春よ、来い。
少し、実験的な作品です。似非文学作品、とでも言うジャンル(そんなもの、無いですねA^^)だと思っていただければ幸いです。 今回は、喫煙シーンなし、飲酒もなし、非行少年少女は出てきません。純粋に(?)、普通の女子高生が主人公です。
ご一読、お願いいたします。
まだまだ、冷たい空気が身を刺す様な、二月中旬。 春香は庭に植えられている白梅が、ちらほらと咲き始めている風景を見つける。
「週末、雪が降っていたのに……」
何となく嬉しい気分になり、春香の口から小さな呟き声が漏れた。
家屋の隣に据えられた納屋から自転車を出して、手袋とマフラーを確りと身に着け直した。
「まだ、冷たいな」
軽く身震いをして、春香は自転車を漕ぎ出した。
皆川 春香は、高校二年生だ。 名前は、四季の中で一番好きな季節は春だという母親が、付けてくれた。
彼女が生まれた年に、記念として庭に植えられた白梅は、毎年この季節になると、芳香を放ちながら、凛として咲き誇る。
その白梅を見て、春香は幼い頃から、友だちが気付くよりも少しだけ早い時期に、春の訪れを見つけてきた。
春香は、小学生時代から仲の良い友人・実莉と一緒に、自転車通学をしている。 今朝も、いつも通りの十字路で、実莉が待っていてくれた。
実莉の姿を見つけて、二十メートルも離れた所から、春香が大きな声を出す。
「おはよう、実莉! 梅、今年も咲いたよ!」
自転車を漕ぎながら、片手をハンドルから放して大きく手を振る。
「おはよう、春香! 今年も、もう咲いたんだ。 ……春だね」
キキー! と、両手でハンドルを握り直した春香の自転車が、ブレーキ音を上げる。
「まだ、寒いけどね」
実莉の間近で、春香の自転車が止まる。
春香の言葉に相槌を打ち、実莉も自転車へ跨り直した。
待ち合わせ場所から、片道二十分をかけての通学時間中、二人は話しながら自転車を漕いでいく。
田舎町の通学路は、間に畑あり、田んぼありの、冬の朝には、吹く風が冷た過ぎる道行きだ。 いつも、寒さを吹き飛ばす様な気持ちで、大きな声で話しをする。
今は、一学年上の先輩達が、後二週間で卒業式を迎える時期。
冷たい風を切って走りながら、実莉が聞いた。
「ね、春香! どうするの?」
「どうって?」
「先輩のこと」
春香の返事は聞こえない。
実莉の言う先輩は、春香と仲の良かった先輩の事だ。
二月初旬、春香は彼から、初めて卒業後の進路を聞いた。 その日から口もきかないままで、二週間以上を過ごして来た。
実莉は構わずに、話を続ける。
「バレンタインデーにも、チョコ渡さなかったんでしょう?」
「……別に、付き合ってた訳じゃないし」
春香の呟く様な声は、はっきりとは聞き取れなかった。
「週末からテストだね。 イヤだな」
これ以上、聞かれたくはなくて、春香は話題を逸らした。
「知らないからね、後悔したって」
実莉はそう言って、少しだけ表情を歪めていた。
□ □ □
授業中。 教室の、ほぼ真ん中にある自分の席で、春香は、黒板に白いチョークで書かれた文字を、ただ、ノートへと書き写している。
授業の内容は、頭の中には入ってこない。
春香の手が止まり、ボンヤリとした視線を、中空に彷徨わせる。
朝、実莉に言われた事を思い出していた。
高津 和輝は、春香の中学時代からの先輩だ。 その頃には、それほど親しかったわけではなかった。
春香が同じ高校に入学したとき、彼から声をかけてくれた。
「今年の新入生は、藤咲中出身が去年より多いんだな」 そう言って。
それから、少しずつ仲良くなった。
春香が中学時代に所属していた軟式テニス部は、運動部のジョギングコースの脇に、テニスコートがあった。
テニス用のスコートは、年頃の少年達の目を引くものだ。 どうしても、気になるのだろう。
それで、昔から藤咲中学女子軟式テニス部の生徒達は、校内でも人気があったらしい。 だからと言って、部員全員がモテていた訳ではないが、運動部の男子生徒たちから、顔を覚えて貰い易かった。
高校で、先輩から声をかけて貰えたのは、きっと、そのお陰だろうと春香は思った。
高津は、剣道部に籍を置く。 剣道は中学時代から続けていた。 春香は、良く高津の試合を見に行っていた。
高校へ入学したての頃は、希望と同じくらいの大きさで、色々と不安もあった。
そんな時に、同じ中学出身の先輩が、何気なくかけてくれた言葉は、やはり嬉しかった。 少しだけ、気になってしまった。
自分から声をかけたくらいだ。 高津も春香の顔は、確りと覚えていた。 試合の度に自分を応援しに来てくれた事は、嬉しいと思った。
