20-⑧:名前
「お前ら、よくもこんなに可愛いものを、躊躇なく殺せるよな…」
秋の森の中。テスファンはうるうると涙目になって、地面に倒れ伏す鹿を見ていた。その鹿の喉には、細い矢が刺さっている。
「僕は鹿ちゃんを殺させるために、お前に弓を教えたんじゃないのに…」
テスファンは少女を前に、地面に手をついてうなだれた。
「実戦を経験させられない以上、こうやって練習するのが一番なんですから、仕方ないじゃありませんか」
クルトは、うなだれるテスファンを呆れ混じりに見る。
「それに、今日の夕飯のためにも仕方ないじゃない。いつまでも長さんの好意に甘えて、ただ飯食っている訳にはいかないもん」
「お前、いつの間にそんな言葉まで…」
しおしおと泣き続けるテスファンを放って、少女は弓を担ぎ直すと、重力魔法を使って鹿を浮かせて運ぶ。
「それにしても、弓うまくなりましたね」
「でしょでしょ?後は的の小さいやつ…うさぎでも狙おうかな」
「駄目だ!うさぎちゃんだけは!うさぎちゃんだけは止めてくれ!!」
テスファンは泣きながら、少女の腕に取りすがる。
「ええ~、だってあれ、おいしいじゃない」
少女は口をとがらせる。
「おいしくても駄目だ!あれだけは許してくれ!」
「殿下もうさぎのミートパイは好きでしょう?それに、うさぎでなくとも、誰かが殺しているのを毎日、我々は肉として食べているんですよ。なのに殺すなって…」
「分かってる、分かってるけど、僕は、目の前で可愛いものが殺されていくのに耐えられないんだ」
テスファンは、自分の胸を抱いて苦しげに言う。大げさだなあと、少女は呆れる。
「じゃあさ、先に帰っててよ。それなら可愛いものが殺されるのを見なくてすむでしょ?」
少女はポリポリと頭を掻きながら、面倒くさそうに言った。
「そ、それは…」
すると、テスファンは急に戸惑い始めた。そして何やら、ちらちらとクルトの顔色を窺っては、心配そうに少女の方を向くのだ。
「…?」
少女は、テスファンのその行動を不思議に思い、怪訝そうに見た。
「何?」
「いや、その、」
テスファンは、少女の問いに口を開きかけたが、すぐにもごもごと口を閉じてしまう。
「はっきり言ってよ。気になるじゃない」
「…要するに、あれでしょう?」
クルトは、そんなテスファンを横目に見ながら、しれっと言った。
「あれ?」
「あれですよ、あれ」
「…?」
『あれ』の指し示すものが全く分からず、少女は首を傾げる。
「あれじゃない!あれな訳ないだろ!」
だが、『あれ』の意味を理解したらしいテスファンは、顔を真っ赤にしてクルトに叫ぶ。
「大丈夫ですよ。別に私は、彼女をどうとは思っていませんから」
「だから、あれじゃないって!」
「…あれってなんなの?」
一人話から取り残された少女は、不思議そうに二人の「あれですよね」「あれじゃない!」の応酬を見ていた。
いつまでたっても、そのやり取りは終わりそうにないので、少女は獲物を地面に降ろすと、傍にあった木の根元に腰掛けた。そして、することもないので、言いあう二人の様子をぼけっと見ていた。
「あれじゃない!」
「あれですよね」
「だから、あれじゃないってば!」
「だから、あれですよね」
しかしやがて、クルトは面倒くさそうなため息をつくと、少女を向いて言った。
「お嬢さん、殿下は私に嫉妬されてるんですよ」
「…?」
やっと応酬に終わりが見えたのは良いが、急に話しかけられて少女は戸惑う。
「殿下はね、どうやらあなたに気があるようです。だから、私とあなたを―男女を二人きりにして帰るのを、不安に思われているようです」
「気が、ある?」
そんな言葉、ジークから習っていない。どういう意味か聞こうと少女が口を開きかけた時、テスファンが顔を真っ赤にして叫んだ。
「僕がこんなおチビに惚れる訳ないから!」
「僕、チビじゃないから!」
少女は怒りに顔を真っ赤にさせると、立ち上がって叫んだ。
「……」
普通そっちに着目するだろうか、と、この時クルトは心の中で呆れた。
「チビじゃん。こんなに背が低いくせに。おチビ以外の何と呼べって言うんだよ。名前も忘れたくせに!」
照れ隠しに、必要以上に強い調子で、テスファンは少女に叫んでしまう。
すると、少女はいつものように怒るどころか、今の言葉が心の琴線に触れてしまったようで、目から涙をあふれさせ始めた。だから、テスファンはしまったと焦る。
「…僕だって忘れたくて忘れたんじゃないよ。だって、みんなみんな、僕の事バケモノって呼ぶから…」
「ごめん、今のは言いすぎた…」
「…どうせ僕なんか、僕なんか…」
少女は地面にしゃがみ込み、しおしおと泣き始めた。テスファンはと言うと、おろおろと少女の前で右往左往している。
