第一章 狼 十七 摩璃桃
そうだ。このマリモは、あの感を働かせる時の神掛かった感じのやつだ。
その言葉を聞いた爺様の顔が、見る見る蒼ざめていく。
「贈り物……。まさが! 摩璃桃姫の血けえっ!」
贈り物……、血……。
そうか、そういうことか。
「イヅナ! おめが付いてながら、なんづうごとを! なして止めなかっただ!」
「爺様、そりゃあ無理だよ。これはマリモの我儘なんかじゃねえ、摩璃桃の意志だ」
「本当は、内緒にしておこうと思ったんだけどね。兄様がそれは駄目だって。
ちゃんとお話しして、みんなにも力を貸して貰おうって」
「そったらこと……」
摩璃桃姫。それがマリモの本当の名か。
「狼さま」
マリモが俺の方を向いた。
「なんだい、姫様」
「この山を代表して、改めて狼さまにお願い申し上げます。
どうか、渡津国の化け物を倒して、この山国をお守り下さい。
あの者は、この里のみならず何れ日の本の国すべてに仇為す存在となります。そうなる前に、一刻も早くこの国から除さねばなりませぬ。
その為に、狼さまの御身は摩璃桃がこの血を以てお守り致しましょう。
そして余の者達も、お味方と相成りてお力添え致しましょう。
されば狼さま、どうかこの切なる願いをお聞き届け下さらんことを」
考えるまでもねえさ。この兄妹には命を救って貰っているんだ。
そのうえ、あの化け物を倒す手助けまでしてくれると言うんだから、断る理由なんてありゃしねえよ。
「ああ、任せてくれ」
「狼さまなれば吃とそう言っていただけると。有難う存じます」
マリモが、いや摩璃桃姫が深々と頭を下げる。
「飯沼地翁命!」
「ははっ」
マリモが呼び掛けると、ヌマヂの爺様はサッと姿勢を正し、さっきまでとは打って変わった神妙な態度で、頭を下げた。
「是より暫くの間、ここにおわす狼さまをこの地の王に任じ、我ら物の怪の頭領とす。
疾く伝えよ。
水の者、地の者、空の者、そのすべてに。龍神が百姫の一、摩璃桃の名において命ずると!」
龍神の姫?!
それに、この俺が物の怪の頭領。この地の王だと?!
「おいおいマリモちゃん。たった今うんと言ったばかりで何だが、ちょっと話がデカ過ぎやしねえかい?」
「いいえ。イヅナ兄様の申した通り、あの化け物を倒すには、人間の手を頼りとするだけでは足りませぬ。
我ら物の怪も力を尽くしてこそ、果を得ることが出来ようというもの。
この難事を、狼さまお一人にお任せするつもりは御座いませぬ。
我ら河童の一族をはじめこの地に棲まう全ての者がお味方となり、必ずやお力に相為らんこと、この摩璃桃が固くお誓い申し上げましょう」
「龍神が十皇子の三、この衣津納彦もここに誓おう」
イヅナ兄さんまでも……。
いつの間にか、俺達の周りを大勢の河童が取り囲んでいた。
河童達は皆一様に地面にひれ伏し、俺達に向かって頭を垂れている。
そしてその後ろには、数えきれないほどの山犬や貉など獣の群れ。岩場や木々の上には、無数の鳥たちまでもが……。
「ごめんね、狼さん。狼さんがこういうの好きじゃないことくらい、マリモにも判るよ。でも、少しの間だけだから」
なあに、可愛いマリモちゃんの頼みとあらば。
「しゃあねえさ。こうなったらとことんやってやるよ。任せときな、マリモモ姫」
「有難う狼さん、ホントにごめんね。
でもでも、でもね。もし狼さんの狼さんがマリモのことをお嫁に貰ってくれるなら、このままずっと……」
「とっ、ところで! ヌマヂの爺様よ!」
聞こえないフリ、聞こえないフリ。
「んー、なんだべ?」
「あの盗賊どものことだけどよ。まずは何か知ってることがあったら、教えちゃくれねえかい?」
「あー、あいつらのことけ。んだなあ、あちこちに穴掘ってるだなあ」
