第2話 「この世に狂人などいない」
秋森青太は、疲れていた。
今はテレサと戦った日の翌日の朝である。一人での行動なので、満足に寝ることもできすに丸二日以上歩いていた。ただでさえ死闘を繰り広げて神経をすり減らした後なのだ、そこに二日徹夜が加わると、判断能力も落ちて当然である。
それを思い知らされたのが、現在いるこの場所である。この道は、おそらく通るのは三回目だ。町のようなまともに人が活動している場所が無いか探していたが、どうやら同じところをぐるぐる回っていたらしい。それも二回目は気付かずに、三回目で気付くあたり疲労の大きさが見て取れる。
青太は限界を感じ、近くの木に寄り掛かり、持ち合わせた金品の類を抱きしめるように眠り始めた。よほど疲れていたのだろう、すぐに深い眠りに陥ってしまった。
その少し後、水で満ちた木製のバケツを持った女の子が通りかかった。そして道端で眠り込んでいる青太を見付け不思議そうに首を傾げた。
「ちょっと、あなた、こんなところで寝ていると風邪をひくわよ。いくら今日が温かいからって。」
女の子はバケツを置き、そう言って青太の肩をゆするが、青太は一向に起きる気配が無かった。女の子は困った様子で顎に手をやった。
「行き倒れかしら。困ったわね、このまま放置するわけにもいかないし。」
女の子は悩んだ様子だったが、すぐに気を取り直してバケツを持ち、元の道を歩き始めた。
「どうせ私ひとりじゃ運べるわけも無いし、パパを呼んでこよう。」
女の子は歩きながらそう言う。どうやら助ける気は有るらしい。
目を覚ますと、青太はベットに寝ていた。記憶を思い返し、寝る前の状況とあまりに違うので戸惑った。
あたりを見回す。綺麗に掃除された白い壁の部屋だった。寝ていたベッドは木製のしっかりしたもの、シーツは見事に真っ白で、ビックリするほど清潔な部屋だった。
青太はとりあえずベッドを降り、立ち上がる。と、部屋の机に青太が持っていた、現金の束を入れた袋を見付ける。青太は近付き、中身を確かめる。
梅人が持ち込んだ覚醒剤こそ無くなっていたが、現金は手を付けられた様子も無く、奪われたものも無いようだ。袋の脇にはベルトに挟んでいたドスも置いてあった。
あまりに自分が無事なのを不思議に思いながらも、青太は部屋のドアを開けてみる。
すると、コーヒーの良い香りが漂ってきた。そこはカウンターが有り、棚にはティーカップが並んだ、どうやら喫茶店のようだった。そのカウンターには白髪にこちらも白い髭を蓄えた、紳士のような壮年の男性が立っていて、青太に気付くと優しい目線を向けてきた。
「おや、やっと気付きましたか。」
紳士のような男性はそうにこやかに言う。
「ここはどこ? 僕は何でこんなところにいるの?」
青太はそう疑問を投げかける。
「ここは私が経営する喫茶店です。あなたは道端で、倒れるように眠っていたのを娘が見つけました。そのままでは襲われる不安も有ったので、ここに保護したのですよ。」
紳士のような男性はそう説明する。青太は驚きで目を瞬かせた。
「え! 金も奪わず、荷物は残して、ただ保護してくれたの? この土地にそんなまともな人がいるの?」
青太はそう思わずぶしつけなことを言ってしまい、後から口を押さえて焦った。だが、紳士のような男性はにこやかに笑うだけだった。
「薬物のようなものは気に入らないので捨ててしまいましたがね。まあ、確かにこの土地では珍しいですな、私のように素直に優しい人間はね。」
紳士のような男性がそう言って笑う。その言葉を聞いて、青太も砕けた表情になった。
「良かった、この土地にも普通の人がいるんだ。ここには狂った人間しかいないのかと思ってたよ。」
