第四章 衣津納 三 決断
体の芯まで震わせる激しい雷鳴が、山々に轟き渡る。
結界を喰い破ろうする赤い稲妻と、それを阻まんとする緑の光輪が激しく争った。
「狼……」
「撫子!」
撫子がよろめきながら登って来た。
「無事か」
「ああ、何とかな。
だが先程の一矢で最後の力を使い果たしてしまった。与一にも申し訳ない事をしてしまったが。
すまぬ、もう真面に戦うことは出来ぬ」
「ああ、よくやった。後は俺に任せろ」
だが……。
見渡せば、迸る雷光が頭上の黒雲を血の色に照らし、地上には瘴気の嵐が全てを毒に染めんと吹き荒れる。
この世の終わりとも言うべき光景を前にして、この俺に何ができるというのか。
「ふははは、これで儂の成すべきことは全て成した。後は魔修羅と龍神の戦いをのんびりと見物するのみだ。
犬神よ、巫女よ。貴様等も精一杯の力を尽くしたであろうが、全ては無駄な足掻きであったな。
ぬふははは……。はははっ! ぬはははははっ!!」
「くっ」
「ぐああああ……」
俺と地球王の間で、蹲ったイヅナ兄さんが苦鳴を上げる。
傍らには白狼が体を押し付けるように寄り添い、自分の光で少しでも兄さんの苦痛を和らげようとしていた。
撫子も傍に座り込んで、その背中に手を当てる。
が、掌の光で癒そうとするもその光は弱々しく、兄さんの体を蝕む赤光の中では消え入りそうなくらいだ。
「済まぬ。今の私では、これが精一杯だ」
「狼……さん……」
「兄さん、しっかりしろ」
自分が情けねえ、こんな事しか言えねえなんて。
「狼さん済まねえ、もう最後だ」
「馬鹿野郎、何を言ってんだ。待ってろ、今俺の血を分けてやる」
俺は腕を切り、背中の赤い傷の上に血を垂らした。
血は緑の霧となって傷を覆い、ほんの僅かだが赤光を弱めたように見えた。
「ああ有難う、狼さん。少し楽になったよ」
「こんなもんじゃ足りねえだろう。もっとだ」
「待ってくれ狼さん、大事な話があるんだ」
「話なんか後にしろ」
「待て、狼。まずは聞いてみよう」
撫子が更に腕を切ろうとする俺の手を押し止めた。
「狼さん、あの男の望みは龍神の力を呼び覚ますことなのか?」
「そうだ。逆鱗の上であの魔修羅石の詰まった大槍を破裂させて、龍神を怒らせようって魂胆だ」
「そうか、ならそれに乗るしかねえ」
「なんだと!」
「何?!」
「馬鹿野郎、あいつの目的は龍神の力でこの地に不二の山を作り上げることなんだぞ。
そんなことになったら、この土地は終わりだ。何もかも滅茶苦茶になっちまう」
「あの槍は毒の塊だ。あの中身が撒き散らされたら、人も獣も一匹残らずやられちまう。この土地どころか日の本全部が、どんな生き物も住めない死の国になっちまうんだ。
それを押さえるには、龍神の力を使うしかねえ」
「でもそれじゃあ、奴の思い通りに」
「これは、賭けだ。
オイラは龍神を呼び起こすことが出来る。上手く御し切れば、あの槍だけを始末することが出来る。
しくじれば奴の勝ちだ。この地は火の海に沈むことになるだろう。
だがそれでも、国全部が滅ぶよりはましだ」
「くっ……」
「狼よ、どうやらこのお方の言に従うより他に手は無さそうだぞ。
イヅナ殿と申したな。何か我らに手助けできることはあるか?」
「あんた……、撫子さんって言ったっけ。確かマリモと義姉妹の契りを交わしてくれたんだっけな」
「ああ、姫はどうなされた」
「マリモは……、無事に逃げたよ」
無事に、か。
「あんたらに頼みたいのはただ一つ、あの化け物を倒してくれることだけだ。
あいつを逃がしたら、またどこかで同じことをやる。いや、次はもっと酷いことをやるかも知れねえ。
あいつだけは、生かしておいたら駄目だ」
「ああ、その通りだ」
「それから……」
言いながら、荒い息を吐く。相当に辛そうだ。
「今のオイラじゃあ力が足りねえのも確かだ。手助けがいる」
「何でも言ってくれ」
「いや、これは狼さんではなく別の者に頼む」
イヅナ兄さんは白狼に手を差し伸べると、その耳元に何かを囁いた。
「ウォンッ」
白狼の呼びかけに、狼王が寄って来る。
狼王は瞼を閉じたまま、その両眼は血糊でべったりと塞がれているが、動きに支障はねえようだ。
こいつに力を借りようってのか。
兄さんは、傍らに伏せた狼王に向かって何事かを告げた。声は届くが、何を言っているのかさっぱり判らねえ。
「撫子、何て言ってんだ?」
「いや、私にも判らぬ。どうやら人間の言葉ではないようじゃの」
話がついたのか、狼王がすっくと立ち上がった。
白狼も立ち上がり、「クオン」と小さく吠えて狼王に鼻面を寄せる。
狼王も鼻先を擦り合わせるようにしてそれに応え、それから白狼の腹のあたりに頬ずりしながら「ガウッ」と声を発した。
「撫子、もしかしてこいつら」
「ああ、おそらく」
夫婦なのか。そして白狼の腹には子が……。
道理で、この白狼がこれまで戦いに加わろうとしなかった訳だ。
だったら最初から逃げ出していれば良いものを、なんて言うのは野暮ってもんだな。それがこいつらの生き方ってことだろう。
それに俺達だって……。
俺も撫子の腹にチラリと目をやった。
狼王はイヅナ兄さんの肩口に咬み付くと、ブンッと放り上げて自分の背中に乗せた。
兄さんは僅かに残った力を振り絞るようにその首に腕を回し、顔を埋めてしっかりと抱きかかえた。
すると狼王の月光と兄さんの緑光が交じり合い、一層輝きを増す。
こいつら、気を合わせているのか。いったい何をする気だ……。
「狼さん、さらばだ!」
狼王が言葉を発した。イヅナ兄さんの声で!
その言葉と同時に地を蹴る。
「おい、待っ!」
声を掛ける暇もあらばこそ。兄さんと一体になった狼王は一瞬にして山頂から姿を消した。
台地の縁に駆け寄って下を覗くと、遥か下方の山裾を一直線に駆け降りて行く、白い光点が見えた。
「もうあんな所まで。あいつら、まさか……」
「うむ……」
そして光点は、大穴の中へと消えて行った……。
その直後。
緑の光輪が前触れもなくフッと消え去り、支えを失った赤い槍は再び大穴の底へと沈み始めた。