春香が一年、高津が二年の冬休み前には、高津の試合後、一緒に帰宅をするようになっていた。 その頃から、二人は付き合っている様だと、身近な友人達が噂をし始めた。
あの頃、高津が春香に言ったことがある。
「変な噂、されるようになっちゃったな。 ……悪い」 そう、謝られた。
二人で試合会場から、路線バスを使って帰宅をする、道すがらだった。
謝られた時、春香は、心に小さな棘が刺さった様な、チクリとした痛みを感じた。
『あの時……。 もう、先輩のこと、好きになっていた……』
けれど片思いだったことも、その言葉で同時に知ってしまった。
彼も少しは、自分の事を気にしてくれているのではないかと、思い始めていた頃だった。
高校に入ってからの春香は、特に部活動に参加する事もなかった。
中学時代にやっていた軟式テニス部は、この学校には無かった。 硬式テニス部はあるが、軟式でさえ、同級生達に比べて上達が遅かった自分が、硬式テニスなどやっても無駄だろうと思った。
部活に、必ず籍を置かなければならないと言う様な校則も、この学校には無かった。
春香は、持て余してしまった時間を潰すために、趣味として編み物を始めてみた。 始めたばかりの頃は、上達したら先輩に、マフラーでも編んであげようかとも思っていた。
彼が、喜んでくれるのなら。 目標にもなる。
そう、思っていたのだが……。
特に好きでもない、彼女でもない女の子から、手編みのプレゼントを貰うのは、男の子にとっては、気が重い事なのかも知れない……。
そんな風に考えて、頑張って上達させ様と言う前向きな気持ちも、逸れてしまった。
春香と高津は、仲の良い先輩と後輩。 そんな関係のまま、一年半近くが過ぎてきた。
去年の秋、高津が部活動を引退してからは、彼の試合を見に行く事もなくなった。
高津も、受験勉強が忙しかった。
それからは、一緒に帰る事もなくなってしまった。
時間を合わせて、仲良く帰宅をする程の関係でも無かった。
考え事をしている内に、授業時間終了のチャイムが鳴る。 委員長の号令がかかり、春香もその声に合わせて、椅子から立ち上がった。
□ □ □
毎朝、春香と一緒に登校する実莉は、文芸部に籍を置く。 今日は、その活動がある日、月曜日だ。 文芸部は、週に二日だけ活動している。 毎週、月曜・金曜の二日間。
勿論、実莉は入部する時に、春香を誘ってくれた。
けれど春香は、文章を書くことには、それほどの興味を覚えなかった。
放課後になり、春香は一人、自転車置き場へと向かっていた。
ふと上げた視線の先に、彼の姿を見つけた。
自分と同じ所へ向かう、生徒達の後姿に隠れて、それまで気付かなかった。
友だちと楽しそうに話しながら歩いている、目の前の男子生徒が、大笑いをした弾みで、身体を大きく横へと揺らした。
その頭の間に、高津の横顔を見つけてしまった。
そして、高津の言葉に笑顔を見せながら、並んで歩いている女生徒の姿も、春香の視界に飛び込んだ。
その瞬間。
ドキリと大きな音を上げて、心臓が脈打つ。 春香は、自分の鼓動に驚いた。
目の前の景色は、止まってしまう。 少しだけ、クラリと目眩が襲う。
……鼓動は、早くなっていく。
身体の奥の、奥。
深い、深いところから、込み上げてきた感情に、春香は気付いてしまった。
『……私、どうして』 悲しいの?
春香の片思いは、随分、前から分かりきっていた事だ。
『どうせ、好きになってもらえないだろうから……。
それなら、他の子達よりも、ちょっとだけ仲良く見える先輩との関係のままで……、そのままで、十分だから……』
そう思う事で、満足しようと思った。
硬い とても硬い、蕾の様 じっと、寒さを堪えていた、庭の白梅
『春、いつ来るのかな……?』 何故だろうか。 春香の心に、浮かんだ言葉。
気持ちを無理やり押し込める事で、春香の心は、あの花開く前の蕾と、同じ様に……。
……硬く、硬く、硬く……。
それでも、庭の白梅は、今年も咲いた
春香の心は、あの片思いを思い知らされた頃のまま、まだまだ、冷たい空気に触れるのを、怖がっている……。
□ □ □
高津と並んで歩いていた女生徒が、春から、彼の大学での学友となる相手だと言う事は、一週間が終わるよりも早くに、春香の耳にも入った。
のんびりとした田舎町を出て、慌ただしく、不安も多い都会へと、夢を持って歩いて行こうと言う時。
同郷、同校出身と言う絆は、どれ程の魅力となって、その瞳に映るのか……?
