◆あなたへの手紙
緑の日差しを半身に浴びて背広姿の男はノートを読んでいる。彼はずっと無表情だった。
日記の作者の筆圧はとても強くノートには荒々しい文字が並んでいる。文字は罫線から上にも下にも飛び出していて、特に八月二十七日は文字の大きさがバラバラで暗号のようだった。最後の一文には上から二重線で打ち消されている。
男がページをめくる。すると別人が書いたようなきれいに整えられた文字たちが現れた。
九月二十七日
筆をとるのも久しぶりのことで少し気恥ずかしい。ふと私の日記を読みなおしたところ、たった四日で終わっていた。三日坊主よりかは結構だが、四という数字も縁起が悪い。であるので続きを書くことにした。
なぜ私が日記を書かなくなったかというと、これは大変恥ずかしいことが原因にある。羞恥心は持っているが、この件に関しては仕方ないとも考えている。これから少しその後の日々を記させてもらう。その表現には自らを美化した脚色が入っていることをご容赦して頂きたい。
私はすっかりアルコールにはまっていた。私はどうしようもなく、どうしようもなかった。太陽が昇るのを緑の膜を通し眺め、中央の柱と太陽が重なったところで昼を知り、夕暮れの一瞬の橙を大事にする毎日。それの繰り返し。直ぐに退屈になり、そして嫌な気分、肺に黒い濃霧を吸い込んだようなもやもやを感じるようになった。
その感情は砂時計で積もる粒子と同じように時間が過ぎるほど私の胸にたまっていく。アルコールはそれらを除菌してくれる唯一のものであった。所詮、一時的なものにしかすぎなかったが。これ以上、黒い濃霧に着いて明記することはよしておこう。理由はひとつ前の日記を読んで察していただきたい。
さて、紙面上ではたった一枚をはさんで語られていることは一カ月も前の出来事である。時間にすれば七百二十時間。分ならば、四万三千二百分、秒にすれば……。しかし私にとっては結局、紙一枚の内容量しかなかった。
日に日に酒を飲む量が増え、それに合わせてタバコを吸うようになった。飲酒運転など他人にも自分にも危険なことはしなかったが、多くの罪を犯してきた。ダイヤモンドが本当に固いのか実験し、映画の様に車は爆発するのかも試した。そうすれば誰かが罰してくれるのではないかと願っていたのだろう。
結局、今の今までその誰かは訪れていない。あれらの持ち主たちには申し訳ないことをした。
今思えば私はずっと感性を鈍くしたかったのだろう。一人では処理しきれない圧倒的な状況を全て忘れてしまいたかった。アルコールによって頭を弱くし、今だけの上機嫌を求めた。ナンセンスないたずらをして普段とは違う自分へと現実逃避した。また、時が平然と過ぎるのを恐れて自ら劇的な出来事を演出せずにはいられなかったのかもしれない。
それらは全て胸の黒い濃霧によって促されたものだ。この感情とどうすれば別れられるのだろうか? 私は一人の夜、少し緑がかった夜空を見るたびにそんなことを考えた。そうして私は胸を腐食させる黒き霧を浄化させることを試みた。
私は孤独になってしまった。高校に通っていた時の様にクラスメイト、部活のチームメイト、なにより母も父とも断絶された。悲劇の主人公になりきってしまえれば良かったが、そうもいかない。
人間は人の間にいるべきなのだ。日々の生き生きとした喜びも、悲しみも、口に出せずに、胸の中にずっとしまっておけば腐ってしまう。胸の内に異臭を漂わせ、心を腐敗させてゆく。
私も人の間にいるべきだ。それが不可能だからアルコールにおぼれた。だが面と向かったやり取りだけが人間を感じさせるわけではない。
私は本を読むようになった。本の中には様々な人が暮らし、精神が描かれている。その中に入ってしまえば、また私は人と人との間にいられるのだ。私は時間から解放された! だから、今は大きく呼吸ができる。息苦しさなど無縁だ!
