第二章 撫子 五 指先
陽は落ち、僅かな月明かりしか届かぬ暗がりの中。
俺と撫子は藁床の上に寝転んで向かい合い、間近に顔を突き合わせていた。
俺は撫子の眼を睨み付けるように見つめ、撫子はその視線をそらすことなく受け止めて、俺の眼を覗き込むように真っ直ぐ見つめ返してくる。
少し笑って……。いや、まるで喜んでいるかのようだ。
「お……」
俺が再び口を開きかけると、撫子はフイと天井を向いた。
「あーあ、こんな話はつまらぬ」
「お前……」
「のう、狼よ。おぬしは私の神速の技に大層驚いたようじゃがの、私ができるのはあれだけではないぞ」
「え? 他にも何かあるのか?」
聞きたいのはそんなことじゃねえだろ、と思いつつ、ついつい乗せられてしまう馬鹿な俺。
「うむ、色々とな。例えばこんなこと」
撫子は右腕を天井に向けて伸ばし、大きく掌を開いた。
「ん?」
何をする気だ?
暗闇の中に、撫子の小さな手が白く浮かび上がっている。
月明かりに照らされて……。いや、まるでそれ自身が光っているかのように。真っ暗な天井を背景に五本の指だけがはっきりと見えていた。
なんだろう、妙な感じだ。目がおかしくなったのか?
と、その光がさらに輝きを強めた。
「んん……?」
錯覚なんかじゃねえ。右手が放つ月光のように透明な光が、隣でそれを見つめる撫子の顔を明るく照らし出している。
「なんだ、それは」
「見えるか、狼よ」
「ああ、眩しいくらいだ」
「これは、命の光じゃ。
この世に生きとし生ける全ての者が持つ力。そして風のように水のように、この世界の何処にあっても絶えることなく流れ続ける、普遍の力。
これこそが、私の術の源じゃ。
我らは世界に満ち溢れるこの力を、祈りを以て己の力と成し、そして様々な技に応用する」
我…ら、ね。
「それで、何ができるんだ?」
「ふふ。命の力は、生の喜びへと変えるのが最も正しいやり様じゃ」
撫子は静かに手を閉じると、人差し指ただ一本だけを、真っ直ぐに立てて見せた。
すると純白だった光に色味が付いて、薄紅の輝きへと変化した。
なんとなくだが、真っ白な光よりもこちらの方が生気が宿っているような感じがするな。
そして撫子はその手をゆっくり降ろすと、指先を俺の胸にそっと当てた。
「うっ……」
熱い。
月光のように全く熱を感じさせなかった光が、肌に触れた途端に灼熱の太陽に変わったように、俺の体をジリジリと焼き始める。
だが、これはいったい何だ。
焼け焦げるほどの熱を感じているのに、それが少しも苦痛じゃねえ。
むしろその熱さがそのまま快感となって、体だけでなく心まで焼き尽くされちまいそうだ。
「ふふ、これが命の喜びじゃ。良いであろう?」
撫子が指を肌の上に滑らせる。焦らすように、ゆっくりと、ゆっくりと。右に……左に……彷徨いながら。
その指先の動きが更なる刺激となって、熱と快感が全身に沁み渡って行く。
くそっ……、こんなことで……。
撫子が耳元に唇を寄せ、囁く。
「そう、依怙地にならずとも良いではないか。いつまでも女子に恥をかかすものではないぞ」
「くっ」
ああ、確かにその通りだ。女を知らねえ餓鬼でもあるまいし、そんな意地を張ったところで何にもなりゃしねえのは判ってる。
だがな、ここまでやられっぱなしで澄ました顔していられるほど、大人でもねえんだよ。
これ以上いいようにされて堪るかってんだ!
「い、嫌だ」
目をつぶったまま、辛うじてその言葉だけを絞り出す。
「何故じゃ。どうしてそこまで意地を張る」
撫子が呆れたように、囁きかける。
その問いに、俺は全身の力を振り絞って答えを吐き出した。
「こ……、好みじゃねえんだよ」
「…なに?」
撫子の声色が変わると同時に、指先の光がすうっと消え去った。
それまで体を支配していた熱も一気に冷め、俺はやっとのことで自由を取り戻すことが出来たのだった。
「ぶはあっ、はあっ、はあっ」
た、助かった。
「おい、今何と申した」
撫子の暗く沈んだ声に、俺はこれで文句があるかと言わんばかりに言い放った。
「俺は乳のでかい女が好きなんだ。こんなガキみてえな色気のねえ体を抱いても、面白くもなんともねえんだよ」
撫子が、無言で手を引く。
そして暗がりの中に立ち上がると、大きく息を吐いた。
「ふーっ」
へへ、ようやく諦めたか。ざまあみやがれ。
あんなおかしな術なんかで男を思い通りにできると思ったら、大間違いなんだよ。
と、もう一度面と向かって言ってやろうと体を起こしかけた、その時だった。
「この痴れ者がっ!!」
撫子の右足が、俺の脇腹を思いっきり蹴り上げた。
それも、餓鬼みてえな体つきからは想像もつかねえ、とんでもない馬鹿力で!
「ぶはあっ!」
あのヌマヂの爺様の張り手にも劣らぬ、凶悪とすら言える怪力。
俺の体はその一撃で鞠のようにぶっ飛ばされ、板壁に向かって一直線に宙を飛んでそれを易々とぶち破りその勢いのまま外の欄干をも粉砕しながら本堂の裏手までぶっ飛んで行って、最後は藪の中に転がり落ちた。
「ぐへえ……」
そこへ、撫子がふわりと降り立つ。
そして草の上に横たわる俺を殺意と蔑みに満ちた眼で見下ろしながら、冷たく言い放った。
「死ぬがよい、この虫けらが」
暗く霞んで行く視界いっぱいに、撫子の足の裏が迫る。
そして……。
ぐしゃり。