自分の事に置き換えて考えてみる時間は、春香には、持て余す程にあった。
その所為か、春香は最近、塞ぎ込みがちに見える。
実莉は心配そうな顔をして、春香にもう一度、問いかける。
「ねぇ、春香。 本当にいいの? 同じ大学行くからって、二人が付き合っているとか、決まらないでしょ?」
問われて、春香は。
「……わからないよ」 小さく、首を横に振る。
週末・土曜日の帰り道。 途中で春香の自転車の後輪が、パンクしてしまった。
春香に付き合って、実莉も自転車を押して歩く。
「わからないって……。 それを確かめるためにも、思い切ったほうが、いいと思う」
「……わからないって、そう言うことじゃ、ないよ」
あの二人の関係が、どうと言うことではなかった。
「もう、イヤになっちゃう。 あと5分、パンクしなかったら、家についていたのに!」
話を逸らして、春香は悔しげな顔をする。
『こんな所で、パンクなんて、……まるで、私みたい』 先輩達が、卒業してしまうまで、あと、一週間。
少しイラついている様な春香の雰囲気に、実莉は小さく、息を吐いた。
「もう、時間、あんまり無いよ?」
「……そうだね」
悔し涙が、少しだけ春香の目に滲んできた。
足の運びが、止まってしまった。
二、三歩、先に進んで、実莉の足も止まる。
「春香? だいじょうぶ……?」
一番、悔しかったのは、何?
「……実莉。 私、どうしたいんだろう……?」
「それは、……春香にしか、分からないよ」
悲しかったのは、どうして……?
二人の会話が止まってしまう。
ゆっくりと、春香の足が、また進みだす。
いつもの十字路で、二人は別れた。
先の曲がり角で一度、自転車を止め、軽く振り向いた実莉に、春香は小さく手を振った。
実莉が、自転車に乗って走り去っていく後姿を、少しだけ見送った。
自転車を押して、漸く到着した家の庭で。 春香の白梅は、今を盛りにと咲き誇っていた。
その枝は、真っ直ぐ空へと 元気よく、無数の小枝をピンと立てて
ほの白い梅花の群れは、我勝ちにと、可憐さを競うかのように
□ □ □
日曜日。 春香は自室で、久し振りに編み物のテキストを開いている。 気晴らしのつもりで、軽い気持ちで眺めていた。
窓の外から不意に響いてきた、大粒の雨音にびっくりして、南側のサッシ窓を開く。
さっきまでは確かに明るかった空へ、真っ黒い雨雲が広がっていた。 少し遠くの空には、青空も覗いていると言う、奇妙な空模様。
バラバラバラ! と、家屋隣にある納屋の屋根に、賑やかな音が響きだす。
「霰だ……」 びっくりしたまま、呟いてしまった。
昨日、パンクした自転車のことを、思い出した。
修理をして貰わなければならなかったのに、まだ賑やかな音を上げている、トタン屋根の納屋の中だ。
もう一度、視線を空へと動かして、少し離れた場所に覗いている、青空を確かめた。
霰が雨に変わり、その雨も上がり、再び太陽が顔を出してから、春香は外へ出た。 パンク修理をしてもらうため、自転車を納屋から出した。
庭の白梅が、水滴をポトリと落下させて、花弁をフルフルと震わせている。
春香はその様子を見て、ホッとした気分になった。 散らなくて良かったと思った。
冷たい霰にも負けない、凛とした強さ 白梅の象徴する心は、忍耐
清楚で可憐な小さな花は、寒い寒い冬を越えて、毎年、一番に春を知らせてくれる。
その枝には、少しだけ蕾を残している。 先に咲いた花が、一枚、また一枚と花びらを落とし始めた頃、新しい花が、後を追いかけて咲き始める。
その頃、漸くその香りに、気付く人たちもいる。
『今度の土曜日。 先輩が、卒業しちゃう……』
自転車を押しながら、春香は考える。 本当に、このままでいいのか?
悔しかったのは、彼が進路を教えてくれたのが、遅かったから?
自分よりも仲良しの、彼のクラスメートが、一緒に笑っていたから?
