第三章 与一 二 陣
―*―*―*―
討伐軍は、峠の入り口に近い村はずれの荒れ地に陣を張った。
とはいえ、なにしろ三千もの大所帯だ。居場所を決めるだけでも大仕事で、用のない荒地だけではとても足りず、収穫前の畑まで相当な広さで潰されることになっちまった。
ほんと、迷惑な連中だよ。
「おおっ、来たか!」
俺達が本陣へ出向くと、那須の大将自ら出迎えてくれた。
「わはははっ、懐かしいな! あの節は世話になった!」
笑いながらも、全身から溢れる殺気を隠そうともしねえ。普通の人間なら、傍に立っただけで卒倒しちまうだろう。
だが撫子も撫子で、相変わらずヘラヘラと全く動じる様子はねえ。
「うむ、おぬしも万端無事なようでなによりじゃ」
「ふん、何が無事なものかよ。まあよい、話しは後だ」
大将はそう吐き捨てるように言うと、俺の方を向いた。
「おいっ、貴様!」
「へえ」
更に殺気を漲らせて、俺を睨み付けてくる。
「貴様、撫子を娶ったそうだな!」
「ああー、娶ったっつうか。おい、そうなのか?」
いきなり訊かれてもどう答えればいいのやら、頬をポリポリと掻きながら撫子に尋ねてみる。
「うん? まあ、一発やっただけじゃからな。言われてみれば、きちんと契りを交わしたという訳でもないのう」
「ああっ?」
二人揃ってのトボけた返答に、那須の大将は拍子抜けしたように声を漏らした。
なんかすんませんね。
「よく判らんがとにかく! こいつを自分の男と認めたのだな!」
「うむ、それは確かじゃ」
「よし、それで充分だ。来いっ!」
大将は俺の襟首を掴むと、力任せに奥の方へと引っ張って行った。
いきなり何しやがんだと声を上げたいところだったが、なにしろ相手は大軍を率いる侍大将だ。無暗に逆らう訳にもいかねえ。
仕方がねえから、俺は首根っこを掴まれたまま子猫のように大人しく付いて行った。
「取れ!」
大将は、俺を大きな陣幕の前まで引っ張って来ると、ちょいと長めの棒きれを押し付けてきた。
「貴様が撫子に相応しい男か、俺が確かめてやる!」
「へえへえ……」
まるでやる気の籠らない返答を返しつつ、棒切れを受け取る。
大将は満足げにうんと頷くと、少し距離を取って同じような棒切れを構えた。
広場の周りには大勢の侍達が立ち並び、俺達を取り囲んで見ている。
俺は連中をジロリと見回した。
あーあ、こりゃ逃げられそうもねえな。どうせ何奴もこいつも俺がボロクソにやられるのを楽しみにしてやがんだろう。
あーやだやだ、これだから侍って野郎は嫌いなんだよ。
しゃーねえなあ。面倒くせえが、ここは覚悟を決めるしかねえか。
とはいうものの……。
俺も棒切れを構えながら考えた。
こんな化け物みてえな奴、どうやって相手すりゃいいんだよ。つーか、こいつはある意味本物の化け物、死人なんだっけな。
死人か……。しかしそれにしては、この生気に満ちた姿はなんだ。
今まで相手にしてきた死人は、あの指なし野郎を含めどこか魂の一部が足りねえような腑抜けた感じがしていたものだが、この男は全然そんな雰囲気がねえ。
むしろ、普通の人間以上の生気を纏っていやがる。
そして相変わらず溢れる殺気を隠そうともせず、棒切れを正眼に構えてこちらを真っ直ぐに見据えてくる。
さすが、よく鍛え上げた一部の隙もない正統派の構えだ。俺なんかの喧嘩殺法とは育ちが違う。
だが、そこが付け目でもある。というか、そこしか付け入る所がねえ。
正道には邪道。普通にやって勝ち目がねえなら、相手の虚を突くしかやり様がねえからな。
「どうした。早くかかって来んと日が暮れてしまうぞ」
「すんませんねえ。なにしろ、生まれてこの方喧嘩なんか一度もしたことがないもんで」
あんな恐ろしげな殺気を垂れ流してる奴に、自分から突っ込んでいく馬鹿がいるかってーの。
「わはははっ! 言うわ。ならばこちらから行くぞ!」
ドンッ! という音が聞こえてきそうな勢いで、那須の大将が踏み込んで来た。
棒剣を大上段に振り上げ、体当たりをぶちかますように一気に間合いを詰めて、真正面から打ち込んでくる。
こんなのはとても真面に受けられるもんじゃねえ。防ごうとしても、棒剣ごと頭をかち割られちまうだけだ。
俺は振り下ろされる棒剣を横殴りに叩いて流し、自分は脇に身を逸らして突進から逃れた。
そしてすれ違うように前に踏み出しながら、後ろ足で相手の膝の裏側を蹴っ飛ばす。これで体勢を崩して……。
と思ったのに! ビクともしねえ!
