17-⑭:クローバーの花(★挿絵あり)
「…はっ」
器材を消毒している最中だというのに、机でうつらうつらと船をこいでいたテスは、我に返って顔を上げた。
「す、すまない、いつの間にか居眠りを」
テスは、自身の肩を叩いたアンリを振り返る。アンリは、目の下にクマを飼っているテスをやれやれと見た。
「テス、君は頑張り過ぎなんだよ。少しは休憩したらどう?後は僕が代わるから」
「ああ、ありがとう」
テスは目を擦りながら、素直に頷く。
「はいこれ」
アンリが差し出した手には、準備のいいことに水の入ったコップが持たれていた。
「ありがとう」
テスはそれを素直に受け取ると、口をつけた。冷たい水が、テスの乾いた体に染みわたる。
テスがアンリに自身の事について話したあの日以来、テスはアンリと共に居る時間が多くなった。アンリがテスの元居た世界等についてとても興味を持っていて、しばしば質問攻めをしに来ることが主な原因だったが、今や単なる雑談をしたり、冗談などを言い合える仲となっていた。
「じゃあ、少し仮眠させてもらうよ」
テスがそう言いつつ立ち上がった時、廊下でとたとたと足音がした。この足音は子供だなと思いつつテスが部屋のドアを開けたのと、その足音が止まったのはほぼ同時だった。
「テスせんせえ~」
「?」
女の子は、開けられたドアの前で、後ろ手ににこにことしていた。そしていきなり女の子は、テスに「はい」と手に持った何かを突きだす。
そこには握られた一輪の白詰草があった。
「あのね、ありがと。テスせんせいのおかげで、ガラスささってたところもういたくなくなったの。だから、これおれい」
「……」
この女の子は、体に割れたガラスが突き刺さりひどい有様となって、テスの元に運ばれてきた子だった。この女の子の事をテスは、女の子だから傷跡が残るのは嫌だろうと気にしていたからよく覚えていた。原子魔法を使って治してやれば傷跡も残らないから一番良いのだが、今は使えないのだから仕方がない。
「…これを俺に?」
「うん」
女の子はえへへと照れて笑った。しかし、テスは目線を少し逸らせた。
何故なら、テスは治療行為はしていたものの、厳密に言えばセシルとしての自身は先生―医者ではない。人手不足を補うために、医者の代理をしているだけだ。
―受け取りなよ。君は堂々と受け取れるだけの事をしていたじゃないか
そんなテスに、アンリは優しい目で目くばせをする。
「…」
アンリの目を見たテスは、おずおずと手を出した。そして、こわごわと花に手を伸ばす。
女の子はテスが花を受け取ると、嬉しそうににっと笑った。そして、またとてとてと駆けて行ってしまう。
その背を見送り見えなくなった後も、テスは花を握ったまま、じっと女の子が消えた廊下の先を見ていた。しかし、やがてぽつりと口を開く。
「ただの草を貰って心の底からうれしいと思う俺は、馬鹿なのかな」
「本当に素直じゃないね、君って人は。うれしいと素直に言えばいいのに」
「うれしい」
アンリの指摘に、テスは意外にもあっさりと言った。そして、歯を出して笑った。
「うれしい、とっても嬉しい。前はこんなことなかったから。誰かを治療してもすぐに死んでしまうのがわかっていたから、こんなに安心してうれしく思えるのは初めてだ…!」
テスは、屈託のない笑顔で花を抱きしめるようにした。
「……」
そんなテスの初めて見る表情に、これがきっと本来の表情なんだろうなとアンリは思った。平和な世界に産まれていれば、当たり前にするはずだった笑顔。その笑顔をしているテスを、アンリは優しい心地で見守る。
「俺、色々あったけど、今日という日を迎えられて良かった。今までのひどい人生も、この日のためにあったと思えば、もうどうでもよくなってきた…」
「…」
頬を紅潮させて、テスは花を見る。
そんな嬉しそうなテスを見ることができてまた、自分も良かったとアンリは思う。なんだか心の奥底のあたりがほっとして、温かい気持ちになるのに、アンリは口元をほころばせた。
「それにしても花なんてよく残ってたな。こんな瓦礫の山のどこから見つけてきたんだか。さらに言えば、今は冬だっていうのに」
「…きっと雑草だから強いんだね」
「そうだな。うらやましい限りだ。……ん?」
その時、2人の脇にあったランプが、ちかちかっと瞬いた。かと思うと、ぷつんと明かりが消える。
「…あれ?故障か?」
テスはスイッチをカチカチとおすが、再び明かりがつくことは無かった。
「多分魔晶石の寿命だよ。替えを探しておくよ。君は気にせず休憩に行って」
「ああ」
テスは返事も生半可に、足早に部屋を立ち去っていく。その足取りは、誰の目にも分かりやすく、るんるんとしている。
きっと嬉しくて仮眠どころじゃないだろうと、アンリは少し可笑しく、そして微笑ましく思いながらテスを見送った。そして、アンリは部屋の中に戻ると、ランプを持ち上げた。
今は昼間とは言え、建物の中は薄暗い。正確な作業を行い、正確な治療を施すためにも、病院内では明かりは必須のものだ。アンリは切れた魔晶石を取り出そうと、ランプの部品を外した。
「…あれ?」
しかし、ランプの中からころんと出てきたのは水色の魔晶石だった。アンリは首をかしげる。
この病院は備蓄するため、一括でどっさりとランプ用の魔晶石を買うのだが、それは毎度毎度赤色だったような気がするのに。
「…」
たまたま、色が違うのが混ざっていたのだろう。アンリはさして気にせず、地下の備蓄庫へと向かったのであった。
挿絵はシンカワメグム様に描いていただきました!