第二章 撫子 四 寝物語
「……」
暫くそうしてから、撫子はゆっくりと唇を離した。
「ふぅ……。んふっ」
「くっ」
満足げに自分の唇をペロリと舐める撫子。
そして屈辱に唇を噛む、俺。
「のう…狼よ……」
再び俺に体を預け、首筋に唇を這わせながら囁く。
「な、なんでえ」
俺の方はもう振りほどく気力すら失せちまって、されるがままだ。
「おぬしの言う地球王、あの盗賊のことじゃがな」
「盗賊がどうした」
「ひょっとしてそ奴ら、人外の者ではないか?」
何だと?
「どうしてそう思う」
「昼間、あの峠を越えてきた時のことじゃ。
山全体に、なんとも気持ちの悪い瘴気が立ち込めておるのが感じられた。
あの吐き気を催す臭いは、とてもまともな生者のものとは思えぬ。
おぬしは感じなかったか?」
「ああ、あれか」
俺は、地球王が纏っていた瘴気を思い出した。この女も、あれを感じたというのか。
あの一呼吸で肺が腐れるかと思うほどの悪臭は、確かにまともな生き物が発するものじゃねえ。
だが俺には、あれが山全体にまで広がっていたことは判らなかった。
「で、どうじゃ?」
撫子が耳元で囁く。
「何がだよ」
「私の体は、臭いか?」
「いや……」
「では、どんな匂いがする」
「……花のような……いい、匂いだ」
「私を化け物の仲間と思うか?」
「いや……、思わねえ」
判ったよ、降参だ。
「ふふ、ようやっと判って貰えたようじゃのう。良し良し、んっ……」
また唇を吸われた。
―*―*―*―
「あーあ」
俺はもう何もかもがどうでもよくなっちまって、藁床の上にゴロリと横になった。
ちくしょう。結局最初から最後まで、こいつのいいようにされただけじゃねえか。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえぜ、まったく。
俺が染みだらけの天井に向かってブツクサと自分勝手な文句を垂れていると、何を思ったか撫子まで隣に寝転がり、よいしょと俺の腕を取った。
「何してんだ、てめえ」
「もう寝るのじゃろう? 夜は冷えるゆえ、一本貸せ」
そう言いながら腕を枕にして、体をすり寄せてくる。
「んふふ、やはり人の肌は暖かくて良いのう。遠慮せず、おぬしの好きにしてよいぞ」
冗談じゃねえ、お断りだ。
「じゃあ、あっちに行ってくれ」
「つれないのう、一人寝は寂しいじゃろうに」
「暑苦しいのは嫌いなんだよ」
「まあ、そう言わずに。
私はおぬしのことがもっと知りたい。寝物語に聞かせてくれ」
「寝物語ってのは、やることやった後にするもんじゃねえのか?」
「では、いたそうか」
「嫌だ」
「うんもう、意地悪」
人差し指で俺の頬をクリクリと突きながら、笑いを含んだ目で睨んでくる。
「くっ」
まあ、可愛いのは認める。見た目だけならな。
「しょうがねえなあ。面白い話なんか何もねえぞ」
俺がそう言うと、撫子は嬉しそうに「うふっ」と笑った。
だから可愛いのは認めてやるよ。絶対に言ってやらねえけどな!
「ではそうじゃな。まず、生まれはどこじゃ?」
「さあ? 憶えてねえ。どっかの山ん中だ」
「母上殿はどちらにおわす?」
「とっくに死んだよ」
「父君は?」
「見たこともねえ」
「今までどうやって生きてきた?」
「どうという事もねえよ。人間なんて、飯さえ食ってりゃなんとかなるもんだ」
「ふふ、その通りじゃな。
二つ名の『七殺し』とは、一体どういう意味じゃ。まさか今まで殺してきた人数が、たった七人ぽっちということもあるまい?」
「ああ、ありゃ大した意味はねえよ。餓鬼の頃おっ母が言ってたのがなんとなく頭に残ってたんで、そう名乗ってるだけだ。俺の守り星だとよ」
「守り星……、七殺し……。なるほど、七殺星か」
「知ってんのか?!」
思わず、顔を上げる。
すると撫子は天井を見上げて、滔々と語り出した。
「七殺星は南斗六星の一にして、紫微星の護星である。
その能は反骨、独歩、勇気、機略、不屈。その性は荒、激、反、殺、弧。
和を厭い独座を好み、事を為すに当たりては己の力のみを頼みとし、何事も遂には果たすも、その道程険しく、苦難を避けること能わず」
「へっ、ロクなもんじゃねえな」
知らなかったぜ。この名には、そんなちゃんとした意味があったのか。
「うむ、ひねくれ者で寂しがり屋のおぬしにはぴったりじゃな」
「誰が寂しがり屋だ」
「ひねくれ者は否定せぬのか?」
「それっくれえの自覚はある」
「くふふ。ひねくれ者どころか、こんなに素直ではないか。ほんに可愛らしいことよ」
俺が言わねえことを、あっさり言いやがった。
「ところでおぬし、兄弟はおるか? いや、実の兄弟ではのうても、兄弟同然の仲間とか」
兄弟?
