表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ネジ巻き男

「ネジを見ませんでしたか」


 日曜の午後、声をかけられた。私は家で、庭の花に水をやっていた。

 塀の向こうに見知らぬ男が立っている。灰色の制帽を被り、ごくごく事務的な顔をしていた。


「ネジ?」

「はい、ネジです」


 私は首を傾げた。

 ネジ? 聞き間違いだろうか。


「ゼンマイを回すための、指で掴んで回す、あのネジですよ」


 ようやく合点した。どうやら聞き間違いではなかったらしい。

 私は長く伸ばしたホースを放り出し、蛇口を捻りに行った。

 塀の前に戻ってきても、男達は相変わらずの顔で立っていた。人数は、三人に増えている。後ろを見ると、白いバンが停まっていた。


「よく分からないのですが、その、どのようなネジですか? 何か、こう、パーツを落されたのですか?」


 男は後ろにいる仲間と、何ごとか話していた。

 からかわれているのだろうか。それにしては男の表情は真面目で、身なりもきちんとしている。灰色のツナギ姿も、ガスか電気の修理員といった風情である。


「すぐに済みます。ご主人のお庭を、拝見してもよろしいでしょうか?」


 男達の態度は、断るのがはばかられるほど、真に迫っていた。少なくとも、単なるいたずらではなさそうだ。断る理由を考えるのもおっくうだ。


「とても大事なことなのです」

「分かりました」


 私は頷いた。

 塀のないところで彼らの姿を見ると、私はあることに気が付いた。胸の辺りに不思議な言葉がプリントされているのだ。丁度、会社の文字が入るような位置に。


 『あなたがネジに気づく時』、とだけ書かれていた。


 首をひねる。キャッチコピーにしても、不思議な言葉だからだ。


「あの、何か?」

「いえ。さぁ、どうぞ」


 庭へ招き入れると、三人の男達は、花壇の中や、物置の近くなどをしばらくの間探していた。

 六月の空気は蒸し暑い。男達は汗をかきながらも、懸命に何かを探していた。


「あったぞ!」


 奥の花壇で声があがった。

 近寄っていって、驚いた。

 地面から、本当に銀色のネジが生えているのだ。


「……あの、これは?」


 静かに、と男達は仕草で示した。

 男達はネジに耳を澄ませている。ネジはゆっくりと回転していた。カリカリ、カリカリとダイアルを刻む音が地面から聞こえてくる。


「いいな」

「何回、回す?」

「三回半だな」


 男達はしばらく議論した後、うずくまる。一人が慎重な手つきでネジに触った。

 物凄く錆びた音がした。神経を逆なでする音だ。

 ネジが巻かれていく。一回、二回、三回。


「よし」


 慎重な手つきで、ネジを持った男は指を放した。男の額には汗が浮いていた。


「これでお終いです。ご協力ありがとうございました」


 男達は爽やかな笑みで礼を言った。


「あの、これは?」

「ネジです」

「そうだろうとは思いますが……何のネジです?」

「さぁ。この世はネジだらけですので、これが何のネジなのかは、分かりませんね」


 三人の中で、一番若い一人が言った。彼はごくごく真面目に、ネジの写真を撮ったり、何かをメモにとったりしていた。


「ただ、遅くなったネジは巻かないと」

「今回はぎりぎりでした。ご協力に感謝します」

「本当に助かりました」


 三人は帽子を取って、礼をした。私が何かを言うより前に、乗ってきたバンに戻っていく。


「何だったんだ」


 振り返ると、そこにすでにネジはなかった。

 白昼夢だろうか? だが駐車場の地面には、濡れた土を踏んだ男達の足跡が残されている。

 首を振って、ため息を吐く。私は花壇に水をやる作業に戻った。

 男達の足跡は、いつまでも駐車場に残っていた。

 




 その日以来、変化が訪れた。


「まただ」


 私は呟いてしまう。駅のホーム。事務所のトイレ。果ては、電信柱の横。私は次々とネジを見つけるようになってしまった。

 銀色で、親指ほどのサイズのネジ。見かける度に、それらはゆっくりと回っていた。

 このネジは、今までもあったのだろうか。

 だとすれば、どうして今まで見逃していたのだろう。

 最初は無視していた。目の錯覚だと言い聞かせて。だが、こうも多いと、意識しないのは不可能だ。

 もんもんとしたまま、過ごすしかない。誰かに聞こうとしても、ためらってしまう。

 私は狂ってしまったのだろうか。


「あっ」


 そんな日が続いた、ある朝だ。私は偶然、灰色のツナギを目にした。あの時の人間かもしれない。

 慌てて追いかける。灰色のツナギは角を曲がった。

 ツナギが消えた小道に入って、私は目を見開いた。

 電柱、塀、看板、自動販売機。

 ありとあらゆる場所に、ネジが刺さっている。

 ネジはギイギイと軋んだ音を立てながら、緩慢に回っている。恐ろしかったのが、どれも、寸分違わず同じ回り方をしていたからだ。咲き乱れる銀色のネジが、真っ赤な朝日に照り輝いている。

 世界は、こんなにもネジだらけだったのか?

 ネジは耳障りな音を立てながら回っている。その音が、私の耳にしがみついて離れない。赤い陽が目に刺さるようだ。

 走った。

 家に帰り、ドアを閉めた。

 ギイギイという音は、家の中からも聞こえる。育てていた花壇からもだ。そして――


「帰ったの?」


 家族が私を出迎える。妻の額からも、銀色のネジが生えていた。


「忘れ物? あなたのんびりしてるから」


 叫ぶことさえできず、私は部屋に逃げ込んだ。

 ネジの音は追いかけてくる。どうしてだろう。後ろにある鏡を覗いて、やっとわかった。

 私の背中にも、ネジが生えていた。

 背中で緩やかに回転するネジを見て、私はもう戻れないほど狂ったことに気が付いた。





 後日、私の元に、灰色のツナギが届けられた。

 ツナギの背中側にも、文字がプリントされていた。


『あなたがネジに気づく時』


 その続きは、こうだ。


『あなたがネジに気づく時、ネジもまたあなたに気づいている』


『ようこそ、私達の世界へ』


 私は灰色のツナギに袖を通した。私のネジを巻いたのは、一体誰なのだろう。

 そんなことを考えながら、ネジが回る音を求めて、住宅街を彷徨う。どこかにあの日の庭のように、他と遅れたネジがあるはずだ。

 やがてバンが迎えに来た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 初めまして。池ヶ原です。 いやぁ~この独特な世界観がとても良いですね。 主人公の周りがネジだらけなっている場面も、恐怖感があって上手いと思います。特に主人公の家族の顎にネジが生えているとい…
2017/09/23 11:38 退会済み
管理
[良い点] なんとも……なんていうんでしょう、この感覚は。 「こいつ、この後どうなっちゃうの?」 これはホラーのお手本だなあ。 自分にも降りかかるんじゃね?感がすごいです。 狂ったとか言いながら…
[一言]  世にも奇妙な物語りみたいですね。  やっぱり狂気は静かな方がワクワクします。  果たしてネジが見える人と、ネジが見えない人のどちらが狂っているのか。  そもそも人間の視覚というのは、物に当…
2017/09/21 21:05 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