ヴィクトリア・アーネット
皇帝ライナルトは、建国してからの3年間は地盤を固めるべく、大規模な遠征は行わないと方針を定める。
滅亡した群雄の残党狩りや、賊軍となりさがった者達を討伐することはあっても、他州に兵を挙げる事はしなかった。
皇帝ライナルト及び、領地を与えられた騎士団長達は、内治にやっきになる。
ライナルトは、誰が最も国力を上げるのか競わせていた。
セシリアが皇家へ娘を送り込む事を断念したため、ヴィクトリアはライナルトに密かな憧れを抱きながら、特に男性の誘いを受けることなく、職務に没頭していた。
某騎士団長二人の事は別に嫌いではなかったが、あくまで友人づきあいに止めている。
そんなある時、ライナルトが主催する式典の招待状が届く、ヴィクトリアは帝国の首都ともいうべき王都オルテュギアへと出向いた。
式典は重臣達を集めた立食会の様なもので、堅苦しいものではない。
ヴィクトリアは女性としてドレスを着るか、騎士として軍服を着るか迷ったが、ドレスを着ると騎士団長二人がうんざりする程お世辞を言ってくることが容易に想像ついたので軍服を着た。
式典が終わり、皇族や重臣、騎士団長達との挨拶も済ませ、明日にはメソガエアに帰還するという日の夜。
ライナルトから一通の書状が届く。
内容は、王都オルテュギアのある高級料亭で食事をしようというものであった。
ライナルトに憧れを感じていたヴィクトリアは喜んでこれを承諾した。
憧れの人からの招待だったため、ドレスを着込み、念入りにめかし込んで、指定の場所へと向かう。
その料亭は内装が綺麗なのは勿論の事、客は他に誰もおらず、貸切というのが伺えた。
皇帝は先に着ており、ヴィクトリアを出迎えるようにして手を差し出す。
ヴィクトリアはその手を取り、奥の席へと案内された。
白いテーブルクロスの上に2本のキャンドルが置かれ、給仕が料理とワインを運んでくる。まさに夢のような居心地であった。
食事が終わると、宮殿へと戻り、皇帝の寝室へと招かれる。
部屋に入ると、皇帝は置いてあるグラスに赤ワインを注いだ。
この時、ヴィクトリアは完全に皇帝の虜になっていたといっていい。
ベッドに腰掛け、とるにたらない会話をひとしきりした後、皇帝はヴィクトリアの顎に手をかけキスを迫る。
しかし、ヴィクトリアは横を向き。
「陛下、いけませんわ。」
と、キスを拒んだ。
ヴィクトリアは既に皇帝の虜となっている。
皇帝が女心を押さえ、最初のうちは紳士として接し、回数を重ねて徐々に段階を踏んでいけば、ヴィクトリアは完全に堕ち、愛人の一人となって身も心も捧げただろう。
だが、皇帝は強引すぎた。
この後、何度もキスを迫ろうとし、ヴィクトリアはそれを拒否しつづけたのである。
「陛下……貴方には奥様がおられます。
私とは決して結ばれぬ定め……」
何処かロマンを感じながら、三流小説に出てきそうな台詞を喋り出すヴィクトリアであったが、皇帝はいつまでたってもヤらせてくれない女に怒りを感じはじめていた。
「勘違いするな……」
皇帝は怒気を孕んだ声を発した。
ヴィクトリアは恐怖と共に、一瞬にして夢から覚める。
皇帝としては、ヴィクトリアの女心などどうでもよく、何かと噂になっている『美人すぎる騎士団長』を単につまみ食いしてみたかっただけである。
どうせ食べるなら、まだ誰も口をつけていない方がいい。
ヴィクトリアの気持ちを考え、式典を行う時だけに会っていれば、何ヶ月かかるかわからない。
そこまでして手順を踏む必要があるのか? それだったら、そもそも一夜限りの関係であるし、権力にものをいわせたほうが遥かに手っ取り早いのである。
ヴィクトリアは皇帝の真意を理解すると、もはや目の前にいるのは皇帝ではなく獣にしか見えなくなった。
自分の馬鹿さ加減を反省せずにはいられない。何故、母が一定の距離を取り続けていたのか。
だが、目の前にいるのは獰猛な獣である。抵抗すればアーネット騎士団が今後どういう扱いを受けるかわからない。
ヴィクトリアは観念する他なかった。
「それでよい。」
気を取り直した皇帝であったが、怒りは完全に収まっておらず、ヴィクトリアをベッドに突き飛ばし、ドレスを強引に引き裂いた。
悲鳴を上げるのを何とか堪え、覚悟を決めたその時。
ドアをノックする音が聞こえてきた。
「陛下! 早急にお話したい事が。」
「……何だ?」
「ヴェルナー様が……」
皇帝の顔に青筋が入り、歯軋りする音が聞こえてくる。
皇帝は、ドレスを契られ大きく露出しているヴィクトリアを見られたくないため、扉の方へ叫ぶようにして答えた。
「ヴェルナーがどうした?」