青太は笑い話のようにそう言った。が、そこでずっとにこやかだった紳士のような男性が、厳しい目線を向けてきた。
「少年、今の言葉を訂正してください。明らかな間違いが有ります。」
紳士のような男性はそう、軽く睨むように、口調も厳しく言ってきた。その変貌に驚き、青太は目を丸くし、何も言えず先の言葉を待った。
「この世の中に、狂った人間などいません。狂うというのは大多数の人間が少数派の人間を粛正するために作った言い訳にすぎません。多少の変わり者こそおれど、狂った人間などこの世にいないのです。」
紳士のような男性はそう真面目な表情で言い切った。青太はハッと表情を変える。
「ごめんなさい、言葉使いが間違っていました。」
青太はそう深めに頭を下げ、素直に謝った。頭を上げると、既に男性の表情はにこやかに戻っていた。
「おじさんは、差別が嫌いなんだね。」
青太は、そう聞いてみる。
「その通り、外の世界では左翼の運動家をしていましてね、現在の刑法になった時も精神障害者の人権を侵害する、とデモを行ったものですよ。そこで派手に暴れた結果、この地へ送られたのですがね。全く、今の外の世界は地獄ですな。政府に反対意見を言っただけで流刑地送り、これでは独裁と変わりません。」
紳士のような男性はそう言って溜め息をついた。青太も頷いてみせる。
「なるほど、僕も反戦運動をやっていたから、おじさんは先輩みたいなものだね。そっちの道を噛んでてさっきみたいな失言をしちゃって、恥ずかしいなあ。」
青太はそう言って頭を掻いた。反差別運動も聞きかじりながら頭に有って、「狂った」という単語を使わない方が良いと聞いていた覚えも有るのだから、反省するしかない。
「わかっていただければ良いのですよ。
それより、体調はいかがですか? お腹がすいているようでしたら、有り合わせですが何か作りますよ。」
紳士のような男性がそう話を変える。と、そこで青太はあくびをする。
「ご飯より、今はまだ眠いね。もうちょっと寝てていいかな。」
「ええ、よろしいですよ。でしたら、先ほど寝ていたベッドをお使いください。」
眠そうに言う青太に、紳士のような男性は笑って答えた。有り難く好意にあずかろうと、青太は一旦振り向き、一つ思い出し、もう一度男性に向き直した。
「そう言えば、自己紹介が住んでなかったよ。僕は秋森青太。おじさんはなんていうの?」
青太は、男性にそう聞いた。
「私は、安地円蔵です。よろしくお願いします。」
紳士のような円蔵はそう言った。
「いつまでお世話になるかわからないけど、よろしく。」
青太はあくびを噛み殺しながらそう言って、振り向き直した。そして、元居た部屋に戻り、ベッドに横たわり、すぐにまた深い眠りについた。
しばらく後、青太は再び目を覚ました。起き上がり、調子を確かめる。寝起きのせいか少し頭がぼんやりするが、眠気自体は無くなっていた。青太はベッドを降り、立ち上がる。
それにしても、今は何時くらいだろう、青太は考える。窓の外の明るさを考えるに、日はかなり高い。もしかしたらもう昼は過ぎて、沈む方に傾き始めているのかもしれない。
どっちにしろ、人に聞かないとわからないな。青太は円蔵にでも聞いてみようと、部屋を出て喫茶店の部分に向かった。
するとカウンターの中に円蔵の姿は無く、客側に一人の女の子が座っていて、何か書き物をしているように見えた。女の子は青太を見ると、嬉しそうに笑顔を見せる。
「あら、随分眠っていたわね。パパから一度起きたと聞いていたけど、その後も結構寝てたわ。今はもう昼過ぎよ。」
女の子は青太にそう言ってきた。その言葉の中から、青太は情報を拾う。
