20④-⑥:人類史上初の究極のナルシスト、になる訳ないから。
―こんこん
「は、はい!」
部屋がノックされ、セシルは、はっと我に返って返事をする。すると、じとーっとした目をして入ってきたのは、レスターだった。
「レスター。どしたの、そんな目をして」
「俺の妻に、男2人が会いに行ったと、ロイから聞いたのでね…」
そう言いつつ、レスターは部屋の中にいたテスに視線をやってから、アンリに鋭い視線を移した。
「おい、レスター。妬いてくれるのは勝手だが、俺はセシルの前世だ。何故自分に惚れる可能性を警戒されなくちゃいけないんだ。そもそも、そんなことをしたら、俺は人類史上初の究極のナルシストになるじゃないか。それに、中身は男だとはいえ、俺の今の体は女だ。何も心配することは無い」
テスは呆れのため息を大きくついて見せた。しかし、レスターは「君の事は、別に何とも思っていない」と、アンリの方を睨んだ。睨まれたアンリは、さっきの立った姿勢のまま、どぎまぎと萎縮する。しかし、言う事は言わないとと、アンリは勇気と言葉を振り絞った。
「…ぼ、僕は、セシルの事は何とも思ってないです…ただの友達です!これからもずっと友達として、仲良くしていきたいと思っています!だから、心配など、何もされなくて大丈夫です!」
だが、レスターは、アンリの言葉に納得しない。それどころか、『これからもずっと』の部分が、レスターの癪に触った。
「男女の間に友人関係など成立しない。すなわち、仲良くしたいという事イコール、お前はセシルに気があるという事だ!」
レスターはづかづかとアンリに近づいた。アンリはその怒りの形相に、恐怖を感じ両手を上げる。
「ち、違います!」
「違わない!誰がお前に、これからもずっとセシルの傍にいることを許すか!」
レスターは、アンリの襟ぐりを掴み上げた。しかし、アンリはのっぽであり、レスターの方が背が低いので、様にならない。セシルはその光景に、レスターに少しばかりの幻滅をしていた。
「おいレスター。その論理は無茶苦茶だぞ。男女の間には、友情も芽生えると思うぞ。性別を超えた、人間的な付き合いをしていれば」
テスが呆れつつ言う。
「性別を超える?そんな事、できるものか」
「できます!できているから、僕はセシルの事を友達だと思っているんです!」
「じゃあ、要するにできていなかったら、お前はセシルの事をそう言う対象として見ていたってことだな」
レスターは怒りのままに、アンリの首を締め上げる。なんでそうなる、とテスは呆れのため息をこれ見よがしについた。
「ぐ、ぐるしいです、レスターさん、僕死にます!」
アンリはレスターの手を掴み、必死になって酸素を吸う。
「レスター、もうそれぐらいにしてよ。ホントに死ぬぜ」
セシルは、レスターをアンリから引きはがそうとするが、どうやらレスターは本気の力を出しているらしく、力で全く叶わない。それどころか、だんだんとアンリの顔色が青くなり始めている。セシルは仕方ないと一息つくと、うるうると潤んだ目を作った。
「オレ、レスターがアンリを殺したら、すっごく悲しい。レスターが殺人犯になるなんて、そんなのやだあ」
セシルは、ふえええんと泣き真似をした。すると、レスターは、はっとセシルを振り返り、アンリの喉から手を離した。アンリは床に膝から崩れ落ち、げほげほと咳込んだ。
「ごめん、セシル…もう少しで君を悲しませるところだった」
レスターは悲痛な表情をすると、詫びながらセシルを抱きしめた。
「分かってくれればいいんだ、レスター…!」
セシルもまた、レスターの背に腕を回し、ひしと抱きしめる。
―ちょろいもんよ
セシルは、レスターに抱きつきながら、レスターにはばれないように、テスにウインクとピースをして見せる。
「いつの間に、あんな悪女に…」
テスは小さくつぶやく。そして、『お父さんはそんな子に育てた覚えはない』とテスは思う。
「ああ、そうだ。テス。君に丁度言いたいことがあったんだ」
しばらくして、急に振り返ったレスターに、予期していなかったテスは思わず、「ふへ?」と情けない声を上げた。