九月二十八日
昨日の日記を読み返して顔から火が出るとはこのことか、と理解した。まったくなんて文書だ。今度はアルコールじゃなくて自分に酔ってしまっている。いかんせん私と言う一人称にも違和感がある。ので今日からは口語と同じく俺と名乗り、なるべく自然体で書くこととする。
読書を始めたのはいつからだろう? 俺は運動が好きで、勉強とか机に向かうのは嫌いだった。小説なんて現代文の授業でいやいや読むものでしかなかった。今は本棚の前で悩むほど好きになったけど。
マンガを悪く言うわけではないけど、それしか触れるものがなかったので流石にあきた。マンガの次に身近だった映画を観ようともしたけど電気がないので断念した。そうして古本屋の二階にある小説に手を伸ばした。
作品の評価、表現力とか文化的とかはよくわからない。でも小説は映画やマンガとかと比べて絵がない分、また文書で内面を描ける分、主人公に感情移入することができた。マンガではどうしても絵を見るなかで第三者の視点で物語を眺めてしまう。大人数が物語を動かし回る中、ただ呆然と見守るしかできない俺。今の境遇と照らし合わせて空しさを感じてしまう。
小説では登場人物にのりうつり、彼らの目を借りて人々と出会う事が出来た。そのおかげで俺はアルコールからじょじょに抜けることができた。
まだまだ読みたい本はたくさんある。それらに手に入れるのも簡単で、時間は潰すほどにはありあまっている。この境遇を初めて少し喜んだ。今は幸せだ。俺は今までで一番、俺自身と向き合えている気がする。明日から読書感想文でも書いてみようかな。小学生の宿題みたいだけど。
白い息を吐いて燕尾服の男は日記を手に窓辺へと歩いて行く。ベランダへ出て外を眺めた。そこは異世界だった。
北欧神話を思わせる大樹が空まで伸び続け、その頂上から放射状に緑の膜が広まっている。中央の柱からは八本の枝が弧をえがき地面まで伸びてドームの骨組みとなっている。緑の世界の下、廃墟と化した建物が並ぶ。ドームは町を二つほど取り込んでいた。
男はベランダで日記の続きを読み始める。それからしばらくは小説の感想が続いていた。文字は少し不自然なほどに落ちついていた。またそれにあわせて『ベイビー』のスケッチや観察録も併記されている。
十月一日
若きウェルテルの悩みを読み終える。この作品は……(中略)
小説ばかり読んでいても疲れるのでマンガも楽しむ。大きな古本屋から単行本を百冊くらいまとめて借りてワゴン車で運んだ。これで好きな時に好きなマンガを好きなだけ読むことができる。
学校で友達がもってきた雑誌で読むことが多かったけど単行本でまとめて読むのはまた違う楽しみがある。つい時間を忘れてはまってりこんでしまった。
最近、ベイビーのことが気になりだした。彼らは朝から夕方までに活発に行動し、日が暮れると動きが停止するらしい。睡眠状態? にはいると体をボールのように丸くする。いつもはふわふと浮いているのにその時ばかりは体を地面につけるようだ。棒でつついてみたが反応はなかった。彼らは何かを食べているのだろうか? こっちが心配になるほどに寝ている姿は無防備だ。
十月三日
同じくゲーテ作のファウストを読むことにした。一部と二部に分かれていてなかなかボリュームがある。第一部を読み始めて……(中略)
今日はCDを借りてきた。電気はあいかわらず流れていないが、乾電池さえあれば電化製品もそこそこ使えることにいまさら気づいた。というわけで持ち運びできるステレオセットに単一電池を四本いれて音楽を楽しんだ。
散歩中、気がつくとベイビーに話しかけてみた。返事はない。というか俺のことを彼らは認識できないのかもしれない。彼らの顔には黒豆みたいな目があるけど使い物にならないのかな。
半透明の体をよくよく観察したが、脳みそとか臓器らしきものはなかった。体の内側には十センチほどの赤いものが浮かんでいる。巨大な梅干しの種みたい。彼らの心臓だろうか? 大事な器官としたら、そんなにわかりやすい場所にあっていいものなのか。
