第三章 与一 十四 緋戦
「ふん」
一瞬の惨劇。
細切れになった巨狼の血肉は地に撒き散らされ、同時に真っ赤な飛沫が宙を染めた。
だがそれをやった当人は一滴の返り血すら受けてはおらず、蠅でも払ったかのような涼しい顔をしている。
くそっ、相変わらず訳のわからねえ技を使いやがって。
対する狼の群れは、仲間の血を浴びせ掛けられて猛然と毛を逆立てた。
「ガウウッ!」「ゴウッ!」
「待て! お前らじゃあ太刀打ちできねえ!」
だが激高した連中の耳に俺の言葉など届くはずもなく、狼達は血煙の向こうで薄笑いを浮かべる蛍火に向かって、一斉に地面を蹴ろうとした。
「やめろーっ!」
その刹那。
「:静:ま:れ:::」
撫子の透き通るような声がその場に響き渡り、巨狼の群れはピタリと動きを止めた。
「ほほう?」
それを見た蛍火がニヤリと笑う。
「其方、魂縛りまで使えるのか。益々興味深い娘よの」
「縛ってなどおらぬ、言霊を以て語りかけただけじゃ」
「ほほ、呼び方などどうでも良い。それはかつて妾が民を従えるのに用いた傀儡の術そのものじゃ。正に傲慢、支配者の術に他ならぬ」
「貴様……」
撫子がギリッと唇を噛み締める。
この女、撫子の心を抉る術を心得ていやがるな。
圧倒的な強者が持つ力を、傲慢と言い放つ。それは他ならぬ撫子自身が最も強く感じていることであり、一番言われたくねえ言葉だろう。
「もう少々遊んであげても良いが、妾もそろそろ王の下へ参ぜねばならぬ。
どうせ其方等も赴くのであろ?
最早時を稼ぐ必要もない。先に進む故、ゆるゆると追って参るが良いぞ。
ほほほ……」
口元に手をかざし傲然と笑い飛ばしながら、身を翻す。
その姿がふっと消えかけた瞬間、撫子が叫んだ。
「逃がすかっ!」
言葉と共に火鏢を放つ。
神速で放たれた火鏢が逃げ去ろうとする背中に突き刺さり、蛍火はその勢いで地面に叩き付けられた。
「ぎゃあああっ!」
蛍火の悲鳴が響き渡る。
撫子が投げ付けたのは、よく見るとただの火鏢ではなく、札を刺し通し呪具と成していた。
炎のように見えたのも、実は薄紅に輝く光だ。
神力を纏った刃は、蛍火の身をを守る青い光を易々と貫いて、本体に襲い掛かったのだった。
「誠に済まぬが、やはりおぬしは人の世には危険に過ぎる。場を変えるまでもない、ここで私が滅ぼす!」
「おの……れええ。小娘が、妾にこのような無礼を」
撫子の神光がどれ程の苦痛をもたらしているのか。蛍火は地に伏したまま、喘ぎ声を漏らした。
「許さぬ、許さぬぞ」
蛍火は血に染まった背中に手を伸ばし、火鏢を掴み取ろうとした。
だが指先が触れようとした途端に札が目も眩むような閃光を放ち、蛍火は再び声を上げてのたうち回った。
「ぎゃはあああっ! 痛いっ! 痛いっ!」
撫子が光剣を両手に携え、苦しみ喘ぐ蛍火を静かに見下ろす。
「千年の生を経て、このような終わりを迎えるはさぞかし無念であろう。じゃがこれもやむを得ぬ仕儀じゃ。心安らかに天に旅立て」
振り降ろした光剣は、凄まじいまでの雷撃に阻まれた。
「むうっ」
撫子が飛び退る先で、青白い太陽がバリバリと音を立てて浮かび上がる。
その中心に、夜叉の如き形相の蛍火の姿があった。
「おのれ虫けら共め。もう許さぬ、犬畜生共々纏めて焼き尽くしてくれる!」
「させぬ!」
声と同時に撫子の体を包む光も一気に輝きを増し、薄紅の太陽となって蛍火の太陽と激しくぶつかり合った。
紅蒼二色の太陽が真正面から激突し、辺りを熱と閃光で満たす。
「くっ」
「ぬおっ」
俺と大将は、顔面を焼かれそうになって思わず後ろへ下がった。
二つの光球は何度もぶつかっては離れ、離れてはぶつかりを繰り返した。
始めの内は互角のように見えた戦いだったが、次第に優劣がはっきりしてきた。どうやら撫子の方が押しているようだ。
蒼白の蛍火は攻撃を仕掛けるのをあきらめたのか、どちらかと言うと隙あらばこの場を離れようとしている風に見受けられる。その度に薄紅の撫子が立ちはだかり、脱出を阻んでいた。
あの様子はひょっとして、先程の一撃が効いているせいなんだろうか。
やがて蛍火の光球が、堪りかねたように大きく跳ねた。
すぐさま撫子がその後を追う。
二色の光が縺れ合いながら黒い煙とは別の方向へと去って行くのを、俺達はただ茫然と見送った。
「あーあ、行っちまいやがった。
まあいいや。大将、あっちは撫子に任せて俺達は先を急ぎましょう」
「そうするとしよう。女同士の争いに男が手を出しても碌なことにはならん」
「くくっ、違えねえ」
あくまで俺達の標的は、地球王のクソ野郎だ。
「おい、野郎ども」
俺は居並ぶ狼達に声を掛けた。
「ウウウ……」
だが巨狼達は逃げ去った蛍火を諦める代わりに、今度は那須の大将に敵意の目を向けた。
「やめねえか、馬鹿。この大将は味方だ。
お前らの仲間の真の仇はあそこにいるはずだ。こんな所でもたもたしている暇はねえぞ」
「ガウッ」
彼方の黒煙を指さす俺に、狼王が不承不承といった感じで声を漏らす。
他の狼達も唸り声を上げつつも、大人しく頭を下げた。
「よしよし、いい子だ」