「君は、円蔵さんの娘さん? 君が僕を見付けてくれたんだっけ?」
青太はそう質問を重ねる。女の子が苦笑いをする。
「そうよ、私は安地円蔵の娘、安地魚子よ。あなたが言う通り、私があなたを見付けたのよ。運んだのはパパだけど。
とりあえず、よろしくね青太さん。」
女の子、魚子がそう挨拶をしてきたので、青太も軽く頭を下げた。それにしてもさん付けはこれまでほとんどされてこなかったので、どこかむず痒かった。
「よろしく魚子ちゃん。それで君は何をしているの?」
青太は続けてそう質問する。
「勉強よ。外の世界から来た人に、学で負けたくないの。外の世界で塾講師をやっていた人に問題集を作ってもらったのよ。」
魚子は胸を張ってそう答えた。
「そうか、この土地には学校が無いから、・・・、って、ちょっと待って、良く考えたら、何で君ここにいるんだい? 親が流刑になったからって、子供も同罪にはならないよね?」
青太は、言いながら次の疑問に気付き、そう問うてみる。魚子は楽しそうに笑った。
「私は、この土地の生まれなのよ。父も母も流刑になって、ここにきて出会い、私を儲けたの。だからこそ、外の世界で育った人には、頭で負けたくないの。」
魚子は、そう誇るように言った。青太も感心する。
「なるほど、それはいい心がけだよ。僕もわかるところなら教えるよ。」
青太は笑ってそう言い、魚子に近付く。流刑法ができたのは15年ほど前、その後に生まれたなら中学生くらいの年齢だ。そのくらいの学年の勉強なら教えることもできるだろう。
しかし、魚子の肩越しに見た問題を見て、青太は心底ビックリする。
「って、その問題、教わったことが無いんだけど。」
青太は呆けるように言う。高校に二年間は通っていたのに、そこに書かれた数学の問題は高度すぎて見たことが無かった。
「進学校の高校三年生レベルですって。物覚えが良いって元塾講師の人に驚かれてるのよ。」
魚子は楽しそうにそう笑う。完全に負けていて助けようも無く、青太は頭を抱えて溜め息をついた。
「勉強が教われないなら、コーヒーでも入れてほしいところですわ。疲れた時にパパのコーヒーに砂糖を沢山入れて飲むと、一気に吹っ飛ぶのよ。」
魚子はそう言って、自らの言葉が無茶振りすぎたと感じ苦笑いをした様子だった。
「って、お願いしても無理ね。あなたはパパじゃないもの。」
魚子はそう言って照れたように頭を掻いた。
それに対して、青太は顎に手をやり、試しにサイフォンに触ってみた。そこで軽く頷いた後、カウンターを回り込み中に回り、ミルに触れてみる。そして大きく頷いた。
「大丈夫、円蔵さんのコーヒーなら作れるよ。勉強を続けて待ってて。」
青太はそう魚子にウインクして見せた。魚子は首を傾げていた。
それをよそに青太は戸棚からコーヒー豆を取り出し、ミルで引き、サイフォンで抽出し、ティーカップに注ぎ、コーヒーを淹れてみせたのだ。
「はい、コーヒーお待たせ。」
青太はそう言って、コーヒーに沢山の角砂糖を添えて魚子の手元に置いてみせた。しかし魚子の方はあんぐりと口を開けて驚きに目を丸くしていた。
「あれ、勉強に身が入らなかった?」
青太は不思議そうにそう聞いてみる。魚子は呆れた様子で見返してくる。
「入るわけないじゃないの。あなた、何で、パパと同じ動作でコーヒーを淹れることができるの? 道具の使い方どころか、動き方までほぼ一緒で!」
魚子は叫ぶようにそう言ってくる。青太は少し困って頭を掻く。
そこに、喫茶店の入り口のドアが開く。円蔵が、買い出しにでも行っていたのか、大きな紙袋を抱えて入ってきた。青太を見るとにこやかに笑う。
「おや、起きていらっしゃいましたか。・・・? おや、不思議だ。なぜ私のコーヒーの香りがするのです?」
