セシリア・アーネット
メソガエア州。
海に面し、大きな港町を持ち、そこを中心に発展してきた。
現在は、帝国支配下のアーネット騎士団に治められている。
帝国が建国されてから一年が過ぎ、先代騎士団長セシリア・アーネットは長い事頭を悩ませていた。
現騎士団長である自身の娘を誰に嫁がせるのかを。
騎士団長は娘のヴィクトリアだが、実権はまだ自分が握っている。
「全く、参ったわね……」
ライナルト帝国が建国されると、アーネット騎士団はその支配下に入った。
その見返りとして、メソガエア州を与えられている。
州を一つまるまる支配下に治め、一国の主を名乗ってもおかしくない程の領地。
決して悪くない話であり、本来なら喜ぶべき事であるが、どうにも不安が拭えない。
帝国が大きくなるにつれ、いずれ用済み扱いされるのでは? とすら思う。
どうにも皇帝ライナルトという男が信用できなかったのだ。
とはいえ、反旗を翻したり、国家簒奪を企む気もない、どの様な戦いにせよ、戦って勝てる相手ではないとセシリアは判断していた。
アーネット騎士団は、騎士達に限らずその民衆も、女性が仕切るお国柄である。
世間とは逆で、基本的に婿養子を向かえ、何処かに娘を嫁がせるという事は極めて稀であった。
とはいえ、大陸を統一するといって豪語する皇帝の不興を買う事は避けねばならない。
望みは、騎士団長に任命した自身の娘を皇族に嫁がせ、皇家の仲間入りを果たす事。
「誰にしたものやら……」
ここで、頭を悩ますのは、娘を誰に嫁がせるかである。
ライナルトの後継者として目されているのは現在3人。
長男のヴェルナー、次男のヘルフリート、三男のオスヴィンである。
4男、5男もいるにはいるが、ライナルトは厄介払いしたかったのか、既に政略に使用済み。
長男のヴェルナーは、凡人の域を出ず、努力家であっても才能がない人間の典型であり、ライナルトの評価も低く、極めて冷遇されている。
次男のヘルフリートは、父の血を色濃く受け継いだのか、万能で優秀であり、ライナルトのお気に入り。
しかし父親同様、野心家で食えない男というか、イマイチ信用に欠けるとセシリアは思った。
三男のオスヴィンは、そこそこ優秀で、冷遇も優遇されていない。
人となりは可もなく不可もなくといった感じ。
長男は凡人で冷遇されているが、厄介払いされていない所を見ると、ライナルトも何処かで期待はしているのだろう。
フォルスター騎士団を存続させ、その騎士団長に任命したのも、奮い立たせるためかもしれない。
娘のヴィクトリアに補佐をさせれば、優秀な君主として君臨できるのではなかろうか。
寧ろ尻に敷くことで、帝国を実質支配する事も、しかし、ライナルトがそれに勘付かないわけもなく、下手な真似をすれば改易されるだろう。
次男は優秀だが、されど次男である。
だが、ライナルトの評価は高い。
現在、フォルスター騎士団は、オルテュギア州内で未だに抵抗を続けているかつての宗主国の残党を討伐しているが、何処かで討ち死にするかもしれない。
ヴェルナーは戦術も戦略も並であり、特に優秀な家臣を抱えているわけではないので、いつ死んでもおかしくないというか、今までよく生きてこれたものである。
ヘルフリートはヴェルナーが死にさえすれば、確実に皇帝になると断言できる。
三男のオスヴィンは、皇帝を継ぐことはまずないとは思うが、それでも帝国においてそれなり地位につくことは間違いないだろう。
下手に長男や次男に近づいて、皇帝の不興を買うよりは三男で手を打っておくというのも手かもしれない。
とにかくセシリアとしては、皇家と深い関係を築きあげ、一族と家臣達の繁栄を願うばかりである。
なお、アーネット騎士団と同格の騎士団長二人が、ヴィクトリアを巡って、涙ぐましい努力を行い、何かとアプローチしているようだが、これは完全に論外であった。
下手にくっついて2州を支配する大きな騎士団となった結果、危険視されて仲良く粛清されてはたまったものではない。
そもそも、『娘さんを私にください』といった態度が気に入らない。
『お母さんの子になりたいです』とまずは自分にお願いするのが筋だろう。
「ヴィクトリア! お前は誰がいいと思ってるの?」
ヴィクトリアは、建国の式典の際、殆どの皇族と面識がある。
本人の意見も聞いてみるべきとセシリアは思った。
「ヴェルナー様は、噂どおりというか、人は良さそうですが、どうにもこうにもパッとしないという印象ですね。
ヘルフリート様は優秀で人当たりは良いですが、内心では何を考えているかわかりません。
オズヴィン様は、特筆すべきところはないといった感じでしょうか。
ただ、正直に言うと、私にはわかりかねます。お母様の命に従います。」
争点である三人の後継者と実際会って話したといっても、そんな短時間でその人物の全てがわかるわけでもなければ、未来を見通せるわけでもない。
ならば、考えるだけ無駄だとヴィクトリアは思った。
ましてや、まだ20歳のヴィクトリアにとっては、正直、素敵な恋がしたいという感情も少なからずある。
