20②-⑤:人は変わる
「陛下。どうしてリアン様を信用しないのですか?!」
そんな状況に、ついにクルトは、声を荒げてテスファンに詰め寄った。しかし、テスファンは、おかしいのはリアンの方だと言い張った。
「クロエが苛めなんて、そんなひどいことをするはずがない。いじめられている子がいたら、飛んで助けに行くような子なんだぞ。それに、花や生き物が大好きな、心優しい子だ。傷ついている小鳥がいたら、一晩中寝ずに、付きっきりで看病をするような」
「陛下。お言葉ですが、それはいつの時代のお話ですか?…人間は変わるんです。時と共に。しかも長らく会っていない相手となれば、相手はその間にどう変わっているか、把握することすらできません」
クルトは、そこでいったん話を区切ると、テスファンの目をまっすぐに見た。
「あの女はクロエ様ではありません」
「お前は何を訳の分からないことを言っているんだ?どっからどう見たって、あの子はクロエだ」
「いいえ。…確かに昔のクロエ様は心優しい女の子でした。しかし、今のクロエ様は、その頃の少女の皮をかぶった、得体のしれない化け物です」
「お前は、クロエの事を化け物呼ばわりするのか?!」
テスファンは怒りのままに、クルトに詰め寄る。しかし、クルトは、たじろぐことなく続ける。
「例えです。ですが、はっきりと申し上げます。彼女は変わってしまわれた。きっとサーベルンに囚われていた時間が、彼女を変えてしまったのでしょう。それは同情いたします。ですがいくら可哀そうでも、今現在、あなた様の妻はリアン様です。あなた様にとっては、リアン様が一番大切な存在のはずです。…陛下はそれをお忘れではありませんか?そして、まずは妻の事を信じ守ろうとするのが、同義ではありませんか?」
「クロエは何一つ変わっていない。…それに、100歩譲って、お前の言う事が本当だとすれば、彼女をサーベルンから守れなかった僕に責任がある。彼女が元の彼女に戻れるように、僕が傍にいて支え、守ってやらなければならない。それが、あの時彼女を守れなかった僕にできる、せめてもの償いだ。それに、それでクロエが元のクロエに戻れば、リアンを苛めることも無くなるだろ?」
テスファンは「それならいいだろ?」と、満足げに一人頷いた。そんなテスファンを、クルトは咎めるように見る。
「陛下。過去の償いをするよりもまず先に、今現在の事を見てください。今、現在、リアン様たちがどれだけ辛い思いをしているか、それを分かってやってください」
「…先程から、訳の分からない説教を延々と」
叱られる覚えがまったくないテスファンは、苛立ち混じりの声をあげた。
「お前は昔からそうだ。僕のやる事為すことに、いちいちケチをつけて説教する。…クロエを見て、つくづくお前とは違うと思うよ。少しはクロエを見習え」
テスファンは、何でも「その通りです、お兄様」と頷いてくれるクロエの事を思いながら、言った。
「出て行け。気分が悪い。今は、リアンのせいで落ち込んだクロエを励ますことが、第一だ」
「陛下…人の話を聞いていましたか「うるさい、出て行け!」
テスファンは、クルトに向かって怒鳴った。強い眼光で睨まれ、クルトは仕方なく扉の方へと向かう。
―陛下をここまで変えたのも、あの女のせいか…
クルトは不安な心地を胸に、部屋を後にした。閉じた扉に背をつけ、額に手をやりため息をつく。
―こうなってしまっては、どうしようもない
自分の言葉を聞く素直さが、ほんの少しでも残っていればよかったのだが。
テスファンの言う事為す事を何でも肯定するクロエの存在のせいで、今やテスファンは、我儘な男になってしまっていた。
―これから、一体どうなってしまうのだろうか
今のところは、テスファンは、クロエの事を妹のように可愛がっているだけだ。だが、次第にそうと言うには、やや過剰になってきている。
もしかしたら、そのうちクロエを側室にすると言い出すかもしれない。そうなったら、リアン達がどれほど傷つくか。
それに、そうなったらクロエが本格的に、リアンの王妃の座を狙い始めるだろう。
「……」
クルトは、どうしたものかと頭を抱えた。自分できる事と言えば、国王たるテスファンに忠告を進言すること。しかし、テスファンはそれに聞く耳を持たないのだから、もうどうしようもない。
―クロエを嵌めて追い出すか…?
クルトは唇に親指を当てる。そして、うまくいくかどうかは分からないが、クロエを追い出す方法を考えようとした。
だが、クルトは良心が痛み、考えるのをすぐにやめた。
クルトも、クロエの事は小さい頃から知っていた。そして、彼もまたテスファンと共に、クロエとよく遊んでいた。いくら変わってしまったとは言え、サーベルンで苦労してきただろう彼女を相手に、クルトは非情になりきれなかった。
―とにかく。今はまず、リアン達の心を支えてあげなければ
他の女に騙され心を奪われてしまった、情けない男の代わりに、自分が。
クルトはそう決意すると、廊下を歩み始めた。
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その日からクルトは仕事の合間に、リアンとシリルの元へ頻繁に赴くようになった。そして、気晴らしになればと、彼らの話し相手となった。また、花を贈ったり、任務の際にはお土産を買ってきてあげるなど、細やかな気を利かせるようになった。
その甲斐あって、孤独だった母子の顔に、少しずつ笑顔が戻るようになった。
そしてリアンは、気分が良い日には、シリルとクルトと共に、城の庭を散策する程にまで回復した。
リアンは次第に、毎日自分たちを気遣ってくれるクルトを、心の底から信頼して頼るようになった。シリルも、実の父親よりも彼に甘えるようになった。
クルトもまた、そんな日々の中で、リアン達に対して愛おしさに似た感情を抱くようになった。それは恋慕と言うよりは、家族に対する親愛の情だった。
クルトは当初、リアン達との関わり合いの中で、自身も家族を持てばこうなるのだろうかという憧憬を持っていただけだった。だが、今やクルトは、自身が彼らを守らなければならないという、一家の主にでもなったかのような義務感に満ちていた。
そんなある日だった
―王妃様と、クルト様がそういう仲になっているらしいわよ
リアンとクルトの仲を疑う噂が、流れ始めたのは。
テスファンに詰め寄られたクルトは、事の次第を説明した上で否定した。そして、それと共に、テスファンに、もっとリアン達の傍にいるように忠告した。
テスファンは、長年一緒にいる親友が、自身の妻に手を出すはずなどないと、すぐにクルトの言う事を信じた。しかし、クロエの事に関しての忠告は、クルトとリアンの思い過ごしだと相手にはしなかった。
そして、テスファンは、これ以上余計な噂が広まらない為と、クルトにリアンと会う事を禁じた。更にリアンには、部屋から一歩も出ないようにと命じたのであった。