじろ見ているんですか?
どこも破れてはいませんよ?」
「いや、思わず見惚れてしまったよ。」
親しそうに会話を始めるのを見て、二人の騎士は衝撃を受けた。
論功行賞では、完全に空気として扱われ、皇帝からは陰湿なイジメを受けた相手だからである。
誰も、最高権力者が露骨にイジメている者とお近づきになりたいとは思わない。
懇談会でもヴェルナーに話しかける者は殆どいなかったからである。
「なん……だと……」
ルードルフは正に絶句する。ありえないものを見た気がしたからだ。
「西部の開拓はどうですか? うまくいっていますか?」
フォルスター騎士団は皇帝の命により、リビュア州に備え、西の守りとなると共に、荒れた土地の開拓を行っていた。
しかし、土地が予想以上に荒れており、中々成果が上がらない。
「ああ、ヴィクトリア殿のアドバイスを元にしたら、少しずつだけどよくなってきてはいるね。」
ヴェルナーから話を聞いたヴィクトリアは、メソガエアの農家から情報というか開拓のノウハウを集め、それを文にして送っていたのだ。
「それはよかった。」
二人はあの一件以来、会ってはいなかったが、あの後、ヴィクトリアは思い切って、ヴェルナーに手紙を送った。
手紙の内容は、取るに足らないものであったが、ヴェルナーは直ぐに返事を返し、それからというもの互いに良き相談相手となり、いわゆる文通を行っていたのである。
「ヴェルナー様、この後、お時間はありますか?」
「時間? あるけどどうしてかな?」
「あの時、借りた上着をお返ししたいのです。」
「まさか持って来たの? 返さなくてもいいと言ったのに。」
「それなら、私は必ず返すと言いました。
借りっぱなしでは、アーネット家の沽券に関わります。」
「ははっ! それもそうだね。
とりあえず、ここじゃなんだし、一度外へ出ようか?」
「はい。」
二人は楽しそうに会話をしながら会場を後にした。
「…………。
まさか、ヴィクトリア殿がヴェルナー様に接近していたとは。」
(冷遇されているとはいえ、嫡男ではあるし、ヘルフリート様は早々に結婚してしまわれたからか……)
一緒に会場を出ていくという事は、既にそれなりの仲であるのは間違いないだろう。
皇族では相手が悪いとハルトヴィヒは思った。
「ルードルフよ。
この勝負、引き分けだな。」
ハルトヴィヒは、会場に容易されたワインをボトルごと取ってきていた。
この際、過ぎた事は忘れて、飲もうというわけである。
が、しかし――
「何を言い出すかと思えば、まるで、互角の戦いだったみたいな口ぶりだなメガネよ。
残念だが、貴様と同格扱いされるいわれはない。」
二人揃って撃沈された以上、関係を修復しようと思ったハルトヴィヒであったが、もはや友情の修復は不可能だった。
……――……――……――……――……――……――……
懇談会の会場を出たヴィクトリアとヴェルナーの二人は、ヴィクトリアの滞在している部屋へと向かう。
「その……ユルゲン殿は?
本当の事をお話したのですか?」
ヴィクトリアはあの時以来、気になっている事を聞いた。
「ん? そうだね。
包み隠さず、全てを話したよ。」
「それで?」
「今は、西部に移住し私に仕えているよ。」
ヴィクトリアは予想していなかった答えが返ってきて驚いた。
娘が死んだ元凶の息子に仕えるとは、理屈でわかってもそうできる事ではないからだ。
「……それは。
よかったと思います。」
「実はね、あの一件で踏ん切りついたというか、私には夢ができたんだ。
それで、ユルゲンには夢の実現のため協力して欲しいと伝えた。」
「夢? ですか?」
突然、ヴェルナーがまるで子供の様なことを言い出して面食らうヴィクトリア。
第一皇子であるヴェルナーが一体何になりたいというのか。
「そう……」
「お聞きしても?」
ヴェルナーは一瞬、考え込んだが、ヴィクトリアの目を見て決心したように口を開いた。
「皇帝になりたいんだ。」
それは意外な答えであった。
皇帝の嫡子である者の答えとは思えないし、その答えが真実だとすれば、今までは皇帝になりたくなかったのだろうか。
「……それはその意外ですね。
第一皇子のヴェルナー様の夢にしては……」
「そうかな?
今までは、自分の力量を理解していたし、弟のヘルフリートは優秀だし、父も気に入っている。
だから、帝位は弟が継げばいいと思っていたんだ。
自分としては、父の役に立てればそれでいいってね。」
「それが変わったと?」
「ああ……
あの一件があって、ヴィクトリア殿はその当事者だから言うけど。
父は人として愚物だ。」
最高権力者を貶める発言は、誰かに聞かれでもすれば自身に不幸を招くが、ヴィクトリアを信頼して、正直に思っている事を言った。
「……それは。」
ヴィクトリアは主君を悪く言うものではないと思いつつも、実際、ライナルトは気性が激しいし、他人を見下し、お世辞にも人格者とは言えない。
それを身を持って体験している以上、何も言えなかった。
「権力を持つと人は変わってしまうとしてもね。
あの時、自分は第一皇子ってだけですごく無力な存在であることを噛み締めたよ。」
「そんなこと……」
「実の父親を諌める事もできない。
まあ、要するに父に堂々と意見できるよう、強くなりたいって事かな……」
「ヴェルナー様ならきっとなれますよ。
私も力になります。」
「ありがとう。」
「しかし、嫡子である以上、皇位継承において優位なのでは?」
決して優位ではない事はヴィクトリアも知っているが、敢えて聞いてみる。
この問いに対し、ヴェルナーがどう答えるか気になったのだ。
「どうかな……
父は、能力主義を徹底しているからな。」
ライナルトは例え皇族であっても無能はいらないとして、能力の低い一族はフォルスター騎士団に送り厄介払いする。
また、フォルスター騎士団で頭角を現す皇族がいれば、皇室に招き入れるのだ。
ライナルトが政治の中核を一族だけで行うのは、単純に素性の知れない者を置きたくないからであり、特に一族意識が高いわけではない。
つまり、今後ヴェルナーの能力が伸びなければ帝位を与える気はないのである。
「このまま行けば、まず間違いなくヘルフリートになるよ。
それに、ヘルフリートは考え方が父に似ているから、父に好かれている。」
「……しかし、それは前から分かっていたことですよね?
