召喚されたら竜でした
「おはようございます、勇者様」
今日もその一言をかけ、穏やかそうな青年が柱の向こうから顔をのぞかせて笑う。
黒髪の彼の名はイオ。
さらさらの黒い髪に、たれ目がちの深い蒼の瞳。はっきりとした目鼻立ち。薄い唇。全体的に落ち着いているのに少年らしさも感じられる整った顔の青年だ。体つきもしっかりしていて身長も高いけど、本当に優しい。
わたしがこの世界に来てからというもの、イオは教育係という名のわたしのお世話がかりだ。
「朝食をもってきました」
と言って、プレートをわたしに差し出す。
しばらく無言で彼を見つめていると、イオはちょっと眉を寄せて諦めたような顔をした。
美味しそうな料理が皿いっぱいに並べられているけど、わたしが食べることはない。
だって、お腹減らないし。食べたいという欲求自体忘れてしまった。
ごめんね、と心の中で彼に呟く。
毎日それを作っているのがイオだとこの間見習いの女の子たちが話しているのを聞いたの。この世界で、厄介者となったわたしを押し付けられた世渡り下手なイオ。それでも毎日わたしに話しかけ意思疎通をしようとする不器用さは、理解者となって支えてくれる人のいないわたしにとってとても大切な人。
それでも、食べたいと思えないの。だって、今のわたしは、竜だから。
この世界に来たのは1ヶ月程前のことだ。家への帰り道、進もうとした一歩は地面にとどかなかった。届くどころか、どこかに着地することもなかった。突然ぽっかりあいた穴にそのまま転げ落ちるようにして飛び込んでわたしはこの世界に辿り着いた。
自分でもよく分からないけど、次に意識がはっきりしたときには輝く紋様の真ん中にいた。
そしてその時にはすでに、竜になっていたのだ。眩い光を放つ真っ白な鱗で覆われた竜に。
「勇者様……?」
ぽつんと聞こえた可憐な声を皮切りに、その場は大混乱に陥った。わたしな立つ紋様を囲うようにして半円を描いて集まっていた三十人程の人々が失敗だ、いや成功だ、竜とはどういうことだと思い思いに叫ぶ。
わたしだって聞き返したかった。
これは、一体、なんなのか。
夢?ここはどこ?この人たちは?
わたしの体今どうなってるの?
体は金縛りにあったみたいに動けなかった。
「皆さん落ち着いてください!」
可愛らしい顔をした桃色の髪の女の子が声を張った。
「召喚はたしかに成功しました。もしかしたらこちらの不手際で勇者様にこのようなことが起こったのやもしれません。勇者様が一番混乱なさっているはずです」
当たり前だよ、と叫びたかった。
意味がわからない。自分の全身を確認したかった。竜って、だれのこと。そもそも、勇者様ってなに。
張り詰めたその場の空気のなか少女は慌ただしそうにあれこれ取り仕切り、わたしが落ち着くまでここにいられるようにした。
話しかけられても答えなかったからかその場から一人わたしの世話役を決めたらしく、黒髪の顔の整った青年がゆっくりと歩み出てくる。
「勇者様、すべてのことはこのイオールに任せます。突然のことで混乱なさっているとは思いますが、わたくし姫巫女もお手伝いさせていただきますので」
凛とした声で告げられる。
イオールと呼ばれた青年は小さくよろしくお願いします、とわたしに頭をさげた。
結果として、姫巫女と名乗った可愛い女の子は二度程ここを訪れただけだった。
困った顔をしてわたしの前に立ち、二回とも深く頭を下げていた。
「どうかこの国を救っていただきたいのです。召喚の儀の責任はわたくしにあります。救っていただけるのであればわたくしをこの場で殺してもかまいません」
血なまぐさいよ!
むりむりむり!
