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1.「女になってる!」

 俺は目を覚ますと、空があんまり高いから、瞬間、ここは天国なのだと思った。


 チュンチュン……


 鳥のさえずるのが聞こえる。


 脇を見やれば頬をそよぐ小さな草花。

 官能的な土の香り。

 緑を透かす日差しは、採光を幻想的な虹色に変じていた。




 はて、俺は何をしてこんな野外で眠りこけていたのだろう。

 寝起きだからであろうか。頭が重く、気だるくてよく思い出せない。と言うよりできればもう一度眠っちまいたい。


 むむ。瞼が閉じられてゆく……

 しかし、果たして今は惰眠を貪っていて良いのだっけ?

 大学の講義は休みだったか?

 このまま眠ってしまったら何かに遅刻しやしないか?


 あ、そーだ。

 今日は確か、慣れないリクルートスーツを着て企業展というのに出かけていったんだった。まさに就職活動の始まりというヤツである。

 それで、その帰りの地下鉄電車がいきなりスゲー揺れて……


 じゃあやっぱり、ここは天国なのか?




 そんなふうに思い出して、再び気合を入れて目を見開いた時、瞳へ異様なものが映った。


 それは裸の、なまめかしい腕である。


 りゅうりゅうと筋肉が張っていて小麦色に日焼けしたその腕は、俺の腕なんかより遥かにたくましいけれど、一目見て女のそれと分かった。

 露出した肩口から豊かな二の腕、硬質な肘、長く伸びた指先に至るまで、草木にぐったりとして横たわっている様は、まるで砕けた彫刻の断片のように妖しげで艶美だ。


 え?

 ということは何だ。俺の隣に女が寝てるのか?

 そんな唐突なシチュエーション、童貞の俺にはハードルが高いぞ。


 俺はつとに緊張して、身を起こしながらこう言った。


「誰だオマエ」


 ん?……何だこの声?


 誰だオマエ――それは確かに俺が発声したセリフのはずだ。

 しかし、野に響いたのは男のモノと思えない、鈴の鳴るような声だった。


「あ。あー。あー、あー」


 ほら。俺が出している声なのに、全然俺の声じゃない。

 かなり高音で艶っぽい声である。

 その可憐な声色を祝福するように風がそよりと靡いた。


 喉がおかしくなってしまったのか?


 そう思って喉仏をさわってみようとすると、手もおかしい。

 なんと言うか、感覚が何か違う。


 そう思って腕を上げて見るとギョッとした。

 それは先ほど見た女の腕だったのである。


 首をもたげて、辺りを見回してみる。

 女などいない。

 それどころか、この場には俺以外誰もいない。


 再び手へ目をやる。

 グーパー、グーパーと掌を閉じたり開いたりやってみると、力強くも細長い、女流ピアニストのような指がぎこちなくグーパーしている。


 では何か?

 横に寝ている女の腕だと思ったそれは、俺の腕だったってこと?

 って……あれ?自分でも何を言っているのか分からないぞ。


 しばらく自分の動かす自分の手ではない自分の手をジッと眺めるのみで、頭が働かない。


「どーなっちまってんだ」


 ポツリと呟くけれど、やはり俺の声ではない。

 俺は怖ろしくなって、もう一度草に寝転がり目を閉じて眠ってしまいたいと思った。

 でも、そんな中途半端な現状理解で眠りについてしまうのは危険な気がする。


 やむをえず、俺はおそるおそる自分の身体へ目を移す。


 すると、そこにあった自分の肉体は、どう見ても俺のモノではなかった。

 信じられないことだけれど、俺の視界に入る俺の身体が「俺の身体」ではないのだ。


 俺の身体ではないどろこか、どう頑張っても男の肉体にすら見えない。

 女の身体、それも相当エロティックな身体をした女の身体に見える。


 けれど、俺の身体が女の身体なわけがないので、これはやはり俺の身体ではないのか?

 ああ、またワケが分からなくなってきたじゃないか。



 また、その筋肉質ながら女らしい身体が纏っている格好は、いかなる社会性も、機能性も、合理性も無いように見える。


 肌の大部分が露出されているセパレートタイプのビキニ水着のようなスタイル。それだけならば海や市民プールで見かける女達のスタイルであるが、中途半端に防具プロテクターめかした部位が目立つ。

 ゲームや漫画に登場する女の戦士が身に着けている、いわゆるビキニアーマーのようである。


 現実に存在するはずもない、見る人の劣情を煽るだけのフォルム。

 目のあたりにするとこんなに恥ずかしい格好はない。



 そんな中で、まず目に入ったのはムキ出しになっている太ももである。


 ムキ出し、と言っても脚全体がまったくの裸ではないところが肝である。まず、折りたたまれた膝にはプロテクターのようなものが嵌められている。金属的に輝くそれは、ブロンズ色をベースに所々繊細な装飾の施された華麗なもので、そこから下へ向かってすね当てへと接続されている。

