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七殺星 流狼戦記  作者: たかもりゆうき
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第三章 与一   十六 地獄

 ほんの半月ばかり前。

 ここには(まばゆ)いばかりに煌めく水面(みなも)と、それを優しく包み込む豊かな森と、生の喜びを謳歌する生き物達の姿があった。

 大空には鳥が舞い、水中に魚が躍る。湖上を渡る風が、森の香りと鳥や虫達の唄声を運んで来る。

 初めて訪れたのにここで生まれ育ったかのような懐かしささえ憶える、そんな安らぎと温もりに溢れた場所だった。


 だが今、俺の前に広がっているのは、そんな楽園とは似ても似つかぬ、絶望と暗闇に塗り潰された世界だった。

 広大な湖があった場所には一滴の水さえ残されてはおらず、代わりに奈落へと続く真っ黒な穴が大きく口を開けている。緑の森もそびえ立つ峰々も、かつて見せた勇壮さは欠片もなく、無残に焼け焦げた針山の如き姿を晒している。

 そんなはずがねえ、これは何かの間違いだ……。

 この場所に立ち、疑いようのない惨状を目の当たりにしてさえ、俺の心はそれを受け入れることを拒んだ。


「ぅ……」


 俺は大穴の縁に立って、言葉にならぬ声を漏らした。


「マリモ……、イヅナ兄さん……、ヌマヂの爺様……」


 あいつらは、河童達は無事なのか?

 だが何処を見渡しても、命あるものの姿など何一つ目に入らねえ。あの爆発の凄まじさを思えば、逃げおおせたとはとても……。

 いいや、そんなことは信じたくねえ。あいつらならきっと何とか出来たはずだ。

 頼むから……、どうか……!


「何とも凄まじい。これがその男の力なのか」


 那須の大将も、この光景には度肝を抜かれたようだ。

 空にはドス黒い雲が渦を巻き、地上には強い風が吹き荒れている。それもただの風じゃねえ、大量の瘴気を含んだ毒の嵐だ。光の結界で身を守っていなければ、たちまち全身から血を噴き出して死んじまうことだろう。

 それにこの毒はきっと地中にまで深く浸み込んでいるはず。ここはもう、生き物の住めねえ土地になっちまった。

 ちくしょう。あの化け物野郎め、なんてことを……。


「イヅナーッ! マリモーッ! 誰かーっ、誰かいねえのかーっ!」


 俺の叫びも、瘴気の嵐の中に空しく消えていく。

 周りは草木の一本すら残っていねえ、真っ黒に塗りつぶされた世界だ。


 俺は大声で叫びながら、自分の迂闊さに怒りを抑えることが出来なかった。

 この大間抜けめ、どうして今まで気付かなかったんだ。

 地球王が求めていたのは龍穴、龍の逆鱗だ。そしてここは龍神の精が漏れ出し、龍の皇子が住まう地。

 この山中で、この河童の里以上に龍穴に相応しい場所なんて、あるはずがなかったじゃねえか!


「ちくしょう……。ちくしょう……」


 あの時と同じだ。俺はまたしても大切な者達を守ることが出来なかった。

 何が犬神だ。何が山の王だ。

 俺は故郷を失った餓鬼の頃と何一つ変わっちゃいねえ……。


(ろう)……さん……」


 空耳……?

 いや、確かに聞こえた。

 この声は!

 喜び勇んで振り向いた俺の前に、緑色の光が浮かび上がる。

 その小さな光は、音もなく膨らむと、中から二十人程の人影を送り出してきた。


「イヅナ兄さん! 無事だったのか!」


 だが俺は、光の中からヨロヨロと歩み出たその姿を見て絶句した。

 無事だなんて、とても言える様子じゃねえ。

 全身は焼け焦げ、体中から血を吹いて立つのも辛そうだ。そのうえ、左腕が肩からもげちまっている。

 そして、残った右腕に抱いているのは!


