20-⑦:ちゃん
「肉球うぅぅ、この肉球最高だなおい、お前最高だよ」
テスファンは、すりすりすりと猫に頬刷りをする。猫はにゃあにゃあと迷惑そうな表情でわめいているが、テスファンは知ったこっちゃない。
「にゃあにゃあにゃあ」
猫は「お願いだから離してくれ」と喚いた。
「何?君も僕の事が大好きだって?僕も君の事が大好きだよ」
自身の喚きが全く違う言葉として受け取られた猫は、あろうことかテスファンにべろべろとほっぺ―やがては顔全部を舐められて、悲鳴を上げた。
「なあ、お前どこの家の子だ?なあ、お前野良なのか?野良だったら僕が飼ってやるよ」
「にゃあにゃあふにゃあ!!」
猫は「野良のままでいいから、離してくれ!!」と叫んだ。しかし、そんな事、テスファンは知る由もない。
「何だって?猫語じゃなきゃ分からないって?じゃあ、猫語で、にゃあにゃあにゃにゃにゃあ?」
「……何してるの」
「にゃ!?」
急にかけられた声に、テスファンは、猫のような声をあげて固まった。その隙にと言わんばかりに、猫はテスファンの手から逃げていく。
「…い、いつからここに!」
屋敷の庭に迷い込んできた猫を堪能していたテスファンは、いつの間にか後ろに立っていた少女に驚愕した。
そんなテスファンを、少女は微妙な視線で見る。
「い、いや違うんだ。これはその、猫が可愛すぎるから悪いんで、僕が我を失っただけで」
恥ずかしい所を見られたテスファンは、慌てて言い訳をするが、焦り過ぎて呂律が回っていない。
「…と言うように、可愛い動物に目が無いわけです、殿下は。今みたいに猫を殿下の傍に寄越せば、何も疑うことなく、すぐに食いついてくるみたいに」
少女の隣に立っていたクルトは、込み上げてくる可笑しい心地を堪えつつ、淡々と少女に告げる。
「…そうなんだ」
少女は微妙な顔をしたまま、クルトに感情の無い声で答える。
「…クルト、お前謀ったな」
テスファンは、クルトを睨む。自分が可愛らしい動物を好きな事―まあこれは他の者も知ってはいたが、我を失うほどに好きだとは知らない―は、親兄弟か、幼い頃から共に居た従者しか知らない秘密。それを、よりによってこの少女に教えるなんて!
「別に謀ったつもりはありません。彼女は後々、あなたと一心同体となって戦う身。だから、お互いの事をよく知ってもらった方が、何かと都合が良いのではないかと思いまして」
クルトは、しれーっと視線をあさってに逸らしながら言う。
「だからと言って、その事まで教える必要はないだろ!」
「…テスファンって、偉そうな事ばっか言っているわりに、そんなものが好きだったんだ。しかも、嫌がってるのに猫の顔をなめまわすとか…」
少女はドン引き~と引いて見せる。
「嫌がってなかったって!喜んでたのに、お前らが急に来るから、びっくりして逃げていったんだ!」
「…そっちの方を否定するんだ…」
少女は必死になって否定するテスファンを、どこか唖然とした心地で見る。
「…殿下の父君も母君も、男たる者がそんなものを可愛がっていては軟弱者になるからと、止めさせようとしたのですが、どうしても改善できずに今の今まできております。本人も異常なまでの可愛がりようだと認識はしているのですが、可愛いものを目にするとどうしても我慢ができずに止められず、人目のない所では先程のような状態になります」
「……人目がある時に可愛いものを見たらどうなるの?」
「昔は目の色を変えて飛び付こうとするものですから、私が羽交い絞めにして止めておりました。さすがに17歳となった今では、私が止めずとも我慢ができるぐらいに成長してはおりますが、我慢している最中には禁断症状のように額に汗をかき、手が震えておりますね」
「…へえ」
少女は呆れつつ、テスファンを見る。
「…クルト、お前クビだ!今すぐ僕の従者をやめろ!」
テスファンはクルトを指差し、叫んだ。やりすぎたのではないだろうかと、少女は不安になってクルトの顔を見上げた。しかし、クルトは平然としている。
「…辞めても良いですが、その場合、もうあなたに忠誠を誓う必要もなくなるので、あなたの秘密を全部お嬢さんにお教えしますが」
クルトは、にたあっと笑ってテスファンを見る。
すると、テスファンはぐぐぐと拳を握り、何も言う事が出来ずにクルトを睨んでいる。
「…わかった…クビはなしだ」
やがて、悔しそうにテスファンはそう言った。「わかったならいいですよ」と、クルトはどこか得意気になって言う。
「くそっ、猫ちゃんは逃げるわ、秘密はばれるわ、散々だ」
―猫にちゃん付けするんだ
少女は可笑しな心地で、どすどすと足音を立てて屋敷に戻るテスファンを見ていた。
今までのされっぱなしの気分が、一気に解消されたような、すかっとした気分になる。
「という事で、お嬢さん。これがお礼です」
クルトがにたっと笑って、「どうでしょう?」と首を傾げて少女を見る。
「うん、さっぱりしたよ。ありがたく受け取っておくね」
少女は満面の笑みで、クルトに大きく頷いたのだった。