ベイビーはよくみると個体によって耳の位置や指の数が違ったりする。そうして家の近くにいるやつがいつも同じやつということがわかった。
ご近所のベイビーはどじのようでガレキにつまづいてこけていた。宙に浮いてるはずなのにどうして転ぶのだろう? 今日からこいつにしぼって観察すると決めたので『ダニエル』と名づけた。ダニエルは四本指で右目の泣きぼくろが特徴だ。ほくろではなくシュヨウ(こぶ)なのだろうが、なんだか愛きょうがある。
十月四日
食事に飽きて来た。あるのはお湯で作れるレトルト食品、缶詰、米、カップ麺。新鮮な野菜が食べたくなる。スーパーで和菓子のすあまを見つけたが賞味期限がだいぶすぎているから諦めた。カビもなく見た目はいけそうだったから決断するまで時間がかかった。後ろ髪ひかれるとはこのこと。そういえば髪も伸びたもんだ。
久しぶりに鏡に向かうとニキビづらでヒゲと髪をボサボサとのばした不審者が写っていた。それを目にするのはうちの鏡だけなので、彼には見苦しい姿を我慢してもらうことにする。鏡自体だいぶ汚れているし許してくれるだろう。
今日はとても暖かかったので、気分転換に外で朝と昼の食事をまとめてとった。近くの公園にシートをひいておつまみと酒をもっていった。外での食事は気持ちよかった。気づいたら寝ていて、夕方だった。
起きると近くにダニエルがいた。俺に興味をもってくれているのだろうか? のこり物を投げてみたが目に入っていないようだった。ダニエルはふわふわと浮かび、すべり台に体を挟んで遊んでいた。しばらくするとやつは寝てしまった。ちょっと見ていたけど、ときどき寝言のようなことを言っていた。まぬけなやつだ。
しばらくダニエルを観察して帰宅した。今日はこのあと本を読もうかな。
全てが順調だ。救護に来てほしいとは思うが俺が無理することもない。好奇心をそそるものも、知識を深めてくれるものも、魅力的なものばかりであふれている。昼寝ができるほど治安もよい。全てが順調だ。なにもかもうまく行く気さえする。
十月六日
あることに専念していて日記を書く暇も惜しい。
十月十日
孤独とは何だろう。たった一人で誰にも会えない生活を強いられることだろうか? それとも苦悩や思想を誰にも理解されないことだろうか? もしくは、多くの個体が集団を作る中で自分一人が仲間はずれになっている状況のことをいうのだろうか?
俺は明日からもう日記を書けなくなるかもしれない。明日大きく劇的で現実的な出来事を起こす。なぜそんな思考に至ったのか「あなた」には伝えておきたい。そしてそれが孤独の話になるのです。
話をする前に一つだけ記しておきます。これはべつに悲しい話でも、暗い話でもない。俺が努力をし、成果をあげ、問題を克服すべく一歩を踏み出す決意を表すものです。希望まではいかずとも、明るい話になるはずです。
最初に述べた三つの孤独の定義への疑問、どれが本物なのかは知らないが、俺にとってその全てが変わらず孤独で、そして俺を酒へと引き込む原因でした。
第一の孤独、それは直ぐに襲いかかった。一人きりの生活。今日の天気をかたる相手すらもなく、人の名前を呼ばず呼ばれず、自分の存在さえうつろになっていく生活。俺はそれを読書によって逃げた。人の視点に入り込み、物語の人々と語らった。だがそれは現実を置いてけぼりとしたにすぎないのでしょう。
誰かと会いたい。あなたに会いたい。あなたは太陽のように輝かしい希望だった。
太陽へ向かおうと空想の羽をはばたかそうと、現実という重力は俺を地面へと引き寄せる。体力が尽きれば尖った岩山にに叩きつけられた。第一の孤独は重力のように俺から離れてはくれない。
俺は本を読むようになり、人の感覚というものを意識するようになった。そして自分の考えも理解されたい。理解されないままに朽ち果ててしまいたくないと願い始めた。このドームに俺が取り残されていると知っている人が世界中に一人でもいてほしかった!
