Ⅰ
「ちゃんと鍵をかけたか確認してくれよ」
「はい。任せて下さい」
重い足音が遠ざかっていくとジョゼットは心の中にたまった鬱憤を吐き出し始めた。
どうして私が残業しなけりゃなんないのよ。あんたが館長なんだから最後まで残って戸締りすりゃあいいじゃない。
ジャラジャラと重い鍵束を館長の磨き上げられた机に叩きつけた。
そこで足音が近づいてくるのに気づきジョゼットは慌てて鍵束を取り上げ姿勢を正した。
「何か?」
館長はベルトの上に鎮座させた何の役にも立たない脂肪の塊を掻きながらジョゼットをねめつけた。
「電気を消し忘れるんじゃないぞ。お前のせいで性質の悪い犬どもが集まってきたことを忘れたわけじゃないだろう?」
「…はい」
ジョゼットは下を向き反省の色を示したが、髪に隠れた表情を館長が目にしていたら、きっと一目散に逃げ帰っていたことだろう。
こんな寂れた博物館がホームレスの役に立つのなら展示品たちも本望だろう。普段は客なんてゼロに等しいのだから。いたとしても頭のいかれた学者か、散歩ついでに立ち寄った老人くらいだ。
悪態とともに足音が遠ざかっていっても用心深いジョゼットはそのままの姿勢でじっとしていた。博物館の扉が閉まるきしんだ重い音が聞こえてようやく頭を上げた。
こんなところすぐにでも辞めてやる。引越しの費用が貯まればだけど。
実際のジョゼットはテキパキと掃除を済ませて照明を消し、展示品たちを眠りにつかせていった。
職場が悪けりゃ、今住んでいる場所は最悪だった。
雨が降ればしみの浮いた天井からは我先にと滴が滴り、風が吹けばひび割れた窓ガラスがガタガタと騒いだ。
ため息をひとつ吐き、またひとつ照明をパチンと消した。
世の中そんなに甘くないとわかっているべきだった。『都心に近くて激安』という言葉に騙されて、下見もせずに部屋を決めた罰なのだろう。
今どきそんなボロアパートも珍しいと思うが。
私の人生はこんな風に終わってしまうのだろうか?ここに展示されているものたちは、光り輝く富を手にしたり、普通の人が一生かかっても得られない栄光を掴んだものの象徴ばかりだ。例えそれがほんの一時だけのもので、壮絶な最期を迎えるとしてもジョゼットには羨ましくてならなかった。
世の中には生まれながらにして富を持っている者や、莫大な金になる美貌を持って生まれる者がいる。
この世界は不公平だ。私はそのどちらでもない。
ジョゼットは鍵の閉め忘れは無いか館内を歩き回った。
そもそもこんな客のいない博物館にいるからいけないのだ。こんなところには金を持ったいい男はやって来ない。もう23だというのにデートすらしたことが無かった。ああ、私の望みを叶えてくれる強くて立派な男が欲しい。金を持っていることは言わずもがなだ。
すべての錠が下りていることに満足してジョゼットは頷いた。ようやく終わった。
「っあ!」
一番大きいホールを横切ろうとして擦り切れたカーペットに足をとられた。派手に転び、知っている限りの汚い言葉で悪態をつく。
「絶対に辞めてやる!」
脱げてしまった片方の靴を探して床を見回した。
靴はカーペットがめくれてむき出しになった木の床の上に転がっていた。手についた汚れをジーンズで拭って靴を拾いにいった。
惨めだった。どうして私ばっかりこんな目にあうの?
腰をかがめて靴を拾い、カーペットを直そうとすると床から冷たい風を感じた。
地下なんて無いのに。…まさか伝説が本当なんてことは無いわよね。
この町に暮らす人は博物館に立ったまま眠る騎士の伝説を信じていた。私だってティーンエイジャーの頃は逞しい騎士に思いを馳せたものだが、この博物館で働き始めてそんな空想は捨て去った。
でも本当だったら…?
ジョゼットは手にしたカーペットをさらにめくった。するとあからさまに地下へ続きますといった感じの隠し扉がそこにあった。