狂戦士
ブリーダーギルドでアパートを借り、新生活も三ヶ月が過ぎた。
モンスター愛好家では住めるアパートに制限がかかるため、ブリーダーギルドが所有する賃貸に決めた。
建物内に生活に必要な施設が完備。
アパートというより寮みたいな感覚で、洗濯物を出せば洗ってくれるし、食堂に行けば朝、昼、晩と食事が食べられる。事前に頼めばお昼のメニューからお弁当も用意してもらえる。
気配りの利いた施設だが、利用するともちろん料金が発生。節約したい人は普通のアパートとして住む事も可能だ。
入居者は冒険者に限定されているためか、冒険者の仕事に集中できるように配慮されている。
残念ながら武具の修理やメンテナンスを行ってくれるような施設はない。そういうのは装備を買ったお店に行くのが筋だし、職人の腕の良し悪しは自分で判断すべき項目だからだ。
ブリーダーギルドで活動していれば家賃の半分はギルドが持ってくれるし、建物内の施設の利用料も半額だし、ブリーダーギルド様々だ。
これだけ人を囲い込もうと努力していても定着させられないのだから、ブリーダーとはつくづく人気のない職業なのだろう。
今日はギルドの依頼でブルータルのクリヒナを育成した。
【隠密】を使うモンスターに遅れをとって、護衛対象のクリヒナが不意打ちを食らったが、反省点はそれだけだ。
後遺症もなさそうだし、傷もない。安心して納品ができそう。
その帰り道。
カールの索敵ならめったに襲撃を食らわないし、カールが僕を【飛行】で支えてくれれば速度を落とさずに山道を滑走できる。
シルバーレインに向けて直線経路を移動中に森の左手から轟音が鳴り響いた。
「なんだ?」
【気配察知】が万能でない事はクリヒナを守りきれなかった事でも、身を持って経験済みだ。
僕とカールは即座に【隠密】を使い気配を消す。物音を立てずに、静かに音源に近付いた。
僕はそこで信じられないものを見る。
冒険者ギルドの人気受付嬢ミラさんが巨大なバトルアックスを片手で振り回しモンスターを蹂躙する姿。
冒険者ギルドに顔を出せば、その存在にすぐに気が付く。
ヴェールさんも可愛い人だと思っていたが、ミラさんを見た時、人生で初めて一目惚れをしてしまった。
澄ませば美人系。微笑めば可愛い系。
その両立を完璧に成し遂げたのが彼女の容姿だ。
そんな高嶺の花だと思っていた彼女が裏では森の中で『死ね死ね』言いながら暴れるような戦闘狂だとは想像もつかなかった。
物陰から見ていただけでも三体は倒している。きっと【引き寄せ】のスキルを使って周辺のモンスターを自分に集めていると思われる。そうでなければ説明がつかない。彼女の強さは異常だ。モンスターだって即座に理解して逃げ出すだろう。
彼女が歩いて来たであろう道にはドロップカードがそのまま落ちている。拾う時間も惜しいほどモンスターとの戦闘を楽しんでいるのか?
夜になればモンスターは狂暴化する。
ますます戦闘は苛烈を極めるはずだ。
「えっ?」
彼女がバトルアックスを目の前のモンスターに振り下ろして倒し終えた。すると突然顔だけこちらに向けてくる。
完全にロックオン状態。
いつでも動けるように腰に装着した短剣の柄を手探りで確認する。
戦闘を回避出来るならそれに越したことはない。
だが、彼女の口角が上がった瞬間、背筋に悪寒が走る。
カールが【身体強化】を僕と自分にかけた。
さらに彼女を敵と認識し【身体弱化】、【速度減少】をかけていく。
【身体弱化】は【身体強化】の弱体化版。
肉体に関わる全てのステータスを下げる効果がある。
【速度減少】は対象のスピード一点に限り大幅に減少させる。
《そんなもん! 効くかあああああ!》
女性のものとは思えないドスの利いた声。
その声に呼応して大地が揺れた。
彼女は体を一度小さくして溜めを作り、体を大きく広げる。パリンッという音と共に、気合いだけでカールの弱体化スキルを弾く。
「おいおい、うそだろ……」
最近覚えたばかりでまだ弾かれた事はなかったが……。まさか初めてスキルを弾く者が冒険者ギルドの人気受付嬢だとは夢にも思わなかった。
スキルや魔法の抵抗値というのは存在する。それは回復魔法の回復量を上げる数値と兼用されている。カールのステータスはウルバーンに進化しても前衛よりの上がり方をしていた。
そんなカールだが、大量に覚えた能力の恩恵でステータスは大幅上昇。その結果、冒険者ギルドが刊行したAランク冒険者の特集号に掲載された後衛職のステータスを軽く超える数値を叩き出している。
黒豹と対峙した時はまだ覚えていなかったので、試せていないが、きっと黒豹以来の強敵の出現だ。
彼女はバトルアックスを振り回しているところから判断しても前衛だと思われる。それなのにカールのスキルを弾いた。
なぜ?
