第二章 撫子 二十 即発
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「狼さんの狼さんの狼さーんっ!」
川原に着いた途端、マリモが飛びついて来た。
「おー。なんだなんだ、マリモちゃんも一緒に来たのか?」
抱き上げて挨拶する。
「うんっ! マリモも来たんだよ!」
あはは、相変わらず元気一杯だな。
「やあ狼さん、元気かい?」
「よお、イヅナ兄さん。しばらくだな」
こっちも相変わらず、暢気そうだ。
「今日はどうしたんだい?」
「いやあ、マリモがどうしても狼さんに会いたいって聞かないんでな。しょうがないから連れて来たんだよ。
ヌマヂの爺様の許しも出たもんでなあ」
「そうかい、そりゃあ良かった。あ、そうだ。兄さんこれ」
名主に貰った大徳利を差し出した。
「なんだい?」
「酒だよ。ヌマヂの爺様に持ってってくれ」
「ああ、こりゃあ済まないな。爺様喜ぶよ」
兄さんも嬉しそうだ。
「ところでマリモちゃん、人間の里は怖いんじゃなかったのか?」
「うん! ちょっと怖かったけど、狼さんの顔見たら忘れちゃったよ!」
「そっかそっか、そりゃあ良かった。
わざわざ会いに来てくれるなんて、俺も嬉しいぜ」
ホント、マリモは可愛いなあ。年恰好は同じくらいなのに、どっかの餓鬼巫女とは大違いだ。
「あとね!」
ん?
「兄様もね! 今日はあの娘に会えるかなって!」
「ばっ!!」
イヅナ兄様の顔色が変わった。
「昨日も一昨日もその前も、ずっとずっと言ってたよ!」
「マリモ! それは言っちゃ駄目だって言ったろ!」
「今日も何回も何回も言ってたよ!」
「っっっ!!……」
兄様が、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「これだから、連れて来たくなかったんだ……」
「まあまあ兄さん。こうなったらもう、諦めて白状しちまったらどうだい?」
「いや…、えっと……。…やっぱりいい」
一旦顔をあげてから、思い直したようにまた下を向く。
しゃあねえな。あまり苛めても可哀想だし。
「あの娘って、サキのことだろ?」
「「えっ?」」
突然の声に、俺と兄さんが思わず振り向く。声の主は金太だった。
「金太、お前知ってんのか?」
「オイラだけじゃなくて、みんな知ってるぞ。佐助じっちゃんも知ってるぞ。サキだって知ってるぞ。村中で知らねえ奴なんかいねえぞ。
なあ、じっちゃん?」
「んだなあ」
爺さんも頷く。
「ぶはっ」
なんてこった。内緒どころか、すっかりバレてんじゃねえか。
「そんな……、なんで……」
兄さんが再び頭を抱えた。
「オイラ、ちょっと行って呼んでこようか?」
「いい! 行かなくていい!」
あーあ。
「おいおい金太、今日は止めといてやれよ」
「狼……、狼よ……」
蓬子が、俺の袖を引っ張る。
「いったい何の話じゃ?」
「ああ、すまねえ。
いや実はな、あっちの兄さんが惚れている娘が、ここの村にいるんだがな。兄さんはそれを隠してたつもりだったのに、どうやらとっくにバレてたらしいんだよ」
「あの者は、河童か?」
「そうだよ。イヅナ兄さんだ」
「そうか」
すると何を思ったか、蓬子はイヅナ兄さんのところへ行くと、その肩にそっと手を添えた。
「物の怪と人が結ばれるは、確かに難しいには違いないが、全く例がないというわけでもない。
その者も、ぬしを嫌うておるわけでもなかろう。
焦らず気を落とさず、じっくりと時節を待つが良いと蓬子は思うぞ」
「あんた……。有難う、そうするよ」
「うむっ」
ニッコリと、優しく笑いかける蓬子。へえ、こんな顔もできんのか。
兄さんの方もなんとか落ち着いた様子だし、さすがは巫女と言ったところだな。
やれやれ。
「ときに、狼よ!」
次に蓬子は、いきなりこっちに振り向くと、俺に向かってビシッと指を突き付けてきた。
「そこな女子は何者じゃ!」
俺と、抱き上げたままのマリモが顔を見合わせる。そういや、こっちもまだ紹介してなかったな。
「ああ、この子はな」
「マリモは、マリモだよ!」
マリモが俺の腕から降りながら、蓬子に向かって言った。
「マリモだけでは判らぬ!」
「あのな。そこのイヅナ兄さんの妹の、マリモちゃんだ」
「では、河童か!」
「そうだよ!」
「河童には違えねえけど、龍神の姫様だからな。そっちの兄さんも、龍神の皇子様だ。
あんまり失礼なことはすんなよ」
「そうだよ! マリモはマリモは、イヅナ兄様の妹さんで、龍神のお姫さんで、狼さんのお嫁さんなんだよ!」
あっ! 言っちまった!!
