ヴェルナー・フォルスター
「一体何が?」
中庭の中心にある噴水で休んでいるヴェルナーの元にヴィクトリアが現れた。
皇帝の部屋の方から爆音を聞き、何かしらの襲撃である事も考え、確認しに引き返したのである。
ところが、事態を収拾するべく動いている情報局の者達から事故であって何でもないから、部屋へ戻るよう強く言われてしまい、仕方なく戻る途中で、血痕を見つけた。
気になって血痕を辿っていったら、噴水で休むヴェルナーに辿り着いたという訳だ。
「それはこっちの台詞だよ、ヴィクトリア殿。
どうして、父上の上着を羽織っているのかな?」
「……それは。」
「大体、想像つくけどね。」
口篭るヴィクトリアを見て、言及するのをやめる。
言いたくなくて当前と思った。
「あまり慌てておりませんね? やはり先ほど聞こえた爆音は……」
「私が父上を怒らせてしまった。
まさか、魔法を放つとは思いもよらなかったよ。
情報局の者がとっさに私を抱えて場を離れていなかったら重傷を負っていただろう。」
ヴェルナーはそう言って、自分の足を見る。
刺さった破片が痛々しい。
「……その傷!」
ヴィクトリアは慌てて駆け寄り、躊躇わずドレスの裾を契った。
「おい! その様な事をしなくても明日になれば、医者に……」
「既に破れていますから。
それに、私は騎士です。負傷した兵の応急手当くらいはできます。」
ヴィクトリアはヴェルナー言葉を遮るように強い口調で言い放つ。
羽織っていては手当てしにくいため皇帝の上着を噴水の縁に置いた。
ドレスは破れ、胸元が大きく露出しており、首筋から胸元にかけて、三本の引っかき傷がヴェルナーの目に止まる。
ヴィクトリアがその視線に気づくと、ヴェルナーは慌てて視線を逸らした。
ヴィクトリアはしばし唖然とした後、唐突に吹き出した。
「何がおかしい!」
頬を赤くしたところを笑われ、恥ずかしそうに怒るヴェルナー。
「……いえ。
陛下とのギャップがあまりにも……」
「……すまない。
まさか父が……」
自身の父の所業を思い、ヴェルナーは胸が痛くなった。
「ヴェルナー様が謝る事では……
それに私が馬鹿だったのです。憧れの皇帝陛下からの食事のお誘いに舞い上がっておりました。
しかし、気性の激しい方であることは理解できましたが、あれ程の魔法を放つとは流石に尋常ではありません。
お聞きしても?」
ヴェルナーはしばらく考え込んでいたが、今更父の名誉も何もないと思い話す事にした。
「……カーヤという宮中で働くメイドの子がいてね。
ある日突然、行方不明になったんだ。」
「その原因が陛下……という事ですか?」
「この厳重な警備体制を敷いている宮殿で、誰に気づかれる事なく人が消えるなんてありえないだろ?
