20②-②:クロエ
「初めまして。クロエ・ハートフィールと申します」
栗色のウェーブがかった髪をまとめた、緑色の瞳の美しい女性。
初めてテスファンから彼女―クロエを紹介された時、リアンは複雑な気持ちが顔に出ていないか不安に思いながら、自己紹介を返した。
すると、クロエはにこりと穏やかに笑って、「こちらこそ、よろしくお願い致します」とリアンに言った。かつての婚約者の妻を前にしても、全く何も思っていない風で、友好の念すらリアンは感じとることができた。だからリアンは、落ち着いた大人の女性なのだな、とこの時感心していた。
だけど、その考えはしばらく後に、悉く打ち消されることとなった。
「王妃様。このようなこともできないのですか」
「……」
リアンは皆から呆れの視線を浴び、何も言えずにうつむいた。
リアンがクロエに誘われて出たのは、貴族の女性達の集まり。お茶会をすると聞いて来たのに、そこでは皆が刺繍をしていた。
リアンがどういう事なのかクロエに聞こうとするが早いか、リアンはクロエにその輪に加えさせられた。そして、クロエは顔だけは笑顔で、リアンに刺繍道具を半ば強引に押し付けたのだ。
リアンは刺繍などしたこともなかった。だから、ただ道具を手にしたまま、呆然と椅子に座っていて今の状況に至る。
「しかたないですわよ。北の山奥にずっと籠っていらっしゃったんですものね」
「それに今まで戦場ばかりを駆け回っていらっしゃったんですもの、刺繍を習う余裕なんて、ある訳もありませんものね」
その場に居た女性たちは、皆同情めいた口調で話しているものの、目には蔑んだ色を浮かべていた。
「できないのなら、わざわざ無理して参加されることもありませんのに」
誰かがそう言った。その言葉には、呆れがにじみ出ていた。だから、リアンは、クロエからお茶会と聞いてやってきた旨を言おうとした。だが、それよりも一寸早く、クロエが口を開いた。
「王妃様がどうしても、って言うから連れてきましたの。王妃様は今まで、サーベルンの支配から人々を助けるために奔走してこられたんですもの。忙しくて、ご友人を作る暇もなかったに違いありません。だから、きっとこれをきっかけに、皆さんと仲良くなりたいと思ったんですわ」
「…」
この時、詳しくは分からないが、リアンは自身がクロエの策略に嵌ったことを知った。と、その時、クロエがにっこりとした笑みをリアンに向けた。
「…可哀想に。ご無理をなさっていると気づかず、申し訳ありません。お詫びに、私が教えてさしあげますわ」
クロエはリアンの隣に椅子を持ってくると、リアンの手から針と刺繍枠を取り上げる。そして、こうこうこうするのよと、リアンに説明し始めた。
「さすがですわ、クロエ様」
「本当にお優しいですわね、クロエ様」
皆はそんなクロエに賞賛の視線を送る。
「……」
リアンは何も言えない。そして、唖然とした心地のままにクロエの顔を見た。しかし、クロエはにこにことしていて、全く腹の中が読めなかった。
ただ、リアンはその日初めて、彼女が自身を良く思っていないこと、そして自身を何やら陥れようとしていることだけは知った。