 これらは、いかなる衝撃からも膝と脛だけは守ってくれるように見えた。


 けれど、肝心なムッチリとした太ももの全体は何にも守られてはいない。無防備に生々しい太ももが晒されている。軽く力を込めると、大腿部の筋肉が小麦色の肌を透かしてピクピク蠢いて、陶器を思わせるような光沢を放っていた。


 指でさすってみると、毛穴一つないキメの細かい肌はスベスベして気持ちイイ。弾力のある肉の反発力はムチムチして情欲をそそる。


 ふふっ、くすぐったい。


「ははっ……なかなかイイあししてんじゃん。ははっ、ははは」


 気がヘンになりそうな笑いが込み上げてくる。

 オヤジっぽいセリフを吐いて気持ちを落ち着けつつ、内もものぷくっとした膨らみをプニプニとつついてみると、次第に無視できない領域が目に入る。


 股の間だ。


 太ももはムキ出しにされているけれども、股にはさすがに布が当てがわれていた。とは言え、それは本当に股の大事なところしか覆っていない一枚のパンツのようなものだ。


 防具と同じブロンズ色の布が、まるで貴婦人の召す複雑なランジェリーのようにしつらえられている。クロッチに相当する部分には金糸が整然と縫いこまれていて、その一糸一糸に世界の秘密が隠されているみたいだ。

 そして、パンツの布の端々には同じ金糸で優美な唐草模様が刺繍され、腰の周りへは銀色の鎖が硬い光を放ちつつ巡って布の存立を支えていた。


 なるほど。美しくてエロっちいパンツである。

 しかし、今重要なのはそんなことではない。


 そう。

 あるか、ないか、それが問題だろう!


 つまり、天下万国人類普遍の男の子にとって最も身近な“ヤツ”の存在についてである。


 もっとも、もはや一見してこの股のシルエットにはその存在感は無きに等しい……かもしれない。


 だって、本来もっこりしているべきところが、すげーのっぺりしているのだ。


 でも、今はまだ『シュレディンガーの猫』状態である。

 要するに、確認するまで「あるか、ないか」確定はされないというわけだ。


 するとどうしても「確認したくない!」という保留の誘惑に駆られて、しばらくモジモジとその場をのたうち回ることとなった。


「いやー、まさかねえ……うーん」


 大して意味のない言葉が口からこぼれるばかり。


 とは言え、いつまでもこうしていても埒があかない。

 いくらおっかなくても、トイレット的な問題の一事をとってさえ、いつかは自分自身の(げんじつ)と直面しないわけにはいかないのだろうし……


 そう悟って、とうとう俺は肉にミチっと食い込むパンツをそーっとめくってみた。





 ……モゾモゾ





 …………無い!


 ヤツはキレイさっぱりいなくなっている。


 何で?


 それはつまり……


 俺は女になってしまった、ということか?




 問うまいと思っていたことを、ヤツの不在を確認してしまった以上、問わざるをえなくなった。


 いや、似たような所にすごく小さいのがピョロっと出っぱってたけれど、多分あれは全然違うシロモノだ。

 俺は童貞だからよく分からねーけど。

 なんだか怖くてそれ以上確かめられなかったし。


「ふふふ、はは、ははは」


 ヤバイ。またヘンな笑いが込み上げてくる。


 いや、落ち着け。気を違わせても何も解決はしないぜ。

 俺ってば、学校じゃあクールな男で通ってたはずだろ。

 予想外のことが起きた場合は発想の転換が大事だよって、中学の時の堀田先生も言ってたじゃないか。


 そう。逆に考えるんだ。

 どうせ彼女もいない俺にとってはこの先ヤツを使う予定もなかったわけだし。だったら、あったって無くったって一緒だよね。

 ううむ。冷静になると全然問題ないということが分かってくるな。

 なーんだ、心配して損した。あはははっ……


 って、あれ?何だろう。頬が熱い。

 指で頬にふれてみると、ビッショリ濡れていた。


 涙だ。

 気づかないうちに止め処もなく溢れていたのである。


 ああ、そうか。これは使う予定があるとかないとかの理屈じゃない。

 俺とヤツとの絆の問題だった。


 切ない。

 股にポッカリ穴が空いたような喪失感。


 失って始めて気づくヤツの存在の重さ。

 ごめんな。使ってやれなくて……


 俺は涙が零れないように上を向くと、青い空へヤツの姿を描くのであった。



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