そいつは、昨日マリモからも聞いた話だ。
「目的は何だ?」
「さあ、さっぱり判んね。んだども、そこここ構わず底が見えねえくれえの深っけえ穴ぼこさ堀っちぁあ、そのまんま放ったからしだもんでよ。危ねえやら邪魔くせえやらで。
それに、龍神様もいい加減頭に来ちまってるみてえでよ」
そうだ、龍神様と言えば。
「イヅナの兄さんとマリモちゃんは、その龍神様の皇子と姫君だったのか。
てことは爺様も、正体は龍神様だったりするのかい?」
「あっははは、オラあただの爺だあよ。
おら達河童は、古くに龍神から別れた一族だ。普通だったら、長い間に血も薄れちまって、龍とは似ても似つかぬ別の生き物んなってたはずだで。
そうならなかったのは、この皇子と姫達がいたからっつうこった」
「てえと?」
「おら達普通の河童は、親から普通に生まれる。だども皇子と姫は、誰からでもなく、ある日突然沼の底から生まれてくるだ。
この底の知れねえ深い沼は、ずっとずっと奥の方で龍神様と繋がっていると言われてる。そこから湧いて出た龍の精と沼に沈んだこの山の土が交じり合って、この子らが生まれるだよ。
見た目は何も変わらねえだが、中身は全然違う。龍神様の精から生まれた、龍の子達だ」
「なるほど、そういう訳かい」
「だどもまあ、皇子も姫も普通に子を成す。その子は普通の河童だ。そうやって河童の里は続いてきただよ」
マリモはニコニコと俺の顔を見上げながら、爺様との会話に耳を傾けている。
「皇子が十人で、姫が百人もいるのか。その一番上がマリモちゃんってことは、他はもっと幼いんだな」
「王様」
そこへ、側に控えていた河童の娘の一人が、声を掛けてきた。
「王様はよしてくれ。なんだい? 姉さん」
うわ、こりゃまた随分と色っぺえ姉ちゃんだな。そこらの人間の娘なんかじゃとても敵わねえぞ。
「失礼致しました、では狼様。
お初に御拝顔を賜ります。龍神が百姫の二、瑚兎葉と申します。どうかお見知り置きを」
「あ、こりゃどうも。え、姉さんが二番目の姫だって?」
どう見ても、マリモより年下には見えねえぞ。
「はい、狼様。皇子姫の格位は、生まれ順では御座いませぬ。
此はあくまで神格を示すもの。
摩璃桃は位で言えば一位ですが、生まれは姉妹の中で最も若う御座います」
「そうだよ! マリモは一番年下で、一番偉いんだよ!」
「はー、成程ね」
その神格っつうのも、どうやって決まるのかはさっぱり判らねえけど、まあ色々あんだろ。
「じゃあ、姉さんみたいなマリモちゃんの姉妹が、あと九十八人もいるってことなのか」
「いえ、それまではおりませぬ。二十八人程で御座います、今は」
「今は?」
「産まれれば増え、隠れれば減りますゆえ。多い時もあれば少ない時も御座います。
とは言え、百まで居たのは遥か昔の事。百姫とはその名残りに過ぎませぬ」
「へえ、じゃあ皇子の方は?」
「今は三人だなあ」
と、イヅナ兄さん。
「三人か。なら、他の兄さん達にも挨拶しとかねえとな」
「ああすまねえ。あいつら二人とも旅に出てるから、今は留守だ」
「そうか、そりゃ残念だったな」
すると兄さんは、空を見上げて「あー」と声を漏らした。
「そいつはどうかなあ。あいつらの人間嫌いは、ヌマヂの爺様どころじゃねえからなあ」
「え、そうなの?」
隣りのマリモに目で問いかけると、マリモは真剣な表情でブンブンと首を横に振った。
それ程なのかよ。
「おい、おめ」
ヌマヂの爺様が、瓢箪をグビリとやりながら声を掛けてきた。
そういや、こっちも話の途中だったな。ええと、どこまで話したっけ。
「ああ悪い悪い、なんだい爺様?」
「おめ、誰だ」
「……」
そこからやり直しかい……。