皇帝になりたいと思ったからには何かしらの勝算が?」
「ん~。正直に言ってしまうと別に勝算があるわけじゃない。
ただ、父は結果を重視するから、例え私を嫌い冷遇していても、私が弟以上の結果を残せば帝位を譲る可能性はあると思っている。」
「つまりヘルフリート様よりも結果を出せると?」
ライナルトの能力主義や、結果を重視するのは周知の事実だが、ヴェルナーが冷遇されてきたのは結果が出せないからである。
「ヘルフリートは今、父の補佐をしているし、父の評価も高い。
逆に私は、荒れ果てたオルテュギアの僻地に送られ、生贄というか敵の備えにされている。
敵が攻めてきたら死ぬ可能性も高いわけだよね。」
「そうですね。正直に言ってしまえば、扱いの時点で大差がつきすぎていると思います。」
「だけど、それだけにチャンスというか、逆転はしやすいと思うんだ。
何ていうか、中央から厄介払いされているけど、騎士団長で領地を与えられている以上、自分の裁量できることが多い。
逆に、ヘルフリートは中央にいる父にくっついていないといけないわけだから、自分の裁量でできる事は少ない。
悪条件を跳ね返したら、それは大きな結果として認められる筈だ。
荒れ果てた地方を発展させ、敵が大軍で攻めてきてもそれを撃退するなりすればね。」
「なるほど……」
ヴィクトリアは確かにライナルトはヴェルナーを冷遇しつつもチャンス自体は誰よりも与えているとは思った。
勿論、不意に隣国が攻めてきて、ヴェルナーが守りきれず討ち死にしても、それはそれでよいのだろう。
厄介払い成立で、晴れてお気に入りの次男に継がせればいい。
とはいえ、政にしろ、軍事にしろ、ヴェルナーが結果を出しさえすれば、嫡子だしヴェルナーを皇帝にしてもいいとは思っている。
だが、問題は、現時点であまりにも悪条件すぎるという事に尽きる。
「確かに、チャンス自体はあると思いますが……
結局の所、それで結果を出せますか?」
「試してみたい事がある。
それで結果が出せるかどうかはわからないけどね。
ただ、ヘルフリートが不利な点として、弟はあくまで父の補佐であって、自分の好き勝手に人を動かせるわけじゃない。
何をするにしても、父の顔色を伺わなきゃいけないし、失敗すれば父のミスであっても責任を負わされる。
そういう点では私が有利かな。
私は自分の領内ならまつりごとも軍事も好き勝手できるからね。
それにこの戦いは団体戦だ。
私個人が戦うわけじゃない。」
ヴィクトリアはヴェルナーの顔つきが以前と大きく変わっている事に気がついた。
何というか活き活きしており、それを見ていると自然と応援したくなるというか自身も嬉しく感じた。
「まあ、ヴィクトリア殿。見ていてくれ!」
活気に満ちた表情で、熱く語る。
「……その、ヴェルナー様の試したい事とは?」
「それはまだ内緒だ。
ヴィクトリア殿なら、信用しているし伝えてもいいのだが、もしうまくいかなかったら単純に恥ずかしいからね。」
この時、ヴィクトリアは夢の実現に燃えるヴェルナーを見て嬉しく思うと同時に、自分をあまり頼ってくれない事に不満を覚えた。
そうこうしている内にヴィクトリアの部屋の前まで辿りつく。
「もしよろしかったら、入っていきますか?
メソガエア産の紅茶やお菓子などがございますよ。」
「あ~いや。
何処で誰が見ているかわからないし、私がヴィクトリア殿の部屋に入るのは不味いだろう。
ヴィクトリア殿が私に近づこうとしているとか、変な噂が立つかもしれない。
ここで失礼するよ。」
ヴェルナーとしては男である以上、入りたくて仕方がなかったのだが、自分とヴィクトリアが親密になる事で、ヴィクトリアに不幸が及ぶのではないかという事を懸念していた。
弟とは決して兄弟仲が悪いわけではないが、それは、今まで自分は冷遇され、皇帝に最も近いのは弟だからであり、もし、自分が皇帝の座に近づく様な事があれば、弟がどういう行動に出るかわからない。
ヘルフリートは常に損得で動く人物であり、ヴェルナーが自分に損を与える存在と認識したら排除しに動き出すだろう。
ヴェルナーは貸した上着を受け取ると、そのまま自分の部屋へと戻り、その後、部屋に入らなかった事を死ぬほど後悔した。