入ってきた円蔵はそう首を傾げて青太に問うてきた。
「僕には特殊な能力が有るんだ。」
青太は語り始める。そうして道具の正しい使い方がわかること、それは付喪神の影響ではないかという持論を語った。それを聞いて、円蔵も魚子も感心していた。
「今はコーヒーを入れる道具に使い方を聞いて、円蔵さんのやり方を教えてもらった感じだね。」
青太はそう苦笑って言った。しかし魚子はキラキラしたまばゆい視線を青太に向けてくる。
「格好いい! 漫画や小説の主人公みたい!」
魚子はそう褒めてくれた。青太は、またむず痒い気持ちになる。そこで、円蔵が手を顎に当てて考えていた。そして円蔵は頷く。
「青太さん、うちで手伝いをしてくれませんか? うちは中々賑わうので、混み合う時間は魚子に手伝ってもらっても手が足りないんです。給料も少ないですが出せますので、いかがですか?」
円蔵はそう提案してきた。青太はしばし考え、金銭は自分のが結構有るし、この店も中々安全そうなので良しと考え、受け入れることを決めた。
「有り難い話です。喜んで受けさせてもらいます。」
青太はそう大きく頷いた。円蔵も嬉しそうに頷いていたが、それ以上に魚子がはしゃいでいた。
いざ働き出してみると、青太は予想以上に有能だった。配膳や食器類の管理なども、道具を触れば使い方がわかるので、完璧にこなしてみせた。更には調理に関しても、円蔵の普段の使い方が読み取れるので、微調整こそまだまだだがほぼ同じ味を作れるので、こちらも戦力として数えられるレベルだった。
「それにしても、この店はずいぶん穏やかだね。この土地なら荒事も多そうなのに。」
客足が少なくなった時間帯に、賄いを食べながら青太が円蔵に言った。
「そうですな、この店はおかげさまで繁盛しておりますから、荒事は起こりづらいですね。」
円蔵がそう答える。が、青太は繁盛と荒事が起こらないが頭の中で結びつかず、首を傾げた。円蔵は可笑しそうに笑う。
「考えてみてください、この人の多い店の中で武器を取り出したらどうなるか。外の世界ならともかく、ここでは直接関係無い他の客も武器を持っているのです。となると、店内の全ての客が自衛のために武器を構えますね。最初に武器を出した人間は他の客全員を敵に回すわけです。」
円蔵がそう説明する。青太は納得し、感心した。
「それだけじゃねえぜ兄ちゃん。円蔵さんは流刑法初期からの生き残りで、この土地の人間からは厚く慕われているんだ。だからこの喫茶店も好かれている。
ただの通りすがりの店じゃ、自分に害が無いなら立ち向かわない奴もいる、逃げ出す奴もいるだろうさ。だが、お気に入りの場所じゃ逆だよ。荒らす奴は絶対許せない、だから荒事をし出す奴は、他の客から積極的に排除されるのさ。
言うならこの店が穏やかなのも、円蔵さんの人徳が有ってこそさ。」
隣にいる、頬に刀傷が有る、いかにも自分も裏の社会で生きてますな見た目の客がそう言い加えた。青太は円蔵に目をやり、納得を強めて頷いていた。
「ここじゃ、大きな商売的な取引の密約なんかも、うちでやっていくものね。」
そこに、魚子がそう言い足す。青太はまた首を傾げた。
「密約? そんなの、人に聞かれたくないから、人がいないところでやりそうだけど?」
青太が不思議そうにそう言うと、隣の客が大笑いした。魚子もにんまり笑っている。それを円蔵が目線でたしなめていた。
「それこそ外の世界の発想だな、兄ちゃんよ。
考えて見ろ、さっき円蔵さんが言った通り、ここじゃ武器を持っている方が普通なんだぜ。そんなやつらが密室に金なり高価な物なりを持って行ったらどうなると思う?
