第二章 撫子 十六 舞
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その日の夜。
寺の境内には、大勢の村人達が集まっていた。
本堂の前には大きな篝火が二つ、それから広場を囲むようにいくつもの火が焚かれている。
そして下手には、笛と鼓。
こんな山奥であっても、奏者の心配はなかった。祭りに楽は欠かせねえから、どこの村でも一人や二人の芸達者はちゃんといるもんだ。
撫子は、これも名主が大急ぎで揃えてくれた真新しい巫女装束に身を包み、両手に鈴を付けた格好で、本堂を背に正面を向いて立っていた。
篝火に照らされ、眼を伏せ死者に黙祷を捧げるように、静かに立ち尽くす。
暗闇の中に茫と浮かび上がるその姿は、ここではないどこか遠い世界を覗き見ているようで、集まった村人達はその幻想的な景色に既に心を奪われている様子だった。
暫くそうした後、顔を上げ、両手を大きく広げたのが合図になった。
ぽん、と鼓が打ち鳴らされる。
ひるるう、と笛の音が漂う。
撫子が緩やかに足を前に踏み出した。
俺は後ろの方で、銀杏の木の下に座り込んでその様子を眺めていた。
佐助爺さんには、そんな遠くでなく一番前で見ろと叱られたが、俺はここでいいと断った。
一番前でなんて、そんな照れくさい真似ができるかってんだ。
楽の音に合わせ、撫子がゆるゆると舞う。
舞いながら時折、手にした鈴をシャン! と響かせる。
シャン! シャン! と鈴の音が響く度に、頭の中に水飛沫が弾けるような鮮烈な衝撃が走った。
その、魂を清水で洗われるような心地よい刺激は、夏の夜の蒸し暑さまで忘れさせてくれるようだ。
「へえ、やるじゃねえか」
時に緩やかに、時に激しく。
撫子の舞は谷間を走り抜ける清流のように清らかで、そして力強く、村人たちの傷ついた心を浄め尽くして行った。
観る者も舞う者も、時が移ろうのも忘れて恍惚の狭間に魂を漂わせる。
巫女は闇の中に跳び、廻り、馳せる。
髪を振り乱し、燃え盛る炎に肌を晒しながら。
激しい動きで襟もはだけ胸元が露わになるのも気にせず。
迸る汗すら見せつけるように……。
「ふん、相変わらず色気のねえ乳だ」
その途端、頭の中で怒号が響いた。
(大きなお世話じゃ! この痴れ者がっ!)
俺はびっくりして撫子の顔を見た。あいつ……。
撫子は踊りながら俺の方を見、ニヤリと笑った。歯をむき出しにした、獰猛な獣の笑みで。
(狼よ、私を見よ。もっと、もっとじゃ。体の隅々、手足の付け根の、その奥の奥まで!)
衣は肩から滑り落ち、汗に塗れた背中を篝火が妖しく照らし出す。
高く蹴り上げられた脚が根元まで剥き出しになり、大胆な仕草と細身に似合わぬ筋肉のうねりが、暗闇の中でいっそう艶かしさを際立たせる。
撫子は踊りながらずっと俺の方を見つめ続け、俺ももはや目を逸らすこともできずに、その視線に釘付けになっていた。
さあ、もっと見せてみろ。もっと、もっとだ!
既に俺の目には踊り狂う撫子の姿しか映っておらず、頭の中には鈴の音だけが鳴り響いていた……。
それからどれ程の時が経ったのか。気が付くと、辺りは静寂に包まれていた。
篝火は既に消え、境内は暗闇の中。
笛や鼓の音も去り、村人達の姿すらねえ。
そして俺の前にただ一人、撫子が立っていた。
撫子は、舞っていた時の恰好のまま。衣ははだけ落ち、汗に塗れた体を晒したまま、魂を抜かれたような虚ろな目で俺を見下ろしている。
「狼……」
「いつまでそんな恰好をしている。体を冷やすぞ」
ボソリとそう告げると、撫子は崩れ落ちるように体を預けてきた。
「狼……狼……」
首に手を回し、かすれた声で俺の名を呼ぶ。
頬を伝い落ちるのは、汗。それとも涙であったか。
濡れた肌は冷たく、まるで水の中から出てきたかの如く凍え切っている。
だが同時に、その奥に潜む火のように熱い何かを感じた時、俺はこいつが女であった事に初めて気が付いたような気がした。
そして俺は、その細い腰を無言で抱き寄せた。
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目を覚ますと、もう日は高く昇っていた。
撫子は既に起きていて、俺の隣に座り込んだままボーっと遠くの空を見つめていた。
「よう」
「ああ……、起きたか」
撫子が振り返らずに答える。
俺はその横顔を黙って眺めながら、昨夜のことを想い返していた。
あれは本当に現実のことだったよな。なんだか夢の中の出来事みてえだ。
「のう、狼よ」
撫子が、遠くを見つめたまま言った。
「ん?」
「子ができた」
「ブッ!」
思わず噴き出した。こいつ……、まさか……。
「い、今。何て言った」
撫子はチラとだけ俺の顔を見ると、まるで出来の悪い子供を見るような苦い顔をした。
「何をそんなに驚いておる。犬猫とてすることをすれば子くらいできる。人も変わりはなかろうが」
俺はガバッと起き上がり、喚き散らした。
「ふざけんなてめえ! 昨夜の今朝で何言ってやがんだ! たった一晩でそんなことが判るか!」
「判ってしもうたのじゃから仕方なかろう。
私はおぬしの子を産む。そしてその子が子を産み、さらにその子がまた子を産んで、私らの子供たちが地に満ちてゆくのじゃ。
五百年の後には、千人にもなっていようぞな」
撫子はそう言って嬉しそうに腹を撫でた。
出会ってからこれで何度目になるだろう、俺は思った。こいつ、頭おかしいんじゃねえのか? と。
だが、そうじゃないことも俺はよく判っていた。
こいつがこうだと言ったら、それは本当にその通りに決まっている。そういう奴だ。
「お前、生娘だったよな」
つい口に出して聞いちまった。
昨夜の感じ、まさかと思ったが間違いねえ。
「うむ、おぬしが初めての男じゃ。どうじゃ、嬉しかろ?」
声色は特に動揺した様子もなかったが、チラリと俺を見たその目は何かを語っていた。
ふーん、そうかい。
「いや、それより驚いたよ。こんな色狂いの変態女のくせに、まさか男を知らなかったとはな」
「ふん、私の勝手じゃ。今まで本気で抱かれたいと思った男がおらんかっただけじゃ」
「んじゃ、なんで俺なんかに抱かれたんだ? それも勝手か」
「そうじゃ、おぬしに抱かれとうなった。おぬしの子が欲しくなった。私の勝手じゃ」
おっ、声に落ち着きがなくなってきたぞ。へへ、面白れえ。
「へー。で、何で俺なんだ?」
「知らぬわっ!」
なんだか拗ねてるみたいに見える。もしかして照れてんのか? こいつが?
「プッ、クックックッ……」
「なんじゃ、何を笑うておる」
「いや、おめえも結構かわいいとこあるじゃねえかと思ってよ」
「こ、この痴れ者が……」
顔が真っ赤だ。
「ぶはははっ、お前そんな娘っこみてえな顔ができたのかよ! あははっ!」
「死ねっ!」
腹を蹴られた。
痛ってえ!
けど、あははははっ!