装備が優秀なのか?
冒険者ギルドの制服のように見えるが……。
そんな風に考えにふけっていると、眼前にバトルアックスが降ってきた。
「!」
カールが左前足で斧の側面を蹴り、落下位置をずらす。
勢いはそのままにバトルアックスが地面を抉り、石が周囲に飛び散った。
すぐ横にいた僕は、体のあちらこちらに石つぶてが直撃して、打撲やら切り傷やらでひどい有り様だ。
「今のは完全に油断した。カール、すまん。助かった」
「ばう!」
お礼を言ってるそばからカールの後ろ足で脇腹を蹴られて横に吹き飛ぶ。
今度はさっきまで僕が尻餅をついていた場所が抉れている。
「いや、これ普通に死ぬでしょ!」
カールが対処してくれなければ、もう二回は殺されていた。それも反応もできない瞬殺で……。
黒豹戦ではモンスターがカールを警戒して一定の距離から近付いて来なかった。あの時は僕もモンスターだと割り切って黒豹を攻撃する事ができた。
でも、今回は人間だ。それも女性。
変貌した理由はよくわからないけど、できれば殺したくはない。
バトルアックスの振り下ろしはカールに邪魔されるのを理解したのか、今度は横薙ぎの構え。
バックステップで距離を取る。
視線を外したら、一瞬で詰め寄られて胴体が上下に分かれそうだ。
「カール、できれば殺さずに無力化したい」
「くぅ~ん」
「難しいのはわかってる。頼む」
「ばう!」
僕は短剣を引き抜いてバトルアックスと相対する。
普通に打ち合ったら短剣なんて木の棒と変わらない。
彼女が振りかぶった隙を狙って走り出す。
「前だけ見てたらダメですよ」
カールが側面から現れて彼女のお腹を左前足で強打。血が吹き出していないから爪は隠してくれたと思う。
《ぐぁぁぁぅぅ!》
再び女性に似つかわしくない低い呻き声。
信じられない事にカールの横からの攻撃を直前で気が付き、地面を踏ん張る事で攻撃に備えた。あの速度に体が反応するのか……。
踏ん張った足が地面を大きく抉る。
お腹を左手で押さえ、バトルアックスを杖代わりにして立ち上がった。
手加減はしていただろうが、カールの一撃を片膝を地面に付けるだけで耐え抜いた。それだけでも賞賛に値する。
その目には未だに闘志が宿っていた。
歯を剥き出しにして口から漏れる大量の涎。彼女からは獣という印象しかない。
どうやら退く気はないようだ。
まだカールの一撃のダメージが残っているため、立っているのがやっと。足はガクガク震えている。
このまま殴り続けて苦しめる事しか道はないのか?
僕は体勢を立て直せていない左側から、さらにお腹を殴る。
短剣で刺すよりはいいだろう。
【身体強化】されたパンチは彼女の防御力を上回った。
とうとうバトルアックスを手放して後ろに吹き飛んだ。
バトルアックスは物騒だから没収する。
呪われた武器を装備していたのが原因で、彼女が狂乱していた方が、僕的には何倍も良かった。だが、そうじゃない。
この武器は力任せに振れる斧としてそれなりに有名だ。
吹き飛んだ彼女のところへ行くと、ピクリとも動かない。
念のため足でツンツンお腹を蹴ってみるが反応はない。どうやら気を失っているようだ。
安心して近付くと彼女が目を開ける。死んだフリならぬ、気絶したフリだったのか。
理解した時にはもう遅い。お腹に蹴りがもろに入った。
カールにも蹴られていたため口から大量の血を吐いてしまう。至近距離にいた彼女にもかかったようだ。
僕が倒れている間に彼女が静かになった。
きっとカールが意識を刈り取ったのだろう。
「カール、【回復魔法(大)】」
「ばう!」
大の字で倒れている僕にカールが近寄り【回復魔法(大)】をかける。
一回の魔力消費量を考えると何度も使える魔法じゃないが、カールの魔力量なら問題ない。一発で傷が塞がり、痛みが消えた。
「カール、ありがとう」
「ばう!」
気を失っている彼女の顔を布で拭く。
戦っている時と違い、とても穏やかな顔だ。綺麗なのに可愛らしい。
冒険者ギルドの人気受付嬢だけの事はある。
――――――――――
「うぅ……あれ……わたし……」
「おはようございます。もう夜だから、こんばんわ、かな?」
「ひっ!」
