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15.「川岸」



 野原から少し森を越えると川に行き当たる。

 俺はそこでおねしょのパンツとシーツをじゃぶじゃぶと洗っていた。


 細波立つ水面。

 ふと洗うのを止めると、そこには金髪の美しい女の顔が映った。

 それは他の誰でもない。

 俺の顔である。


 それはごく均整のとれた顔。

 豊かな頬。通った鼻筋。唇は薄ピンク色で、二重瞼のラインが理想的な弧を描き、瞳の碧は比べるもののないほど美しい。


 さらにこの髪。

 無数の、黄金の長いリボンが螺旋状に躍動して、その生え際に清涼の感を覚える。


 これが今の俺の姿なのだ。

 俺は、腹の底から歓喜の情がふつふつと沸いてくるのを感じた。


 もちろん、俺は女になりたいなどと思ったこともないし、自分がそういう欲求を持ったタチだったとも思えない。

 でも、自分の姿がこう美しいものであると自覚することは言い様もない悦びである。


 これがナルシズムというものだろうか?


 でも、このナルシズムは少しおかしな話も含んでいる。

 というのも、この美しい女戦士の姿は、俺の遺伝子の功績ではないのだから。


 俺の遺伝子によって形づくられた姿は、外人がよく「黄色い猿」と形容するような、鼻が低く、目が細く、短い脚に、貧弱な体格といった一般的な日本人のそれであった。


 そして、遺伝子は身体に内包されたものであるから、今の俺は元の姿だけではなく、元の遺伝子の指令からも解き放たれていることになる。もっと言えば、脳組織からも解き放たれているという話になってしまう。


 ある学者は、生命は「遺伝子の指令の受け皿である」と言っていたらしい。つまり、意思というのは遺伝子からの指令で起こり、その指令を受けて脳組織が感知し、思考し、「私」というものがあるように思われるのだという話である。

 これを心身一元論という。


 けれど、そうするとこの女戦士の身体で考えたり、意思したりしている俺は一体なんなのだ?


 だって今、俺は「ああしよう、こうしよう」と意思したり思考したりしているわけだ。

 意思の大元が遺伝子の指令で、思考の大元が脳組織なのだとすれば、この状態、つまり他の身体で俺が意思したり思考したりするということは、理論上ですら不可能なはずである。


 つまり、この美しい姿を喜んでいる「俺」は、身体を超えた「魂」的な何かであると考える他なくなる。


 また、そう考えなければ、俺がある身体を得たとしても、すぐさまこの身体の遺伝子やら脳組織やらで意思したり思考したりするわけだから、この美しさを喜ぶ「俺」というものが存在しなくなるということに、理屈上ですらなるのである。





 だけどまあ。

 いくら美しくても、今していることは、おねしょの始末なのだから格好はつかない。


「ハックション!!」


 盛大なくしゃみ。

 すっぽんぽんだから冷えるのだ。


「ブザマですね」


 さらにステラちゃんが冷やかす。

 今のところもう彼女に用はないので、俺は相手にするのをやめた。


 しかし、天使というのはよほどヒマなのか……


 彼女の毒舌を聞き流しながら、洗濯のシャボンを川へ流す。

 だが、その時。

 一つ聞き流せないことを天使は言った。


「まったく、その身体の前任者が泣きますよ?」


 俺はその時、この言葉が持つ意味を瞬間には判じなかったので、他の言葉と同じように打ち流してしまったのである。

 しかし、しばらくすると情報の重大さにハッと気づく。


 ……この身体に、前任者がいるのか?


 振り返って問い正そうと思ったが、天使はすでに消えていた。




 俺は洗ったパンツやら、ついでに洗ったブラジャーやら、シーツやらを干して、今度は川で身を清め始めた。

 女の裸ではあるけれど、俺はもう別に興奮はしなくなっていた。


 だって、おっぱいにしろ何にしろ、あれに男子が興奮するのは、おっぱいが男子についていないからなのだ。

 もし、世の男子におっぱいが付いていたとすれば、彼らは別に女子のおっぱいをあそこまで有難がったりはしないだろう。


 それと同じで、俺だって普段から自分の胸におっぱいが付いているのであれば、別にこれはもうこういうものだと了解されてきて、大して有難いとも思わなくなってくる。

 もはや「綺麗だな」と冷静に鑑賞するくらいの余裕すらある。


 そんなこんなでシャボンで身体を洗い、川の流水でそれをすすぐ。

 そのこと自体は何のことはない。

 しかし、問題はその最中に何かの気配を感じたということである。


 気配というか、視線……


 俺は、魔物だろうか、と身構える。

 川から上がって剣を取りに行かねばならないかもしれない。

 まだ身体がシャボンでヌルヌルするけれど……


 まず、俺は辺りを見渡し、気配の正体を確かめようとした。

 オークだったらさすがに素手では倒せないだろう。


 だが、気配の主はオークではなかった。

 いや、魔物ですらなかった。


 川岸の向こうに立ってこちらを見ていた彼は、猟銃を背負った男だった。

 それはこの世界で初めて見る「人間」だったのだ。



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