どんな生活を送っているのか、この緑の光にどんな感想を抱いたのか、誰にも知られぬままに俺は死にたくない! そう叫ぼうとも聞く人はいない。これが第二の孤独である。誰かに気づいて欲しくて車を爆発させたりしたっけ。この孤独からの逃走方法はあなたもご存知のこの日記によってだった。
この文書は、日記というよりかは手紙だったのかもしれない。いつになるかは分からない。それでもいつか、だれかが、俺の存在を知ってくれるだろう。俺は気づかぬうちにそんな希望を抱いてこの日記を書いていた。「あなた」に理解して欲しい日々の出来事や、読書しての感動をつづった。俺の内面が少しでも伝わるように。
でも今日、読み直したけど、素直には書ききれなかったな。弱い自分を隠して、今はまだ大丈夫と自分に必死に言い聞かせていた。でも、それも終わりにしよう。
今、もし「あなた」が読んでいてくれるのなら、また俺の悩みに共感を抱いてくれるなら、未来の俺は救われる。それだけで書いたかいがあったのかもしれない。でも今の俺は、この文を書くだけじゃやっぱり孤独を消し去れなかった。
第三の孤独について記そう。
他人に理解されたいという願望を抱くまでの過程を書いた。ドームの下でそれを叶える為に、その対象では願望を叶えることが不可能だとさとりつつも、あるモノに接近するようになった。この願望は一種の本望だと思う。孤独から抜けたい。誰かと話したい。その思いを『ベイビー』によって叶えようとした俺をあなたは笑うだろうか?
少なくともその夢を、本能を、俺自身の理性は笑ってやまなかった。
日記とは別のノートに彼らの観察記録をまとめたので、もしあるのなら併読してほしい。彼らは愛嬌があり、俺に魅力を抱かせた。E.Tのように友達になれるのではないかと妄想した。
彼らが各々勝手気ままに個体ずつで生活しているのも俺に期待を抱かせた理由の一つだと思う。ひとりぼっち同士通じ合うものができると勘違いしたのだ。そうして俺は『ダニエル』と心を交わせる日がくることを信じていた。
しかし、だ。彼らは孤独ではなかった。観察を続けて気づいたが、彼らは彼ら同士でコミュニケーションをとっているらしかった。俺の喉から出た言葉は彼らには届かず、俺の皮膚を反射した光も彼らには気づかれない。それなのにダニエルは彼と同種の個体と仲むつまじく遊ぶこともあった。
俺はいじわるにそれを邪魔したこともあったけど、それすら無視された。俺は集団に入ろうとして、入れなかった。そういった孤独は第一の孤独よりみじめなものではないだろうか? ドームの中にもコミュニティは存在したが、変らず俺はひとりだった。
三つの孤独はげらげらと俺を笑っていた。どこにいようと奴らに後ろ指を指される。拳をあげても空を切るだけ。そうして俺は孤独を無視するようになった。それは時間を失う事につながった。
時間とはなんだろう。円を十二分割し、その中心から生えた針がチクタクと動き回る間隔のことを言うのだろうか? それとも地球が太陽のまわりを一周する間を分割したものだろうか? ああ、そのどちらもが時間なのならば、分けられたものが時間なのだろう。
あなたはこう思うかもしれない。なぜ外に出るための行動しないのか? と。確かに俺はこの状況に追い込まれてから(日課として壁を壊そうとしたものの)平和な二ヶ月をすごした。もっといろいろな行動をおこせたのかもしれない。だが、俺はすぐに時間という概念を失ってしまった。