「いや、そんなのいねえぞ」
「そうか。いや、きっとおるはずじゃぞ」
「なぜそう思う?」
「うむ。先ほど申した通り、七殺星は南斗六星のひとつじゃ。
天府、天梁、天機、天同、天相、七殺。
おぬしに七殺の名が与えられておるということは、他の五つの星の名を与えられた者もおるということ。そしてその名と共に何らかの役割も与えられておるはずじゃ。
おそらくおぬしの生まれた村は、ただの山里ではないぞ」
「はっ、そんなの知るかよ。
だいたい、俺の村は餓鬼の頃に盗賊に襲われて、皆殺しにされちまってるんだぜ。
まあ、俺みてえに逃げのびた奴もいるだろうが、肝心の村が無くなっちまってるんだから、今更役割なんて何の意味もねえだろうよ」
「その盗賊は、本当にただの盗賊か?」
「なっ……」
こいつ、地球王みてえなことを……。
「ふん。んで、おめえはどうなんだよ」
「お、私のことが知りたいか?」
「別に」
「そう意地悪せずに聞いてくれ。何でも聞いてくれ」
「はぁあ」
俺は天井を見上げて、さっきの撫子ほどは大きくない溜息をついた。
「じゃあ、生まれは?」
「さあ?」
「母親は?」
「知らぬ」
「父親は?」
「果たしていたのやら」
「……。誰に育ててもらったんだ。名は誰が付けてくれた」
「独りで育った。名は自分で付けた」
「今まで、どうやって生きてきた」
「別に、どうということもないのう。人間、飯さえ喰ろうておれば何とかなるものじゃ」
「ははっ、違えねえ」
そっか、お前も俺と同じなんだな。
「あのおかしな技はなんだ。どこで修行した?」
「別に、なんとなくできるようになった」
「なんとなくって。どっかの神社に伝わる秘術とかじゃねえのか?」
「ん? ああ、この格好か。
いや、実を申せば私は本物の巫女ではないのじゃ。
これは一時期世話になった御社で貰い受けたのじゃがな。女の一人旅には都合が良いので、身に着けておるだけじゃ」
「偽巫女かよ。まったく、いい加減な女だな」
「ふふ、まあ良いではないか」
いいけどよ。
「この村へは、何をしに来た」
「なんとなくじゃ」
「とぼけるのはもうよせ。何が目的だ」
「とぼけてなどおらぬ。
なんとなく、心がざわついた。この村で何かが起きる、何の理由もなくそう感じた。だから来たのじゃ」
「何かって、なんだよ」
「さてな、具体的なことは何も判らぬ。
じゃが心せよ、狼よ。近々ここら辺りで大変なことが起きる。
村に来て一つ判ったのは、それが山の盗賊に関係しているであろうということだけじゃ」
「その盗賊を退治するために、もうすぐ侍達が大勢やって来る。その時には、きっと大変な大戦になるだろうな」
「いいや。戦などと、そんな小さなものではない」
戦が小さいだと?
「じゃあ、いったい何が起きるってんだ」
「判らぬ。早くにそれを確かめねば、どうすることもできぬのじゃ。手遅れにならぬ内に」
まさかこいつ、戦が小さいと思えるくらいの大事を、どうすることも出来ねえような大変な事を、どうにかしようってつもりなのか。
「お前……、いったい何者だ」




