◇密林の檻
ジャックとすあまは違う長さの影を引きずり、崩れかけた道路を歩く。
ゼリーで栄養を補給しつながら、彼はすあまの笑顔を思い出していた。彼女をもっと楽しませたいと想い、彼が少女くらいの頃に何度行っても楽しめた場所を案内することにした。
「遊ぶならここがいい」
「あそぶ? どうやって?」
彼が案内したのは公園だった。都内の住宅街に囲まれた公園にしては大きく、滑り台やブランコなど遊具も一通り有る。数ヶ月前までは鬼ごっこやかくれんぼをする子供でにぎわっていた。
「そうだな、まずはあれを使ってみようか」
ジャックは初めにすべり台を紹介した。彼にうながされて階段を登り、少女はおそるおそるすべりおちる。大喜びで輝く瞳をなげかけて「もう一回!」と叫び、すあまは滑り台を逆から登ろうとして駆け上がった。途中で足を滑らせてあごを打ってジャックに注意される。少女はなぜかそれも嬉しいようで「へへへ」と白い歯を見せて笑った。
次にブランコへ向かった。すあまを乗せて背中を押す。
「わー、わー!」
喜びをどう表現していいのか分からないように少女はただ声を上げた。その感情が伝わり、ジャックはもっと楽しませようと強く押す。彼女の髪が風に舞い、細い首がジャックの目に入る。
続いて砂場での遊び方を教えた。彼女はすぐに熱中して砂の山を作り始る。楽しんでいるのを確認して彼はベンチへ腰を下ろす。すると疲れが体全体にのしかかる。遠い目で少女を見つめる。
「できた!!」
立ち上がりすあまは青年へと笑いかける。出来上がった作品を彼に見てもらいたいらしい。彼は中央に木の枝が立つ砂の山を眺めた。彼女なりに何かを表現したようだが、ジャックにそれが何かは分からない。
「これは……なんだ……っけ?」
少女の機嫌を損なわないように彼は言葉を選んで訪ねる。分からなかったことを不服そうに口をとがらせ、彼女は誇らしげに説明をする。
「はは! ははだよ?」
はは? ハハ? 母のことを言っているのだろうか。理解できないままに納得したふりをして、ジャックはうまく出来ていると彼女を褒める。顔を出しかけた疑問は力ずくで頭の隅に押し込めた。
すあまの体力はまだあり余っているようで、ジャックのすそを引いて次の遊びをせかした。その期待に答えようとあたりを見回す。残った遊具はシーソー、鉄棒、そして彼が少年の頃一番好きだった鉄の棒が交差した檻のような箱。彼は最後の一つへと彼女を導いて行った。
「これはなに?」
「ジャングルジムだよ」
「やんぐるじむ? どうやってあそぶの?」
「ジャングルジム。登ったり中をくぐったりして遊ぶんだ。おっ、そうだ。転ばない様にしっかりと棒を持つんだぞ。すべり台の時みたいに痛いのはいやだろ?」
「うん」
すあまの反応はいまいちだった。この遊具の魅力をジャックは思い出そうとしたのだがうまくいかない。風を全身に浴びられるブランコに比べれば地味な気がした。
次は鬼ごっこやかくれんぼを教えようかとジャックは考えた。砂場遊びは楽しんでいたようだからブロックで何か作るのも楽しめるだろう。
少女が喜びそうなことを頭の中で並べていく。彼はすあまの笑顔を思いうかべ、ぶしょうひげに覆われたほおを柔らかくゆるめた。
「よしっ!」
胸の内側をにくすぐられているようだった。胸の内の温かい気持ちが恥ずかしく、照れ隠しにジャングルジムの頂上まで一気に登る。すあまは外側からそれを一生懸命に追いかけた。ジャックが抱え上げ、自分の隣に座らせた。
「よく登ったな。偉いぞ」
「たかいねー」
「そうだな」
眼前に広がる青々とした風景を彼は眺める。海外のジャングルをテレビでしか見た事はなかったが、彼はそれでもこの密林が特殊なのが分かった。動物の姿は全く見えない。鳥や虫さえもどこにもいない。
「……っ」