目を覚ますと男性に顔を覗かれているという状況は恐怖体験だろう。
彼女は小さく悲鳴を上げた。
起きた時の第一声でどちらかわかる。今は冒険者ギルドの人気受付嬢ミラさんだ。
「寝顔がとても可愛くて、二時間ぐらい見入っちゃいましたよ」
明るく言ってみたが、あとで考えたら怖い発言だった。
彼女がバッと飛び退いてこちらを見る。さすがの身のこなしだが、先ほどまでのキレはない。
「くっ……」
お腹と脇腹の痛みで膝を付いた。
暴れられても困るので怪我の治療はしていない。もちろん生死に関わりそうなら治療をしたと思うが……。
彼女は腰のポシェットを開けて手を入れる。
「回復薬がない……」
「寝ている間に持ち物検査をさせてもらいました」
「あなたは誰? わたしを……どうするつもり? こんな山の中まで連れ出して、体が目的なの?」
しゃべりながら、時を稼ぐつもりらしい。
右手を足の方に持っていって、手が止まった。
脛に隠してあった投げナイフも没収済み。
僕はミラさんを存じていたが、どうやら向こうは僕の事を知らないようだ。
一目惚れはしたが、僕はブリーダーギルド所属のDランク冒険者。相手にされるわけがない。それに『増し増し』を使っているから何年経とうが、一生Dランク冒険者のままだ。
だから、高嶺の花は遠くから見守るものと決めていた。こんな機会がなければ話すこともなかっただろう。
「別にそんな事はしませんよ。僕は暴漢じゃない」
「暴漢じゃ……ない?」
「不思議ですか? 今、僕は被害者ですよ。あなたのバトルアックスで二度も死にかけた。まずは謝れ!」
彼女があまり身動きできないのをいいことに拳骨を食らわせた。
カールに合図を送ったので【身体強化】も忘れない。
「いたぃ」
頭を押さえてうずくまる。痛みの間に何があったのか思い出したのか、静かになった。
「このたびは、ご迷惑をおかけしました」
彼女は自分から正座をして謝る。
その顔には先程とは違い理性があった。
「冒険者ギルドの受付嬢が山で冒険者を襲い、殺そうとしました。処分はどうなりますか?」
「ギルド所属の者が殺人未遂とは言え、市民を襲い殺めかけました。斬首されても文句は言えません。生き恥を晒すぐらいならこの場でどうぞ殺してください」
死なれたら明日から冒険者ギルドが大騒ぎになる。
頑張っても会話が成立しなかった場合はどんな未来になっていたかわからないが……。
「命まで取るつもりはありません。謝罪だけで結構です。今後はこのようなことがないように……」
「……それだけですか? お咎めなしですか?」
「今後このようなことがなければ……」
「わたしの体を……その……求めたりはしないのですか? 死ぬよりきつい辱めを要求されても、わたしには拒否する権利はありません」
話した事はなかったが、すごい真面目な人だ。
シルバーレインに戻って僕に襲われたと言えば僕は簡単に逮捕される。誰も僕の言葉に耳を傾けず、みんな無条件でミラさんを信じるだろう。それぐらいにミラさんファンが多数いる。
今の服装もそうだ。
ミラさんの服は地面を転がったせいで、激しく乱れている。
それに対して僕の服は汚れているが土が付いたり、血が付いた程度。
状況証拠だけでも勝てる要素がない。
「今回はこちらに被害らしい被害は出ていませんし……」
「ばう!」
カールもどうでもいいらしい。
実際には打撲や切り傷の怪我をしていたが、カールの回復魔法で完治している。
流れた血は戻らないので、早く食事でもして水分と栄養を補給したい。
「わたしを……あなた様の奴隷にしてくれませんか?」
消え入りそうな声で突然そんな事を言った。
「えっ? なんで?」
「主人なら奴隷の能力に制限をかけられます。今までもストレスのたびにこうやって山で発散させてきたんです。でも、これからも同じではいつか誰かを殺してしまう……。今のわたしは自分の体を自分で制御できないんです。だから……」
詳しい話を聞くと今日ストレス発散のために山に来たら、レベルが五〇になって【狂戦士】のアビリティーを得た。
そのまま【狂戦士】に取り付かれた結果、あのような暴挙をしてしまった。
今は意識がある。だから、今のうちに誰かに主人になってもらい【狂戦士】のアビリティーを封印してもらう。