相手は情報局の人間だろう。
帝国には情報局と呼ばれる、世界各国の情報を掻き集める諜報機関が存在する。
主な仕事は諜報だが、時には暗殺も行っていた。
「お目通りを願っております。」
「今、取り込んでいるといって追い返せ!」
皇帝は怒鳴り声を上げた。
ただでさえ、さあヤるかという時に邪魔が入って苛立っているのである。
その原因が要領が悪く何かと自分をイライラさせる我が子ならなおさらであった。
「……カーヤの件で話があると。」
だが、そんな怒鳴りにすら慣れているのか、情報局の男は淡々と言葉を返した。
「カーヤ? 誰だそれは?」
「覚えてませんか? 私が2週間前に処理した女性です。」
皇帝が大きく舌打ちをする。
本来だったら、人払いをしてから話す内容であり、断片的とはいえヴィクトリアに聞かれてしまったのだ。
皇帝は明らかにイラだった様子で自身の上着をとってくるとヴィクトリアに投げつけた。
「失せろ!」
「は…はい。」
ヴィクトリアは上着を羽織ると早足で扉の前まで行き、扉を開けた。
情報局の人間は、まさか騎士団長が中にいたとは思っておらず、ヴィクトリアを見るなり苦い顔をした。
「……失礼します。」
ヴィクトリアはそれだけ言って早足に去った。
「……まさか騎士団長がおられるとは。」
「ふん、それで詳細を聞こうか?」
「どうやら、ヴェルナー様はカーヤの父親と縁があったようで、娘が行方不明になった事を調べて欲しいと頼まれていたようですな。」
カーヤとは城で働く下働きの女性であり、父親と共に働いていた。
「あのお人好しがっ!」
「それでどうされますか?」
「ふん! 余が直接話す他あるまい。」
「はっ! それでは呼んで参ります。」
……――……――……――……――……――……――……
ヴィクトリアは、俯いて自身の滞在している部屋へと戻っていた。
憧れていた主君の本性、浮かれていた愚かな自分。そして、自身の騎士団の行く末。
悲しさと怒りと不安が入り混じり、足取りは暗かった。
「……ヴィクトリア殿? 何故ここに?」
顔を上げると、第一皇子のヴェルナーが困惑した表情で佇んでいる。
ヴェルナーは痺れを切らして、皇帝の部屋へと向かっていたため鉢合わせしたのだ。
「それは……」
ヴィクトリアはどう言ったものかと言葉に詰まる。
ヴェルナーは改めてヴィクトリアを見た。
ドレスを着ているが、その上に何故か男物の上着を袖を通さずに羽織っている。そしてその上着には見覚えがあった。
ヴェルナーは、一瞬悲しい顔をしたかと思うとみるみるうちに怒りの形相へと変わっていく。
ヴィクトリアを無視して、皇帝の部屋へと向かっていった。
……――……――……――……――……――……――……
「今日はもう遅い! 明日にしろヴェルナー!」
皇帝の声は明らかに怒気を孕んでいるが、ヴェルナーは怯まない。
「父上! 2週間前に失踪した下働きのカーヤ・イステルという女性をご存知ですか?」
「知らん! いちいち下々の者の名など覚えてられるか!」
「半年前に、貴方と関係を持った女性ですよ?」
何か証拠があるわけではない。
後処理を命じられた情報局員の仕事は完璧で、物的証拠は何一つでなかったのだ。
ただ、若い女性が失踪するという事件が、警備が厳重である城内で起き、その女性が美しくて評判というだけで、容疑者は一人に絞る事ができたのである。
「それがどうした?」
ライナルトが特に否定しなかったので、ヴェルナーの中で疑惑は核心に変わる。
「それが唐突に消えました。彼女とは私も面識がありますが、父親想いのいい子でしたよ。
父親をおいて、誰に気づかれる事なく城を出るとは考えられません。説明してください。」
「知らんな。」
「……城で暮らす若い女性の不可解な失踪はこれで4件目です。まるで誰かに連れ去られたようだ。」
「それが?」
「城の警備は厳重で他国の暗殺者を寄せ付けないのに、どうして消えるのですか?」」
「知らんと言っている。」
「おそらく父上が懐妊させてしまったところ、後腐れないように情報局に消させたんですよね?」
「見事な推理だ。それで?」
「来る途中、ヴィクトリア殿とすれ違いました。
一体何を?」
「少し、帝国の今後について話しただけだ。」
「なるほど!
それでどうして、身体を隠すようにして父上の上着を羽織っていたんですか?」
皇帝の顔に青筋が入る。
「ふん。
情事に耽る。
男女の営み。
性行為を行う。
と言えばいいのか?
お子様のお前にはにゃんにゃんするのほうがわかりやすいかな?」
「よくわかりました!
フォルスター騎士団の掲げていた騎士道をお忘れで?
