20②-⑥:幸せなんて知らなきゃよかった。
「リアン」
「…テス」
部屋から一歩も外へ出ることを許されず、1週間がたった頃、リアンの部屋をテスファンが訪れた。リアンが暗い顔を上げると、テスファンの後ろにはクロエが居た。
「あら、ごきげんよう。お兄様を裏切ったひどい女」
クロエは汚らわしい物を見たかのように、口に手を当てて顔を少し背けた。その手の下の唇は、きっと可笑しそうに歪んでいるのだろうと、リアンには容易に想像がついた。
「…よせ、クロエ。あれは皆の勘違いだったんだから」
「でもお兄様。もしかしたら本当かもしれませんわよ?火の無い所に煙は立たないって言いますし」
クロエは「ね?」と、テスファンの腕に抱きつく。兄に甘える妹の様相を装いつつ、リアンにこれ見よがしに見せているのだ。
「何の用?」
クロエまで連れてきて、今更一体何の用だ。リアンはテスファンを睨んだ。しかし、テスファンは仏頂面のままだ。
「…ちょっとな。クロエ、すまないが少しこの場を外してくれないか」
「ええ~、一人でいるのはつまらないですのに」
「いいから」
クロエはテスファンに強い調子で言われ、しぶしぶと部屋を出て行く。
テスファンは、クロエが廊下に居なくなったのを確認してから、部屋の扉を閉めた。そして、ベッドに腰掛けているリアンの隣に座った。
「…こうして二人きりで話をするのは、久しぶりだな」
「……」
リアンは何も返事をせず、じっと黙っていた。だが、テスファンはぎこちないながらも、いつもどおりな様子を装い、近況を聞いてくる。
きっと今頃になって、夫婦の溝というものに気づき、それを埋めようとしているのだろう。
しかしリアンは、今更そんな風に話しかけられたところで、素直に会話に応じる気分にはなれなかった。
それでもテスファンは、懸命にリアンに話しかけていた。しかし、リアンはベッドに腰掛けたまま、黙ってうつむいていた。
やがてテスファンは、はあと苛立ち混じりのため息をついた。そして、面倒くさそうにリアンを見る。
「分かったよ、謝ればいいんだろ?…ほったらかしにしててごめん、クロエに構いすぎた。…だけどさ、あいつサーベルンですごく苦労して、未だにその頃の事を夢に見ては怯えているみたいだから、僕が支えてやらなくちゃいけないんだよ。だから、お前も少しは理解してくれよ。これからは、ちゃんとお前の事だって構うから。な?…だから機嫌直せよ」
「……」
軽い調子で言われた言葉に、リアンはいらっとした。だから、リアンはぷいと顔を背けた。
「……なんだよ」
そんなリアンに、苛立ちを募らせたテスファンは、リアンに覆いかぶさり押し倒した。
「…ちょっと、何を!」
リアンは驚いて抵抗するが、テスファンは構わず、リアンの服の前を勢いよくはだけさせた。
「ちょっと構ってもらえなかっただけで、拗ねやがって。こうすればいいんだろ?」
「…はぁ?!ちょっと!やめて!」
「…っ!!?」
リアンは思わずテスファンの頬を叩いた。テスファンは驚きの表情でリアンを見たが、その表情はすぐに怒りと疑いの表情になる。
「嫌がるなんて。もしかしてお前、本当にクルトと…」
「そんな訳ないでしょ!テスが反省してないから!」
「反省してないって、僕はちゃんと謝ったぞ」
「謝っても全然反省してないじゃない!」
「謝ったのに、ごちゃごちゃとうるさいな!」
「…!!」
今度はリアンが頬を叩かれた。本気としか思えない痛みに呆然とするリアンにかまわず、テスファンはリアンの服を引っぺがした。そして、逃げようとするリアンを押し倒し、事に及んだ。
愛と言うよりは苛立ち混じりに行われている行為に、リアンは最後まで抵抗したが、その度に手荒に押さえつけられ、手首には痣ができるほどだった。
そして事が終わった後、テスファンは、仕事は終わったと言わんばかりに、さっさと部屋を出て行ってしまった。
一人部屋に取り残されたリアンは、掛布団を握りしめ嗚咽を零した。
「…もうやだ…」
一人ぼっち。助けに来てくれる者は誰もいない。
こんな事になるくらいなら、化け物と蔑まれてでも、洞窟にずっと閉じ込められていた方がましだった。あの頃は幸せなんてものを知らなかったから、一人ぼっちであることを、それほど悲しむことはなかった。ただただ、あきらめがあっただけ。
今は、誰かと共に居る幸せを知ってしまった事で、一人ぼっちがとても怖く、心細いものになっていた。そして、とても不幸で、自分が消えてしまいたくなるほどの悲痛なものになっていた。
―また一人ぼっちになるのなら、幸せなんてもの、いらなかったのに
神様はひどいと思う。どうせ不幸になるのなら、幸せなどくれずに、ずっと不幸のまま、そうとも知らずに居させてくれたらよかったのに。
「テス…どうして僕を好きになったの…?どうせいらなくなるのなら、なんで…」
リアンは声を上げて、一人泣いた。