大将が振り返りもせずに、後ろ手で棒剣を振るって来る。
俺は地面に身を投げ出してそれを逃れ、距離を取ろうとした。
だが大将は一瞬の間も置かず、再び襲い掛かってきた。
俺はそれを躱すと同時に大将の胴に打ち掛かったが、大将はすぐさま刀を返して、俺の棒剣を下からかち上げる。
その衝撃で思わず棒剣を取り落しそうになった一瞬の隙を突いて、横殴りの剣が襲い来る。
俺は地面を蹴って後ろに跳び退り、紙一重でそれを躱した。
「はあっ、はあっ」
「ふふ……。最初の一撃で仕留めるつもりだったのに、こうまで凌がれるとはな。なかなかやるではないか」
「へへ、どうも」
「では、次は本気で行くぞ」
大将の両眼が異様な光を放ち始めた。
棒剣を片手で持ち、極端なほど前のめりになって上体を沈める。両腕も地面に付きそうなくらいにまで降ろして。
なんだあの構えは……。あんなのが正統派の侍の構えと言えるのか。
まるで、なりふり構わず勝てばいいというだけの野良殺法。いや、そうじゃねえ。今まさに獲物に襲いかからんとする野獣のような、あの姿勢は……。
そうか、虎だ!
今度は、音すらも感じない。
音よりも速い電光石火の斬撃が襲いかかってきた。
俺の棒剣は触れたと同時に弾き飛ばされ、必殺の一撃が俺の脳天を割ろうとする。
刹那の攻防。
俺は大将の懐へ飛び込むと、その両腕を下から掴んだ。
そして打ち下ろされるその勢いのままに体を沈め、反動を利用して体ごと回転しながら大将の腹を両脚で蹴り上げ、その巨体を後ろへ投げ飛ばした。
「ぐおっ!」
大将は背中を地面に強かに打ち付けて一瞬声を漏らしたものの、すぐさま立ち上がってこちらを向く。
はあ、やっぱ全然効いちゃいねえな。
だったらもう、これしかねえ。ちゃんと出来るか自信はねえが、奥の奥の、そのまた奥の手だ。
俺は相手を見据えたまま呼吸を整え、全身の力を抜いた。
隠形……。
「ふ……、隠形術か。こんな身を隠すものさえない場所で、しかもこの俺を相手にそんなものが通じると思うのか!」
ああ、普通なら通じねえだろうな。あんたは虎、山の狩人だ。隠形術なんてお手の物だろう。
だが……。
目は閉じず、見開かず、瞼の力も抜いて半眼の状態を保ちつつ……。
呼吸は浅く、長く。風のゆらぎに合せるように……。
空気の流れを全身で感じとり、逆らわず遮らず……。
音も…、光も…、人の意識も…、あらゆる流れに身を委ね、全ての波動を受け流す……。
川底に潜んで水面をうかがうように……静かに……静かに……。
「むっ……」
那須の大将が声を漏らす。
あんたもこれは知らねえだろう。これが本物の隠形だ。
餓鬼の頃、村随一の達人の爺に徹底的に仕込まれたんだ。これを破れる奴なんていやしねえ。
ああ……、久しぶりに爺の顔を思い出しちまったな。
まだ生きてんのかな。
あの爺なら、あんな盗賊の襲撃くらいは易々と逃げのびられたはず。おっ母みてえに、他の誰かを助けるために楯にでもなってねえ限りは……。
「何処だ! 何処へ消えた!」
大将が慌てたように周りを見回す。
どこへも行ってねえよ。さっきからずっとあんたの目の前だ。
それから俺は、ゆっくりと棒剣を拾い上げた。
だが、あんたの目には映ってはいねえだろう。今の俺は、風そのものだ。
いくら目を凝らしても風を見ることはできねえ。風はただ感じるだけだ。
そして、感じた時には……。
こん。
と、棒剣で大将の額を打つ。
「なっ!」
大将が、愕然とした顔で俺を見下ろした。
「貴様、いつの間に……」
俺はその眼差しを真っ直ぐに見つめ返して言った。
「さて、こんなもんでどうっすかね?」