と内心では思っていても喋れないわたしは黙って見ているしかなかった。竜の姿で横になったまま、首だけそちらを見ていたけど、しばらくすると彼女はまた頭を下げてから本神殿を出て行った。
本神殿というのはいまわたしがいる場所のこと。いくつもの太い柱に支えられた高い天井にはこの国の聖獣が描かれている。聖獣とはいっても、わたしにはただのライオンにしか見えないけど。
本神殿はさらにいろいろな部屋と繋がっていて、一種のお城みたいになっているらしい。
どれもこれもイオから聞いた話だ。
「姫巫女様はお若いですが、歴代のなかでも最高峰の力を持っていると言われているんです」
イオはある時、そんな風に言っていた。
だから責任も重くなるのだと。姫巫女は本来は神に捧げられる供物らしいのだが時代の流れとともに神殿の勢力の頂点になったのだという。
「神殿に出入りするには神官や巫女に関係のある人物でないとダメなんですが……私の場合は兄が政治のなかで権力を持っていまして」
イオはわたしに寄りかかりながらそんな話もした。ちょっと寂しそうな顔をしながら。
それにしても、くつろぎすぎだと思う。
「政治をするにあたって、取り込めなければ神殿は邪魔になりますからね。弟を監察官として潜り込ませているんですよ。おかげで神殿の方達には睨まれています」
そんなことも軽く話すイオ。
イオは毎日ご飯を私の元に持ってきて、他にもいろんな話をした。最初はなんとなく怖がっていたはずだけど、教育係を任された日の夜には「勇者様の鱗は固そうだからナイフとしていいかもしれません」とまで言うようになった。
あとはことあるごとに鱗を触ってきたり。
どうも扱いが雑だなあ、わたしこれでも女の子だよ、と内心怒っていたわたしだけどイオが優しく目を細めるとどうしても声に出しては怒れなかった。
そもそも、竜になってから声は出せなくなっていたのだけど。
一人になったときに試してみたら、すーっと空気の音だけしてあとは吼えるみたいになっちゃったから。
イオはご飯を持ってきては、この世界の話をしていく。
暖かい日差しが本神殿に射し込んでいたとき、イオは蒼い目を煌めかせてふと思いついたように魔法を使って見せた。
光がきらりと日差しに反射して、宙に馬が駆け巡り、花が咲き乱れ、気持ちのいい雨を降らせた。
あまりにもきれいで、首を持ち上げて見守っていたわたしにイオは優しく笑いそっと近づいてきて、わたしの鱗を撫でた。
すると綺麗で不思議な模様が鱗にすっと広がっていく。もっと見ようとすると、模様は段々薄くなりついには自然に消えてしまった。
「勇者様の魔力はやっぱり強いのですね。自分より強い相手には魔法は効きにくいんです。私も人並みにはある方ですが、勇者様には負けてしまいますね」
もっと見たかったのに……だめなのか。
ちょっとわたしもやってみたいかも。
イオはそんなわたしの心中を察したのか、
「頭の中で思い描けばいいんですよ。魔力の保有量に応じてそれが具現化されます。学園にいたときは長々とした呪文を教わったりしましたけど、それは想像できない分を言葉で補っているんだってあとから知りました」
にこにこ笑うイオ。
わたしも想像してみようと頑張ったけどうまくいかなかった。
そもそも魔力というのがよく分からない。
想像しても、それをどうやって具現化すればいいんだ?
「慣れればいろんなことが出来るんですよ。勇者様も、気が向いたらやってみてください」
いや、いまやってみたい。
わたしはイオが帰ってしまってからも魔法を使おうと竜の姿で頑張った。
花を出してみようと思ったんだけど、魔力がいまいち掴めないせいでもやもやした霧みたいのが出ておわり。
悔しくて、それからも誰もいない時にこっそり練習したりした。
すっかりわたしの住処になった本神殿には、イオ以外人は寄り付かなかったけど。
あるときは、イオはこんな風にここに来て早々にぐっと眉を寄せて頭を下げた。
竜のままちょうどいい寝方を発見した直後だったと思う。
「勇者様……この間はすみませんでした」
え、いきなりなに?
私なんかしたっけ?
イオは本当に申し訳なさそうに、眉をハの字にして謝ってくる。蒼い目がわたしをじっと見つめていた。
「勇者様にも家族はいるはずなのに、勝手に兄の話などして。身勝手でした。勇者様の側はとても落ち着けるので、自分のことばかりで……勇者様のことに考えがいたらなかったのです」
そう言われて、ああ、と思った。
でもね、わたし。何回もここに来る時のこと考えたけど。
落ちたんじゃなくて、向こうですでに死んだんじゃないかって。穴に落ちたと思い込んでいたけど。だって、いろいろ辻褄が合わなくて。
それに、家族のこともなんとなくしか思い出せないの。
「すみませんでした」
だから、そんな顔しなくていいよ。
「勇者様、では食事は取り下げますね」
ぼんやりとしていたわたしにイオはやっぱり食べていただけないんですねと残念そうに肩を落とした。
ごめんね。
いろいろ思い出してたんだ。
でもやっぱり食欲は湧かないんだよなあ。
イオはプレートを抱えてからわたしに近寄り、覗き込んできた。蒼と目が合う。
「勇者様、そういえば私は教育係を辞めることになりました」
え?
何でもないふうに、イオは付け足す。
「不吉の証拠である黒髪は勇者様の隣に相応しくないと告発した方がいたらしく」
ぐっと胸がつまった。
なに、それ。
そんなに泣きそうな顔しないでよ。
貴方がいたからめげずにこうやって生きてる。それに、すごく楽しかったのに。
「神殿では嫌われてましたから今まで通りですよ。ただ、勇者様の隣は居心地がいいものですから、私も忘れてしまっていたのですね」
知らないよ。そんな人たちは放っておこう。
わたしはイオに側にいてほしい。
イオは最後に悲しそうに笑うと、いつもみたいにわたしの鱗を撫でた。いつかの模様がすっと浮かんで、満開だった花が萎むようにそのまま見えなくなってしまう。
「代わりは神官長が担当するそうです。私は、これで」
それから深々とお辞儀をして本神殿から出て行ってしまい。
わたしは呆然とするしかなかった。
勝手に喚び出されて、竜になってて、結局一ヶ月も放って置かれたのに?
今更誰が来るの?今更何を求めるの?