「マリモ!」


 駆け寄った俺は、叫び声を上げそうになった。


「嘘だ……こんな……」


 焼け爛れた顔は、それでも穏やかな表情で目を閉じている。

 だがそこに生気はなく、俺が呼びかけてもピクリとも動こうとする気配はねえ。

 なにより、イヅナ兄さんに抱かれているその体には……。

 胴から下が……無かった……。


「突然空が割れて、赤い光の矢が沼の真ん中に飛び込んで行ったんだ。

 そのすぐ後だった。

 沼全体が光ったと思ったらいきなり大爆発を起こして、何もかも焼き尽くしてしまった。

 それでもオイラ達何人かの者は、岩陰に隠れて結界を張ったおかげで、なんとか命だけは助かることが出来た。

 マリモは少し離れた場所でヌマヂの爺様達と一緒にいたんだが……」

「爺さんは?」


 イヅナ兄さんは、首を横に振った。


「まさか」

「爺様はマリモを守ろうとして、上から覆いかぶさったようだ。

 他にも何人か、マリモの体の上に黒焦げの死体が乗っていたよ。普通の河童は結界なんか操れないから、みんな体を張ってマリモを守ろうとしてくれたんだな。

 マリモの方も自分の結界でみんなを守ろうとしたらしい。他は完全に灰になっちまったのに、マリモ達の周りだけがちゃんと形を残していた。

 けど……、それが精一杯だったみたいだ」

「そんな……」


 顔を上げた俺は、兄さんの肩口が弱々しい緑色の光を放っているのに気が付いた。


「兄さん、その光は! そうだ、龍神の血の力でなんとかならねえのか。俺を治してくれた時みてえに」

「駄目だ。オイラはもう力を使い果たしちまっている。それにこの瘴気が邪魔して、満足に力が出せねえんだ」

「じゃあ、俺の血を使ってくれ! 元々マリモに借りたもんだ! 全部返してやる!」


 だがそれでも、兄さんは首を横に振った。


「なんでだっ!」

「そんなんじゃ、とても足りねえ」

「やってみなくちゃ判らねえだろ! 待ってろよマリモ、俺が絶対に助けてやるからな!」


 俺は刀を抜き、左腕をマリモの体の上に掲げた。


「狼さん、待て」

「うるせえっ!」

「狼様、お待ち下さい」


 その声は、イヅナ兄さんの向こうから響いてきた。

 兄さんの後ろには二十人程の河童達が控えている。どいつもこいつもボロボロな姿だが、とりあえず無事には違いねえようだ。


「狼さま、摩璃桃(まりもも)はまだ戻すことが出来ます」

「何だと?」


 声の主は、もう一人の龍神の姫様だった。確か瑚兎葉(ことのは)さんって言ったっけ。


「姉さんも無事だったか。ああ、良かった」

「狼さまこそ、御無事で何よりでございました。摩璃桃もさぞや安堵していることでしょう」

「俺のことなんかどうでもいい。それより、マリモが助かるって?」

「龍神が(はじめ)の姫は、このような邪力になど屈しは致しませぬ。いずれ魂が目覚めその力が働けば、必ずや現世に立ち戻ることができるはず。

 ただ、今は辛うじて黄泉との境目に留まっているに過ぎませぬ。

 周囲に満ちる瘴気が、龍神の力を奪い続けているのです。平時であれば何程でもありませぬが、今の摩璃桃にはこれ跳ね返す力がありませぬ。

 一刻も早く、この地から逃れねば」

「そうか、ここを離れればマリモは生き返るんだな」


 俺はほっと息を吐いた。


「なれど、直ちにという訳には参りませぬ。

 如何な一の姫といえど、これ程の傷を癒すにはおそらく百年の余は掛かろうかと」

「百年!」


 俺は思わず、イズナ兄さんを見た。

 兄さんは俺の目をじっと見据え、小さく頷いた。


「そ、そうか。いや、百年かかろうが二百年かかろうが、それでマリモが元気になってくれるなら構やしねえ。

 姉さん、兄さん。俺が言うのも何だけど、よろしく頼むぜ」

「こちらこそ、御礼を申し上げます」




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