確実に殺されて取引の物を奪われるんだよ。いや、確実じゃないかもしれないが、その恐れが有るのは確実、そんなところにはまず行きやしねえ。
だからこそ、人がいて身の安全が保たれるこういう店で取引をするのさ。外にはばれるかもしれねえが、自分が死ぬことは無いんだからさ。」
隣の客はそう説明した。それで青太もようやく得心する。
「なるほど、外の世界とはまるきり発想が逆なんだ。」
青太はそう頷き、ここは今まで自分がいた世界と別なんだとまた一つ噛みしめていた。
と、そこで店の扉が大きく開いた。その方を見ると、髪も髭も長く伸ばした毛むくじゃらの背の低い男が、大きなキャリーバッグを引いて入ってきた。男が進むたびにガラスがこすれ合う音がする。
「この店で触っただけで道具の使い方を理解する奴が働き出した、と噂を聞いてやってきた。頼みが有る。」
毛むくじゃらの男はそう言い出す。扱いに困って青太が円蔵の方を見たが、円蔵は真面目な顔で頷いていた。聞いてあげなさい、と言っているようなので、青太は立ち上がり近付いた。
「僕がそうですけど、どうしました?」
青太がそう受け答えると、毛むくじゃらの男の目が喜びに溢れた。男は言い出す前に、キャリーバッグのジッパーを開け、そこから金属でできた、深めのお椀のような物を取り出してみせた。
「カクテルを作るシェイカーだ。近くでバーを営んでた友人が持っていたものだ。これでカクテルを、あいつのカクテルを作ってほしいんだ。ここじゃ酒を扱っていないのは承知の上で、それでも頼みたい。」
毛むくじゃらの男は、そう頼んできた。
「ええと、そのご友人の方は?」
「死んだよ。強盗に殺された。人のいない準備中の時間を狙われたんだ、私達が気付いた時には手遅れだった。
残されたのは店に有った酒やリキュールと、このシェイカーだけだった。もうあいつの酒は飲めないとわかっていても、どうしてもこれを取っておかずにいれなかったんだ。」
毛むくじゃらの男は、そう思い出すように言う。それを聞いて、青太の胸も痛んだ。
「わかりました。試しに触ってみます。」
青太はそう答えて、毛むくじゃらの男の方に手を伸ばした。男は青太にシェイカーを渡す。
それを受け取った瞬間、物を言うようにシェイカーから意思が伝わってきた。
「お酒は、ここに持ってきていますか?」
青太は、そう聞いてみる。芳しい答えであることに喜びながら、毛むくじゃらの男はキャリーバッグの口を全開にした。
「ああ、ここに持ってきた。銃撃で壊れたのは無理だが、残っていたものは全部、譲り受けて持ってきたさ。」
毛むくじゃらの男はそう言って、キャリーバッグの中に有る酒を青太に見せてきた。その種類を確認し、青太は満面の笑みで大きく頷いた。
「わかりました。あなたのご友人の代わりに、僕がカクテルを作りましょう。」
青太はそう言って、キャリーバッグから何本か瓶を抜き出した。どのカクテルがいいのか聞いてもいないのに、と見物していた客達はざわめくが、毛むくじゃらの男だけは色めき足った顔をしていた。
青太はカウンターにシェイカーを置き、適当な分量で酒をぶち込み、そしてシェイクしていった。その手捌きは見事で、客からは歓声すらあがった。
そしてしばし後、出来上がったカクテルを、さりげなく円蔵がそばに置いてくれたグラスに移し、毛むくじゃらの男に差し出した。毛むくじゃらの男は無言で受け取り、それを口にした。
そして、彼は涙を流した。表情を見るに、どうやら感激の涙だった。
「・・・あいつの味だ。本当に、あいつの味を再現してくれやがった。・・・あいついつも適当に量を入れてるように見せて、ちゃんと同じ味で作ってやがった。それと、全く同じだ。」
「まったく、難しい作り方をする方でしたね。真似するのが大変でしたよ。」
嬉し涙を流しながら言う毛むくじゃらの男に、青太は笑いながら肩をすくめてみせた。客達からは感心のどよめきがあがる。
「それにしても、どうしてこのカクテルにしたんだ? これは私が、一番好きだったカクテルだ。」