略奪や強姦といった行為は不名誉な行為であるとされておりますが。」
フォルスター騎士団は確かに騎士道として掲げてはいたが、実際にそれを守る者は少なく、略奪する事は多々あったし、ライナルトも黙認していた。
「余は騎士ではない! 皇帝だ。」
「しかし、我がフォルスター騎士団の先代騎士団長である事に変わりはありません。
我らの不名誉になる行為は謹んでいただかなくては。」
「不名誉だと? 人聞きの悪い事を言うな、合意の上だ。
疑うなら、ヴィクトリアに直接聞いてみろ。あれは合意の上だったと説明してくれる。」
「父上……貴方はいまや皇帝にございます。
誰よりも上に立つ存在であり、騎士団長であるヴィクトリア殿とは立場が違います。
立場が対等ではない場合、下の立場の者が上の立場の者の報復を恐れ、本当の事を証言しない事は多分に考えられる。
つまり、ヴィクトリア殿が本当の事を喋るとは限りません。
これは審議を要します。聡明な父上ならおわかりいただけるかと。
大体、仮にヴィクトリア殿と合意の上だったとしても、父上には母上と4人の側室がいるでしょう!」
「5人で足りるか! 妻と側室共の老いて弛んだ身体を見ても萎えるだけだ!」
「だったらハーレムでも作って囲えばいい!」
「女というものはめんどくさいのだ! 管理の手間とかかる費用を考えろ!」
「父として、騎士として恥じぬ行為を!!」
現実問題として、騎士道を厳格に守って戦を勝ち抜くのは至難の技といえた。
ライナルトは19歳で、宗主国に頭の上がらない情けない父を隠居に追い込み、騎士団連合に反旗を翻した。
クリセ州の騎士団連合は大小20以上の騎士団で構成されており、当時、フォルスター騎士団はちっぽけな群雄に過ぎなかった。
それが、ここまでこれたのも、権謀術数を駆使し、下げたくない頭を下げ、泥水をすすって生きてきたからである。
限りある物資を前線にいちいち本国から送っていては、負担が大きく、現地で調達しなくてはどうにもならないと、背に腹は変えられない事情もあった。
ライナルトはクリセを統一するだけで15年を費やしている。まさに激動の15年であった。
もし真面目に騎士道を守っていたら、建国以前にクリセを統一できたかどうかはわからない。
ヴェルナーのおめでたい発言は、ライナルトをキレさせた。
「生意気を抜かすな!
童帝陛下の貴様にはわからんだろうが、騎士道など幻想に過ぎぬわ!」
「貴方はそれでも人ですかっ!」
この問いにライナルトは答えなかった。
怒りに任せて魔法による火炎弾を放ったからである。
城内に爆音が鳴り響く。
わずかに理性が残っていたのか、火炎弾はヴェルナーから数歩分前の床に炸裂した。
ライナルトが火炎弾を命中させていれば、ヴェルナーは消炭になっていただろう。
側にいた情報局の男は、とっさにヴェルナーを抱え、その場を離れていた。
……――……――……――……――……――……――……
情報局の男はヴェルナーを抱えたまま、中庭まで退避していた。
「ヴェルナー様、あまり陛下を怒らせないでいただきたい。
この際ですから、事実を話しますと、カーヤを処理したのはこの私です。
ですがそれが一体なんだというのでしょう?
誰も陛下には逆らえません。あの方がここでは正義です。」
情報局の男は淡々と言うと、ヴェルナーを置いて皇帝の元へと戻る。
ヴェルナーはふらふらと立ち上がると庭木の前まで行き嘔吐した。
今まで父であるライナルトには事あるごとに叱責されて生きてきた。
仕事において考えが対立し、意見した事もあるし、怒り狂う父を見るのには慣れている。
だが、プライベートにおいて口出しをした事は一度もない。
今までは、父がどんなに騎士以前に人として恥じる行動をとっても見て見ぬフリをしてきた。
それが初めて、恐れている父親を問い詰めたのである。
それにより発生した過剰なストレスは胃液を逆流させたのだ。
「はあ……はあ……」
情報局の男が機転利かせていたとはいえ、足には砕け散った床の破片が刺さっていた。
足を引きずりながら噴水の縁まで行き腰をかける。
父親とその家臣にまで冷遇され馬鹿にされてきたヴェルナーが今まで自分を保って生きてこられたのも、下の者たちから慕われていたからであった。
自分がされて嫌な事を他人にする気にはなれない、そんな性分が、身分の低い者たちを見下すという事を許さなかったのである。
身分を問わず、誰にでも気さくに接し、何かあれば自分にできる範囲で力になってきた。
娘を探して欲しいと泣きながら自分を頼ってきたユルゲン・イステルにどう説明すべきだろうか。
そんな思いがヴェルナーの頭を過ぎり、改めて自身の無力さを嘆いた。
ライナルトはクズ権力者の典型です。