「お嫁さんじゃと?」
蓬子が、ジロリと睨んでくる。
目を逸らすこともできず、冷や汗を流す俺。どど、どうしよう。
「それじゃあ、あんたは誰なの?!」
今度はマリモの番だ。
ホッ、このままウヤムヤになってくれると助かる。マリモ頑張れ。
「我は、蓬子じゃ!」
「蓬子だけじゃわかんないよ!」
おーおー、早速やり返してる。大したもんだ。
「むぐ……。撫子姉さまの妹の、蓬子じゃ!」
「撫子姉さまって誰さ!」
「撫子姉さまは、そこの馬鹿男のっ!」
そこで何故か、悔しそうに下を向く蓬子。
「よよ、良女じゃ……」
「えっ!」
うわっ、ウヤムヤどころか最悪だ!
「ふ、ふうーん。へえー……」
マリモが横目で俺を見上げてくる。怒っているような、笑っているような、変な眼つきで。
マリモちゃんちょっとそれ……、なんか怖いよ。
「おい、そこな馬鹿男! これは一体どういうことじゃ! 事と次第ではただでは済まさぬぞ!」
こっちはどう見ても、怒り心頭の顔だ。
判りやすいけど、やっぱり怖え。
「べべ、別にいいんじゃないかなああー。
マリモはマリモは、別に怒ってなんかないよおおおー」
そう言いながら、声が震えているぞ。
「だってだってええー、マリモはマリモはお姫さんだからああー、狼さんに妾の一人や二人いたって平気だもおおーん」
妾って、マリモちゃん! あんた可愛い顔してなんてこと言ってんの!
「妾じゃ?! ぬしゃ、姉さまのことを妾と申したか!」
蓬子が、血相を変えてマリモに詰め寄って来る。
「言ったけど、なんか文句ある?」
マリモも負けじと、蓬子と顔を突き合わせて言い放つ。
その直後!
「あるわ! この無礼者がっ!!」
バキャッ!
言うや否や、蓬子がマリモを殴りつけた。
しかもこの野郎、手が光ってるじゃねえか!
「ギャフッ!」
殴られたマリモが、草の上に倒れ込む。
「蓬子お前、なんてことすんだ! マリモちゃん大丈夫かっ!」
慌てて抱き起そうとした俺の手を、だがマリモは押し退けた。
「やったなあ……」
マリモが口元の血を拭いながら立ち上がる。
ひでえ、頬があんなに腫れて……、って、あれ?
その腫れが見る見る引いて行く。それにマリモの体が緑色の光に包まれて……。
ま、摩璃桃姫の力か!
「やったがどうした」
こちらも全身を金色に輝かせて不敵に笑う、蓬子。
マリモはその顔を睨み付けながら、正面に立ち、
「こおおおおお……」
と、大きく息を吐きながら右手をゆっくりと振りかぶり、ドン! と一歩踏み込んだ。
そして全身を鞭のようにしならせ、体を絞り込むように、踏み込んだ足先から腰腹肩腕そして拳の一点へと体中の気を一気に流し込んで!
蓬子の頬へ、思い切り叩きつけた!
しかも打撃の瞬間、マリモの全身を包んでいた緑の光がいきなり消え去ったかと思うと、それに代わって拳が目も眩むような閃光を放った。
余裕で受けようとしていた蓬子も、寸前でそれに気づいて顔色を変えたが、既に手遅れ。次の瞬間にはマリモの鉄拳が蓬子の頬にめり込んでいた。
ドッカーンッ!
その一発で、蓬子が吹っ飛んだ。
「ぐはあっ」
なんてこった。蓬子はともかく、マリモまでもがあんな怪力を出すなんて。
いや、思い当たることはある。あいつらの泳ぎっぷり、水の中をあんな風に飛ぶような勢いで泳ぐには、相当な筋力と全身を魚のように操る発条が必要なはずだ。
そうか、ヌマヂの爺様のあの怪力も、河童にとっては別に特別というわけではなく、体が大きいこと以外はごく当たり前の力だったということだ。
そしてマリモもそれに劣らぬ筋力を備えており、そのうえ龍神の血まで持っているとくりゃあ……。
蓬子と互角に渡り合えても、不思議はねえのかも知れねえ。