時間割が象徴するような分割され、人間を束縛する時間たちを忘却した。時は本の仕組みと似ている。本は物語の質量と関係なく機械的にページによって分割されている。ページのおかげでしおりを挟むこともできる。その物語の位置を覚えていられる。時間もまた同じ、流れゆく空間を固定して他人と共有するために分割されたのが時間なんだろう。
時を意識するのは他人を、外の世界を意識することだ。何日たった。何週間たった。何ヶ月たった。時間の響きはドームの外の日常を想起させて、三つの孤独を生み出す。俺はそれから逃げるために胸の内の時計をぶっ壊した。漫画や小説にはまったのもそういう点が影響しているように思える。
映画は観られなかったが、もし観れたとしても熱中しなかっただろう。映画は始まりから終わりまでの時間が固定されている。それが降り積もる。ドームの中に閉じ込められた俺は、天井から降り注ぐ時の粒子に窒息しかねない。
時の粒子も、三つの孤独も、俺は無視をした。そのことについて以前の日記で解放されたなどと書いた。しかし、それは逃げに他ならない。そうだ! 結局逃げ続けても最後には追いつかれる。いくら時を忘れようとしても、数週間も助けがこないなんて■■■■■■■■■■■(一度書いた文字の上が黒く塗りつぶされている)。事実は変えられない!
俺は時計を直す。時に埋没して消えるのはごめんだ。これだけ長い間、救助がこないのなら自分でどうにかする他に道はない。時計の針とともに進まなくてはならない!
図書館で資料を探し集め、ダイナマイトを自作した。いつもの壁に十数台の車を爆破剤がわりに積んである。明日、俺はあの壁を破壊する。強烈すぎるほどの材料であの壁を……憎くてたまらないあの壁をぶち壊す。切り開いた先に黄金の日差しがあるはずだ!
爆発力からいって俺も巻き添えを食う可能性もある。ああ、まったくそんなものは怖くない。孤独な夜の方がもっと恐ろしかった。
第一の孤独、ひとりぼっちという孤独は外に出られれば解消されるだろう。アリのようにうじゃうじゃとした群衆にまざれば、あの騒がしいクラスにもどれば、すぐに忘れられるだろう。でも俺はもうそれをわずらわしいだけとは思わない。人のいない大通りほど見ていて不安になる風景はないから。
第二の孤独、理解されぬ孤独は解消しきれるかは分からない。父や母なら、チームメイトの宇治山なら俺の心境を理解してくれるだろうか? それとも安田なら? 外には人がたくさんいる。ああ、あれだけの人をただマネキンのように置物のように捉えて、意思の疎通をとろうとしなかった過去の自分が憎らしい。外にさえ出てしまえば、心を通じ合える人は必ずいる。星の数ほど人はいるんだ。こんな不安捨ててしまおう。
第三の孤独、疎外される孤独も大丈夫だ。前のようにクラスにに戻れば。野球を始めさえすれば! 放課後、たまに誘われていったカラオケがなつかしい。体育祭の打ち上げがなつかしい。楽しいメンツだけをそろえて楽しむ。なにより家族がいる。俺には家族がいる。
そうだ。外の世界にさえ戻れれば、全てうまくいく。母も、父も、みんな外に避難しているんだ。俺はまぬけに頭をうって避難し損ねた。みんな心配してくれているだろうか? 大丈夫だ。明日には対面できている。
この日記も終わりにしよう。心の底ではこの文書を誰にも読まれたくないのかもしれない。俺がもし外の世界に出られたら、もし無事にいられたらこんな駄文は焼き捨ててしまう。だからもし、誰かがこれを読んでいるのなら……。
存在し得ない未来の俺は「あなた」に読まれて安らぎが心に訪れてくれるかもしれない。保険のようなものだ。それでは、ありがとう。さようなら。
燕尾服の男は悲しげに目を伏せた。そしてノートのページを風に舞わせた。それからのページは全て白紙だった。