ただし、それには大きなデメリットがある。
奴隷は主人に逆らえない。それがどれほど危険な結果を招くのか……。
さらに彼女は見目麗しい。『動くな』と命令されれば逃げられない。
「すぐには答えられない。少し考えさせてくれ」
僕は奴隷が欲しいわけじゃない。
一目惚れした相手とは言え、あの獣のような姿を見てしまえば一〇〇年の恋も冷めるというものだ。
「そうですか……わかりました。残念ですが、わたしは自分の手で命を断つことにします」
立ち上がって斧のある方へ歩き出す。
真剣そのもので冗談を言っているようには見えない。
そんな彼女の手を掴んで引き止める。
「なんで? 考える時間をくれよ」
「いつまでですか? 今日中ですか? 明日ですか? 明後日ですか? わたしが……人を殺めた後ですか?」
いつまた意識を奪われるのか、恐怖で仕方がないのだろう。
本来のアビリティーとは常時オン。だからオンオフが存在しないスキルのようなものだ。
それなのに現在は【狂戦士】のアビリティーが眠っている状態。
一分後にはまた暴れている可能性だって捨てきれない。
今は藁にもすがる思いなのかもしれないな。
「わかった、わかった。落ち着け。もう、主人にでも何でもなってやるよ」
可愛い人に涙目で迫られたら拒否できなかった。
「やっぱり男はチョロい」
ボソッと言ったつもりだろうが、静寂の中なので全部聞き取った。
ムカついたので、拳骨を落とす。もちろん【身体強化】済みだ。
彼女は屈んで悶絶している。
「奴隷契約をするぞ」
「あ、その……できれば見えるところは避けて欲しいのですけど……」
奴隷紋は指定した場所に付ける事が出来るが、護衛なら手の甲に付けている事が多い。
美しい女性の場合は自分の物だとアピールするために、服や装備でも隠せない首の側面付近に付けるのが一般的だ。
「僕も特別あなたの害になることをしたいわけじゃないですからね……」
さっきの獣みたいな姿を見た後では、いくら一目惚れしていた相手でも、カールを躾ている気分になる。
どこがいいかと考えていると、彼女は背を向けて上着を脱ぎだした。
「背中ではダメでしょうか?」
戦闘で髪留めが外れたためか、長い黒髪が背中の大部分を隠している。
「そこでいいよ。最後にもう一度だけ確認する。本当に僕の奴隷になるんだね?」
こんな綺麗な人があんな選択をしていいのだろうかと思わなくもない。
「はい。その代わり生涯、ご主人様でいてください」
主人は奴隷の意思に関係なく売買できてしまう。それが懸念材料だったようだ。
ご主人様か……。聞き慣れない単語だな。
「わかった。契約の文言に加えよう」
「ありがとうございます!」
敬語でしゃべられると、調子が狂う。
彼女の背に手を伸ばす。すると彼女は右手で髪の毛をサイドに流した。さっきまで隠れていた背中は真っ白でキレイだ。指先が触れると白い肌がすべすべして気持ちがいい。
「『僕の名はイル、生涯ミラを……』あれ? 名前なんて言うの? ミラでいいの?」
「もう! ミランダです! 皆さんミラって言いますが……」
顔だけをこちらに向けて答える。
唇を尖らせて少しすねてしまった。
これは申し訳ない。
契約を結ぶ時は愛称では成立しない。
「『僕の名はイル、生涯ミランダを奴隷として所有する事を誓います』」
「『わたしの名はミランダ、イル様を主人とする事を誓います』」
お互いに決められた成句を述べると、僕の左胸の辺りから赤い液体が飛び出してくる。液体は他者との接着面を探すようにキョロキョロ浮遊すると右腕の先を目指す。
液体が彼女の背に吸い込まれると「うっ」っと声が漏れた。
手を退けるとそこには奴隷紋を表す赤い花が咲いている。
花びらは八枚あり、奴隷が主人の意に背いたり、違反すると一枚ずつ散っていく。
全ての花弁を失うと奴隷の命の灯火も消えてしまう。
奴隷契約が終わるとミラは上着を戻す。
恥ずかしかったのか顔が真っ赤だ。
「ご、ご主人様、さ、さっそく、あの、あの……アビリティーの制限をお願いしてもいいでしょうか?」
「あぁ。『ミランダの【狂戦士】のアビリティーの使用を禁ずる』」
「ありがとうございます!」