しかし、自分は現騎士団長で、一族や家臣の幸せを考えなくてはならない立場。
その為に奔走してきた母を間近で見てきたため、自分が我儘を言うわけにはいかないとも思っていた。
「そうよね……
決めたわ! ヘルフリート皇子にする。」
セシリアの判断は、次男のヘルフリートとなった。
能力の差から、ヘルフリートは長男を蹴落とし皇帝の座に着くと判断したのである。
ライナルトがヴェルナーを何かと前線に立たせるのも、死んだら死んだでヘルフリートに継がせられるという思惑があるのではないかと思ったのだ。
……――……――……――……――……――……――……
ヴィクトリアはセシリアの命を受けて、ヘルフリートとの交流を図り、親密な関係を築こうとしたが芳しくなかった。
ヘルフリートが行う式典の類いには必ず出席し、贈り物を贈ったりもするのだが、ヘルフリートは人当たりこそよいものの、完全に仕事のつき合いという感じで、ヴィクトリアを女性として興味を示す事はなかったのである。
「女性経験豊富なのかしら? とても20代前半の若者とは思えないわ。」
ちっとも進展しない関係に苛立ちを覚えるセシリア。
ヴィクトリアは、誰から見ても顔立ちの整った美人である。礼儀作法を心得、物腰も丁寧で誰に対しても笑顔で接し、異性に限らず同姓からも慕われている自慢の娘。
そして、男は美人に弱い。
美人に強い男も当然いるが、それは、一度美人に鼻の下を伸ばした結果、痛い目をみた男や、長い人生経験の中で人間は外見じゃないと気づいた男達であり、若い男には少ないという印象。
娘に露骨な誘惑をさせる気はないし、誘惑などしなくても、十分に関係を築けると踏んでいた。
一瞬、ヴィクトリアが実は消極的というか命に背いているのでは? と疑いもしたが、誰よりも真面目で、今まで自分を支えてきてくれた娘なのでそれはないと考えを改める。
ちなみに、二つの騎士団が、何かにつけて式典を開いては、ヴィクトリア宛に招待状を送ってくるが、セシリアは忙しいとしてこれを全て握りつぶしていた。
一方、ヴィクトリアはヘルフリートとの関係が全く進まない事に対して、母に悪いと思いつつも内心ではホッとしていた。
何故なら、密かに憧れを抱いている人物がおり、ヘルフリートを男性として見るに見れなかったのである。
そうこうしている内に、ヘルフリートは結婚する。
相手はとある貴族の令嬢で、決して美人とはいえないが、計数に長け、非常に優秀な人物であった。
この事はセシリアに対し暗い影を落とす。
何というか、自分の考えがライナルトに見透かされている様な気がしたのだ。
とはいえ、皇家と深い関係を築く事を諦めるわけにもいかない。
ヴィクトリアを呼び出し、事情を聞くことにする。
「ヴィクトリア……
まさかとは思うけど、ルードルフに恋をしていたりはしないわよね?」
この問いに対し、ヴィクトリアは吹き出し、ないないといわんばかりに手を振った。
「お母様、ヘルフリート様は私達を警戒していたのではないでしょうか?」
「話をはぐらかさないで、ヴィクトリア。
誰かに恋をしているでしょう?」
核心があるわけではなかったし、ヘルフリートが実際にアーネット騎士団の事を快く思っていないというのも十分にありえた。
しかし、娘の心が何処にあるかを確かめる必要があるため、話はそらさずに、お見通しといわんばかりの態度でカマをかけたのである。
娘の歳を考えれば決しておかしくはないし、誰かに恋をしていれば、行動に迷いが生じるのは当然といえた。
「……はい。」
ヴィクトリアは観念したように頷いた。
「誰なの?」
「それは……」
答えを聞いてセシリアは頭を抱えるハメになる。
ヴィクトリアは皇帝ライナルトに憧れを抱いていたのだ。
援軍として、フォルスター騎士団に合流し、何度かライナルトの戦を目にした事がある。
鬼神と称しても決して過言ではないその強さを前に憧れずにはいられなかった。
ライナルトの強さを見てしまえば、いかにヘルフリートが優秀といっても明らかに見劣りした。
ヘルフリートに近づけば、ライナルトとも接する機会が増えていき、日に日に憧れは大きくなっていったのである。
「……気持ちはわからなくもないわ。」
疲れきった声で喋るセシリア。
「やはりお母様も?」
セシリアも当然、盟友として友軍として共に戦った事は何度もあるし、その武勇を目の当たりにしてきた。
この男になら抱かれてもいいと思ったことさえある。
「ふうっ……そうよ。
皇帝陛下……いや、ライナルト騎士団長には私も憧れていたわ。
お前が生まれていなかったら、正直、どうなっていたかわからない。
でも、あの方は誰からの支えも必要としていなかったし、異性を愛の対象としてみる方ではなかったわね。」
セシリアは早いうちに結婚していたため、不名誉になる様な真似は絶対にできなかったし、女の勘というか、憧れると同時にライナルトを何処かで危険視していた。
結局の所、セシリアは皇家に入り込む事を断念し、誰と結婚するかは、ヴィクトリアの自由意志に任せる事にしたのである。