本来この様な事が起きれば、大抵、情報局が大騒ぎしはじめる。
他国の諜報機関の者だった可能性があるからね。
必要な情報を手に入れて、本国へ帰還したと考えるのが自然だ。
ところが特に気にしている様子がない、その子はかなり可愛いくて評判だった事もあって、これには父上が絡んでいると思ったよ。
情報局が従うのは父上だけだから。
その子の父親はユルゲンといって、私とはわりと親しい間柄でね。
彼に、娘を探してくれと泣きつかれて。
だから、真偽を確かめるためと、犠牲者を増やさないため釘を刺そうと父の部屋に行ったんだが、色々とタイミングが悪かったようだ。」
ヴェルナーは深いため息をついた。
ヴェルナーはタイミング悪いと言ったが、ヴィクトリアはむしろグッドタイミングだったと思う。
もし、ヴェルナーがこの件で皇帝に会おうとしていなかったら、自分は今頃……
「……ヴィクトリア殿。
ありがとう、もういいよ。
後は明日、医者に見せるから。」
手当てを切り上げヴェルナーは立ち上がる。
「わかりました。必ず直ぐに行ってくださいね。」
「ははっ……わかったわかった。
本来だったら、ここでヴィクトリア殿を部屋まで送るべきだろうが、この足とあんな事があった日だ。
ここで解散としよう。」
「……ヴェルナー様は、誤解しておられるような気がしますので、この際、お聞きしますが。
陛下と私との間に何があったと思っていますか?」
「それはその……」
はっきり言っていいものかと口篭るが、聞かれた以上は言っていいだろうと判断した。
「いわゆる……その……辱めを……」
言いにくそうに言うヴェルナー。
それを聞いて吹き出すヴィクトリア。
「違うのか? まさか本当に合意の上で!?」
面くらうヴェルナーを見てさらに笑い出す。
「違いますよ。
確かに私は、その……乱暴されそうになりました。
ですが、その時、情報局の者が来て、陛下も行為には及べなかったのです。
ドレスを破られるだけで済みました。
ヴェルナー様のおかげですね。」
「……そうだったのか。
すれ違ったとき、足取りと表情が暗かったのででっきり……」
行為には及ばなくても、主君からそんな事をされれば暗くもなるかと考えを改める。
「……というか、陛下は合意の上でと言っていたのですか?」
「ああ……
まあ、仮に私が調べたところで、ヴィクトリア殿が話を合わせると踏んだんだろう。
普通に考えれば、絶対的権力者に逆らう訳にもいかないからね。」
確かに、後日ヴェルナーが来て真偽を問われても、ライナルトに話を合わせていただろうとヴィクトリアは思う。
改易されれば、親族、家臣が路頭に迷うのだ。
「その足……
やはり、私がヴェルナー様を部屋まで送ります。
私の肩をお使いください。」
ヴィクトリアは返事も聞かずにヴェルナーの手をとり肩を貸す。
女性から肩を借りるのには抵抗があったが、この怪我で戻るのは正直、しんどく言葉に甘える事にした。
肩を借りながら、少しずつ自室へ戻る。
「そのユルゲン殿には、どう説明されるのですか?」
「……正直に話すよ。」
「それは?」
「仕方ないさ、気休めを言うわけにもいかない。」
「そうですか……」
娘の死を聞かされた父親はどの様な行動に出るのだろうか?
ましてや、その原因となった息子を目の前にするのである。
ヴィクトリアはヴェルナーの身を案じずにはいられなかった。
「それに……」
「それに?」
「あ、いや、何でもない気にしないでくれ。」
一瞬、ヴェルナーは気を許して今後の事を話しそうになったが、踏みとどまる。
下手すれば、ヴィクトリアを巻き込みかねないと思ったのだ。
「ところで、あの情報局の方は一体? 只者ではない事はわかりますが。」
ヴェルナーを重傷負わせることなく、その場から避難させた事や、怒る皇帝を目の前にして動じないところなど、並みの人間にできる事ではない。
「ああ、エッカルトか……
覚えていないか? 元フォルスター騎士団の副団長で、父の従兄弟だよ。
今は、情報局長に就任している。」
「元副団長?」
「父には兄弟がいなかったからね。
彼の事を実の弟の様に扱っているよ。
フォルスター騎士団自体は存続させたけど、騎士団にいた有能人材は父の側近として自分の周りに残しているよ。」
事実、フォルスター騎士団は、無能と烙印を押された者達の集まりとなっていた。