「このシェイカーが教えてくれたんですよ。」
毛むくじゃらの問いに、青太はシェイカーを指差して言った。
「僕の能力はただ使い方がわかると言うよりは、道具と通じ合う、と言った方が正しいかもしれません。シェイカーを触った時にわかったんです、あなたはこのカクテルが好きだからこれにするといいって。シェイカーも客を覚えていたんですね。」
青太はそう説明する。それを聞いてまた毛むくじゃらの男が目を潤ませた。客達からは感動のどよめきが聞こえた。
「そうか、ありがとう、ありがとう・・・そうだ、あんたも飲んでみるかい? せっかくあんたが再現した味だ、自分も味わってみたら?」
毛むくじゃらの男は礼を言った後で、思いついたようにそう青太に言ってくる。が、青太は張り付いた苦笑いを返した。
「え・・・いや、ちょっと、それは断りたいかな。」
青太はそうこわばった顔で答えた。客達からはがっかりしたような気分下がり気味の声があがった。毛むくじゃらの男は大きな声を立てなかったが、目線で理由を聞きたがっていた。
「と言うのも、外の世界では二十歳未満はお酒を飲んではいけないからです。なぜ外の世界の話を、と思われるかもしれませんが、僕は罪を犯した覚えは有りません。なのに、この地に送られたのです。
だから、僕は言いたいのです。僕をここに送った裁判官に、そんなことをされる謂れは無いと。真面目に生きて、できるだけ外の世界のルールを守って、ボクに罪を着せたのは間違っていると、そう言えるように生きていきたいと、僕は思うんです。」
青太はそう語った。それを聞いて毛むくじゃらの男は大きく頷き、客達も静まり納得の意を見せた。
と、そこで魚子が毛むくじゃらの男に近付いていく。
「だったら私にちょうだい。青太さんが作ったお酒、飲んでみたいの。」
魚子はそう言い出す。それに青太は大層驚いた。
「って、魚子ちゃんその年でお酒飲むの?」
青太は突っ込むようにそう言うが、気にせず毛むくじゃらの男はカクテルを魚子に差し出し、魚子も受け取っていた。
「そりゃそうよ、私はこの土地生まれで、外の世界の法律を気にする必要は無いもの。外の世界の人には負けたくないけど、そっちに染まりたくは無いもの。」
魚子はそう言ってカクテルに口を付け、あら美味しいと驚いた。
「・・・僕もこんな風に割り切れた方が幸せなのかもしれないのにねえ。」
青太はそう言って苦笑いを浮かべてみせた。客達から笑いが起こる。
毛むくじゃらの男はここがあくまで喫茶店なことを考慮し、飲みたくなったらプライベートで来ると言って出ていった。それまでに死なないでね、と魚子がこの地ならではのブラックな冗句で見送り、この場は終わった。
次の日、青太は魚子と買い出しに向かった。町が意外と近くに有ることを知って、青太はこんなに近くまで来て行き倒れていたのか、と溜め息をついたが、魚子は、倒れてたのは町とは逆側、草村と林しかないところだもの、迷っても仕方ないとフォローしてくれた。
途中雑貨屋を冷かし、この土地は元は職人だった人も多いから工芸的価値が大きい物も結構有ることを学びつつも、買い出しは無事終わる。
「ねえ、特殊な力を使えて、ご両親はどういう反応だったの? やっぱり誇らしがったりする?」
帰り道、魚子がそう聞いてきた。何の気も無しなのだろうが、青太は思わず表情を硬くし、目線を魚子からそらした。
「子供の頃、一度だけ使ったこと有ったけど、気持ち悪がられたよ。すぐに気付いたから、それ以来使ってなかった。」
青太はそう暗い口調で言う。それを聞いて、魚子が沈痛そうな面持ちになった。
「悪いこと、聞いちゃったかな?」
魚子が恐る恐るといった感じでそう聞いてくる。青太は首を横に振った。
「いや、大丈夫だよ。二人とも悪い人間じゃなかった。むしろいい人達だったよ。それ以外の全ていい思い出しかないくらいに。
ただ、あまりにも普通すぎたんだ。異能の僕を受け入れられないくらいには、普通すぎた。」