ふつふつと湧き出る怒り。いやだ。イオがいい。この一ヶ月側にいてくれたのは彼だけなんだ。それが教育係という役割だったからだとしても。イオがいい。
でも、どうすれば隣に居られるだろう。
怒りの感情を持て余しながら、考えた。いつもより広く感じられる本神殿で。
一ヶ月間を思い起こす。
いろいろ思い出しながら自然とわたしはここにくる前の姿を思い描いていた。イオと同じ、黒髪。どこにでもいる普通の少女。前のわたしの姿。
もうちょっと。もうちょっとリアルに。
黒髪は癖っ毛で、目も眠そうで。肌は白めだった。身長は低い。性格は、たぶん捻くれてはなかったと思う。優しいというわけでもなく、どこにでもいるような、女の子。みんなで騒いだり、一人で悩んだり、妄想してたり。でも思い入れのあるわたしの姿。
何だか暖かい光に包まれて、次に目を開けたときわたしはわたしに戻っていた。
そう、この姿。
イオと同じ、黒い髪。
気付いたら駆け出していた。
神殿という城どころか本神殿からさえこの一ヶ月出なかったけど、長い渡り廊下で川の向こう側と繋がっているのだとイオが話してくれた。そのまた向こうには街が広がっているのだと。
ここは川の中にある神殿なのだ。
だから、向こうの、岸の向こうに行けば。
何人もの巫女見習いの間をすり抜けて、神官たちも倒す勢いで走る。
わたしの今の姿は巫女見習いと同じ法衣を纏っているから、すれ違う人たちはとくに気にもしなかった。
川を渡りきる手前の場所に、姫巫女と付き人たちが何やら話し込んでいた。姫巫女は話しながらふとこちらを見て……はっと目を見開いた。
「お待ちなさい!」
いやだよ。
そんなことしたら、もう二度とイオと会えなくなる気がするの。
「貴方達、早く捕まえて!」
前の世界ではそんなに速く走れなかったはずだけど今は風みたいに軽やかに走れる。必死で追いかけてくる付き人や護衛、見張りも撒いてわたしは街の中に駆け込んだ。
雑踏にあっという間に飲み込まれる。
このまま逃げて、イオを探そう。
そう思った矢先、数メートル先に見慣れた黒髪を見つけた。
間違いない、あれは。
「イオ!」
人の波に揉まれ、声もなかなか届かないらしい。わたしは必死で足を動かしで手を前へのばした。
「待って!イオ!」
あともう少し。
指先が、届く。
「勇、者様……?」
手が届き、彼は振り返って目を見開いた。思わず足を止めたイオに止まりきれなかったわたしが突っ込み二人で盛大に転んでしまった。
咄嗟にイオが下になり、擦り傷ひとつ出来なくてすんだ。
転んだまま、イオに飛びついたままいると、優しく彼が起こしてくれる。周りの人達の目も気にせず、その蒼い瞳をじっと見つめた。
「イオ、イオ、あの……」
何か言いたいのに。
一ヶ月も言いたいこと溜め込んでたのに。
座り込んだまま溢れそうになる涙を堪えて見上げると、イオは目を細めて前髪をかきあげた。
柔和ないつもの笑みがうかぶ。
「どうしてだろう……全然違うのに、勇者様だってすぐに分かりました」
優しい顔で耳元で囁かれる。
「勇者様、」
「なに?」
「お揃いですね」
髪、といっていたずらっ子みたいな顔をする彼に。わたしは。
そのとき、人混みがさらに騒がしくなった。
「どけ!」
「勇者様が迷い込まれた!」
「どこに行ったんだ!」
これは、早く逃げなきゃ。
イオは素早くわたしを引っ張り上げると手をつないだまま走り出した。
「勇者様、安全なところまで送ります。神殿のものに捕まれば、今の貴女を無理矢理にでも使おうとするでしょう。ここは、私に任せてください」
「いいよ、それでも!」
「勇者様?」
「イオがいてくれるなら、それでいいよ。……それに、お腹へっちゃったから、捕まって一緒に何か食べるのでもいいよ」
食い意地はってるとは言わないでほしい。竜の姿は省エネ状態だったのか、今にもお腹がぐうぐう鳴り出しそう。
あがる息を抑えて叫ぶように言うと、イオは前を向いたままだったけど小さく笑ったのがわかった。
「私がこの一ヶ月貴女の食事を作っていたんです。これからも是非私に任せてください。もちろん、味は保証します」
「ほんとっ……!それから、魔法ももっと教えて欲しいし、お兄さんのこともイオの家族のことも知りたいの」
「いくらでも聞いてください」
「それから、勇者様じゃなくて、真白って呼んで!」
一ヶ月、貴方の言葉を聞いてるだけだった。
ずっと言いたかったこともあるし、聞けたら聞いてみたかったこともある。
イオは何も言わずにぎゅっとわたしの手を握る力を強めた。
そのまま自然と二人の走る速度を上がる。
私たちは、雑踏のなかに紛れ込んだ。
後日
イオ「真白様のこと男だと思ってたんですよね」
真白「え、なにそれ」
イオ「白い竜だし、かっこいいなあと」
真白「それでよくわたしだって気付けたね…」
イオ「どうしてなんですかね。私も不思議です」