そんなテスに、レスターはふふっと可笑しく笑った後、口を開いた。
「ありがとう。君が前世の俺と友人になってくれたおかげで、俺はセシルと出会うことができた。君のおかげで俺とセシルの繋がりができた。だから、とても感謝しているよ」
「…」
「もし俺がセシルと出会わなかったら、今もずっと真っ暗な洞窟の中に居続けたと思う。イルマとの思い出にずっと浸りながら、外の景色を全く見ようとしなかったに違いない。だけど、セシルと出会えたおかげで、俺は新たな世界を見ることができた。そして、幸せになれた…。これは全部、俺とセシルのつながりを生み出してくれた君のおかげだ」
レスターは、深々とテスに頭を下げた。
「ありがとう。テス。本当に感謝している。もちろん、俺を好きになってくれたセシルにも」
「……」
何をどう返事すればいいのか分からず、テスは戸惑いながらセシルを見る。するとセシルもまた、戸惑いの視線をテスに返した。
「…素直に、レスターさんの気持ちを受け取れば良いと思うよ」
2人ははっと、アンリを見た。アンリはよく似た2人を、可笑しさを堪えながら見ていた。
「君たちは、これだけ周りの人達を変えて、救ってくれた。そして幸せにしたんだ。君たちは、僕たちに幸せを運んだ天使だよ。だから、堂々とお礼を受け取れば良いんだよ」
―幸せを運ぶ天使…
セシルとテスは顔を見合わせた。そして、2人は思う。
長い不幸の中でずっと孤独だった自分たちが、誰かの存在に影響を与え、喜ばれている。
その事に、2人はなんだか、くすぐったいような、嬉しいような気がした。そして、産まれてきて良かったとまで、思ってしまう。
「どういたしまして」
セシルは照れくさいながらも改まると、レスターに言った。慣れ親しんだ関係で、今更改まるのもどうかと思ったのだが、真剣に言ってくれたのだから、自分も真剣に言わないといけないと思ったからだ。
「どういたしまして」
テスは、笑顔でレスターに言った。それはリリアから花を受け取った時と同じ、屈託のない笑顔だった。
そんなテスの笑顔を、アンリは、何だか心の奥底から安堵の心地が湧きあがるのを感じつつ見る。
―よかったね、クリスタ
ふとアンリは、そんな心地の中で何かを思った気がするが、すぐに忘れてしまう。
「…さ、そろそろ夕飯の時間だ。宿へ帰ろう」
テスは、先程見せた笑顔をいつもの仏頂面に戻すと、アンリの腕を引き、そそくさと部屋を出て行く。それが、我に返った後の照れ隠しだということは、セシルにはすぐに分かった。あんなに可愛い笑顔を出せるのに、とセシルは惜しく思う。
レスターも、テスの照れ隠しを理解したのか、素直じゃないなあと苦笑していた。
「じゃあ、俺達も夕食としようか」
レスターは、今日はもう用事もないしと、セシルの手をとる。セシルもお腹が空いていたので素直に頷くと、レスターに手を引かれ、部屋を出た。
「…なあ、前から思ってたんだけど、レスター、なんでそんなにアンリを警戒するの?ロイとノルンには何も言わないくせに。後、カイゼルにも」
1階の食堂へ向かい階段を下りながら、セシルは前々から思っていた疑問を口にした。ロイに頭を撫でられても、ノルンと二人きりで話していても、レスターは嫉妬を見せたことなどなかった。それは、レスターは彼らと長年の信頼関係があり、彼らはセシルに絶対に手を出さないと分かっているからという事も考えられる。しかし、レスターは、セシルがカイゼルと話していても嫉妬などしない。そもそも、こんなに嫉妬深かっただろうかと、セシルは首をかしげる。
「…なんというか、あの男だけはセシルに近付けるなと、俺の本能と言うか魂が騒ぐんだ」
レスターは忌々しそうに、唇を噛んだ。きっとアンリの顔を思い浮かべているに違いない。
「なにそれ、そんな根拠のないことで警戒してるの?」
セシルは呆れる。しかし、レスターは、大真面目にセシルを見て言った。
「根拠はなくても、直感的な確信がある。あいつだけは駄目だ、近づくな」
「……」
何かここまで妬かれるような事を、自分はアンリとしたことがあっただろうかと、セシルは不思議に思ったのであった。