ジャックを強烈なめまいが襲う。倒れかける寸前で棒をつかんだ。彼はふと少女がこの遊具を楽しめない理由を察した。ふり返り彼女を見つめる。
少年はビルに囲まれた街に育ち、テレビの中の密林での冒険劇を楽しんだ。その場所と空想をしながらジャングルジムで遊んだ。少女はそんな思考に至らない。彼は彼女にとって緑の世界が当然のものなのだと気づく。
ジャックの視界の隅で何かが動いた。彼の目は砂場に向かう。山にささった枝が倒れていた。
顔を上げて、青年は苦々しく顔を歪めた。砂の山に立った棒。それは遠方にそびえ立つ大樹を模したものだろう。はは、彼女の母とはどういった存在なんだ? 考えようとしなくても、勝手に思考はめぐる。飛ぶ鳥の翼に重りがつけられる。
彼は彼女の存在を明確にしようとはしなかった。彼女について詳しく知ることから逃げていた。だが胸中の疑問はふくれあがり、喉を鳴らす。
「すあま……」
「なーに?」
少女の銀髪は熱した鉄のように橙色に染まる。夕暮れが緑の膜を打ち破るあの瞬間だった。
湿った風が吹き、彼女の細く美しい髪が彼の腕に触れる。質量すらない光の帯のようだった。彼は惚けて眺めた。無表情だったが、その内心には不安の嵐が吹き始めていた。
もう日が暮れる。すあまは夜になれば帰ると言っていた。彼女はあの砂場で作った山に帰るのだろう。俺はまったく浮かれてやがる。鬼ごっこ? かくれんぼ? ブロック? この馬鹿が! 明日また会えるのだろうか? そんな確証もなしに俺はなんとのんきに……。ふん。気にするな。ずっと一人で生きてこれただろう。今更なんだ! もし会うことがなくなったとしても一日だけの白昼夢と納得すればいいだろう!?
ジャングルジムの上で青年は苦しそうに口を歪めている。ジャックが無言になったのが退屈で、少女は足をぶらぶらさせたり、体を動かしている。じょじょに体の動きは大きくなり足を振り上げる。
「わっ」
すあまはバランスをくずし、後ろへと倒れかけた。考えるよりも先にジャックの体は動く。ふとももの上に彼女を抱き上げて自分の胸へと少女の顔を押しつける。
「んーん。んー!」
ジャックは少女が息苦しそうにしているのに気づいて、顔をおさえる手をどけた。
「大丈夫か?」
「こけた!」
「ごめん。俺の不注意だ。怪我はないかか?」
神経質な感じのする細い声で彼はつぶやいた。瞳にも弱々しく暗い影が落ちる。
「んーん? わっ」
ジャックは再び彼女を強く抱きしめ、ジムから飛び降りた。
「へへへ」
すあまは笑った。アトラクションのように楽しんだのだろう。ジャックは先ほどの視線とは打って変わり、獣を感じさせるな目つきで胸の内の彼女を見つめた。光の帯のようなこの髪は彼女を幻影のように思わせてならない。
「なあ、楽しかったか?」
「うん!」
そうだろう! すあまは俺といて楽しいんだ! 名も食事も与えずに放置しているような親だ! そんなのと暮らすよりかは俺といたほうが良いに決まっている。ひどい親に帰す必要がどこにある!! 彼は胸の内で叫び、少女にすがるように抱きしめた。
彼は少女の重みを、少女の存在をしっかりと確かめる。彼女は妖精でも幻影でも夢でもない。小さな鼓動が聞こえる。自分より高い体温を感じる。ああ、すあまは生きている。彼のひげが当たりくすぐったそうに首をふり、少女はひたいを彼の胸へとあずけた。長いまつげが彼の手に触れる。
いくら時間が経っただろう? 二人は静止して、まるで像のようだった。ジャックはこのままの時が流れるのを祈った。だがその願いは叶えられなかった。
「……?」
少女は彼を押しのけて後ろへと振り向いた。ジャックはゆっくりと彼女の視線を追った。二人の元へ影が落ちている。影の持ち主は、サファイアを思わせる蒼い瞳でこちらを見つめていた。