しかし、ヴェルナーにとってはむしろその方が居心地がよく、そこに不満はない。
「そんな!?」
「いやでも、そっちの方が正直、気が楽だからね。
むしろ好都合だよ。」
「……そうですか?」
「では聞くけど、エッカルトを副官にして一緒に仕事をしたい?」
感情を殆ど見せず、淡々としたエッカルトと仕事をするというのは確かに気が滅入るだろう。
冷徹に仕事をこなす完璧主義であり、気疲れするのは目に見えている。
ヴィクトリアは思わず笑ってしまい、首を横に振った。
「フフッ……確かに一緒に仕事をしたくはないですね。」
「正直言うと、小さい頃から彼は苦手だ。」
「しかし、失礼な言い方ですが、私、ヴェルナー様の事を見直しました。」
「……見直す?」
「あの陛下に、面と向かってものを言う事は、誰にでもできる事ではありません。
まあ、いくら頭に来たからといって実の子に火炎弾を投げつけるのも中々できる事ではありませんが。」
「買い被りだよ。
あれは、ヴィクトリア殿とすれ違ったからだ。」
「私と?」
「カーヤの事を問いただそうと向かっている最中で、あのヴィクトリア殿を見たら、頭に血が上ってしまってね。
怒りで我を忘れたというか、本来なら父上にニ三度怒鳴られたら、それですごすご引き返したと思う。
今、思えば恐ろしい事したなと……」
その後は、わりとくだらない事を話しながら歩を進めた。
部屋の前まで辿り着き、ドアノブに手をかける。
「ありがとう。
ここまでくれば、大丈夫だ。」
「ヴェルナー様、不躾ですが、一つお願いがあります。」
先ほどまでとは違い、急に改まった様子を見せるヴィクトリア。
「なんだい? 今日の事なら勿論口外しないよ?」
「その……この上着を陛下に返しておいていただけませんか?」
「……確かに、気まずいし、父上には会いたくないよね。
わかった。私が返しておくよ。」
ヴェルナーは苦笑いしながらライナルトの上着を受け取った。
「それと……」
「ん?」
「ヴェルナー様の上着を貸していただけませんか?」
「私の?」
「はい、この格好で部屋まで戻るのは色々と恥ずかしいですから。」
「いいよ。ちょっと待っていてくれ。」
ヴェルナーは自身の上着をとってくるとそれをヴィクトリアに手渡した。
「別に返さなくていいからね。」
「お言葉ですが、必ずお返します。
それでは、おやすみなさいませ。
明日は必ず医者に見せるのですよ。」
ヴィクトリアは微笑むと、上着を羽織って自分の部屋へと戻る。
今日がオルテュギアに滞在する最終日だったため、翌日にはメソガエアへと帰っていった。
……――……――……――……――……――……――……
ヴェルナーとヴィクトリアが自室へ戻っている最中。
皇帝は寝室とは別室でエッカルトと話していた。
「陛下……」
エッカルトは、爆音を聞き騒ぎ出した衛兵をなんとか押さえ事態を収拾し、困った顔で皇帝を見ていた。
「何か言いたそうだな?」
「流石に、州を一つ与えている騎士団長に手をだすのは不味いかと。
身分の低い者なら消えても、大して気にされませんし、どうとでもできますが。
騎士団長を消すにはリスクが伴います。
愛人にするなとは言いませんが、身篭ると非常に厄介ですよ。」
皇帝はめんどくさい事をとにかく嫌う。
ヴィクトリアを犯すなり殺すなりすれば、流石にセシリアが黙っていないだろう。
反旗を翻してもおかしくないし、身篭りでもすれば後継者争いに名乗りを上げるかもしれない。
エッカルトの主張に渋々頷いた。
「ふん……ヴェルナーは?」
「とりあえず怪我はしましたが、命に別状はありません。
これに懲りて、ヴェルナー様も反省するでしょう。」
「どうだかな……
あいつは、私やヘルフリートと違って、物事を損得で見ない、常に善悪や感情で動く。
経験則から言うと、感情で動く者は退き際を見誤る事が多い。
だからあいつを見ているとイライラするし、帝位を譲る気になれんのだ。」
「では、ヘルフリート様を?」
「このまま行けばな……」
皇帝には心の何処かで嫡男に帝位を譲りたいという気持ちはあった。
それが、ヴェルナーを厄介払いせずにあくまで冷遇に止めている理由である。
しかし、ヴェルナーの性格と能力を鑑みると、譲るに譲れないと自分に言い聞かせている。
何処かで自分の血が覚醒し、目覚しい成長を遂げるのではないかと期待もしていた。
だが、今回の一件で、ヴェルナーは皇帝の最も嫌う道を歩み始める。