『……悲しかったのは、……高津先輩の隣で笑っていたのが、私じゃなかったから?』
まだ、遅くないのかな……? でも、どうせ……。
それでも、時は刻まれて行く。
春の嵐が吹き荒れた日曜日から、三日が過ぎた。 満開だった庭の白梅は、四割ほどは散ってしまった。 新しい蕾が咲いて、七分咲き頃の景色に近い。
卒業式まで、あと三日。
近所の家の庭に植えられている、桃の蕾が、色を持ち始めている。 登校時間、その様子を見つけた。
梅が終われば、次は桃 桃が終われば、次は桜
空気も徐々に、暖かくなってきた。
□ □ □
その朝は、桃花の蕾が、少し綻んでいた。
三年生は、制服の胸に、『祝・卒業』 そう書かれたリボンを飾る。
「何となく、これは恥ずかしいな」 そう言って、高津は。
リボンを軽く指で弾いて、春香に、久し振りに笑顔を見せている。
二人は正門前近くで、向かい合わせて立っている。
周りには、名残を惜しむように語り合っている、卒業生達や、それを見送る在校生達。
門柱の傍らにある桜の蕾は、まだ固い。
何を、どう言えば良いのかは、纏まらなかった。 ただ、このまま、彼の声も聞けず、笑顔も見られないままでサヨナラをする事だけは、嫌だと思った。
「……あの、先輩。 ……卒業、おめでとうございます」
少し俯いたまま、高津の顔を正面から見る事ができずに、春香は祝いの言葉を告げる。
「ありがとう」
素直に頬を綻ばせて、高津が礼を言う。
春香は次の言葉が、中々、出てこない。
「……なんか、久し振りだな。 皆川と話しするの」
視線を斜めへと動かして、高津が言いかけた。
「……そうですね」
少し強い春の風が、二人の間を吹き抜ける。 どこからか、名残の梅香が、風に乗って渡って来た。
「……梅の匂いがする」 春香の呟き声に、高津の眉が軽く上がった。
「梅? 鼻がいいんだな。 おれには、判らないけど」
春香の頬が、微妙に綻んだ。 はにかんだ様な笑顔がこぼれる。
梅の香りが、春香の心に少しだけ、勇気をくれた。 ……ほんの、少しだけ。
「先輩。 一人暮らし、するんですか?」
「そうなるよ。 引越しの準備、明日から始めないとな」
「そうですか。 ……あの、」
あと少しの勇気があれば。 次の言葉は、違っていたのかもしれない。
「……メール、してくれますか?」
漸く出てきた春香の言葉に、高津が少し首を傾げる。
「皆川、携帯、持っていたっけ?」
春香は慌ててしまう。 ほっぺたが赤くなってしまった。
「あ、あの、……お母さんに、相談します……」
耳まで赤くなって俯いてしまった春香を見て、高津が小さく笑った。
「わかった。 アドレス、教えるよ。 携帯、持たせてもらったら、教えてくれよ?」
頷いた春香に、高津が小さく付け足した。
「良かったよ。 話し、できて」
春香は、まだ赤い顔を少しだけ持ち上げて、高津の顔へ、おずおずと視線を向ける。
「二月の初めから、口、きいてくれなかったから。 嫌われたかと思ってたよ」
他に、何も言えなくなった。 小さな声で、「ごめんなさい」それだけ、漸く伝えた。
高津は近くの友人にペンを借りて、胸のリボンを外して、メールアドレスを書いた。
離れた所に居た友人から声をかけられて、高津が返事をしている。 アドレスの書かれたリボンを春香へ手渡して、小さな笑顔を見せて、踵を返した。
友人の元へと行きかけて、少し先で、高津が振り向いた。
「皆川!」
呼ばれて春香が、小さく首を傾げる。
「試合、ずっと見に来てくれて、ありがとう! ……じゃぁな、元気で!」
手を振って、行ってしまった。
春香は高津を見送って、小さく頭を振ってみた。
『……どうして、涙が出てきちゃうんだろ……?』
あと、もう少しの勇気があれば……。
俯いて、じっとしたまま動かない春香の近くへ、実莉がそっと近づいた。
「……ちゃんと、言えた?」
実莉の問いかけに、春香は小さく首を横に振る。
「……そっか。 でも、頑張ったんだね」
春香は、親友の肩を借りて、小さくすすり上げた。
□ □ □
庭の白梅が名残りの花を、ほんの一輪、二輪
近所の桃花は、満開の時を迎える
桜が満開になる頃には、あの人は、遠い空の下へと……
《 終 わ り 》
お付き合い、ありがとうございました。 お時間ありましたら、感想、評価などもお待ちいたしております。 2008.3.1