第三話「待っててね、戦場」
最終話! ちょっと暴力が過ぎるかもしれないので、ご注意ください。
一緒に用語集も乗せるので「これは何?」という方は感想でお知らせください。
追加します。
嵐の前の静けさが一転、嵐の後の騒がしさで耳が痛い戦場の一角。
赤茶けて母なる大地の恵みが一切感じられないそこで、老若男女六十名あまりが腰を下ろして休んでいる。
そのうちの数人が戦利品らしい見慣れない物品を薄汚れたシートの上に並べていた。
「ふふふ、これは司令本部にあったコーヒー豆です。クルーク中佐、いくらで買いますか?」
「上官命令、それは没収だ。羊飼い将軍には渡さん」
「パワーハラスメントだ!」
ぎゃあぎゃあと騒がしいジオール大尉だが、問題の品はディアナにさっさともぎ取られている。そっとポケットに忍ばせた金貨も、ディアナに目敏く気付かれてすっと抜き取られた。
そのおかげで、薄汚れたシートの上にはよくわからない弾薬や火器ばかりが並んでいる。ディアナの祖国が支給しているものと比べると見劣りするものばかりで、ディアナたち本職の軍人から見たらすべて玩具だ。期待外れも甚だしい。
ジオール大尉が抱えてきた大荷物の扱いには困ったが、とりあえずそれらの横に転がしてある。舌をかまれないよう猿轡をしているのだが、自害するどころか何か言いたげにムガムゴと口を動かしていた。
喚かれることを未然に防いでくれて、思わぬ恩恵だ。
「マルクス中尉、適当なやつを見繕ってお粗末な装備を工廠(※17)担当に回して来い。ジオール大尉、貴様はこいつの対処だ、なにやら喚きたそうにしているからすべて聞き届けてやれ」
面倒そうな声色のディアナへ、マルクス中尉の返事は「了解しました!」と明るい。対して、ジオール大尉は「えぇ~」と二言目に文句がついて回る返事をする
真っ赤に尖った瞳で見つめられてしゅんと大人しくなったが、彼の気分はその反抗的な目が物語っていた。
ディアナは「はぁ……」とため息をつく。そのまま拗ねたように唇を尖らせるジオール大尉の目の前まで歩み寄る。
ぱぁああ――!と希望に花咲かせるジオール大尉。しかし、ディアナの愛銃ガルドルが突きつけられた瞬間、その顔は一気に絶望へと変わった。
「く、クルーク中佐――」
「黙れ、上官命令だ。ジオール大尉、貴様が奴の面倒を見ろ。介錯するならシャベルだって準備させる。いいからさっさとあの無駄にでかいお荷物をさっさと処理しろ」
「お前の荷物だろう?」とディアナは悪魔のように笑う。プルプルと小さく肩を震わせていたジオール大尉はよろよろと動き出す。その背中は冷たい汗でびっしょりと濡れていて、いつもの軽薄な笑みは引き攣っていた。
周囲から憐憫の視線を集める彼は、しぶしぶ転がされていた男に被せられていた麻袋を取って猿轡を解く。ぷはぁっ!と詰まっていた息を吐き出す中年男は、殺さんばかりにジオール大尉を睨み付けた。
「貴様っ! この私をポーロ・イルフマン陸軍中将だと知っての狼藉か! 今すぐ縄を解かねば情状酌量の余地はないぞ! 高貴なる私をこのように扱いよってからに! どうなるか分かっておるのだろうな!」
「……クルーク中佐」
やけに偉そうな態度で騒ぎ立てる口髭がきれいにカールした中年男の声は無駄に大きい。それを真正面からぶつけられるジオール大尉はやけにおとなしく、疲れた顔でディアナを見る。
面倒そうな顔をするディアナは、シュガータブレット片手に二人に近寄った。
「なんだ貴様! 年端もいかぬ女子の分際で我を見下ろすでないわ!」
「こいつは何語を話しているんだ? ジオール大尉」
睨み付けてくる中年男の視線を、ディアナはまるで気にしない。シュガータブレットを口の中に放り込む彼女に、ジオール大尉はわざとらしく肩をすくめた。
ディアナは「調子のいいことだ」と言いたくなったがそれを飲み込んで、舌打ちするだけに終わる。シュガータブレットをコロコロと口の中で転がしていると、なんとか体を起こして正座状態の中年男はディアナにその目を向けた。
「なんだその態度は!? 少しは年長者を敬わんか! 背丈も体も年も大したことないくせにデカイ態度をとるでないわ!」
「――あ?」
ガリッ!と砕かれるシュガータブレット。ディアナのその一言は、いわゆる死刑宣告に近い。ジオール大尉などの部下たち六十名ほどの顔は一気に青ざめた。
いまだに目つきを険しくするイルフマンに、ディアナは静かに歩み寄る。再び何か喚こうとするイルフマンだが、その口にゴガッ!と汚れたブーツを蹴り込まれた。
「その態度はなんだ? このウスノロ」
「ぁがあ、き、貴様――」