青太は遠い目をして言う。魚子の顔は晴れなかった。
「それよりも、魚子ちゃんの方はどうなの? お父さんにはお世話になってるけど、お母さんの話は聞いてないから、聞いてみたいな。」
青太は笑って、そう話を変えてみた。言っている途中で良くない思い出が有ったらまずいかな、と気付いたが、言い始めたので最後まで聞いてみた。
幸いにも、魚子は嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうね、私が物心つく前に死んでるから、直接はわからないけど、色々話は聞いてたわ。
お父さんと同じく左翼の運動家で、どちらかと言うとアナーキスト、無政府主義の思想だったみたい。ここに送られた皆が沈んだ顔をする中、一人だけ目を輝かせて、ここは楽園だ、そうじゃなくても楽園を作れる、って明るい声で言ってたんだって。
そうして彼女は、元の住人たちが残した農具を見付け、畑を耕し始めたんだって。初めは誰もが見ているだけだった。だけど生き生きしているお母さんを見て、少しずつ一緒に農業をやる人が増えていって、気が付いたら多くの人間が畑を耕すようになっていった。
できたのが原始農村社会、お母さんを含む一部のアナーキストが共産主義の理想と掲げる体制だった。お母さんは文字通り、この地に楽園を作り上げたのよ。
まあ、それも通貨が流通し始めたら一時的に不安定になって、そのころに強盗に遭って、お母さんは死んだのだそうよ。富なんてかけらも持ってなかったのに。
でも面白いのがこれからよ。その強盗犯、お母さんの仲間達が取り押さえたんだけど、お母さんがまともにお金を持っていないことを知って、涙を流したそうなの。あんなに幸せそうだったから、金を持っていると思ったのに、違ったって。
それでその人、改心して一緒に畑を耕し始めたそうよ。幸せはお金じゃないって。さっき野菜を買ってきたその売り手が、お母さんの同士の人達なんだけど、その元強盗犯は今も一緒に農業してるんだって。もしかしたら今日会ってるかもしれないの。
でも、私追及はしないわ。だってお母さんは死んだといっても、その人とはわかり合えたんだもの。何一つ恨みはないわ。」
魚子はそう、饒舌に語り終えた。青太はただ感心して大きく頷くしかできなかった。
「そうなんだ、立派な人だったんだね。魚子ちゃんは、誇るみたいにしゃべってたもの。」
青太はそう相槌を打った。魚子が大きく頷き返した。
「そうよ、この残酷な世界に自分が信じるエルドラドを作った人だもの。私の自慢の母だわ。その娘として、私はこの土地を楽しんで生きたいのよ。そう願って毎日を生きてるわ。」
魚子は胸を張ってそう言った。そして、楽しそうに笑う。
「聞いてくれてありがとう。私、青太さんといると毎日が楽しくなりそう、そう感じてるの。」
魚子は満面の笑みでそう言ってくる。
「そう、ありがとう。僕も魚子ちゃんと一緒で、楽しく過ごせてるよ。」
青太は照れながらそう言う。二人は一瞬見つめ合い、どちらからとも無く恥ずかしさで目をそらした。
「そう言えば、魚子ちゃん、雑貨屋で蝶々の髪留め欲しがってたよね。あれ、次行く時まで残ってたら買ってあげるよ。」
「青太さん、うちの給料もそんなに出せないんだから、無理しないで下さいよ。」
「いや、ここに着くまでに手に入ってたのが有るんだ。それくらいなら使えるよ。」
「そうなの? だったらお言葉に甘えようかしら。」
二人はそう言葉を交わしていく。照れくさいから目線は前を向いたまま。
だけどいつの間にか、二人は空いてる方の手を組んでいた。
そんなある日の夜、青太はなぜか眠れないでいた。ベッドに横たわりながら、いまだ来ないまどろみを待っていた。
と、そこで部屋の扉が開いた。窓から差し込む月明かりに照らされたのは、枕を持った魚子だった。
「来ちゃった。」
魚子はそう言って、青太の隣に横たわる。青太はビックリして起き上がってしまった。
「何しに、来たの?」
青太は戸惑いながら、胸を高鳴らせながらそう聞く。