―どうしてこうなった
クルトは、はあとため息をつく。
クルトは、テスファンが少女に想いを寄せていることを、とうの昔に知っていた。と言うのは、クルトが少女の魔法の鍛錬をする際、テスファンは最初の頃はクルトにまかせっきりだったのに、次第に見学と称して2人の様子を見に来るようになり、最近は「僕も手伝う」と加わるようになったからだ。少女に弓を教えたのも、テスファンである。
そして、クルトが少女の体に触れて指導したり、テスファンを差し置いて少女と会話に夢中になったりすると、テスファンは、はらはらとした様子で見ていたり、横槍を入れたりするようになった。それを恋した男の行動と言わずして、何と言うのだろう。
だから、テスファンに、想いをはっきりと少女に伝えさせておこうと、クルトは良かれと思って今回の行動をとった。
しかし、混沌としてしまった現在の状況に、クルトはどうしたものかと、もう一度ため息をつく。
どうしたらこの状況を改善できるのか。その悩みはテスファンも同じで、彼はしばらくの間、「あああ」と唸りながら頭を掻きむしっていた。
だが、やがて、はっと何かを思いついて顔を上げた。
「…そうだ。僕がお前に新しく名前を付けてやる」
テスファンは妙案だ、と内心でぱちんと指を鳴らした。
「お前が考えた名前なんてやだ」
「そ、んな」
即答され、テスファンは、がーんとショックを受けた。
「まあまあ、そう言わずに。ここは1つ考えてもらいましょうよ」
クルトは即座に助け舟を出す。少女の肩に優しく手をやり、なだめるように言う。
「…うん」
すると、少女は素直に頷いたので、テスファンはほっとすると同時に、何だかクルトに負けてしまったかのような嫉妬を覚えた。だが、テスファンは、少女に機嫌を直してもらう事の方が先だと思い直す。そして、テスファンは腕を組むと、少女に似合いそうな名前を、うんうんと頭の中で考える。
「ええと、そうだな……お前の名前はジュリアンだ」
「ジュリアン?」
「ああ、可愛い名前だろ?お前にぴったりの。ちなみにあだ名はリアンだ」
その時、その名前の由来を知るクルトだけは、『やっぱりうちの殿下は阿呆だ』と思っていた。
「…」
少女は、その名前の響きがとても綺麗だと思った。あだ名も可愛い。そして、何よりも、その綺麗な名前が、自身にぴったりだと言ってもらえているのが嬉しかった。
「どうだ?」
テスファンは、気に入ってくれただろうかと、不安げに少女の顔を覗き込む。
「うん。それでいい」
こくんと少女が頷くと、テスファンは、ぱあっと顔を明るくした。
「じゃあ、よろしくな。リアン」
「うん、テスファン」
少女は立ち上がると、涙を頬につけたまま、にこりと笑った。なんだか嬉しくて照れくさくて、テスファンは頭を掻きながら口を開く。
「お前も、僕の事をあだ名でテスって呼べ。テスファンって、長いから呼びにくいだろ?僕の家族だけがそう呼んでいたんだけど、お前にも特別にそう呼ばせてやる」
「相変わらず偉そうだね、素直にそう呼んでくれって言えばいいのに。まあいいよ。よろしくテス」
この数か月の付き合いで、よく彼の性格を知っている少女―リアンはくすくすと笑った。
そして、弓を背負いなおす。
「…じゃあ、早速狩りの続きだね。確か、次はうさぎだったね」
「えっ、ちょっと!その話はもう終わったんじゃ…」
「終わってないよ、何言ってるの」
「そんな…頼む!やめてくれ!」
テスファンは、ぱちんと両手を合わせて懇願した。リアンは、「ええ~」と面倒くさそうに言う。
「頼むから!この通り!」
テスファンは、土下座をした。亡国とは言え、一国の王子が必死になって土下座をするという状況に、リアンは若干引いた。この男、どこまで可愛いものへの愛が深いのか。
「…わかったよ。今日は鹿だけにしておくよ」
「ホントか!ありがと!さすが僕が惚れた女だ!」
テスファンは喜びのあまり、リアンに抱きついた。そして、ぎゅうぎゅうと抱きしめ、わしゃわしゃわしゃとリアンの頭を掻きなでる。
そうして暫くして、テスファンは、はっと我に返る。そして、自分がつい言ってしまった言葉に、今更どぎまぎとする。
テスファンが恐る恐る離れると、やはりリアンは、真っ赤な顔になったまま固まっていた。
「ほ、惚れたって…」
リアンもまた、どぎまぎとテスを見る。
「…あっ、その、ええと、それは、その」
テスファンは、助けを求めるかのようにクルトを見た。しかし、クルトは視線をさっと逸らすと、背を向けた。
「さて、私は先に帰りましょうか」
「クルト!待て!」
テスファンが駆けだすよりも先に、風の魔法に乗ったクルトは、すたこらさっさ~と言わんばかりに、木々の間に消えていく。