前歯をほとんど折られていて、口のなかを切ったのか垂れる唾液は赤黒い。酷い顔になったイルフマンは、続けざまにガツッ!と鼻が膝蹴りで潰される。
カールした口髭と口元を真っ赤に染めるイルフマンの瞳を、ディアナの真っ赤な瞳が射抜いた。
「黙れ、貴様はどうあがいても捕虜だ。残念なことにうちの憲法では捕虜の扱いが明確に示されてない。つまりは、貴様に惨たらしい拷問をしても何の問題もない」
「お分かり?」とわざとらしくおちょくるディアナ。固い脳みそをしていそうなイルフマンの顔からは血の気がなくなる。
しかし、イルフマンは青い唇を震わせながらも、その目つきは相変わらず険しい。眉間に皺を寄せたまま、一層強くディアナを睨み付けた。
「ふ、ふざけるな! なにが拷問だ! そんなもの痛くもかゆくもないわ!」
明らかに、と言わなくても分かる中年男の情けない強がり。青い唇はセリフとは対照的にわなわなと震えている。
情けないとしかいいようのないその顔を見て、ディアナは「ほう」と悪魔のような笑みを浮かべた。
「なら、耐えて見せろっ!」
直後、イルフマンの下あごがガチッ!とカチ上がった。口元からこぼれた唾液が一層赤黒くなって、薄汚れたシートの上に倒れ込む。
間髪入れず、無防備な脇腹をブーツが抉る。ディアナはそのままボールでも蹴るように、イルフマンの腹を蹴り続けた。
「かははっ! どうした! 耐えるんじゃ、なかったのかっ!」
「――ゴフッ……ふざけぶッ、るなあ……」
真っ赤な瞳をぎらつかせるディアナは、サディスチックな笑みを顔いっぱいに咲かせる。その加虐嗜好を一身に受けるイルフマンは随分と弱々しく見えた。
なんとも情けない表情を見て、ディアナの表情は興奮に染まる。
「かははっ!」と笑みをこぼすと、潰れた鼻をブーツのつま先がさらに潰す。ぐちゅっと生々しい水音が耳を不快に撫でた。
「~~ぁっ! ぅくぁ――」
「かははっ! かはははは! かはははハハハハハハっ!」
悶絶するイルフマン、それを見下ろすディアナ。イルフマンの声にならない叫びは、ディアナの狂気的な高笑いに混じってもなお耳に入ってくる。
砕けた彼の鼻は真っ青な痣に覆われ、粘ついた血がとめどなくあふれてきた。
のた打ち回るイルフマンの醜態は、生粋の加虐嗜好者であるディアナにとっては甘露にはなれど、毒になることはない。彼女はニタニタと趣味の悪い笑みを湛えていた。
彼の茶髪を思いっきり掴んだディアナは、彼の頭を強引に引き寄せる。自らもぐっと顔を寄せて、その真っ赤な瞳が青い瞳を覗き込んだ。
「なあ、一つ取引をしてみないか?」
「かはぁ……なんだ、もう、終わりk――」
挑戦的な口調のイルフマンはまたしても墓穴を掘る。興奮交じりのディアナの瞳が冷たくとがり、イルフマンの頭は再び薄汚れたシートの上に叩きつけられた。
――――その髪を掴まれたまま。
「ぎゃぁああああああああああ!」
イルフマンの悲痛な叫びが鼓膜を通して意識に訴えかける。誰もが目を背けたくなるようなその感情に染まったかのように、イルフマンの側頭部は肉色に剥けた。
ディアナは手に絡みついた茶髪を息でふっと吹き飛ばす。頭皮ごと引きはがした茶髪ははらはらと宙を舞う。瞳を引き絞り今にも狂いだそうな中年男へディアナは膝をついて、そっと耳元でささやいた。
「どうする? 私との取引に応じれば、貴様の身の安全は保障しよう。コーヒーもシガレットも、酒だってある。確かワインもあったなぁ」
「ぁあ……うあぁ――――」
ディアナの歪んだ口元から垂れてくる甘い甘い悪魔の囁き。砂埃にまみれた茶髪を整えるように撫でると、イルフマンの緊張した表情はいくらか和らいだ。
しかし、イルフマンの顔がついさっきまでの強情さを取り戻し始める。
それを確認したディアナが「だが――」と言葉を漏らすと、その甘言も霧散した。ディアナは残った茶髪を再び引っ掴んで拳を振り上げる。
そのまま恐怖に引き攣るイルフマンの眼前を、ガッッ!と力強く殴りつけた。
「このまま抵抗してみろ。三分間ごとに貴様の指を一本ずつ落としてやる」
ディアナの脅迫じみた言葉は、イルフマンの耳をちくちくと突き刺していく。多大なストレスと恐怖に、彼の瞳は限界まで引き絞られる。緊張に心臓が胸を打ち、喉が震えて息も荒い。
ディアナの細い指が縛られた手の先にそっと絡むと、彼の口は酸素を求める金魚のように意味もなくぱくぱくと動いた。
「あぁ……や、やめて、やめてくれぇ……」
「ふふふふ、十秒以内に答えろ。貴様に抵抗の意志はあるか?」