「好きな男の子の隣で寝たいって、変かな。」
魚子はそう顔を赤らめながら言う。青太は自分の心臓の鼓動が激しいのを感じている。
「そうか、僕のこと好きなんだ。僕も好きだよ。」
青太はそう返す。言いながら、両手を魚子の首元にやる。魚子が緊張した顔をしていた。
「だったら、こうしないとね。」
青太はそう言い、魚子の首を強く締め始めた。突然のことに魚子は苦しそうに首元の青太の手を引っ掻くが、離れるはずも無い。そこでとっさに切り替えて、右手で青太の目を狙ってきた。それは見事眼球に当たり、青太は一瞬片手を目にやり、力が緩んだ隙に魚子は転がって距離を取った。
「青太さん、何するの!」
魚子は怒り、なおかつ怯え後ずさりしながらそう叫びかかってくる。
「何って、愛情の表現だよ。愛し合う人間は殺し合うのが普通でしょ?」
青太は平然とそう言う。魚子はそれを聞き、一層の恐怖を感じた様子で青太を睨んでくる。
「何言ってるの、頭おかしいわ! あなた狂ってる!」
魚子はそう叫んでくる。青太は首を傾げた。
「狂ってる? こんな普通のことなのに。それに、円蔵さんの娘がそんなこと言うもんじゃないよ。あの人は言ってたでしょ、この世に狂った人間なんていないって。」
青太はそう言い返す。
「違うわ、お父さんは間違っていたのよ! あなた狂っているもの!」
それに魚子はそう叫び返した。青太は溜め息をつく。また自分は同じようなことを言われるのか。僕は普通のことをしているだけなのに。
そう思い、青太は普通のこと、殺し、を続けるために魚子ににじり寄った。上に覆いかぶさるように乗りかかる。魚子は暴れて、必死に首元を守り、青太に首を絞めさせなかった。
これは殺すのは難儀だなあ、そう考えて、そこか机の近くだと思い出す。そして、机の上からドスを拾い上げ、鞘から抜き、魚子の心臓に突き立てた。
「どうしました? 何やら騒がしいですが。」
そこに円蔵がやってきて、扉を開けた。
彼が見たのは、血にまみれた娘の死体と、それを殺したと思しき返り血を真っ赤に浴びた青太だった。
「、これは、どういう?」
円蔵が戸惑ってそう聞いてくる。
「僕が殺したんだ。僕と魚子ちゃんは愛し合っていたんだ。愛し合うなら殺し合うのが普通でしょ? だから僕は魚子ちゃんを殺した。」
青太はそう答える。円蔵はなおも戸惑った様子だったので、青太は苦笑いをした。
「おかしいって、言われちゃったよ。狂ってるって、魚子ちゃんは僕のことを言ったんだ。言うとおり、僕は狂ってるのかな?」
そう青太が問いかけると、円蔵は真面目な表情で、平静な様子で青太を見返した。
「いいえ、狂ってなどいないですよ。この世に狂っている人間などいません。青太君はちょっと愛し方が珍しい、ただそれだけです。それが愛の表現なら、魚子も喜んでいるでしょう。」
円蔵は、そう平然と言った。青太は胸を撫で下ろし、喜んだ。
「ただ、どういう形であれ死んだことは事実です。しっかり弔いましょう。」
そう言って、円蔵は苦悶を顔に浮かべた娘の遺体を抱き上げた。翌日彼は娘の遺体を荼毘にふし、青太とともに庭に埋め、墓標の代わりに木の苗を植えた。
「そういえば円蔵さん、娘さんはどうしたんだ? 二、三日働いてるのを見てないけどよ。」
数日後、喫茶店の常連客が円蔵にそう聞いた。円蔵は軽くうつむいた。
「わけ有って殺されました。ここでは日常茶飯事です。仕方有りません。」
円蔵は沈痛な面持ちでそう答える。常連客は気まずそうにしていた。
「そうかい、悪いこと思い出させたな。本当、ここは狂人が多すぎるのだけがもったいないよ。」
常連客はそう軽い口調で言った。しかし、円蔵は首を強く横に振った。
「それは間違いです、この世に狂った人間などいません。多少の変わり者だけです。」
円蔵はそうハッキリと言い切った。
ここは流刑地、通称マッドマンズユートピア。ここでは狂った人間しか生き残れない。
本当に狂った人間とはその自覚が無いようである。この紳士然とした老人のように。