イルフマンは頭が取れてしまうかと思うくらい激しく首を振る。結果としてシートに顔をこすりつけることとなるのだが、それを意に介さないほど彼は必死になっていた。
ディアナの顔は再び興奮に染まる。薄汚れた茶髪を掴んだまま加虐嗜好をさらに加速させようというところで、『クルーク中佐!』とマルクス中尉やジオール大尉から待ったがかかった。
「クルーク中佐! それ以上はまずいです! 私の精神安定に関わります!」
「そうですクルーク中佐! 国際問題に発展しかねませんよ!」
縋り付くような二人に続いて、事後処理に従事していたはずの部下たち数名からも同じように声を上がる。それらしい雰囲気が一気に霧散して、とても居づらい空気が流れた。
興奮もすっかり冷めて、ディアナの顔は不快げに歪む。苛立った目でヒューヒューと今にも呼吸が止まってしまいそうなイルフマンを見下ろすと、つまらなさそうに「はぁ……」とため息をついた。
「……じゃあ、私に跪け」
それが、生粋の加虐嗜好者であるディアナにとって最大の譲歩だった。恐怖に染まったイルフマンは今にも「信じられない」とでも言いだしそうな顔をしている。頭の中を混乱に支配されたのか、そのまま固まってしまった。
イラッとした顔をするディアナがもう半歩だけ歩み寄ると、イルフマンの瞳は再び恐怖に染まる。情けない声を上げるイルフマンは、慌てて上半身を起こして跪いた。
「も、申し訳、ございませんでしたぁ……」
もはや、誰にどんなことを謝罪しているのかも見当がつかない。だがイルフマンはそれでも自分の頭を地面にこすり付ける。
プライドも何もないその姿に、ディアナだけは一人つまらなさそうな顔をする。おもむろに右足を上げると、そのうなじをぐりぐりと踏みにじった。
「ふふふふ、無様だなぁふふふふふ」
「ぁぅ――――」
三日月型に歪んだ口元から興奮が漏れ出てきそうなほど、恍惚とした表情をするディアナ。イルフマンは何の抵抗も見せず、苦悶の息を吐く。ディアナがその少ない体重を目いっぱいかけても、うめき声一つ上げていない。
そうした状態が二、三分続いたところで、ディアナはイルフマンの頭から自分の足を離す。ディアナの興奮はすっかり冷めて、ひどくつまらなさそうな顔をしていた。
「声の一つも上げてみろよマゾヒストが!」
直後、跳ね上がるディアナの右足とイルフマン。苛立ちすら浮かべるディアナは、彼をごみ屑を見るよりも冷たい目をしていた。
血や唾液や土でぐしゃぐしゃになったイルフマンの顔は周囲に向けて強制的に晒される。仕事もせず事の顛末を見守っていた部下たちは慌てて二人へ駆け寄った。
「クルーク中佐! いくらなんでもやりすぎです! 先週私で満足したんじゃないですか!? 私もちょっとうれしかったのにぃ!」
「手の空いてるやついるか!? 今すぐこいつを軍医に見せてこい! あ? 来てもらえないかってお前この状況部外者に見せられるか! いいから走れ!」
突然騒然となる現場に、事務処理を言いつけられたまま行っていた面々が思わずそちらを向く。過去何度かあった騒ぎだが、マルクス中尉にブンブンと勢いよく肩を揺さぶられるディアナというのは珍しかった。
少し涙目になっているマルクス中尉を、ディアナは思わずかわいいと思ってしまう。キレたというよりむくれている彼女にディアナは勝ち目がない。
得意でない作り笑顔で対応することを余儀なくされたディアナは、頭がくらりと来たところでマルクス中尉から解放された。
ディアナの部下たちはまだバタバタと慌ただしくしていて、とくに飛び散ったイルフマンの血や茶髪の回収に多くの人員が裂かれている。ディアナはぱっと見ただけで、自分にできることはないことを悟った。
「はぁ……退屈だ」
ディアナは一人そう呟いて愛銃ガルドルをギュッと胸に抱く。ひんやり冷たい金属製のフォルムにチュッとキスをすると、すっかり定位置になりつつある塹壕の上に腰かける。
まだ混乱の中にあるであろう敵陣営。その中からいくつも伸びる煙の筋を鋭く見つめるディアナは、シュガータブレットを口の中に放り込む。
敵司令官は連れてきて、武器弾薬もまとめて吹き飛ばしきた。死傷者もたくさん塹壕の脇に転がしてきている。敵陣へはかなり手薄なところから踏み込んでいるので、体制の立て直しにはかなりの時間を要するだろう。
つまり、あと一押し。味方の様子を見れば、かなりの人数が慌ただしく動いている。羊飼い将軍はディアナたちが連れて帰ってきた敵指揮官など目もくれず、目の前に盛られた砂糖の山に軍隊アリをぶつけるつもりらしかった。
「かははっ、まだまだ面白くなりそうだ」
ディアナは、シュガータブレットをコロコロと口の中で弄んだ。